三十三話

 青宗は、なんというか、私を暇人だと思っているようだ。昨日の夕方に突然電話をかけてきたと思ったら「明明後日なら時間作れる。赤音の墓行くか」と言ってきて、私はそりゃもう「行く」と即答した。するに決まってる。青宗から誘ってくれるなんて思ってもいなかったし、そもそも私は明明後日は元から丸一日空けていた。赤音に会いに行くつもりだったからだ。お墓にではなく、家に。

 もしかしたらおばさんにそれっぽいことを聞いて敢えてその日を指定してきたのかもしれないが、その可能性は低いだろうなと思っている。家にお伺いする前に都合がいいか連絡をした時、おばさんは青宗とはしばらく連絡を取っていないみたいなことを言っていたし、私が青宗に墓参りについてきてもらうと話したら驚いていた。
 全くの偶然なんだとするとなんだか面白いが、後々のことを考えても一日にまとめてしまった方がいいことは明らかだ。断る理由はなかった。まだ「青宗にこの後会うんだから」「青宗が見てるんだから」と思いながらの方がちょっとはマシになるはずだしね。

 このことは一応わかささんに言っておいた。報告の必要があることかどうかは私も迷ったけれど、最近のあの人、謎に過保護になってきてるから一応。
 それに多分、私が何も言わなくても青宗が告げ口していたはずだ。青宗は相当わかささんに憧れているらしく、聞かれたことはなんでも答えるんだとか。羨ましいなあ、わかささん。何をどうしたらあんな風に懐かれるんだ。やっぱりアレか? わかささんがやんちゃしてたからか? でもね、私だってね、グレてた頃は喧嘩とか抗争とか……うん、この話やめよう。


 ともかく、そんなこんなで私は色々と、こう、気持ちを切り替えて週明けを迎えた。予定通り旅行に経つわかささんを玄関でハグして送り出し、わかささんの部屋をちゃっちゃっと片付けて、ついでに観葉植物を観察して。先月看病をした時にベンケイさんに「返さなくていい」と言われてありがたく受け取った合鍵があるので、結構な時間わかささんの部屋でだらだらしていたと思う。今日は一限も二限も休講になっていたのでのんびり出来た。
 そののんびりの最中、ベンケイさんから連絡が来たのだ。曰く、「ワカの携帯どっかにないか」とのこと。あの人は携帯を忘れて家を出た前科があるため、連絡を受けた私は慌てて携帯を探して、無事に洗面所で見つけた。なんでこんなところに置いていくんだと思ったことは言うまでもない。

 わかささんは「多分どっかで落とした」と言っていなくなったらしいが、家に取りに来るのを待つよりも届けた方が早いだろうと家を出て電車に乗り、わかささんたちの職場と私のバイト先の最寄り駅に辿り着いた。どうせ家を出るなら用事を済ませてしまおう、そのまま大学にも行こうと思ってまとめて荷物を持ってきたので結構肩が痛いが仕方ないことだ。いつもの待ち合わせ場所で立っていたベンケイさんに駆け寄る。

「ベンケイさん!」
「お、早かったな」
「家から走ったから! 待たせてごめんなさい、これ、わかささんの携帯」

 わざわざ走らなくても……とばかりの顔をしているベンケイさんを無視して、バッグから取り出した携帯を手渡す。いつだったかに付けた可愛い犬のマスコットは、ベンケイさんの手の上だとずっと小さく見えた。この人の手、めちゃくちゃ大きいんだよ。

 冬だというのに額に滲む汗を拭い、ベンケイさんがすぐそばの自販機で買ってくれたお茶のペットボトルを空けて中身を流し込む。あー、冷たい。生き返る。
 ペットボトルの蓋を閉めながら辺りを見渡していると、全部見透かすような目で「ワカならまだ戻ってきてねえぞ」と言われてしまう。そうなのか。まあここにいないあたりそうなんだろうとは思ってたけど。
 少し残念に思いながらもどこか期待してわかささんをしばらく探していたのだが、やっぱり見つけることは出来なかった。どこまで携帯を探しに行っちゃったんだろう。

 会いたかったけど、会えないなら会えないで仕方ない。諦めてベンケイさんに向き直り、「旅行中、あの人の食生活の面倒見てあげてください」と改めてお願いする。「任せとけ」と大きく頷いたベンケイさんに思わず笑ってしまったその時に、道路を挟んだ場所にあるベンチに見覚えのある黒髪の男の子が座っているのが見えた。つり目がちな三白眼に三本の剃り込みの入った黒髪。ぼんやりと俯いているから横顔しか見えないけど、青宗のお友達のハジメくんだ。
 トートバッグの肩紐をぎゅっと握り直し、私の視線を追ってベンチの方を見て「知り合いか?」と聞いてきたベンケイさんに頷く。

「青宗のお友達」
「ああ、チビイヌのダチか」
「そうそう。私ちょっとあの子に渡したいものがあるから、もう行きますね」
「おう。ワカがいない間色々気ィ付けろよ」
「はい。ベンケイさんも旅行、楽しんできてね」

 そのまま手を振って別れ、信号のない道をサッと渡る。柄にもなくドキドキしている胸を押さえながら駆け寄って、恐る恐る「ハジメくん」と声を掛ければ、ハジメくんは弾かれたように顔を上げてこちらを見上げた。瞳が限界まで見開かれている。驚かせちゃったみたいだ。ごめんね。

「え、あ……」
「急に声掛けちゃってごめん。ハジメくんで合ってるよね?」
「はい……赤音さんの友達の吉野さんですよね」
「うん。吉野です。青宗からハジメくんの話聞いてるよ。ちょっと渡したい物があって、声掛けちゃった」

 隣に座るのもな、と少し遠慮して、立ったままトートバッグの中に手を突っ込む。分厚いアルバム三冊の間に挟んでいた封筒はすぐに出てきた。折っただけの封を開けて軽く中身を確認し、怪訝そうに私を見上げているハジメくんに差し出す。

「変なものじゃないよ。ただ、どうせならハジメくんに持ってて欲しいの」

 グッと封筒を押し出せば、ハジメくんはそろそろと手を伸ばして受け取ってくれた。そのまま封筒の表と裏を見て何も書かれていないことを確認した、怪訝そうな顔のまま封を開ける。そうして中身を取り出して、その瞳が再び驚愕に見開かれた。バッと勢い良く顔を上げて私を見上げてくるハジメくんに曖昧に微笑む。

「これ……」
「実家のアルバムから出てきた写真の焼き増し。私、今度おばさんたちに会いに行くの。で、ほら、写真も全部燃えちゃったでしょ? 迷惑かもしれないけど、赤音と青宗が写ってるのだけでも渡したくて」

 おばさんたちに会いに行こうと決めた時、実家に連絡をしてアルバムを送ってもらった。捲っているうちに泣きそうになったりもしたけどなんとか涙を堪えて写真を選んでいるうちに、「ハジメくんにも渡した方がいいんじゃないか」と思ったのだ。私はもうあんまり当時のことは覚えていないけど、アルバムの中にはハジメくんが写っている写真も何枚かあった。

 赤音のお墓参りに行く時に青宗に託そうと思っていたけど、今日会えて良かった。食い入るように写真を見つめるハジメくんから目を逸らして、かなり伸びた髪を肩に流す。マフラーに口を埋めてしばらくじっとしていれば、ハジメくんは小さな声で「他にも写真ってあるんですか」と呟いた。マフラーから顔を上げる。

「あるよ。探せばハジメくんが写ってる写真も多分まだある。今アルバム何冊か持ってるけど、見る?」
「……見せてください」
「分かった」

 消え入りそうな声ではあるが、きちんと聞こえる。俯いたまま少しだけ横にずれてくれたハジメくんの隣に少しだけ間隔をあけて座って、トートバッグから取り出したアルバムの一冊目を渡した。受け取ってすぐにページを開いたハジメくんは、何も言わずにゆっくりと写真を目で追っている。私は道路を挟んだ先にある駅舎を意味もなく眺めながら、「それね」と口を開いた。

「私が三歳ぐらいの時のアルバムだから、赤音はいるけど青宗はまだいないの」

 まだ一人っ子だった頃の赤音の写真。私と頬を寄せ合って笑っていたり、お揃いの服を着ていたり、一緒に寝ていたり。

 赤音が生きていてくれたら、私たちはきっとその写真の中の幼い頃と何も変わらずに生きていたのだろう。大学生になっても頬を寄せ合って笑って、たまにお揃いのスカートなんて履いてみて、二人で課題に苦戦して気付いたら寝落ちしてしまったりもして。
 だけどそれは全部仮定の話だ。空想とか妄想とかそういう類の、夢物語と一緒。現実には絶対に起こらない話。でも、だからこそ「もしも」を願ってしまう。私たちはそういう生き物だ。


 そんなことを思いながら、ちらりと横を見る。写真の中であどけない表情を浮かべる赤音を見つめるハジメくんの視線はただただ真っ直ぐで優しかった。あーあ。赤音ったら罪な女。いたいけな少年の恋心を奪い続けているんだ。

 ふふ、と小さく笑いながら「気に入ったのあったら焼き増ししてあげる」と言えば、ハジメくんは筆舌にし難い表情を浮かべて一度こちらを見上げ、しばらく葛藤してから一枚の写真を指差した。

「ひとまずこれ」
「了解」
「と、これとこれも」
「結構選ぶね。しかも全部私が微妙にしか写ってないやつ」
「……金は払います」
「え? 別にいいよ。中学生からお金もらうほど困ってないし」

 何十枚何百枚と焼き増ししてくれと言われたら少しは貰うかもしれないけど、そうじゃないのだろう。たった数枚なら懐も痛まない。そもそも結構な量を焼き増ししようと思ってアルバムごと持ち出しているわけだしね。

 釈然としない顔をしているハジメくんを「お金はいらないから、今後も青宗の事よろしくね」と無理矢理言いくるめる。ついでに「家にまだアルバムあるから、それもまた今度貸してあげる」と言えば、意識はそちらに逸れたようで「ありがとうございます」と言われた。うんうん。いいってことよ。


 何となくお互いの纏う空気が柔らかいものになっていくのを感じながら、気付けば肩にこもっていた力を抜く。やっぱり緊張してたみたいだ。最後に会ったの、それこそ七年近く前だからなあ。赤音のこともあったし、そもそも昔どんな風に話していたのかも覚えてなかったし。

 切ろう切ろうと思いながら伸ばしっぱなしになっている髪をくるくる指に巻き付けながら「ハジメくんは誰かと待ち合わせしてるの?」と聞けば、「まあ……」と微妙な返事があった。「でも多分来ないと思います」とも言っていたので、どういう相手なのかよく分からない。待ち合わせしてるけど多分来ない、でも待ってるってなに?

「吉野さんはさっきの人はいいんですか」
「あ、見てた? 忘れ物届けに来ただけだから平気。この後も授業始まるまで結構時間あるんだ」

 気付いてないと思ってたけど、さっき私がベンケイさんと話してる時には既に私の存在に気付いていたらしい。それなら声を掛けてくれてもと思わなくもないけど、わざわざ声を掛け合うような関係でもないか。この前だって結局何も会話をせずに解散したんだった。

 そのまましばらくの間アルバムを捲るハジメくんに「それはお遊戯会の時の写真」「こっちはクリスマスプレゼントにお揃いのおもちゃ貰った時の写真」などと解説をしていたのだが、言葉少なにそれを聞いていたハジメくんが突然くしゃみをした。暖かそうなコートを着てたから大丈夫かと思ってたけどやっぱり冬だし、寒いみたいだ。自分のマフラーを外して無理矢理ハジメくんの首にかける。

「良かったら使って」
「は? いやっ、ちょっ、は⁉︎」
「寒いんでしょ? 風邪引いてからじゃ遅いよ」
「寒くねえし風邪とか引かねえし」
「わかささんと同じこと言ってるなあ」
「かっ、彼氏いんならこんなことすんな!」
「いないよ?」
「えっ⁉︎」

 最早首を絞めかねない勢いでギュッとマフラーを巻けば、暴れていたハジメくんは「絞まってる絞まってる!」と言った後に静かになった。ちょっと目を見開いてぼんやりと私の後ろの方を見ている。「おーい」と目の前で手を振ってみたが何も言わなかった。意識飛んじゃった?

「えー、生きてるよね?」
「……」
「うん? なんか後ろに……あっ」

 私が振り返り、駅舎に入っていく見慣れた後ろ姿とその隣を歩く女の人を見て間抜けに「あっ」と声を上げた瞬間に視界を遮るようにしてアルバムが目の前に差し込まれた。一瞬見えた男女が、口元にクリームをつけて満面の笑みを浮かべる赤音の写真に変わる。しかし、私の脳内にはさっき見た男女の背中がこびりついていた。

「い、今の……」
「アルバム! 他のも持ってんなら貸してもらえませんか⁉︎」
「わかささんと……なんか美人な女の人が……」

 アルバムの縁に手をかけて目元だけを出し、駅の方を改めて見る。もうそこにはあの二人の背中はなかったが、それが逆に……逆に、ショックだった。

 肩を落として俯く私に同情したのか、ハジメくんが「ただ一緒に歩いてただけかもしれないだろ」と言ってくれたが、その線は薄いんじゃないかと思う。だってわかささん、女の人に優しくしたり笑いかけたりとかあんまりしない。私がそばにいたからかもしれないけど、でも、さっき女の人と歩いていたわかささんは楽しそうに笑っていた。なんとも思ってない人にあんな顔しないだろうし、ナンパされたとかならいつものように面倒そうにあしらって終わりにするだろう。


 俯いたまま、足元に落ちていた小石を蹴っ飛ばす。胸が痛いと言うよりかは、沈むように重い。嫌なもの見ちゃった。一緒に歩いていた女の人は、一瞬後ろ姿を見ただけでも「綺麗な女の人なんだろうな」と思うような背格好をしていた。短い金髪に、長い足。身長だって随分高くて、スラッとしていて、私とは全然違う。

 わかささんだって、どうせ付き合うんならああいう美人の方がいいんじゃないのか。綺麗な女の人の方が隣を歩いていて楽しいんじゃないの。


 ネガティブな考えが止まらず、どんどん疑心暗鬼になっていく。旅行、あの女の人も一緒に行くのかな。私が断ったから? 元から私に断らせるつもりであんなギリギリに誘ったの? というかこれまでの全部、遊びだったのかな。あの綺麗な人が本命で、私は遊びで、どうでもよくて……。


 ずびっと鼻を啜ると、ハジメくんが焦ったように「近くに美味いパフェ食える喫茶店あるけど」と言ってきた。多分青宗から変な風に私の情報を得てるんだろう。甘いもの食わせとけば機嫌が治るみたいな感じで。青宗ならそういう適当な言い方をする。

「いいよ、別に……人待ってるんでしょ」
「どうせ来ないから気にすんなって。パフェ好きだろ?」
「すき……ハジメくん、ショートカットの女の人のが好き?」
「はあ?」
「髪、切ろっかな……」
「早まるな」

 気付けば敬語と他人行儀さがなくなったハジメくんに連れて行かれた喫茶店のパフェは確かに美味しかったけど、胸の痛みも重みも消えないままだった。付き合ってないって言ったのもこのままでいいと思っていたのも自分なのに、馬鹿みたいだ。

ふたつおりのひとひら