二十七話

 月曜の朝は眠い。結構真面目に大学生をやっている私も、月曜の一限ともなればうつらうつらしてしまう。

 先週先々週と同じく今日も首をガクガク言わせては隣に座る遊佐さんに脇腹をつついて起こされていたのだが、授業が始まって三十分も経った頃にはすっかり机に伏せて爆睡していた。この週末はわかささんがなにか用事があるとかで家に来なかったためお隣さんに借りた本を読んでいたら、ついつい睡眠時間がゼロに近くなってしまったのだ。だからいつもよりも眠い。

 遊佐さんは「寝そう」という時には起こそうとしてくれるが、「寝た」になると起こしてくれなくなる。今日もそうで、気付いたら授業は終わっていた。綺麗に消されていく黒板を見ながらまだぼーっとしている私に、遊佐さんは「教授が吉野さんのことガン見してたよ」と教えてくれた。そっか。

「……わりとピンチじゃん」
「かなりね。まあおじいちゃん先生だし、来週には吉野さんのこと忘れてくれるんじゃない?」
「だといいけど……」

 そうはならない気がする。毎週寝てるからな……。
 抗えない睡眠欲のせいで単位が危ないかもしれない。少し焦っていると、横からびっしり書き込みされたレジュメが差し出された。ありがたく受け取ってトートバッグにしまう。代わりに取り出した熊のぬいぐるみをサッと横に流した。

「お、見たことない。新作?」
「そうみたい。今回もまた取りすぎちゃったからあげる。明後日のレジュメも合わせてそれで勘弁してください……」
「仕方ないな。その代わりアレだよ、明後日はビシッと決めてきなよ」
「はい」

 ふざけて敬礼すれば、遊佐さんは真面目な顔でひとつ頷いた。当事者である私よりもやる気があるように見えるのは何故なんだろうか。私もこれぐらい気合い入れるべき?

 明後日はわかささんの誕生日だ。その準備として明日は美容院とネイルサロンに行く予定。そして遊佐さんは「ビシッと決めてこい」とこの数週間ほど私に言い続けている。つまり告白しろってことだ。
 流石にそれはハードルが高いので言葉尻を濁し続けているが、遊佐さんは頑固だ。私もここまで「決めろ決めろ」と言われると「告白するべきなのかな……?」とついつい思ってしまう。

 そんな私の迷いに気付いたのか、先週の金曜日も一緒にご飯を食べたせんじゅちゃんとベンケイさんにまで「告白するのか?」と聞かれてしまった。しない。……多分。


 ゴミ捨て場で泥酔していた酔っ払いを拾ってから三ヶ月ほど。その酔っ払いに恋に落ちてしまうという予想だにしないイベントは尚も継続中で、私はいつだってわかささんに恋をしている。
 だけどそれは私だけで、わかささんはそうじゃないはずだ。恋愛初心者が何を言っているのかという話だが、どうせなら両想いがいいし、そうじゃないなら告白はしたくない。だって向こうが私のことをなんとも思っていないのに告白なんてしたって、気まずくなるだけだろう。やっぱり私はあの人と一緒にいれなくなることが一番怖い。

 伸びた毛先を指に巻き付けてくるくる回す。遊佐さんには悪いが、明後日はいつも通りご飯を食べて、プレゼントとして地酒を渡して、それで終わりだ。私は見た目だけでも気合いを入れていくけど、それは好きな人の誕生日を祝う上では当たり前のこと。告白はしない。


 そんな私の思考がなんとなく分かっているのか、遊佐さんはじとりとした眼差しを向けてきた。その視線には気付かないふりをしながら、しれっとした顔でトートバッグの中から携帯を取り出す。別に誰からも連絡なんて来てな……来てる。しかもベンケイさんから。

 携帯を操作しながら立ち上がり、「ちょっと次の授業間に合わないかも」と言ってから入室してくる人たちの波に逆らって教室を出た。二限も同じ教室だから移動の必要が無いのは楽だ。

 そのまましばらく歩いて、なるべく人気のないところを探し出して着信履歴を開き、一番上にある名前を選択した。
 一応「何かあるかもしれないし」と連絡先は交換したけれど、ベンケイさんから電話が掛かってきたことなんてこれまでほとんどない。ご飯を食べに行って待ち合わせに手間取った時と、わかささんが電話に出ないからしびれを切らして私に掛けてきた時ぐらいだ。
 そのベンケイさんから、平日の朝に電話。何かあったのだろうか。……わかささんが怪我したとか?

 心配ではやる鼓動を抑え込むように胸に触れながら携帯を耳に当てて応答を待てば、すぐに電話は繋がった。

「あ、ベンケイさん? 吉野です」
「おう、朝っぱらから電話掛けちまって悪ィな」
「ううん、今暇だから大丈夫。さっきのお電話は取れなくてごめんなさい。何かありましたか?」
「あー……ワカが風邪引いたってのは知ってるか?」
「か、風邪ェ⁉︎」
「熱も出てるらしくてな。今日はジム休むって連絡来たんだが」
「知らない知らない! 聞いてないです! えっ、だからあの人金曜そのまま帰ってったのかな?」
「かもな」

 言われてみれば、確かにちょっと体調が悪そうだったかも。金曜の夜、用事があるとかなんだとか言いながら駅前で別れたわかささんのことを思い出す。体調が悪そうだった、と言われたら「そうかも」と思わなくもない。
 心配の気持ちと一緒に若干の苛立ちも感じながらも、「あの人も結局風邪に負けましたね」と言えば、ベンケイさんは「怒ってやるなよ」と窘めるように言った。別に怒ってませんけど? 寄りかかった壁を踵で軽く蹴る。これっぽっちも怒ってなんてませんけど!

「本題なんだが、今日暇か?」
「……暇です」

 私のこと、ちゃんと頼れよ。何も無い時は許可なく家に上がり込むくせに、体調が悪い時は黙って来なくなるんだ。そういうのはずるい。私が辛い時は勝手に部屋にも心にも入ってくるくせに。

 そう思ってがんがん壁を蹴りつつも、既に頭の中には今日の残りの授業全てをサボるためのでまかせがいくつも浮かんでいた。我ながら優先度があべこべになっている。
 ベンケイさんはそんな私の気持ちの全てがお見通しなのか、最初から私がそう答えることを分かっていたみたいに「じゃあワカの家の合鍵渡す」と言った。

「一回こっちまで来てもらっていいか。手間だろうが面倒見てやってくれ」
「……ベンケイさんまで私のこと都合のいい女にしようとしてくる」
「オレもアイツもそんなことしてねえよ。アイツだってお前のこと都合のいい女だと思ってたらとっくに手ェ出してるだろ」
「それはあれでしょ、妹的なやつ」
「自分と千壽の扱いが同じだと思ってるのか?」
「……」

 それは、思ってないけど。

 押し黙った私にベンケイさんはそれ以上何を言うことも無く、「じゃあジムで待ってる」と言って電話は切れた。授業の開始を知らせる予鈴が鳴り響くのを聞きながら耳に無音の携帯を押し当て続ける。
 意味深で、しかも期待してしまうようなことを言われてしまった。私だって、何もせんじゅちゃんと同じ扱いをされているとは思っていない。わかささんは私にするみたいにせんじゅちゃんに引っ付いたりはしないだろう。

 それに、だ。二ヶ月近く前、私が青宗に再会した次の日。誕生日プレゼントは何が欲しいかと聞く私に、あの人は「別にキスでも」みたいなことをごにゃごにゃ言っていた。その後に私が鼻の頭にキスをしてみた時も、わかささんはほんのり頬を赤く染めていた。
 あれが演技とか、他の女の人にしているモテ仕草とかではなく、私のことを……。

 そこまで考えた瞬間、目の前を何人かの女子が「やばい遅刻!」と騒ぎながら駆け抜けていったことでグッと思考を引き戻された。反社で携帯を閉じて私も教室に向かって歩き出す。この後の授業はサボることにしたけど、トートバッグは取りに行かなきゃいけない。遊佐さんにも軽く説明しなきゃいけないだろう。

 なるべくさっきまでとは違う方向へと思考を向け、必死で頭を動かし続ける。それから何度か心の中で「期待しちゃダメ」と繰り返した。期待して、後で辛くなるのは私だ。ゴミ捨て場に落ちていた酔っ払いと、それを拾った女。私たちの関係は所詮そこからなんにも進んでなんていないんだから。

ふたつおりのひとひら