三十二話

 いつものように携帯をいじりながら壁に寄りかかって待っていたら、これまたいつものようにドンッと腰に軽い衝撃が走った。携帯をぱたりと閉じて、胸に埋まるようにしてくっついてくるまあるい頭を撫でる。すぐに顔を上げたせんじゅちゃんはにっこり笑って「待たせてごめん。寒かっただろ?」と言った。この子のこういうところ、男前だよなあ。
 背中に回されていた自分よりも小さな手のひらにぎゅっと手を握られて思わず私も笑ってしまう。可愛いし暖かい。

「全然待ってないよ。今来たとこ」
「でも手冷えてんじゃん。あっためてあげる」
「ありがと」

 元々私が冷え性なだけなんだけど、可愛い子にくっつかれて嫌な気はしないので大人しく温めてもらうことにする。代わりにせんじゅちゃんの寒そうな首元に私のマフラーを巻いてあげて、そのまましばらくの間せんじゅちゃんにくっつかれていれば、遠くの方から私たちの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。顔を上げてそちらを見る。わかささんが駆け寄ってくるところだった。

 結構な勢いで走ってきたのか、息こそ乱れていないもののよれたコートの裾を直してあげながら口を開く。

「お疲れ様。ベンケイさんは?」
「遅ェから置いてきた。おら、退け千壽。そこオレの定位置だぞ」
「あっ、こら、やめなさい」

 しれっと置いてきた発言をした後、私にぴったりと寄り添って暖を分けてくれていたせんじゅちゃんの肩を掴んでガクガク揺さぶり出したわかささんの頭を慌てて叩く。何をしてるんだこの人は。せんじゅちゃんが楽しそうに笑っているからいいけど、下手したら虐待ですからねそれ。
 サッと周囲を見渡したが見咎められたり通報されたりするような動きはなくほっと胸を撫で下ろす。この人たちが兄妹に見えるから良かった。ベンケイさんがこれをやったら……いや、ベンケイさんに失礼だな。考えるのをやめよう。

 せんじゅちゃんを退かすことは諦めたらしく、肩に顎を乗せて腰を抱くようにしてくっついてきたわかささんは「大袈裟なんだよ」と鼻で笑った。なんだその言い方。ムッとして言い返す。

「私はわかささんのこと心配してあげてるんですよ。ちっちゃい女の子が好きな人だと思われたらどうするの? 警察呼ばれるよ」
「背がちっちゃい女の子好きなのは本当のことだけどな」
「今そういう話してない」

 撫でるというよりかは押さえ付けると言った風に頭に手を置いてぐりぐりしてくるわかささんの脇腹に軽く肘を入れて、「ちっちゃくないし」とボヤく。確かに平均より低いかもしれないけど、こう見えて私の身長はまだ伸びてる。酒浸りの上に一人の時はろくなものを食べようとしないわかささんに比べたら伸び代がありすぎるぐらいだ。
 この人の食生活、かなりやばいからね。一人の時はジャムを塗りたくったパンばかり食べている私から見てもやばい。最近はわかささんが我が家に来るか私がわかささんの家に行くかでほとんど毎日一緒にいるから少しずつその食生活も改善されてきてはいるがそれでも、という話だ。

 ひとつため息をついて、肩に乗ったわかささんの頭に自分の頭をもたげた。

「旅行中、私がいなくてもちゃんとご飯食べなきゃダメですよ」
「おー、三食食う」
「食べない人の返事なんだよなあ……ベンケイさんにきちんと食べさせてくださいってもう一回お願いしておかなきゃダメか」
「だから食うって」
「あーもうはいはい分かりました。食べるんだね? 信じるからね」

 脇腹を無遠慮に摘んできたわかささんの手を払い落とし、呆れ顔で私たちを見上げてくるせんじゅちゃんに「こんな大人になっちゃダメだよ」と言い聞かせる。本当にこんな大人になっちゃダメだよ。手本にするならベンケイさんの方だからね。
 ちょうど歩いてきたベンケイさんにせんじゅちゃんと二人で手を振っていれば、なんだかご機嫌になったわかささんが顔を覗き込んできた。

「なあ、やっぱ一緒に旅行行こ」
「だから行けないんだってば。その期間はまだ授業あるって何回も言ってるでしょ」
「サボっちまえよ」
「無理。ちょうどレポートの提出時期とも被ってるの」
「オレとレポート、どっちが大事? オレだよな? オレはお前と一週間も離れるとか耐えられねえんだけど、お前は平気なわけ」
「私だってわかささんと一緒にいたいけど、もうバイトも入れちゃってるんだって……ねえちょっと、せんじゅちゃんの教育に悪いのでこういうのやめません? ほらベンケイさんもこの人のこと止めて」
「勝手にやってろ」
「なあベンケイ、腹減った! 今日は肉食いたい!」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
「お前だってオレといたいんだろ? ならいいじゃん。一緒に行こ?」
「だから! もっと早く言ってってば! 四日前に言われて『そうですか、一緒に行きます』なんてなるわけないでしょ!」


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 前菜のパフェを食べながらわざとらしくため息をつくと、正面に座ったわかささんがご機嫌そうに鼻を鳴らして笑い、隣に座ったせんじゅちゃんが「ポテトと苺交換しよ」と声を掛けてくれた。余裕そうな態度が気に触ったのでわかささんのことは無視して、せんじゅちゃんに苺を乗せたパフェスプーンを差し出す。「美味い」だって。それは良かった。

 瞳をキラキラ輝かせながらポテトの皿を差し出してくれたせんじゅちゃんに「後でもらうね」と言ってから、まだ笑っているわかささんを睨む。ベンケイさんは我関せずといった様子で真剣にメニューを捲っており、どちらにも味方してくれそうにない。この人もこの人でこういうところあるよな……。


 結局、私たちは回転寿司を食べに来ている。毎週金曜の夜は一緒にご飯を食べているが、その時はせんじゅちゃんの希望で何を食べるか決める。今日は最初は「肉!」と言っていたが、途中でこの店を目にした瞬間に「寿司……」と言い出し、「じゃあ寿司で」と私たち三人は頷きあった。

 そんなこんなで入店した回転寿司店で、私たちはこうして未だに静かな争いを継続しているわけである。と言っても、私ばかりが怒っていてわかささんはニヤニヤしているので争いにはなっていないかもしれないけど。

 事の発端はというと、待ち合わせの時の会話の通りである。わかささんがベンケイさんと六泊七日の旅行に行くとかで家を空ける、とつい昨日言ってきて、更には「一緒に行かね?」と誘ってきた。そんな風に誘ってくるからには相当余裕を持って年明けとかを予定しているのかと思ったら、「来週の月曜から」と一言。行けるわけないでしょ、いや一緒がいいと揉めて今に至る。

 繰り返すけど、私だって一緒にいたい。別に意地悪で「無理」と言っているわけじゃないのだ。レポートとわかささんならギリギリわかささんに天秤は傾くし、バイトとわかささんでもわかささんの方が大切に決まってる。


 だけど、それでも四日前はない。次の月曜日から旅行に行きます、一緒に行かない? と木曜日に誘われて、「じゃあ行こうかな」なんて言えるほど暇じゃない。そこはもっと早く言ってよ。そうしてくれたら、ちょっと早めにレポートを提出したり、バイトのシフトを調整したりして時間を作ったよ。
 しかしわかささんは怒る私を見てニヤニヤするばかり。これは多分、この前の復讐なんだと思う。私がバイト先の先輩たちに歓迎会を開いてもらうという話を前日にしたせいでわかささんは拗ねて、その復讐として直近に旅行の予定を伝えて私が怒っているのを見てニヤニヤしているんだ。そう思って怒りを沈めることにした。

 嘘、全然沈められてない。イライラしまくり。


 ベンケイさんと一緒になってメニューを見たりレーンを見たりして「あれ食べる」「これも食べる」「それはあとで食べる!」と元気におしゃべりしているせんじゅちゃんにウンウン頷きながら、先程確認したデザートのページを思い出す。寿司とパフェの食い合わせはあまり良くないが、それはそれ、これはこれ。私は食べたいものを食べたい時に食べる。

 軽く身を乗り出してレーンから大量に皿を取っていくせんじゅちゃんと、それを手伝いながら「食える分だけにしとけよ」と忠告するベンケイさん。そして通りすがりの店員さんに追加のパフェを頼む私と、そんな私と一緒に「ビールおかわり」と早速空になったジョッキをタン、と机に置くわかささん。それぞれ好き勝手やっている。いつも通りだ。
 注文を受けた店員さんの「寿司を食えよ……」という視線を無視して、パフェグラスの底の方に溜まって若干溶けかけている生クリームを食べ進める。その最中にちらりと視線を正面に向ければ、目が合ったわかささんが口を開けた。コイツ……。

 でも今日の会計も大半はベンケイさんとわかささんに持ってもらうことになるんだろうから、分けてあげない理由はない。多少ムカついてるだけ。

 なるべく形を保っている部分の生クリームをパフェスプーンに乗せて口に運んであげれば、ぱくりとスプーンを加えたわかささんはすぐにちょっと眉を寄せた。

「甘すぎじゃね?」
「そう? 私的にはこれぐらいでちょうどいいんだけど」

 というか、甘いものそんなに好きじゃないんだから食べなければいいじゃん。いつも私から一口奪っていくけど、それもせんじゅちゃんの教育に悪いと前々から思ってたんだよね。今だってほら、「またやってる……」って顔でこっち見てるよ。
 一度イラッとしたからなのか、するすると文句が出てくる。わかささんはその全てを神妙な顔で聞きながら、店員さんが持ってきたビールを一気に半分ほど飲み干した。そのまま「なんかツマミ頼め、ツマミ」と隣に座るベンケイさんの背中を叩いている。……聞いてるふりだったな、これ。

 チッと舌打ちをして、寿司に夢中になったせんじゅちゃんに既に忘れられたポテトを食べる。パフェの後にポテトってどうなんだろうな……と思ったけど、まあ、いいや。胃に入れば全部一緒だ。

「今日なんか機嫌悪ィな」
「誰のせいだと……」
「オレか」
「そう、オレ」
「土産買ってくるから許して」
「いいよ。あ、でも食べ物なら日持ちするものにしてね。年明けまで会えないかもしれないし」

 怒っているのも馬鹿らしくなってきたし、身近な大人が不仲なのはそれこそせんじゅちゃんの教育に悪い。結局普通に会話をすることになった。

 脳内で予定を整理しながら、墓参りと帰省の間に「わかささん帰宅」と書き足す。遊佐さんが「ギリギリまで帰りたくない」と駄々を捏ねているので結局いつ帰るのか決められていないけど、年末は多分向こうだろうな。クリスマスはどうだろう。バイトは入れてない。遊佐さんが「クリスマスは地元で過ごす!」なんて言うとは思えないけど、万が一も有り得る。
 わかささんとベンケイさんは十七日に旅行に出発して、そこから六泊七日ってことは帰ってくるのは二十四日。やっぱり会えるかどうか微妙だな。

「下手したら二週間以上会えないね。こんなに会わないの初めてかも」

 なんだかんだとこの四ヶ月以上、お互いどんなに忙しくても二日に一回か三日に一回は顔を合わせていた気がする。なんか新鮮。
 そんなことを言えば、わかささんは急に真面目な顔になって「そんなに会えないの無理」と言い出した。ええ?

「何、急に」
「急でもなんでもねえよ。二週間だぞ? そんなに会えないとか耐えられねえ。無理」
「いや、そんなこと言ってもさあ」
「……なるべく早く帰ってくるから、せめて二十四と二十五は一緒にいたい。ダメ?」
「だっ……ダメではないです」
「ヨシ。絶対待っとけよ。勝手に実家帰ったら追い掛けっからな」
「帰んないよ……」

 実家に来られたら多分両親が倒れる。わかささんみたいな金髪キラキラ王子様みたいな人が来ちゃったら変な噂もされて、更に帰りにくくなりそうだ。
 遊佐さんに帰省はクリスマス以降にしてって頼まなきゃ。両親にも連絡しなきゃダメだし、山田にも……山田はいいや。アイツはいつでも暇でしょ。

 私たちの会話を気にせずに寿司を食べていたせんじゅちゃんが、ふと「年明けには戻ってくる?」と聞いてきたので「多分」と返事をする。お年玉あげるからね。

「じゃあ初詣一緒に行こ! 冬休み暇なんだー」
「うん、一緒に行こう。どうせ向こうですることないし、一日には帰ってきちゃおっかな。予定分かったら連絡……はベンケイさんでいい?」
「おう。オレらも今年も走りに行くから行くとしたら昼だな」
「私もお昼なら帰って来れてると思います」

 片道三時間ぐらいだし、朝に実家を出れば余裕で帰って来れるだろう。山田たちと年明けの瞬間に今年も馬鹿騒ぎをするであろうことを考慮しても間に合いそうだ。

 トートバッグからスケジュール帳を取り出して書き込む私を見て、わかささんは「これでも一週間か……」と不満気にぼやいた。それはもう私にはどうしようも出来ないので諦めて欲しい。

ふたつおりのひとひら