十五話

「水買ってきた」
「いいよ、そんな……」
「いいから飲め」
「……ごめん」

 グッと俯いたままの視界に押し込むようにして差し出されたペットボトルを、ありがとうと呟いてのろのろ受け取る。そのまましばらくボーッとしてたら、何かを勘違いしたらしい青宗は私の手からペットボトルを奪い取り、蓋を開けてまた渡してきた。……どこで覚えたんだ、そんなの。

 渡された水を少し飲んで蓋を閉め、まだ冷たいペットボトルを目元にあてる。多分明日は腫れるだろう。いつの日かわかささんの前で大泣してしまった時は、結構早めに冷やしてもちょっとは腫れた。きっと今日もそうなる。明日が休みで良かった。

 どうやら青宗は、再会するなり突如泣き出した私を「コイツ、酔って泣き出した」と判断したらしい。実際にそういう酔い方をする人がいることも青宗の勘違いに拍車をかけているんだろう。泣き止みはしたものの到底帰れる状態ではなかった私をこの公園に連れてきてすぐ、そこの自販機で水を買ってきてくれた。そして今は、その水で目元を冷やす私を「何やってんだこいつ」とばかりに見つめている。そういう知識はないみたいだ。


 穴が空きそうなぐらいマジマジと見つめてくる青宗に、思わずちょっと笑ってしまう。もうとっくに化粧も崩れているだろうし、泣きすぎて顔もぐちゃぐちゃだし、そんなに見られると恥ずかしいんだけどな。
 目元を冷やしたままチラリと横を向けば、目が合った青宗はなんだか気まずげにまっすぐ前を向いた。あんなに見てたくせに目が合うのは嫌なんだ。変なの。


 夜の公園は静かで、空気が澄んでいる。街頭は少ないが、月明かりの眩しさだけで十分だ。十月も半ばの今、夜にもなれば若干の肌寒さがあった。

 しばらくの間青宗の横顔を見つめていたが、青宗が身動ぎもせずにまっすぐ前を見続けていることに気付いて私も前を向いた。何年も会っていなかった女にこんなに見つめられたら、そりゃあ気まずくもなるか。

 丸くて眩しい月を眺めながら、ペットボトルを開く。そのままゆっくり水を飲んでいると、また青宗の視線を感じた。でも今度はそちらを向かずに、前を向いたまま「久しぶり」と声に出す。

「こうして会うのは六年ぶりぐらい? 私が小学校卒業した時にうちは引っ越して、そのあとも青宗には会ってなかったもんね」

 引っ越してからも何度か東京に出てきてはいた。その度に青宗の家に遊びに行ったけど、青宗は友達と遊ぶのに夢中で、結局一度も顔を合わせることはなかった。
 だというのに、広い町の片隅でこんな風に再会してしまった。私は心のどこかで「青宗とはもう二度と会わないかもしれない」ぐらいには思っていたんだけど、人生とは不思議なものだ。

 だけど、きっと青宗だってそれぐらいは思っていたはずだ。人一人分の隙間を空けてベンチに座り、かたや月を、かたや隣の女の顔を眺める私たちの間にはなんとも言えない気まずさがある。

 私たちははお互いに再会する日が来るなんて思っていなかった。再会しようとも、思っていなかったのだ。


 青宗は私の言葉に何も返さない。でもそれは昔からのことだ。青宗に何を言ったって返事が返ってくるのは三回に一回ぐらいで、その一回も不服そうだったり、文句を言ったり。家が隣同士で、青宗が生まれた頃のことだって知っているからこその距離感だった。
 懐かしい思い出に少し笑いながらも、独り言ともいえる言葉を続ける。

「会わないうちにすごい大きくなってて、ほんと驚いた。最後に会った時は私よりも小さかったよね?」
「……ガキの頃の話だろ」
「何言ってんの、今だってガキのくせに。私たちの五つ下だから……今は中学生か。最近の中学校はどう、楽しい?」
「ガッコー行ってねーから知らねえ」
「そっか」

 まあ、そうか。普通に学校に通っている子の荒み方じゃないか。

 記憶の中の小さな青宗が、今の青宗に塗り替えられていく。「ガッコーで強そうなの拾った」と言って木の棒を見せてきた青宗が、こんなに大きくなっちゃって。
 しかも見て、グレちゃったよ。あんなに可愛かったのに。

 チラリと横を向く。目が合った青宗は露骨すぎるほどに「不良です」という装いをしていたけど、でも私に言わせれば可愛いままだった。まだこんなに可愛いからいっか。
 フッと笑った私に嫌そうに眉間に皺を寄せた青宗は、「お前は?」と聞いてきた。お前だってよ。ませてるなあ。

「私は大学通ってるよ。今は実家出て一人暮らし中」

 週の半分ぐらい家に来て寝泊まりしている人がいるので、一人暮らしと言っていいのかはよく分からなくなってきてるけど。青宗の前ではカッコつけていたいのでこの話はしないでおこう。

「さっき一緒にいた子は中高の同級生で、大学も一緒の子ね。迷惑かけてごめんねって連絡しなきゃな。多分心配かけちゃってるし」

 酒に酔って、と言い訳できないぐらいめちゃくちゃな行動をして、更には見るからに年下の男の子に縋って突如泣き出した私を、それでも遊佐さんは心配してくれていた。そんな遊佐さんを「大丈夫だから」と言って無理矢理帰したのは私だ。最後まで「本当に大丈夫なの?」と何度も聞いてくれた遊佐さんはやっぱり優しい人だった。

 そんな遊佐さんにも、本当に沢山迷惑をかけてしまった。チャラチャラ三人衆に言ってしまったあの話は、多分すぐに広まる。そして私は大学で孤立する。大学では浅く広い関係を築いてきたからこそ、瓦解は一瞬だろう。
 私は別にそれでもいいんだけど、そこに遊佐さんを巻き込んでしまうかもしれないのは嫌だった。遊佐さんは私が東京に来るまでの半年間、無理をしてでもチャラチャラ三人衆とつるんで、大学で頑張っていた。その努力を私なんかがぶち壊すのは忍びない。

 ぼんやりと月を見上げながらそんなことを考えていると、青宗はそんな私に何を思ったのか、変に真面目な声で「弱いなら酒飲むなよ」と言ってきた。別に弱くはなくて、今日は久々に飲んだからちょっと感情の振り幅が大袈裟になっちゃっただけだと自己分析している。

「弱くないよ。結構慣れてるし」
「弱くないなら泣くな。泣くなら飲むな」

 ムスッとした表情でそう言った青宗にちょっと笑ってから、「でも確かにそうかもね」と返した。変なメールを送るし、話さなくてもいいことを話すし、突然泣くし。こんな風になるなら飲まない方がいいのかも。

 青宗が買ってくれたペットボトルを一旦ベンチに置いて、トートバッグから携帯を取り出す。何通かメールが来ていることは分かっていたが、その全部を無視していた。今は会えないし、会いたくない。会ったら泣いちゃう気がする。
 いくつか届いている新着メールを確認せずに、「さっきのメールはなんでもない。変なこと送ってごめんね」とだけ送信して携帯を閉じた。これで良し。

 そう送ってすぐに電話が来たが、出れる気分ではなかったため申し訳ないけど無視した。合鍵渡してるんだから勝手に部屋入れるでしょ。許可だって今更取ってくれなくてもいいし、なんなら帰ってたっていい。何があっても今日は会えないのだ。

 何度も続く着信を無視していたら、青宗が「鳴ってるけど」と言ってきた。「知ってるよ」と返す。知っていて、気付いていて出ないんだよ。

「今は出たくない気分だから出ないの」
「彼氏じゃねえの?」
「彼氏ではないかな。たまに家に来て泊まってく人。ゴミ捨て場に落ちてたから拾ったんだ」
「……お前、大丈夫か?」
「ちょっとやめて、何その顔」

 眉を寄せて私を見る青宗は、視線と表情だけで思っていることを雄弁に語っていた。馬鹿だなあコイツとか、マジかよコイツとか、そんな感じ。馬鹿にされていることだけは確かだ。

 自分でもゴミ捨て場に落ちていた酔っ払いを拾うのはおかしいと分かるが、私はあの判断を後悔してはいない。なんとなくムカついて軽く肩でも叩いてやろうと手を伸ばしたのだが、そのタイミングで青宗の携帯が鳴った。私の知らない曲が着信音で流れ、青宗は取り出した携帯を見るなりすぐにボタンを押して「もしもし」と声を上げた。私は手を下ろして地面を見下ろす。叩く機会なくなっちゃった。

 少し困惑しているような、慌てているような、そんな声で「今? 駅から何分か歩いたとこにある公園にいる」と誰かと話していた。……私、帰った方がいいやつかな。
 それならとトートバッグを肩に掛け、水を手に取る。公園の場所を頑張って説明しているようだから、誰かがここに来るのだろう。その人が来る前に私は退散すべきだ。青宗には青宗の人間関係がある。

 電話が終わるまで待ってれば連絡先ぐらいは教えてくれるかな。そう思いながらも立ち上がろうとしたが、ベンチから腰を浮かせた瞬間に青宗に手首を掴まれた。
 思わずすごい勢いで横を向いてしまう。青宗はそんな私を困った顔で見つめながら「姉貴のダチ。トートバッグに変な顔の犬の人形……ついてるけど」と電話相手に喋っている。私も自分のトートバッグを見下ろした。変な顔の犬の人形……確かについてる。

 トートバッグからもう一度私の方に視線を移した青宗は、困った顔のまま「分かった」と言った。そして私に向かって「帰るな」とばかりに首を横に振る。何……?

 どういうことかは分からないが青宗がそう言うならともう一度ベンチに腰を下ろした。そんな私の手首を相変わらず掴んだまま、青宗は電話相手に何かを言っている。

「いや、普通に見えるけど……オレが会った時には酔って泣いてたし。……怪我?」

 私の頭のてっぺんから爪先までをじろりと一瞥した青宗は「無傷に見える」と言った。私の怪我の確認してるの? なんで?

 現状が全く分からない。それからすぐに青宗は「分かった、待ってる」と言って電話を切ったが、その表情を見るに青宗も何がなんだか分かっていなさそうだ。まじまじと私を眺めながら首を傾げる青宗に恐る恐る尋ねる。

「私、帰んない方がいいやつ?」
「いいやつ。……最近なんかトラブル起こしたりしたか?」
「た、たとえば?」
「バイクにぶつかったとか、人の女いじめたとか」
「……なんにも心当たりない……」
「ならなんで……」

 本当に何も心当たりがない。バイクにぶつかってないし、人の女どころか誰のこともいじめてないし、上京してからはトラブルなんて起こしてない。お隣さんとも大家さんとも順調にやってる。さっきの飲みの席での失態はトラブルとは……多分カウントしない。

ふたつおりのひとひら