二十五話

 お昼から大学に来た遊佐さんは、私を見るなり「アイツ帰った?」と聞いてきた。たいして私はと言えば、「さあ?」と首を傾げることしかできない。アイツ帰ったのかな?

「適当なホテルに泊まるって言ってたからそのまま別れて、それっきりなんだよね。連絡来ないし、帰ったのかまだこっちにいるのかはさっぱり」
「チッ……アイツに会わないようにって警戒して午前休んだんだよ」
「知ってる。来なかったもんね。はいこれ、一限で配られたレジュメをコピーしたやつ」
「ありがと」

 「っつーかアイツなんで来てんだよ。一生あの街に引きこもってろよ」と悪態を着きながら椅子を引いてどかりと座った遊佐さんは、「見てこれ、可愛い?」と言ってネイルを見せてきた。可愛い。特にこの大きいキラキラがすごく可愛い。

 私が酔って暴走して、結果としてチャラチャラ三人衆と遊佐さんの付き合いまで終わったあの日から、遊佐さんはこうして自分の好きなオシャレをするようになった。そしてこうやって可愛いネイルや髪型を見せてくれる。あとたまに私にもやってくれる。嬉しい。
 今回も「今度吉野さんにもやってあげるね」と言ってくれた遊佐さんに「犬の飾り付けてね」とお願いしながら、空になった食パンの袋をぐしゃぐしゃに丸めて適当にトートバッグに突っ込む。

 わかささんとその……うん、わかささんとの恥ずかしい夢を見てしまい、朝はぼーっとしてしまっていたのだ。そのせいで家を出る時間がギリギリになってしまい、「取り敢えず空いてる時間でこれ食え」と投げられた食パンを片手に登校した。
 今思うとそれもそれで恥ずかしかったが、あの時の私はそんなことを気にしていなかった。結局そんな時間は無くて食パンは食べられず、遊佐さんも来ないし今食べるかとお昼に外のテーブル席で食べていた。で、ちょうど食べ終わった頃に遊佐さんが来た。

「やっぱり食パンはジャムがなきゃダメだね。飽きる」
「それだけならそりゃ飽きるでしょ。今日もバイトだっけ? それだけで足りるの?」
「足りる足りる。昨日の夜食べすぎちゃったぐらいだし」
「あー、焼肉。どうだったの、例の幼馴染みくんとちゃんと話せた?」
「うん。でも青宗の隣に座りたい私、私の隣に座りたいわかささん、わかささんの隣に座りたい山田、山田の隣に座りたい青宗って感じで揉めた」
「馬鹿な揉め方だなー」
「私も馬鹿だったなって思う」

 いつまでも決まりそうになかったので私欲とその場を優先して「三十分交代にしよう」と無理矢理話を押し通したが、結局最初の席交換タイムの前にはわかささんがすっかり酔っ払ってしまっており、私はずっとわかささんの隣に座って介抱し続けることになった。家でもそんな感じなのに、どうして外でもあの人の面倒を見なくてはならないのか。別にいいんだけどさあ。いいんだけどね?

 何回ジョッキを取り上げても私に抱き着いて頬に唇を寄せては「まだ飲む」と駄々をこねるわかささんを見て、山田は「若狭くん飲みすぎっすよ」と笑っていたけど、青宗はわりと引いていた。普段は青宗の前だとかっこつけていたんだろうな。酔うと家でも外でもこんな感じだよ。だからこの人にお酒は飲ませたくないの。
 他にも普通にお酒を飲もうとする青宗を叱ったり、高校時代の話を始める山田を止めたりして、結構忙しかった。デザートばっかり食べてたら「肉食えば」と青宗がハラミを一枚分けてくれたことには成長を感じて感動したけど、わかささんの世話が結構面倒だったことが記憶の大半を占めているかもしれない。

 それにあの人、そんな風に世話焼かせておいて家帰ったら普通に私の卒アル眺めてたからね。家帰ったらあれも没収して隠すか実家に送り返すかしないと。


 バイトが終わって家に帰ったらやることリストを組み立てていると、ふと「でも今日もわかささんいるじゃん」と気付いた。バイト終わりは待ち合わせしてご飯を食べに行く。そのあとは一緒に帰る。明日は一日大学もバイトもないから私は家で課題をやったり軽く出掛けたりして、わかささんも仕事が終われば夕飯を買って家にやってくる。明後日もバイトで、バイト終わりに待ち合わせ。土日も基本的に全部泊まっていくし……そう考えると、ほとんどずっと一緒にいるじゃん、私たち。

「どうしよう遊佐さん、衝撃の事実発覚した」
「なに? 食パン毎日は流石になって話?」
「ううん。ジャム変えれば飽きないからそれは毎日でも毎食でも余裕。そうじゃなくて、わかささんに会わない日がないなって気付いたの」
「ふーん?」
「月曜日は朝会うでしょ。火曜日はバイト終わってから待ち合わせして、水曜も朝会ってバイト終わりも待ち合わせしてる。木曜も金曜もそう。土日も家にいる」
「同棲?」
「そう言われても否定できないかも……」
「っていうかヒモ」
「ヒモではない。食費ほとんどあの人持ちだから」
「やっぱり同棲じゃん」
「だ、だよね?」

 そんな、付き合ってもいないのに……。

 改めて考えてみると、付き合ってない人とこんな距離感で過ごしてるのってどうなんだろうか? これが私が青宗に見せたかった大人としての姿なの? 大人っぽいっていうか、爛れてるだけじゃない?
 次々発覚する衝撃の事実に頭を抱えていると、遊佐さんが「なんか向こうの方騒がしくない?」と呟いた。よろよろ顔を上げて遊佐さんの見ている方を見る。言われてみれば確かにちょっと騒がしいかも。

 なんかやってんのかな、と遊佐さんが立ち上がる。そうしてすぐに、「は?」と呟いて目を見開いた。なに?

「あ、山田」
「よー、来ちゃった」
「来ちゃったって……」

 軽く手をあげて笑う山田の少し後ろには、例のチャラチャラ三人衆が青白い顔をして突っ立っていた。本当に何? 脅し?

 一度立ち上がった遊佐さんは何も言わずに席に座り、他所を向いて携帯を弄り出す。見えてない、気付いてないフリで通すつもりか? それは無理があるよ遊佐さん。
 山田はそんな遊佐さんを気にすることもなく、後ろにいたチャラチャラ三人衆に「ありがとなー」と言って解散を促した。チャラチャラ三人衆はその言葉を聞いた瞬間にサッと走って逃げていく。去りゆく背中を見つめながら、結構足速いなあと私はぼんやり考えた。軽い現実逃避だ。

 ガッと椅子を引いて私の正面に座った山田は「大学って広いな」と物珍しそうにあちこちを見渡している。私も「だよねー」と適当に相槌を打って、トートバッグから取り出したカルピスのペットボトルに口をつけた。甘。美味。

「っていうか何しに来たの? ここにいるってよく分かったね」
「帰る前に一回話しときたくてよ。場所はさっきのヤツらに聞いた」

 お前らのことなんか言ってたからちょっと手が出そうになった、と山田は笑うが、きっと「出そうになった」ではなく「出た」なんだろうな。これは明日からと言わず次の授業からもっと孤立するやつ。
 私は別にそれでも遊佐さんがいればいいけど、遊佐さんはどうかな。ちらりと遊佐さんの方を見れば、遊佐さんは自分の爪を眺めながらも舌打ちをし、「勝手なことしないでよ」と苛立ちのこもった声で呟いた。

「アンタがそうやって勝手なことするから、いっつも私が損するの」
「まあ手ェ出したのは悪かった。でもダチが悪く言われてたら怒るだろ」
「怒ったとしても、普通は手なんて出ないの。普通じゃないんだよ、アンタ。普通の人はね、他人のことそんな簡単に殴れないんだよ」
「知ってるよ」
「知ってるなら……!」

 バン、とテーブルを叩いた遊佐さんがわずかに腰を浮かせ、少しの間山田を睨んでから静かにまた席に座った。その後にふいと顔を逸らして「早く帰って」と言ったっきり、黙ってしまう。
 山田はそんな遊佐さんを見つめてから、「帰るわ」と席を立った。荒らすだけ荒らして帰るとか自分勝手すぎ。

「風邪には気をつけろよ」
「山田も頭剥き出しだからそこから風邪引かないようにね」
「ハゲじゃねーよ」
「ハゲなんて言ってねーよ」
「そうだっけ? そういやさっきの男共ってお前らのダチ?」
「ううん、違う」
「そ。ならいいわ。なあ吉野、遊佐のこと頼むな。コイツ、お前と違って男見る目ねーからさ」

 あ、遊佐さん舌打ちした。

「任せといて。あ、今度地酒送って。わかささんにあげたいんだよね」
「おー、分かった。じゃあまた今度ツーリング……はもう行かねー方がいいか」
「なんで?」
「なんでも。まああっち帰ってくる時はパーッと遊ぼうぜ」

 へらっと笑った山田は、最後にチラッと遊佐さんを見て「遊佐もあんま無理すんなよ」とだけ言い残して行ってしまった。……わざわざ大学まで乗り込んできたにしてはすぐ帰ってったな。アイツ何しに来たんだろう。

 ぼんやりとその背中を目で追ってから、完全に見えなくなった頃に隣を横目で見つめる。遊佐さんは机に突っ伏していた。うーん。

「……次の講義サボってカラオケ行く?」
「……行く」

 涙声でぽつりと返事をする遊佐さんの背中に手を当てる。遊佐さんは予習復習を欠かさない優等生だけど、たまにはサボりたくなる時だってあるよね。うんうん。私もそういう時はある。
 それに私たちはこれまで真面目にやってきたんだから、一日ぐらいはサボり倒したって平気だろう。

「……私ね」
「うん」
「アイツのああいうところ、ほんとに嫌い。大っ嫌い」
「うん」
「でもさあ」

 涙に濡れて掠れた声。その先に言葉はなかったけれど、遊佐さんがなんと言いたいのかは、本当はずっと前からなんとなく知っていた。

 遊佐さんの背に手を当てたまま空を見上げる。雲ひとつない快晴だ。今日は寒いからか、心做しか空の青もいつもよりも綺麗に見えた。あの街にいても、東京にいても、結局空は空。私も遊佐さんも、そんなこととっくに知っているのである。

ふたつおりのひとひら