09

 少し伸びてきた髪を毛先だけちょっぴり巻いて、ヘアオイルをつける。レインくんはウサちゃんたちと共同生活しているから、いつものように抱き着いた時に匂いが残ると困るのであまり匂いの強くないものにした。でも柑橘系のいい匂いがふわっと香っていて素敵。気に入ってくれるといいな。
 鼻歌を歌いながら鏡を見つめ、くるんと上がったまつ毛と瞼に乗せたキラキラのラメの最終確認をする。よし、問題ない。ファンデーションもよれてるところはないし、リップも綺麗に塗れてるし、前髪のコンディションも良い感じだ。
「うふふふ」
 化粧台の前から立ち上がって、姿見に向かってくるっと一周。おろしたてのスカートがふわっと揺れた。足は出しすぎず、でも出さなすぎず。お気に入りのカバンには去年レインくんに強請って作ってもらったけど汚すのが怖くてずっと飾ってるだけだったウサちゃんのマスコットをつけたし、もう完璧。今日の私、可愛い。
 鼻歌に合わせて適当なステップで踊りながら化粧台の上に置いた小さな絹の袋を今日も首にかけようと手を伸ばしたのと同時に、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開いた。ノックもしないで誰だろうとそちらを見れば、露骨にムスッとしながら廊下に立っている妹とバッチリ目が合う。今日も朝から剣術の修行をしてきたのか肩にはタオルが掛けられ、その肌はじんわりと汗ばんでいる。
 いつもならシャワーを浴びてから来るのに珍しいなと思いながらも、「入る?」と聞けば、妹は小さく頷いて静かに部屋に入ってきた。そのまま後ろ手に閉めたドアの前に立ち尽くし、相変わらずムスッとしたまま私を見下ろしてくる。……なんか怒ってるな。
「どうかした? 剣の先生に怒られたとか?」
「……私は姉上とは違って優秀ですので、怒られるようなヘマはいたしません」
「じゃあお腹空いてる? クッキーあるよ」
「空いてません」
 そうは言いながらも私が掲げたクッキー缶に手を伸ばした妹は、一番上のひとつを取った。お目が高い。それめちゃくちゃ美味しいやつ。
 蓋を閉めて缶を棚の上に戻している間にも、妹は「美味しい」と小さな声で呟いている。だよねー。
「これねー、昨日カルド様に貰ったの。あ、カルド様分かる? 神覚者様ね。カルド様も、レインくんに稽古つけてあげたらそのお礼にここのお店のお菓子貰ったんだって。それで美味しかったからって私と父上にも買ってくれたんだ」
 昨日の聴取のお礼と、時間を取らせてしまったことへのお詫びだそうだ。
 正確には魔法局とも繋がりの深い大病院の院長である父上のご機嫌取りとして魔法局のお偉いさんが渡せって言ったものなんだろうけど、カルド様から父上に渡され、父上から私に回ってきた。父上はカルド様の好物を食べてからというもの、カルド様の味覚を信用してないから……。
 カルド様ほど突き抜けた甘党ではないけど、私だって甘いものは好きだ。そもそもここのお菓子をレインくんに教えたのだって私。回り回って美味しいクッキー缶がやってきてすごく嬉しい。
 今日はこれからレインくんとご飯だからお腹を空かせておくためにも食べないけど、大事に毎日ちょっとずつ食べていこうと思う。ゲッカ草採取に向かう前に一応食べ終わっておいた方がいいよね。妹も気に入ってくれたみたいだし、分けてあげようっと。
「クッキー食べたくなったら勝手に部屋に入って食べていいからね。ここに置いとくから」
「いりません」
「えっ……気に入らなかった?」
 慌てて振り返って「さっき美味しいって言ってた気がしたけど……」と確認したが、妹は相変わらずムスッとしたまま下を向いてしまった。身長差があるので覗き込めば目が合うかと思ったが、それもフイと視線を逸らされてしまう。
 どうしよう。やっぱりなんか怒ってるぞ、この子。
 ちらりと横目で壁に掛けられた時計を見た。もう何十分かで待ち合わせの時間だ。二人で行ったこともあるマーチェット通りのパン屋さんの前で待ち合わせをしてるから迷う心配はないけど、せめて待ち合わせ時間の五分前にはついていたい。ギリギリになって箒で飛ばして髪や服が乱れるのも嫌だから、ちょっと早めに出ようと思ってたんだけど……。
 取り敢えずカバンだけでも持っておこうかなと手を伸ばせば、妹が「姉上は」と重々しく口を開いた。思わず手が止まる。
「姉上は、イーストン魔法学校に入学してからというものの、変わられてしまいました」
「……そうかな?」
「そうです! 口を開けばレイン・エイムズ、レイン・エイムズと……なんなんですか⁉︎」
「なにって、あの、」
「今日だってレイン・エイムズと食事に行くんでしょう⁉︎ そんなにめかしこんでっ……せっかくの夏休みなのに!」
「いや、せっかくの夏休みだからこそ、どうせなら可愛い格好したいっていうか」
「姉上はっ……! 私とレイン・エイムズ、どちらが大切なんですか⁉︎」
「ええ……?」
 ど、どういう質問なの、それは。
 拳を握りしめてぷるぷると震えながら私を見下ろす妹に動揺しながらも、質問の意図を探る。そんなこと聞かれたの初めてでどうやって答えればいいのか分からない。
 第一、そんなどちらが大切かなんて聞かれたって答えが出るわけもない。妹のことはもちろん大切だ。愛している。でもレインくんのことも大切で大好き。それはこう、色々別の感情なのよ。
 私が返答に窮していることに気付いたのか、妹は顔をぐっと顰めると「もう姉上なんて知りません!」と大声で叫んだ。
「レイン・エイムズとどこにだって行ってしまえばいいんです!」
「それは無理だよ。レインくんは夏休みも学校で暮らしてるから門限あるもん。今日は外泊申請してないだろうし、遅くなる前に解散しなきゃ」
「っ……姉上の馬鹿!」
「そんなあ……お土産買ってくるから許してよお」
「嫌ですっ、許しません! 馬鹿馬鹿馬鹿っ!」
「ケーキ買ってくるよ、ケーキ。好きでしょ? ホールで買うから好きなだけ食べていいよ」
 時間がないので私も結構必死だ。怒らせたままにしておきたくはない。
「なるべく早めに帰ってくるから、一緒に食べよ?」
「……レイン・エイムズとは、ケーキ、食べないでください」
「うん」
 レインくん、甘いものそんなに好きじゃないからねという言葉は押しとどめて、真面目な顔で頷く。多分それを言ったらもっと怒られるんだろうなって思ったからだ。
「チョコのケーキがいい……」
「ちゃんとチョコたっぷりのやつ買ってくるね」
「……早く帰ってきてくれないと、許しませんから」
「うんうん、ちゃんと早く帰ってくるよ」
 具体的には、夜ご飯の前ぐらいには帰ってくるよ。
 それじゃ全然妹的には早くないらしくて、レインくんと一緒に過ごせてニコニコの私が「遅い! 遅すぎます!」とめちゃくちゃ怒られるのは、これから数時間後のことである──。

ふたつおりのひとひら