三十四話

 待ち合わせ場所として指定された駅に着いた時、既に予定の時間を五分ほど過ぎていた。途中の駅で急病人の対応とかで発車時刻がズレたのが原因だ。
 行きと比べて軽くなった鞄とおばさんから預かった荷物の入った紙袋を揺らして階段を駆け上って改札を飛び出し、そのままの勢いで駅舎も出る。翻ったコートの裾を直しながら辺りを見渡せば、待ち合わせ相手の青宗はすぐに見つかった。大きな紙袋を持ってはいるけど、それ以外はいつもの特攻服姿だったので分かりやすい。

 壁に寄りかかって地面を見下ろしている青宗の元に駆け寄り名前を呼ぶと、退屈そうな顔がちらりとこちらを見て、すぐにその瞳が見開かれた。

「遅れてごめん。これ、おばさんに青宗に渡してって頼まれたんだけど……何、どうしたの」

 変な顔、と悴む手で青宗の鼻を摘む。振り払われるかと思ったのだが意外にもそんなことはなく、青宗はされるがままだった。本当にどうしたんだろう。

 気圧されて手を離し、そのまま意味もなく髪を梳く。肩よりもずっと上でバッサリ切られた髪にはまだ違和感が強く、こうしてふとした時に触れてしまう。
 そんな私をまじまじと見下ろす青宗はその表情に困惑を乗せ、やがてはほぼほぼ「絶望している」と言ってもいいような顔になってしまった。いや、本当に何?

「お前……」
「え、うん。なあに」
「……ワカクンは浮気してないぞ」
「うん?」
「ワカクン昔っからめちゃくちゃモテっから不安になるかもしれねえけど、でも、ああ見えて超一途だし、この前一緒に飯食った時に『結婚したい』って言ってたし」
「な、え、けっ……ごめん、あの、なに? 青宗何の話してるの? それ誰の話?」
「お前とワカクンの話だろ!」
「そうなの⁉︎」

 ギャンと叫んだ青宗は同じように叫び返した私を「信じられない」とばかりの目で見つめた後に、額に手を当ててため息をついた。

 駅前ということもあって人通りが多く、周囲を歩く人々の視線が痛い。慌てて周りに頭を下げてから、私は意味もなく「ごめんね」と謝って青宗の顔を覗き込んだ。私を見下ろす青宗の瞳には、呆れの他に心配の色もある。優しい子になったなあ。
 思わずニヤけてしまったのがダメだったらしく、ばしんと頭を叩かれた。あっ、結構痛い。手加減してくれてはいるんだろうけど、それでも痛かった。

 頭に手を当てて悶絶してる私に「大袈裟だな」と吐き捨てた青宗は、その手に持った紙袋をグッと押し付けてきながら「ココだって心配してたぞ」と怒ったような声で言った。ハジメくん?

「ああ、一昨日会ったから……」
「飛び降りるんじゃないかってソワソワしてた」
「そこまでしないよ⁉︎」

 それこそ大袈裟だ。流石にそこまでしない。

 押し付けられた紙袋を受け取って中身を確認しつつ、何度も首を横に振って否定する。あ、この前ハジメくんに貸したマフラー。それからなんか高そうな箱も入ってる。なんだこれ。
 私の疑問を感じ取ったのか、「礼だって」と言った青宗は、どうやら私がハジメくんに心配をかけたことに怒っているらしい。友達思いだな。

「そのクッキーめちゃくちゃ美味いやつ。オレが選んだ」
「そうなの? なんか高そう……私からもお礼用意した方がいいかな」
「礼の礼ってなんだよ」
「まあ確かに」

 一昨日は半分泣きながらパフェを食べて、「お代を出す」と言って聞かないハジメくんを「私のが年上!」と無理矢理言いくるめてその場のお代を自分で出したんだよね。それなのにお菓子もらっちゃったら意味ないよ。あの子も頑固だなあ。

 でも青宗の言う通り、お礼のお礼ってなんなんだろうっていうのもある。そんなことしてたら終わりがなくなってしまう。今度会う時になにか奢ってあげるのが向こうもこっちも一番楽かな? それかもっとアルバム見せてあげるか。こっちのがいいかもしれない。

 そんなことを考えていると、ビュッと強風が吹き付けた。うわっ。慌てて頭を抑えようとしたのだが、両手に紙袋を持っているせいで上手く動けずにただただ風に当たるだけで終わってしまった。あーあ。

「髪短いと、こういう時に不便かも」
「切らなきゃ良かったろ」
「だってえ」

 なんか「切ろう」って思っちゃったんだから、仕方ないでしょ。あの瞬間はもうそれしか考えられなかったんだから。

 鏡を見なくても自分でも分かるぐらいムッとしながら、先程受け取ったのとは別の、ここに着いた時から持っていた紙袋を差し出す。青宗は怪訝そうな顔をしながらそれを受けとり、軽く中を覗いて「なにこれ」とボヤいた。

「おばさんの唐揚げ。いっぱい作ってくれてたんだけど、食べきれなくてさ。どうせなら青宗にあげてーって」
「ふーん。ココと食う」
「うん。美味しかったよ」

 おばさん、多分最初から青宗に渡す前提であんなにいっぱい作ってたんだろうな。山盛りの唐揚げを見て「こんなに食べれないかも」という私に、「お父さんが食べるから大丈夫!」とか言ってたけど、おじさんは「えっ⁉︎」って言ってたし。

 だけどそういう家族の難しさとか、こんな私でもなんだ分かる気がしたから何も言わなかった。私が口出ししていいことだとも思えなかったというのももちろんある。


 空いた手で乱れた髪を梳いて整えていると、そんな私を横目で見た青宗が不満げに鼻を鳴らした。わあ、あからさますぎるぐらいに不機嫌そうな顔。

「ワカクンに聞いてから切れよ」
「なんでよ。私の髪だよ」
「でもワカクンがショートカットの女と付き合ってると思い込んで切ったんだろ?」
「ハジメくんどこまで青宗に話しちゃってるの」
「ココに『ショートカット好き?』って聞いたとこまでは聞いた」
「ほとんど全部じゃん」

 しかもそれ、別に話さなくてもいいことじゃん。
 動揺していたとはいえ年下の男の子に聞くことじゃなかったな……と結構反省したのに、ハジメくんが青宗に話しちゃったら意味がないじゃないか。そこはさ、心に留めておいて欲しかった。
 ただでさえも青宗の前で醜態ばかり晒しているのに、また変なことを知られてしまった。大人のお姉さんぶる計画は失敗し続けている。

 どういう意図かは分からないが、私を一瞥して鼻を鳴らしてから歩き出した青宗の後を追う。怒ってるというか、本当に呆れている感じだ。私の問題なのにな。先輩に従順すぎるのは不良文化の悪いところでは。


 また髪を梳きながら、先程の青宗の言葉を反芻する。わかささんに聞いてから髪を切れ、というのは無理矢理すぎる話だ。だってさっきも言ったけどこれ私の髪だし、わざわざわかささんに許可と確認をとる意味がない。そんなことしたら、それこそ「どういう思考回路で『髪を切る』という結論に至ったのか」を説明しなくてはならなくなる可能性だってある。それは嫌だ。

 一昨日、わかささんが置いていった携帯を届けに行って、色々あってハジメくんとおしゃべりしていたら、わかささんとショートカットの綺麗な女の人が二人で駅に入っていくのを見た。動揺して半泣きになった私はハジメくんに連れられて喫茶店に入ってパフェを食べ、解散した後は軽く授業をサボって美容院に行って髪を切った。文字にしてしまえばそれだけのことである。青宗はちょっと大袈裟だ。
 青宗と同じく大袈裟な遊佐さんにも「どうしたの?」と怪訝そうな顔をされたが、私が髪を切るのってそんなに意外だろうか。そもそもの話、元々切るつもりだったのにわかささんの看病とかなんとかでタイミングを逃してしまっていただけだ。まあ、その時はこんなにざっくり切るつもりはなかったけど。

 でも後悔はしてない。あの綺麗な女の人とわかささんの関係は分からないし、あの女の人がわかささんにとってどういう存在の人なのかも分からないけど、あの女の人を見て「ショートカットもいいな」って思ったから切った。それ以上でもそれ以下でもない。そんな、「ショートカットの方が好きなのかな」と思って切ったわけじゃないんだから。

 それに、小さい頃から髪を切ったとしても肩と胸の間ぐらいの長さを保っていたけど、ざっくり切ってみた感想としては「この長さもいい感じだな」といった感じだった。遊佐さんにも「似合ってはいるよ」と言ってもらえたし、これから先はずっとこれぐらい短くしてもいいかもしれないとすら思う。


 だけどやっぱり寒いな。また風に吹かれて堪えきれずにくしゃみをすると、少し先を歩いていた青宗が振り返って「マフラー巻けば」と言ってきた。そうだった。ハジメくんに貸してたマフラーが返ってきたんだった。
 ぐずぐず鼻を啜りながら紙袋から出したマフラーを巻き、小走りで青宗の横に並ぶ。そのままその顔を見上げてみたが、青宗は一度私の方を横目で見下ろしてから何も言わずに前を向いた。

「ねえ、髪短いのどう?」
「なんか変」
「なんか変! 失礼だなあ」
「変なんだから仕方ねえだろ」
「そこは『似合ってる、可愛い』って言うとこでしょ」
「ワカクンに頼めよ……」

 ウザ……とばかりに顔を顰めた青宗の背中をばしんと叩いて、「そんなこと言えるわけないでしょ」と呟く。本当、言えるわけない。だって私たち、そういうんじゃないもの。

 あの人はよく私に「可愛い」と言うけど、それも本当かどうかよく分からなくなってしまっている。本当はあの女の人みたいに、背が高くて、スラッとしていて、綺麗な女の人のが好きなんじゃないだろうか。

「青宗はさ、わかささんの元カノと会ったことある?」
「いや、ねえと思うけど」
「ふーん。じゃあどんな人がタイプかは知ってる?」
「……ほっとけねーやつ?」
「何それ」
「この前飯食った時に言ってた。目ェ離したらどっか行きそうでほっとけなくて、気付いたら好きになってたって」
「……なんか具体的だな」

 あの人、もしかして好きな人がいるのかな……?
 嫌な想像をしてしまい顔を顰める私を見て何を思ったのか、青宗はニヤリと笑って「安心しろよ」と呟いた。

「昔どんな女と付き合ってたとしても今好きなのも抱きてーのも結婚してーのもお前だけだって言ってたから」
「ふーん……ふーん⁉︎ え⁉︎ 今なんて言った⁉︎」
「うるさ」
「いやごめん……じゃなくて、え、なに? 好き? 抱きっ……えっ、結婚⁉︎」
「さっきも言っただろ」

 動揺のあまりつんのめって転けそうになった私の腕をとって支えた青宗は呆れた顔で「センパイとお前のそういう話聞くの結構ヤダ。気まずい」と続けたが、私はそれどころではなかった。叫んだせいかなんなのかクラクラする頭を抑えながら、下を向いて「好き……?」と繰り返す。今、「好き」って言った? 抱き……まあそれはいいとして、あとあの、「結婚」とも言った?

 その言葉たちを頭の中で繰り返すうちに、カッと顔中が熱くなっていく。そんな私を一切気にしない青宗に肘を掴んで引き摺られるようにして運ばれながら、「あの人私のこと好きなの……?」と思わずこぼす。青宗は呆れ顔で私を見下ろして「今更かよ」と言った。い、今更ですけど⁉︎

「すっ、すき、え、あの……ドッキリ……じゃないよね、青宗はそんな面倒なことしないよね……」
「ワカクンに電話して聞いてみろよ」
「そ、それは……なんか緊張するからいいや……」

 だってそんな、「私のこと好きってホント?」とか聞けないでしょ。
 とりあえず冷静になろうと火照った頬を冷たい手のひらで押さえて冷まそうとしてみたが、全然ダメで顔中熱いままだった。頭の中まで茹だってしまったのか、まだクラクラしている。

 このあと赤音に話すことがまたひとつ増えてしまった。どうしよう、赤音。好きな人と両思いかも。どうすればいいと思う? ……赤音なら多分、「告白しちゃえ!」と言うんだろうな。ごめんね、それはまだ無理……普通に恥ずかしい。

ふたつおりのひとひら