二十一話
「お姉さん、今暇? オレらこれから飯行くんだけど、お姉さんも良かったら一緒に」
「暇じゃないです」
東京、怖。
声を掛けてくる男の人を適当にあしらって、「行くところがあります」とばかりの顔で歩き出す。それでもしつこく着いてきたらどうしようかと思ったが、今回の人は着いてこなかった。胸を撫で下ろす。さっきの人はしつこくて撒くのに苦労したから、今回はあっさりしていて良かった。
今日でバイトも四回目。そろそろ慣れてきて、先輩と上司の複合タイプみたいなポジションの人に「来週ぐらいから試しに授業してみる?」と聞かれた。中高時代になんだかんだと近所のチビたちの勉強を見ていた経験が生きているようだ。
あと単純に私がちっちゃいのに舐められやすい顔をしてるっぽい。学習塾と銘打ってはいるがだいぶ緩い空気で一年生から六年生までそれぞれちらほらいるのだが、今日は一年生の女の子に結構な勢いでよじ登られた。
まあ仕方の無いことだ。青宗だってあの子ぐらいの年齢の時はよくしがみついてきたし、背中によじ登ってきた。勉強を教えていた子たちもそんな感じだったし、小さい子っていうのはそういう生き物なんだろう。それに可愛いから全然許せる。
問題は不躾に声を掛けてくるデカくてチャラついた男たちだ。待ち合わせをしてるって言ってるのに全然引かないし、すごいしつこい。何度かわかささんに助けを求めようと思ったぐらいだ。やっぱりジムで待ち合わせにしてもらえばよかった……ともちょっと後悔した。
一箇所に立ち止まっているより歩いている方が声を掛けられないと分かってきたので、「話しかけるな」オーラを出しながら駅前を歩く。わかささんからはつい数分前に「ごめんもうちょいかかる」とメールが送られてきていたので、しばらくはこうしてあてどもなく彷徨いていても平気だろう。
と、思っていたんだけど、また声を掛けられた。「奢るよー」って言われたけど全然嬉しくない。好きじゃない人に奢ってもらうより好きな人に奢って欲しい。当たり前のことだ。というか、好きな人なら奢りじゃなくても全然嬉しい。一緒にいれるだけで幸せ、というやつ。
立ち止まっていても歩いていても声を掛けられる。ならどこかの店に入ろうと、ちょうどそばにあったゲームセンターに入った。その途端にワッと色んな音が耳に飛び込んできて、これならもし声を掛けられても聞こえないフリで押し通せそうだと安堵する。客引きもナンパも多すぎだ。
店内を一周してから入口の方に戻り、そこで今現在もトートバッグにぶらさげられている例の犬のマスコットを見つけた。犬だけじゃなくて猫や兎もいる。かわいい。欲しい。
先日遊佐さんとこことは別のゲームセンターに行った時は犬しか種類がなかった。他のも出てたんだ。全種類の全色取る。トートバッグから財布を取り出して、ちょうど何枚かあった百円を投入。
無心でクレーンを操作していると、一回目から二個取れた。今日もいい感じだ。まだまだ取る予定なので獲得した二個を確認することはせずに追加で小銭を入れる。今度は一気にクレーンに三個引っかかって、その三つを持上げる時の弾みでもう一個落ちた。やったー!
こんな感じで、私は結構クレーンゲームが得意だ。小さいマスコットとかなら一回でいくつも取れる。大きいものはちょっと時間とお金がかかるけど、それでも平均よりずっと早くに取れると思う。あんまりほかの人と来たことがないから分からないけど。
この前一緒にゲームセンターに行った遊佐さんは、すごくクレーンゲームが、その……下手だった。本人も早々に諦めて「吉野さん取って」と言ってきたレベルだ。あの時は三つ取れたので、ひとつはわかささんの携帯につけてあげて、もうひとつは従弟にあげた。「もっとかっこいいのがいい!」と文句を言われたが、叔母によるとちゃんと部屋の机の上に置いているらしい。可愛いやつめ。
ひとまずこの二回で六個取れたので、どれが取れたのか確認するか。猫と兎が沢山取れていると嬉しいな。しゃがんで両手でマスコットを取ら出す。……犬三つに猫二つに兎一つ。まあまあの結果。
遊佐さん曰く「へちゃむくれ」たちを一旦しまおうとトートバッグを大きく開いたタイミングで、ふと視線を感じた。また客引きかナンパかと嫌な気持ちになりながら振り向くと、予想とは違って赤いランドセルを背負ったふわふわの髪の女の子がこちらをじっと見ていた。
チラッと周りを確認したものの、他にこの子が興味を持ちそうなものはない。見られてるのは私と、それからこのマスコットっぽい。ちょっと迷ってから立ち上がって「一個いる?」と声を掛けてみれば、目をキラッと輝かせた女の子はこちらに駆け寄ってきた。やっぱり私が見られてたみたいだ。
「いいの⁉︎」
「いいよ。こんなに取っても困るし。大事にしてあげてね」
「うん! ありがと!」
女の子は「どれにしよう」とたっぷり数十秒迷ってから、猫を選んだ。ぶち模様のかわいこちゃんだ。自分の手の中のぶち模様の猫のマスコットと私の手の中の茶トラの猫のマスコットを交互に見た女の子は「お揃い!」とにっこり笑った。か、かわいい〜!
庇護欲にも似た感情が湧き上がってきて胸がキュンと疼く。すごい可愛い、この子。他所のお嬢さんに言うことじゃないけど妹になって欲しい。
ランドセルにつけたい、と言った女の子に代わってランドセルの金具にボールチェーンを通してあげていると、女の子がゲームセンター内の喧騒にも負けないような元気な声で「これ欲しかったんだ!」と言った。
「このマスコット? 可愛いよね」
「だよね⁉︎ ワカは顔が変って言ってたけど可愛いよなー!」
「……うん、可愛い。全然変な顔なんかじゃない」
ワカ、と聞き覚えのある名前が出てきたことに一瞬動揺したものの、それは表に出さずに「可愛い」と断言しておいた。わかささんもベンケイさんや青宗からそんな感じの呼ばれ方をしていたけど、あだ名が同じだけだろう。可哀想なマスコット。わかささん以外の「ワカ」さんにも馬鹿にされている。こんなに可愛いのに。
しばらく可愛い可愛いと言い合っていたのだが、流石にゲームセンター内ではお互い声を張り上げなければ上手く会話も出来ないため一旦外に出た。
「お姉さんめちゃくちゃ可愛いっすね! オレらこのあと飲みに行くんすけど、良かったら一緒に行きません⁉︎ あ、もちろん妹さんも一緒で大丈夫なんでー」
そうしたらこれ。ゲームセンターを出てすぐ、どうしようかなと辺りを見渡した時にちょっと目が合っちゃったチャラ男が寄ってきてまた声を掛けられた。なんでこうも声掛けられるのかな。やっぱり私からなにか話しかけやすそうなオーラが出てるんだ。まず間違いなく舐められてる。
女の子がちょっと嬉しそうに「妹だって」と言ってきたのに「そうだね」と返してランドセルを軽く押し、「この子のこと迎えに来ただけなので」と言いながら駅に向かって歩き出す。さっきゲームセンターの中で会話した時に、「駅で待ち合わせしてる」みたいなことを言っていたから駅の方に向かっていいだろう。
だけど今回のチャラ男はしつこくて「じゃあ妹さん送った後にお姉さんだけでも」と食い下がってきた。本当に困る。私ってそんなに舐められやすい? 金髪にしてた頃はこんなこと無かった。……金髪だったからか。
何を言われても「無理です」と言い続けて相手を見ないようにしていたのだが、駅舎が見えてきた頃に「じゃあ連絡先だけでも教えてもらえませんか?」と手首を掴まれた。ぎょっとして足を止める。めちゃくちゃ気軽に触ってくるじゃん。
私が足を止めたことで、私に押されて歩いていた女の子も立ち止まった。女の子を背中で庇いながら手首を軽く振ったのだが、意外と強く掴まれていて全然離してくれない。しかもこの男なんか酒臭い。酔って気分が良くなってるのかも。
私なんかに声を掛けたことで巻き込んでしまった女の子に申し訳なく思いつつ、「離してください」と繰り返す。しかし聞きもせずに男は「連絡先だけでいいんで!」と言いながらグッと手首を引っ張ってきて、私は軽くつんのめった。……のだけど。
「嫌がってんじゃん。離せよ」
……か、かっこいい。
私たちの間に割り込んできた女の子が、男の手を掴んで無理矢理振り払った。「大丈夫?」と聞いてくる女の子に若干呆然としつつも頷く。すごいスマートに助けられちゃった。なんかドラマみたいでかっこよかった。
それに比べて私はめちゃくちゃダサい。小学生の女の子に助けられてしまった。大人なのに。「ありがとう」と言いながら女の子を再び背中側に押しやったが、心の中は自分の情けなさへの文句でいっぱいだ。もっとちゃんとして。大人でしょ。
同じように「今の自分ダサくね?」とでも思ったのか、男は恨ましげにこちらを睨んできた。いや、そっちが悪いよね。だってなんかしつこく追い掛けてきたし、触ってきたし、私はもちろんこの子は絶対に悪くない。
駅前なので人目はあるし、今も歩いていく人たちが私たちをチラチラ見ているのは感じる。しかし酔っ払いという生き物は時に意味が分からないほど大胆になるものだ。世の中には泥酔してゴミ捨て場に落ちている酔っ払いもいるぐらいだ。この男が酒に酔って暴力を振るうタイプじゃないとは限らない。
いざとなったら軽く、そう軽く叩く。ちょっと叩くだけ。あと少し蹴る。それからふわっと投げる。それだけなら暴力じゃなくて正当防衛になるはず。
脳内でもしもの時のことをシュミレートしていたのだが、男は「調子乗んなブス」などと大声で喚くだけで殴りかかってきたりはしなかった。暴言に耐えればいいだけなら余裕だ。
ただ、小学生の教育には悪い。ちらっと目線だけで斜め後ろを見てみたが、女の子はムスッとして男を見上げていた。やっぱり教育に悪そう。速やかにお引き取り願いたくなってきた。
どうするかな、と悩んだのも束の間、男がわあわあ言いながらこちらに手を伸ばしてきた。殴られるか突き飛ばされるかするかもしれない。今なら避けられる。避けられるけど、一回攻撃されたあとの方が「正当防衛です」って言った時の説得力が……。
その瞬間、横から伸びてきた手が男の手を勢い良く掴んだ。そのまま私と男との間にもう一人男の人が入ってくる。見覚えのある背中と髪だ。ようやく肩から力が抜けた。わかささん来てくれた。一安心。
私がそうして安堵している時、後ろの女の子は「やっちゃえワカ!」と元気に拳を突き上げていた。ええ……?
「わかささんのこと知ってるの?」
「兄貴のダチ!」
「そっかあ……」
さっきまで話してた「ワカ」さんってわかささんのことだったのか。私のマスコットを馬鹿にする「ワカ」さんはこの世に一人きりだった。嬉しいのか悲しいのかよく分からないな。
私が女の子と話している間に、わかささんは男と話をつけたようだった。「なんもされてねえよな?」と心配そうに聞かれたので、ひとつ頷いて女の子を見る。
「怪我してない?」
「してない!」
「だって。大丈夫そう」
「千壽じゃなくてお前の方だよ」
「私? なんともないよ」
「千壽」
「手掴まれてた」
「されてんじゃねえかよ」
「あれって『なんか』に入る?」
首を傾げる。私的にはあれは「なんか」には入らない。怪我させられてからが「何かあった」と言っていいやつでは?
私が首を傾げている間にも、わかささんは心配そうに私の手を掴むとちょっと力を込めて握って「痛みは?」と聞いてきた。あの程度で骨に異常が出るほど脆いと思われているっぽい。全然ピンピンしてます。
せんじゅちゃん、と言うらしい女の子は、わかささんに「でもジブンが守ったから怪我はさせてない!」と元気に報告している。そう。情けないことに守ってもらったので怪我はしていない。
私の手を握ったまま、わかささんはせんじゅちゃんに「よくやった」と言った。せんじゅちゃんも嬉しそうに頷く。どういう関係なんだこの二人。師匠と弟子?
私が疑問を抱いていることに気付いたのか、わかささんは「ダチの妹だよ」と千壽ちゃんの頭を乱暴に撫でた。それはさっきせんじゅちゃんに聞いたから知ってる。
「わかささん、もしかして元々せんじゅちゃんと待ち合わせしてた? そうなら私帰るけど」
「は? してねえけど」
「でもせんじゅちゃん待ち合わせしてるって言ってたよ。それがわかささんで、迎えに来たんじゃないの?」
「全然違う。オレはお前のこと迎えに来たの。千壽と待ち合わせしてんのはベンケイな。おい千壽、この時間は危ねーからまっすぐジム来いっつったろ。ベンケイ怒ってんぞ」
真面目な顔でせんじゅちゃんを叱りつつ、帰るなとばかりに手を握る力を強めてきたわかささんにちょっと呆れながら「分かった、帰らない」と言っておく。相変わらず変なところで子供っぽい。そんなことしなくても、他に用事がないなら帰らないし離れないのに。
せんじゅちゃんはせんじゅちゃんでこのままでは怒られることを察したのか、ぎゅっと私の腰に抱き着いて「そんなの知らない」とわかささんを睨んだ。なになに。急に抱き着かれて動揺しつつも、その肩を抱くようにして受け止める。お兄さんがいるらしいし甘えたのなのかな? 可愛いな。
わかささんは大人げなくせんじゅちゃんを睨み返しながら「知らないわけねえだろ」と声を強める。せんじゅちゃんは無言で私に抱き着く腕の力を強めた。
言い方はあんまり良くないけど、わかささんの言っていることは最もだ。この時間、この辺りはあまり治安が良くない。現に私も何回も声を掛けられて、しつこい人たちに追いかけられた。小学生の女の子がランドセルを背負ったまま歩くには危険だろう。
だけど頭ごなしに怒っても可哀想。こんなに怯えてるし、わかささん怒ると怖いし。
「そんなに怒らなくてもいいんじゃない? 怖がってるよ」
「いやよく見ろ。全然怖がってねえよ。騙されてんぞ」
「え?」
本当に? せんじゅちゃんを見下ろしたものの、顔を押し付けるようにしてしがみつかれているからその表情は見えなかった。うーん。
「やっぱり怖がってない? ね、あんまり怒んないであげて。今日は私が付き合わせちゃったようなものだしさ」
「……千壽」
「……」
「せんじゅちゃんも、次からは寄り道しないでジム行こ? わかささんもベンケイさんもせんじゅちゃんのことが心配なんだよ。ゲームセンターとか、行きたいところあったら今度一緒に行こう」
「……来週も来る?」
「来るよ。でもこの時間はゲームセンターも危ないので、来週は一緒にご飯食べに行かない?」
「行く!」
「よし。じゃあわかささんにもちゃんとお話して」
「……次からはまっすぐジム行く」
「ん。来週何食いに行くか考えとけよ」
そう言ってせんじゅちゃんの頭をまた乱暴に撫でたわかささんは、携帯を取り出して電話をし始めた。話の内容的にベンケイさんが相手みたい。
私は別にジムまで送ってあげてもいいんだけど、わかささんはここまでベンケイさんに出てきもらうつもりのようだ。なら今日も一緒にご飯食べてもいいけどな。
相変わらず繋がれたままの手を軽く引っ張ってアピールしてみたが、「大人しくしろ」と言うかのように指先で手の甲をいたずらに撫でられるだけで終わった。伝わらなかったみたいだ。
そんな私たちを見ていたせんじゅちゃんが、相変わらず私に抱き着いたまま「ワカの彼女?」と聞いてきた。ちょっと迷ってから首を横に振っておく。付き合ってないのにこの距離感の男女って、それこそ小学生の情操教育には良くないんじゃないだろうか。
手、解くべきかな。そう思って少し手から力を抜いたのだが、その分わかささんに握り返されて終わった。残念、失敗。本当にこうしてドキドキさせるのやめて欲しい。
「彼女じゃないよ。知り合い……友達……まあそんな感じ」
「ふーん。変なの」
「あはは」
だよね、変だよね。私もそう思う。小学生の言葉ってすごくまっすぐだ。