十四話

「かんぱーい!」
「うえーい!」
「か、かんぱーい……」

 ジョッキを掲げて大声で騒ぐチャラチャラ三人衆についていけずに小声で続けば、遊佐さんが冷静に「のらなくてもいいんだよ」と教えてくれた。そうなんだ……。

 ギャーギャーと元気に騒いでいるチャラチャラ三人衆を他所に、遊佐さんはジョッキに口をつけた。同じ液体の入ったジョッキを両手で持ったままその横顔を眺める。視線に気付いて私の方を見た遊佐さんは「どうしたの」と言って笑った。

「良い飲みっぷりだなあって思って」
「……吉野さんにそう言われるとなんか照れるな」

 言葉の通りに照れ笑いを浮かべる遊佐さんは「無理して飲まなくてもいいからね」と言ったが、別に飲めないわけじゃないし、飲みたくないわけでもない。大学生って本当に未成年でもみんなお酒飲んでるんだって驚いただけだ。あと、こんな駅前のお店が年確なしって言うのにも驚いた。大学に近いからなのかな。

 ジョッキに口をつけて、傾ける。別に美味しくはない苦味。ちょっと飲んでからジョッキを机に置いて、わかささんはこれのどこが好きであんなに飲んでるんだろうと考えてみる。私は二年間飲み続けても結局好きにはなれなかった。

 既に酔い始めたのか「飲んでるー?」とご機嫌に聞いてきたチャラチャラ三人衆を適当に笑って躱して、トートバッグから取り出した携帯を開いた。わかささんから来ていたメールを探して、送ろうと思っていたのに時間が作れずに送れていなかった返事をしておく。「帰るの遅くなるかも」、っと。
 携帯を閉じてまたトートバッグにしまい、メニューを手繰り寄せた。酔うほど飲むつもりはないし、酔うほど飲めるとも思っていない。奢ってくれるって話だったし、チャラ男たちの財布にダメージが入るぐらいいっぱい食べよう。それでさっさと帰る。

 ちまちまとビールを飲んでいる遊佐さんに「オススメある?」と聞けば、ちらりとメニューを見た遊佐さんはゆるっと口角を上げた。

「ここの店、どのメニューも大体美味しくないよ」
「えー……?」
「でもとにかく安いんだよね。だからみんなよくここに来てるの。強いて言えば揚げ物系は全部冷食だろうからアタリもなければハズレもないって感じ?」

 なるほど。一旦ページを捲ってデザートのページを探す。どれも美味しくないんなら早速デザートに突入してもいいかな。デザートが美味しくないってことは早々無いはず。美味しければもちろん美味しい方がいいけど、最悪甘いものならなんでもいいし。
 じっとデザートのページを眺めてプリンにするかミニパフェにするか迷っていると、チャラチャラ三人衆のうちの一人が店員さんを呼び付けてあれこれと頼み始めた。みんなでつまめるものを頼んでいる感じだ。「吉野ちゃんと遊佐は?」と聞かれたので、「プリンとミニパフェ」と答えておいた。遊佐さんは「いらない」とのこと。

 注文を伝えたあと、コイツ一番最初にデザート頼むのかよ……と店員さんが一瞬変な顔をしたが、無視してジョッキに口をつける。一番最初に頼むが? それもどっちも。

 注文を復唱した店員さんが出ていったあとで「甘いもの好きなの?」とチャラ男に聞かれたので、素直に頷いておいた。「可愛い〜」だって。甘いもの好きなのに可愛いとか可愛くないとかあるのかな。

 都会の男はよく分からない。中学に入学するまでもこの辺りで暮らしていたけど、あの頃はこういう異性からのアプローチみたいなものは特になかったし、あったとしても何も気にしていなかった。気にしていなかったものも気付
いていなかったものも、それはもうなかったも同じことだ。


 あの頃は楽しかった。朝起きてカーテンを開けて窓の外を確認するだけで心は踊り、夜寝る前にカーテンを閉めるだけでちょっと笑ってしまうぐらいだったのだ。懐かしい記憶。
 脳裏に浮かぶ柔らかな思い出に目を細めて浸っていれば、チャラ男のうちの一人が「吉野ちゃんと遊佐って地元一緒なんだっけ?」と聞いてきた。遊佐さんと目を合わせる。

「地元が一緒っていうか、中高が一緒だった。吉野さんは中学上がるまでは確かこっちで暮らしてたんじゃなかった?」
「うん。親が脱サラして引っ越したんだけど、それまでは東京に住んでたよ」

 東京のどの辺? と聞いてきたチャラ男に「江東区の方」とぼんやりと答える。「あー」と分かっているのか分かっていないのかよく分からない相槌を打ったチャラ男は「コートークって何あるっけ」と他のチャラ男二人に聞いていた。分かんないなら聞かなければいいのに。

 何があったっけなあ、と私も記憶を辿る。大きな図書館。変なコアラの形の遊具のある公園。優しいおばあちゃんがいた駄菓子屋。今もそのまま残っているのだろうか。
 まあ、あの頃住んでいた家はもうないし、それがなくとも私は二度とあの場所には帰らないと決めているのだ。思い出す意味なんてない。そう結論付けてジョッキに口をつけたタイミングでちょうど注文の品々が運ばれてきた。店員さんがどんどんテーブルの上に置いていくお皿に目を走らせる。……あれー?

「ないけど……?」
「デザートだから食後だと思われたんじゃない? 取り敢えず他の食べておきなよ」

 目に見えて落ち込む私に遊佐さんが小皿に乗せて渡してくれた卵焼きを食べる。本当にあんまり美味しくない……。
 遊佐さん、いくら安いからってよくここに通えるな。蕎麦屋に行く時には「親子丼の卵が産地直送で」とか「ここの出汁はすごく拘ってて」とか熱弁しているからてっきり食に並々ならぬ拘りがある人なのかと思ってた。つまらなさそうな顔で唐揚げを摘んでいる遊佐さんを見つめる。楽しくなさそう。

 結局江東区からは何も話を広げられなかったらしいチャラチャラ三人衆は、食事が運ばれてきたタイミングを好機と見たのか「吉野ちゃんって高校の頃は部活とかやってたん?」と聞いてきた。軽く首を横に振る。そもそも野球部以外は部活なんてなかった。

「特になんにもやってなかったよ」
「そーなん? 吹奏楽とかやってそうだけどなー」
「あー分かる分かる。生徒会とかもやってそうじゃね?」
「っぽいわ〜」

 そうかな、と首を傾げる。吹奏楽とか生徒会とか、やってそうなんて言われたのは初めてだ。首を傾げる私を他所に、ニヤッと笑った遊佐さんが「当たってるよ」と言う。

「中学の頃は生徒会長やってたし、高校上がってからも生徒会やってたよね」
「たいした仕事はしてなかったけどね」

 遊佐さんの言葉にワーッと盛り上がるチャラチャラ三人衆から目を逸らしてビールを飲む。やっぱり美味しくない。もっと甘いものが飲みたい。いちごミルクとか、ココアとか、ミックスジュースとか。家にあったっけな。冷蔵庫の中のものを思い浮かべてみる。そう言えばジャムなくなりそうだったかも。あとお酒もそろそろなくなる。明日わかささんとスーパー行こっかな。

 ぼんやりと思い浮かぶわかささんの笑顔を肴にビールを飲んでいると、ジャラジャラしたネックレスをつけたチャラ男が「良い飲みっぷりー」と野次を飛ばしてきた。聞こえなかったふりで無視してビールを飲み続ける。あーあ、帰りたい。

 迎えに来て、って私が言ったら、そうしたらわかささんはここに来てくれるだろうか。あの人は最近私に対して変に過保護になってきている気がするから、お酒飲んでるのバレたら嫌そうな顔をされるかも。自分は私がいないところでたくさんお酒飲んでるくせに。

 分かりやすく不機嫌な顔で私に怒るわかささんを想像してちょっとニヤける。迎えに来てって言ってみようかな。別にこれぐらいなら全然余裕でひとりで帰れるけどさ。


 携帯を取り出そうとトートバッグに手を伸ばした時に、変なロン毛のチャラ男が「吉野ちゃん、なんか飲み慣れてね?」と声を掛けてきた。「まあそれなりに」と曖昧に返す。自慢できることじゃないけど結構よく飲んでたから、飲み慣れてはいる。
 でもこの半年はなんにも飲んでいなかったからちょっと弱くなったのかもしれない。メール画面に「迎えに来て」と打ち込んで、その画面を見てしばらく迷ってから「って言ったら来てくれる?」と付け足して送信する。それだけで送る勇気はなかった。だけどまあ、送ってみたかった。結構酔ってるなあ。

 送ったはいいけど返事を見るのが何故か怖くて携帯を閉じ、トートバッグの中に戻す。返事来るかな。わかささんはわりとマメだから返してはくれると思うけど、じゃあなんて返ってくるんだろう。……送んなきゃ良かったかも。

 私がそんなことをしている間にも、チャラチャラ三人衆は遊佐さんと高校時代の話をしているようだった。私が入れる話題ではなさそうなので聞き役に徹して、ビールを飲みながら卵焼きをつまむ。遊佐さんも多分、私に話が振られないようにしてくれている感じだ。今日だけで沢山迷惑をおかけして申し訳ない。
 だけどまあチャラ男は空気を読んでくれなくて、私に話を振ってきた。話せることないんだけどなあ。

「吉野ちゃんは高校の頃どうだったん?」
「普通だよ」
「や、なんかあんじゃん?」
「あるかなあ」

 お酒飲んでたとか、タバコ吸ってたとか、バイクでぶいぶい言わせてたとか? 髪を染めて、危ないことばっかりして、親を泣かせた。そんなものだ。
 遊佐さんがやんわりと話を逸らすように「修学旅行で沖縄行ったのは楽しかったよね」と呟いた。沖縄、沖縄かあ。あれは確かに楽しかった。山田がふざけて海に突っ込んでって転けて全身びしょ濡れになって、結局風邪ひいて……。うん、楽しかった。

「なんか修学旅行中、担任ずっと怒ってたよね」
「あれは吉野さんたちがホテル抜け出したり自由行動から帰ってこなかったりしたからでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。しかもあの後、クラスの八割ぐらい山田の風邪もらっちゃってテストなくなったし」

 言われてみればそうだったかも。私はまともに登校していなかったしテストも受けていなかったから分からないけど、山田が何人かの馬鹿に感謝されていた時期があった記憶がある。

 私たちがそんな風に思い出話をしていると、話に入れなくて焦れたのかチャラ男が「そういや吉野さんってなんで休学してたん?」と聞いてきた。ぶっ込んでくるなあ。
 遊佐さんが焦ったように「ちょっと」と声を上げる。チャラ男はそんな遊佐さんに「別にいいじゃん」と言うと、「なあなあなんで?」と聞いてきた。可愛くない聞きたがりだ。

「なんでだったっけなあ」
「留学とか? 入院とか?」
「いやなんかさ、オレらじゃないよ? オレらじゃないんだけど、『妊娠してて休学してたんだー』とか変な噂立ててるヤツらがいてさー」
「ホントのこと分かったらオレらから訂正しとくし!」
「うーん」
「……吉野さん、答えなくていいからね」

 私よりも遊佐さんの方が怒ってるし焦ってる。優しい人だ。私はと言うと、「めんどくさいなあ」としか思ってないというのに。

 休学の理由は別に隠してない。遊佐さんはもちろん、あの街の人たちはみんな知ってることだ。何かあればどこからか噂として広まったっておかしくないと分かっていた。
 でも妊娠はちょっと、噂としても下衆過ぎない? 子持ちに見えるのかな、私。彼氏も出来たことないのにな。

 押せばいけるとでも思ったのか、チャラ男たちはパッと手を合わせて「誰にも言わないからさ!」と言った。さっきと言ってること変わってるな。訂正してくれるんじゃないんだ。


 言わなくていいよ、と遊佐さんがまた言った。「っていうかもう帰ろう」とさっさと荷物をまとめ出している。これまで散々溜まってきた怒りか爆発してるのかもしれない。遊佐さんは最初からこの人たちへの怒りを我慢しているように見えた。

 荷物をまとめ終えた遊佐さんに腕を引かれながら、ジョッキを見下ろす。琥珀色の水面。たいして美味しくない、体に悪いだけの飲み物。あの頃の私がこれを飲み続けていたのには確かな理由があった。

「……死のうとしたんだけど、失敗しちゃったんだ」
「吉野さん!」
「それだけで死にそうなぐらいお酒飲んで部屋着のまま近くの山登って、まあ死にかけるぐらいまではいけたんだけど、普通に助かっちゃった」

 しん、と個室の中が静まり返る。十数秒の沈黙の後に横開きの扉が店員の手で開けられて、いつの間にか追加で注文されていたらしい料理が運ばれてきた。あ、プリンとミニパフェ。
 食べてから帰ろっかな……とも思ったのだが、遊佐さんに震える声で「帰ろう」と言われたので諦めることにした。ちょうどメールの受信音も鳴る。携帯を取り出して誰からか確認すれば、わかささんから「今どこ」とメールが来ていた。……迎えに来てくれるんだ。

 よく分からないけど泣きたくなりながら立ち上がる。そっか、来てくれるんだ。こんなメールひとつで、迎えに来てくれちゃうんだ。

 遊佐さんに手を引かれたまま個室を出る。一応チャラチャラ三人衆に「ご馳走様」と言ったのだが、なんの返事もなかった。あーあ。今度大学に行ったら誰も私に声掛けてくれなくなりそう。


 店を出てからも怒り心頭といった様子で歩き続ける遊佐さんに手を握られたまま、その後を着いていく。遊佐さんはしきりに「言わなくてよかったのに」と言っていた。たしかに。やっぱり酔ってるなあ、私。

 わかささんに「駅で待ち合わせしよう」と送ろうと思って空いてる方の手をトートバッグに突っ込んだタイミングで、ふと、隣を柔らかな金色の髪の誰かが通り過ぎて行った。思わず足を止めてしまうほどに心臓がドッと跳ねて、冷水を浴びせられたかのように、酔いで軽やかになっていた思考が一瞬で凍り付く。

 今のは、まさか。いやでも、そんなはずは。だってもうとっくに、二年半も前に、もう。


 突然足を止めた私のせいで、私の手を握ってくれていた遊佐さんまでもが足を止めることになった。「どうしたの?」と怪訝そうに名前を呼ばれたが、それに答えられずに私は震えながら振り返る。見慣れた柔らかな金髪が、人混みの中でも怖いぐらいに目に付いた。真っ白な特攻服とよく知らないチームの名前を背負った背中は記憶にあるよりも大きい。私だって履いたことのないような高くて赤いピンヒール。

「青宗ッ!」

 気付いた時にはもう私は、遊佐さんの手を振り解いてその人の背中に駆け寄ってしまっていた。

 パッと振り返ったその子が何かを探すようにして辺りを見渡し、徐に私を見てただでさえも大きな瞳をさらに大きく見開く。あの頃とは違って顔の左半分にくっきりと残る火傷の痕と、あの頃と同じ驚いた時の顔。目を疑うとばかりの顔のまま、青宗はぽつりと私の名前を呟く。

 その顔が、声が、仕草が、立ち振る舞いが。これっぽっちも似ていないのに、なのに確かに一瞬たりとも忘れたことのないその姿にあまりにも似ていたから。

 だから私は、青宗に名前を呼ばれた次の瞬間には、地面に膝をついて泣き出してしまったのだ。そしてそんな私に少し焦った様子の青宗が肩を掴んで「おい」とか「泣くな」とか言ってくるから、私は泣き続けることしか出来なかった。

ふたつおりのひとひら