三十一話

「あ、そう言えば明日なんだけど、会えないから」
「は? なんで?」
「バイト先の先輩に遅くなったけど歓迎会としてご飯行こうって誘ってもらったから行ってくる。言うの遅くなってごめんね」
「……いつもの公園のクレープの屋台明後日で終わるのにそっち行くのかよ」
「ああ、あそこ明後日までだっけ? じゃあ明後日食べに行こっかな。わかささん仕事だよね。遊佐さん誘おーっと」
「……仕事休む」
「いや、そこまでしないでいいよ。遊佐さん確かバイトない日だし、もし遊佐さんがダメでも私一人で行くし。そもそもわかささん、そこまで甘いもの好きじゃないでしょ?」
「……もういい、寝る」
「ええ……?」

 だなんて会話を就寝前にしたのが昨日の夜のこと。先にベッドに入ってふいっと顔を背け壁の方を向いて宣言通りに早々に寝てしまったわかささんは、朝になっても機嫌が治っていなかった。
 初めて泊まった日から二週間経ってもまだわかささんの部屋に泊まることに慣れていない私は若干寝坊してしまい結構ドタバタした朝になったのだが、「一日ぐらいサボっても平気だろ」とか言ってベッドの中から出そうとしてくれなかったり、わざとジャムの蓋をすごい固く閉めてきたり。

 余裕のある朝なら「可愛いな」と思う心に従って構ってあげられただろうが、昨日の朝は本当に余裕がなかった。だから適当に流して出てきてしまったんだけど、それから連絡がない。ベンケイさんから「馬鹿が迷惑かけて悪い」とわかささんの後ろ姿を写した写真付きのメールが送られてきたので、働いてはいるらしいけど。

 ベンケイさんと少しやりとりをした感じ、分かりやすく拗ねているらしく思わずため息をついてしまった。だってそんな、つい何週間か前に二十三歳になった男の人が、そんなことで拗ねるなんて……。私からすれば可愛いけど、世間一般的に見て大人としてどうなのって話だ。せめて仕事の時は不機嫌さを出しちゃダメでしょ。

 でもまあ? 拗ねちゃったのだって結局私のせいだし? 拗ね続けてベンケイさんに迷惑かけ続けるのも申し訳ないし? 仕方ないからご機嫌ぐらいはとってあげようかなーっと、思いまして。
 ちょっと早めに歓迎会は解散させてもらって、これから二次会に洒落込むという先輩たちに手を振ってお店の前で別れた。こういう時、バイトの度に「人と待ち合わせてて……」と言ってそそくさと帰っていたのが効いてくる。最初からそんな感じだったから、気付いたらノリが悪い人と言うよりかは「彼氏のことが大好きな人」みたいな扱いになっていた。最初は否定していたけど、最近はもうそれでいいかなーと思ってそのままにしている。
 そんなこんなで店を出て、ちょっとだけでもわかささんの家にお邪魔しようかなと駅に向かって歩いていたんだけど……うん。

「どこだここ……」

 ぽつりとこぼした呟きは誰に拾われることもなく消えていった。代わりに酔っ払った人たちの大きな騒ぎ声が聞こえてくる。
 ご飯を沢山食べてすぐに歩き回ったせいで若干火照る頬に手を当てて辺りを見渡したが、飲み屋街が広がるばかりで自分がどこにいるのかさっぱり分からなかった。ただでさえもいつも立ち寄らない駅だし夜も遅いから慎重に歩いていたつもりなのに、完全に迷ってしまった。

 人波に従って歩いていこうにも、右に歩いていく人も左に歩いていく人も大勢いる。もう一度周囲を見渡してみたが、目印になりそうなものは無い。せめて地図があればここがどこなのか、どちらを目指せば駅があるのかが分かるかもしれないが、飲み屋街のど真ん中に地図があるとも思えないし……。
 こうなったら自力で駅に辿り着くことは諦めて誰かに道を聞いた方が早いかもしれない。道を教えてくれそうな人を探してきょろきょろ首を振りながら歩く。本当にどこなんだろう、ここ。来た道を辿ってきたつもりだったのに迷ってしまうなんて、私はやっぱりダメだな。一人で歩くべきじゃないのかも。


 しばらくそうして歩いていると、ふと道が開け、奥の方で白い特攻服の集団がたむろしているのが見えた。あの人たちに声を掛けて道を聞くのはないだろう。自然な感じで集団を避けて歩いていく人々の波に紛れようとしたのだが、集団のうちの一人と目が合ってしまった。なんか不思議な髪型をした黒髪の男の子だ。頭に三本ぐらい剃り込みが入ってる。独特〜。

 目が会った瞬間にサッと目を逸らしたのだが、妙な既視感を感じてもう一度集団の方をちらっと見た。あの特攻服か、それとも男の子か、どこかで見覚えがあるような……。

 私と同じように目を逸らした男の子が、視線につられてか面倒くさそうにこちらをもう一度見てきた。人を小馬鹿にしたようなその目、どこかで……。

「あ、ハジメくんか」

 そうだ、思い出した。よく隣の家に遊びに来てたハジメくん。青宗のお友だちだ。同じ小学校だったし、たまに顔を合わせていたんだった。

 私が思い出せたことに満足している間にも、ハジメくんはこちらを怪訝そうに見てきていた。それは別にいいんだけど、ハジメくんを囲うように立っている厳つい特攻服の男の子たちにジロジロ見られるのは少し目立ってしまって困る。でもわざわざ声を掛けに行くのもな……と思って、結局伸びっぱなしになっている髪をそれぞれの耳の下で手で軽く握ってみる。こういう髪型してた近所のお姉さんのこと、覚えてませんか。

 そのまま十数秒間私を見つめていたハジメくんは、何かを思い出したのかハッと目を見開いた。ここからではなんと言っているかまでは聞き取れないが、口が私の名前を呼ぶようにハクハクと動く。うんうん。そう、その人。大きく頷いた。
 こんなところで今更私に会うとも思っていなかったのか、ハジメくんは少し困ったような顔をしながら周囲の男の子たちに何かを言っていた。昔の知り合いとかなんだとか、そんなふうに説明しているんだと思う。一度知り合いっぽい顔をしてしまった以上は無関係の他人で誤魔化し切るのにも無理があるのだろう。

 なんだか忙しそうだし、そう長く時間は取らせないからここがどこなのかだけでも教えてくれないかな。そう思いながらちらちらとハジメくんに視線を送っていると、コートのポケットに入れていた携帯が震えた。取り出して誰からだろうと確認して、思わず口元が綻ぶ。わかささんから、「何時に帰ってくんの」だって。ふふ。やっぱり可愛い。
 ニヤニヤしながらも「もう解散したよ」と返信する。迷子になったことは言わなくていいだろう。

 どうやらあんな風に拗ねて不貞腐れておきながらも私の帰りを待ってくれているらしい。これは早く帰らなくてはいけないな。待たせたらもっと拗ねちゃうかもしれない。
 となると、やっぱりハジメくんに道を聞くべきか。あの子昔から頭良かったし、地図がなくても「北が向こうだから」とかなんとか言うような子だった記憶がある。駅どっち? って聞いたらすぐに答えてくれるだろう。

 そうと決まればさっさと聞いてしまおうと携帯を閉じて一歩踏み出そうとした時に、背中にドンッとなにかがぶつかってつんのめった。え、何? 慌てて振り返る。

「お姉さん一人? 良かったら一杯一緒にどう?」
「……一人じゃないので無理です」

 またこのパターン! ムッと眉間に皺を寄せ、掴まれた手を振り払い顔を背ける。わかささんにも「外にいる時は気を引き締めとけ」とよく言われるが、確かにその必要があるのかもしれない。声を掛けられる頻度が異常。舐められやすい見た目だからか?

 ムッとしたまま、尚も言い募ってくるサラリーマン風の男を適当にあしらい続ける。「一人じゃん」って、確かに今はひとりだけど、これから待ち合わせしてるのかもしれないじゃんね。適当なこと言わないで欲しい。
 これ以上しつこく言い寄ってくるなら、申し訳ないけどハジメくんを利用させてもらおう。ビシッと白い特攻服の集団を指差す。まだこちらを見ていたらしい彼らの中にざわめきが生まれた。

「あの人と待ち合わせしてるので!」
「コイツに何か用か」
「えっ」

 カツンカツンどころかガツンガツンとばかりにヒールで地面を打ち付ける音がしたと思ったら、視界を遮るようにして目の前に青宗が立っていた。いつここに来たのかは分からないが、助けに入ってくれたらしい。ハジメくんたちとお揃いの特攻服姿な辺り、元々彼らはあそこで青宗のことを待っていたのかもしれない。

 そんなことを考えながらも私とサラリーマン風の男が「えっ」と口を揃えている間にも伸ばしていた指先はぎゅっと握られて、青宗の向こう側から「派手にやりすぎんなよイヌピー」という声が聞こえてくる。もしかしなくてもハジメくんが青宗に声を掛けているな。やめろやめろ、煽るな。

「いや別にちょっと声掛けただけで」
「そうそう軽く声掛けられただけ。あの、私この子と待ち合わせしてたので」
「あっ、はい、すみませんでした」

 すぐに殴る蹴るなどの暴行に訴えかねない青宗を止めるためにサラリーマン風の男に捲し立てれば、男は青白い顔で何度も頷いて足早に去っていった。よし、一件落着。

 ふうと息を吐きながら、未だに私の指を握ったままの青宗を見上げる。露骨に不満気な顔をされたが気付かないふりをした。特攻服を着込むほどの不良だから喧嘩もよくするんだろうけど、だからって見ず知らずの人に暴力を振るうのはまずい。しかもここ、人通りも激しいし。せめて人目のないところでやるべきだ。
 とにかく宥めて意識を逸らそう。

「青宗、助けてくれてありがと」
「別に。ワカクンに言われてたから声掛けただけ」
「わかささんに? なんて言われたの」
「目ェ離すとすぐ声掛けられるからよく見とけって言われた」
「なにそれ、失礼だなあ」
「実際声掛けられてたろ」
「確かにそうだけどさ」

 ああいう奴は顔の真ん中狙って殴れ、と言い放つ青宗の鼻の頭を空いている方の手で軽く叩いて、わかささんの過保護さにため息をつく。別に、私だって声を掛けられても躱せるし、そこら辺の人に負けるほど弱くないし。腕を立ててグッと力こぶを作れば、そんな私を見た青宗はフッと笑って「弱そう」と言った。なんだとこのガキンチョ。

 ちょっとイラッとしたのでさっきよりも力を込めて肩を叩いてみたが、「全然痛くねえ」と言われるだけだった。そりゃそうだろう。本気なんて出してない。

 全く、こういうところは可愛くないんだから。赤ちゃんの時みたいに私の人差し指を五本指全部で握り締めているところは変わらず可愛いままなのにな。態度はね、もうダメです。

 しかし、私の方が青宗よりも大人なことも事実。仕方が無いので許してあげることにして、「あそこにいる黒髪の男の子、青宗のお友だちのハジメくんだよね」と聞いてみた。青宗はちらりとそちらを見てから「ああ」と答える。

「今一緒にチームやってんだ」
「背中に書かれてるやつ?」
「そう。十代目黒龍。オレは特攻隊長で、アイツが親衛隊長」
「そうなんだ、かっこいいね」
「だろ?」

 満足気にドヤ顔をする青宗の頭を撫で、その腕章からはそっと目を逸らした。殺……いや別に私は何も見てない。さすがの青宗だって、そんな酷いことはしないだろうと信じている。

 物理的にも心理的にも腕章から目を逸らし、「この後も抗争で」と元気に聞かせてくれる青宗にうんうんと相槌を打つ。黒龍と言えば、わかささんが初代特攻隊長をやってたっていうチームだ。『真ちゃん』さんが総長で、ベンケイさんが親衛隊長で、あとはせんじゅちゃんのお兄さんも入ってたんだっけ?
 時折わかささんが聞かせてくれる思い出話と、こうして青宗が会う度会う度話してくれる武勇伝とを繋ぎ合わせた知識を総動員する。山田が憧れてたのも黒龍だったはずだし、山田のお兄さんもなんか……なんか関係してたって聞いた記憶がある。そう考えるとわりと縁があるんだよね。

 ぼんやりそんなことを考えている間に、青宗の話は「いかにハジメくんが凄いヤツか」という話題へと移り変わっていた。少年院から出てくる時も迎えに来てくれて、その後に黒龍を復活させるのにも尽力してくれて、今のボスとも繋ぎを作ってくれて……。なんか知らない話出てきたな……。まあ今楽しそうだから別にいいんだけどさ……。

「それにココはオレの命の恩人なんだ。今度はオレがココの力になりてえ」
「……そっか。大丈夫、青宗ならきっとハジメくんの力になれるよ」

 命の恩人、という言葉に若干気になることがありつつも、ハジメくんの方を見て「力になりたい」と言い切った青宗の視線を追う。そう思える友達がいるのはいいことだ。さっきから私たちの方を気にしているハジメくんも、きっとそう思ってくれているんだろう。

「一緒にいられる時間を大切に、仲良くね」
「……ああ」

 ずっとずっと一緒にいたいと願うだけで一緒にいられなかった私たちとは違って、青宗とハジメくんはこれからもずっと一緒にいられるかもしれないのだ。喪ってから悔やんだって遅い。今を大事にしなければいつか絶対に後悔することになる。それこそ私みたいに。


 気付けばしんみりしてしまっていた空気を笑い飛ばして、「駅どっちか分かる?」と聞けば、一瞬で呆れた表情を浮かべた青宗は「また迷ったのか」とばかりにため息をつきつつも右の方を指差した。あっちね、了解。

 そのあとは笑って別れたものの、最寄り駅まで迎えに来てくれたわかささんに「迷ったんだって? そういう時はオレに言えよ」と怒られたので、私はわりと怒っている。青宗め、わかささんにチクリやがったな。

ふたつおりのひとひら