二十話
「着きました、っと」
わかささんにメール送信完了。あとはわかささんが来るまでここで待つだけだ。携帯を閉じ、顔を上げる。欠けている月が眩しくてすぐに目を細めた。
もうすぐ十一月。夕方は短くなり、夜が早くなってきた。ちょっと前なら夕方の延長線みたいな感覚も僅かにあったが、この時期の二十時時半はもう立派な夜である。
冬は好きだ。寒くなると、寂しいのは私だけじゃないとなんとなく思える。
駅舎の壁に寄りかかってぼんやりと月を見上げながら周囲の人々のことも観察する。仕事帰りの人とか、塾帰りの学生とか、私のように誰かを待っている人とか。人の少ない実家の辺りとは違って、東京は夜でも人が沢山歩いている。ビルや街灯が多くて街がキラキラしているのもあって、空は真っ暗なのに夜という感じもあまりしない。
私が一人暮らししているアパートの最寄り駅も、この駅も、十九時はまだまだ人通りが多い。あの街だったら十九時は既に家に家族全員揃っているような時間だ。
遊佐さんは「そういうところも嫌い」と嫌そうな顔をするんだろうな。何時間か前に少し遅い昼食を一緒に食べてから別れた友人の地元嫌いは凄まじいものである。私よりも私の二倍はあの街で暮らしていたから嫌なところも沢山知っているんだろう。
だけど年末年始は一応帰省するつもりのようだ。一緒に帰ろうと誘われた。ちょっと迷って保留にしてもらっている。
いや、両親からは「たまには顔見せて」って言われてるんだけどね? でも東京に出てきたら、なんか帰るのが面倒になっちゃったんだよ。両親に会いたい気持ちはあるけど、それはそれとしてわざわざあんな田舎に帰る意味ある? あんまりないよね?
遊佐さんもどうやらそう思っているようで、私がそんな感じのことを言ったら「分かる」と頷いていた。なんでもある東京に再び慣れきってしまった今、田舎に帰ってもすることがない。私の場合は例年通りに山田と初日の出を見に行ったり、初詣に行ったり、ちょっと遠出してふざけたりするのかもしれないけど、遊佐さんの場合はそうもいかないだろう。遊佐さんは山田が嫌いみたいだし、高校までの友達とも多分気まずい。
あの街は住民同士の結束が強いので、一度外に出ると「外に出た人」としてしか扱われなくなる。実に典型的な田舎の悪しき風習。
帰省するかしないかはまだ決めかねているが、もしするんだとしたら遊佐さんとも初詣行きたいな。山田は後回しでいい。アイツは年始は不良仲間とも色々やっていてちょっと忙しそうだし、遊佐さんより優先する必要はないだろう。
そう言えば山田のやつ、いつこっちに来るつもりなんだろう。遊佐さんに「絶対会いたくないから予定わかったら教えて」って言われてるんだけど、二週間ぐらい前に「今度行く」と言われてから連絡がない。私から聞くのも面倒だしなあ。
来るなら来るで地酒買ってきて欲しい。わかささんの誕生日に渡そうと思ってるやつ。それまでに来ないなら私が自分で買いに行かなきゃいけない。
両親に頼むのが一番楽と言えば楽だが、一番面倒でもある。あの冬の山での色々があってから飲酒喫煙が我が家ではタブーになってしまったのだ。半年間の休学期間中ほとんど引きこもっていた私に会いに度々家まで来てくれていた山田も「吉野の家じゃ酒飲めねーな!」と言うレベル。あの山田に禁酒させるんだから相当だ。
もし両親に「地酒送って」なんて言ったら「なんで?」から始まり、人に渡すんだと言えば「変な人じゃないよね?」とか「危ないことしてない?」とか「お酒飲むような人と仲良くしてるの?」とか色々言われるに違いない。そんなに心配される原因を作ったのは他ならない私だが、心配してくれているのだと分かっても「面倒だなあ」と思ってしまうことがある。
そうなってくるとあの街で頼れる人なんてやはり山田しかいない。遊佐さんだってこっちに出てきているし、遊佐さんにわざわざ頼むぐらいなら私が行く。
半年以上飲んでないけど、あの地酒は本当に美味しかった。別にあの街のことは好きでもなんでもないけど、あの地酒のことは好きだ。是非わかささんにも飲んで欲しい。いつもビールばっかり飲んでるけど、一緒にご飯食べに行くとワイン飲んだりカクテル飲んだり焼酎飲んだりでお酒ならなんでも飲んでるから、渡せば飲んでくれる、はず。
酔っ払ってヘラヘラ笑いながらくっついてくるわかささんのことを思い出しながら、ちょっと顔を顰める。今、私たちはちょっとした喧嘩中なのだ。
原因は単純かつすごく馬鹿げていて、私がバイトを始めると言ったらわかささんが拗ねた。それだけ。
先日応募した小学生向けの塾のバイトに無事に受かったんだけど、私がバイトを始めるなんて思っていなかったらしいわかささんがもう露骨に不機嫌になっちゃったのだ。
わかささんたちのジムの近くですよって言ったのに、「ジムの上の塾は?」とか聞いてくる。そっちは受験を控えた中学生向け。こっちは受験を前提としていない小学生ちの来るの緩いところ。私は言うほど頭が良くないので中学生に勉強を教えるのはちょっと辛い。
そう説明したのだが、わかささんはめげずに「バイトしなくていいだろ。生活困ってんの? 生活費半分出そうか」とか言ってくる。それじゃ私がヒモじゃないか。親から十分すぎるほどに仕送りを貰ってるし、生活には困ってない。困ってないけど、青宗にご飯を食べさせるのにはお金がかかる。ただでさえも先日わかささんが「オレが奢る」なんて言ったせいで青宗を遠慮させてしまって大変だったんだからね。出るまで電話をかけて「青宗の分は絶対に私が出す、赤音に誓ってもいい」と断言して無理矢理了承させたんだから。
だけどわかささんは「青宗のため」というのも何故か気に入らなかったらしく、機嫌をとるのにとても苦労した。結局「バイト終わりは一緒に帰る」という変なルールを落とし所を作って話は落ち着いたが、これが結構面倒だ。そしてわかささんに申し訳ない。
まだ今日でバイト二回目だけど、一回目の時は書類を書いたり説明を受けたりで結構終わる予定だった時間から遅れてしまって、その間待たせてしまった。今の私みたいに駅で待っていてくれたわかささんを見つけた時は結構嬉しかったけど、「寒い」と言って握られた手が冷たかったのは落ち込んだ。人を待たせるのは苦手だ。
しかもその日も今日も、バイト終わりは一緒にご飯を食べに行くことになっている。外で一緒に食事をすると必ずわかささんの奢りになってしまうからあんまり気乗りしないんだけど、わかささんは「家の金出してねーからこれぐらい出す」といって聞かない。一緒にスーパーに買い出しに行く時も結構出してもらっちゃってるのに。
社会人の余裕、というやつなんだろうか。でもなんかそれって平等じゃなくない? 確かに家賃とか光熱費とかは私が、というよりかは両親からの仕送りで回しているけど、それは当たり前のことだ。だって私の家だし、別にわかささんは居候でもなんでもないし。……居候でもないのに週の大半家にいるのって結構なかなか……。
結局、私たちの関係ってなんなんだろうか。大家さんとお隣さんには友達と説明したけど、友達という感じではない。だからって知り合いほど浅い仲じゃないし、もちろん先輩後輩でもない。恋人……でもない。
わかささんからすれば、私は自分を拾った女。それからも簡単に家にあげてくれる都合のいい、だけど突然泣き出したりもする面倒な女でもあるだろう。
多分私のやっていることは、これまでわかささんが付き合ってきた女の人達とそう変わらない。だけど私はそれじゃ嫌だ。他の女の人たちと一緒じゃ嫌。わかささんの特別になりたい。……自分でも面倒な女だなって思う。
でもベンケイさんは以前、「これまでの女とは違う」と私を評していた。これまでの女と言うのがわかささんの歴代彼女を指していて、つまりわかささんのタイプの人だということなら、私はそこから外れていることになる。脈ナシなんて話じゃない。そもそも恋愛対象ですらないのかも。
漫画とかドラマとかでよくある「妹みたいなやつ」という枠だろうか。それはある意味わかささんの特別なのでは? ……でも、その特別は嫌。
我ながら本当に面倒だ。でも好きになっちゃったんだから仕方ない。あんなに優しくされて、大事にされて、泣いてるところを慰めてもらって、更には「どこにいたって見つける」なんて言われてしまったを好きにならない方が無理がある。
だけどその全てがわかささんにとっては普通のことだった可能性も全然あるから怖い。これまでだって他の女の人に私にするのと同じことをしてきて、やっぱり私はその中の一人でしかないのかもしれない。そう思うと怖くなるし、ちょっと泣きたくなる。
ため息をついて俯き、足元の小石を蹴る。もう帰っちゃおうかな。このまま帰って、わかささんと会うのもやめようかな。
そう思っていたのに、そのタイミングで聞き慣れた声に名前を呼ばれた。思わず顔を上げればちょうどわかささんが駆け寄ってくる。あーあ、帰れなかった。
本当は帰る気なんてなかったくせにそんなことを考えながら、もたれかかっていた壁から背を離して軽く手を振る。すぐに私の元に辿り着いたわかささんは暑そうにパーカーの袖をまくりながら口を開いた。
「悪ィ、待たせた」
「全然。さっき着いたとこ」
「嘘つけ、メール結構前に送ってきたろ。手も冷えてるし、やっぱ待ち合わせジムにしようぜ」
「えー、職場に押し掛けるのはちょっと……」
自然な流れでぎゅっと手を握られて、胸が高鳴る。こういうさりげない触れ合いに毎回毎回ドキドキして、本当に馬鹿みたいだ。わかささんにとっては普通のことなのに。
ドキドキしているのがバレたら笑われるか呆れられるか引かれるかだろう。意識してることがバレたらもう会えなくなってしまうかもしれない。家に来てくれなくなっちゃうかも。わかささんの特別になれないのと同じだけ、会えなくなることが嫌だ。
いつものように平静を装い、その手をそっと握り返す。そうして「お腹空いた」と笑いかけた。会えなくなるぐらいなら、このままでいい。