27

 不戦敗。それは最も不名誉な負け方──。
「うええん間に合わないよおお」
「あたしは何度も起こしただろうが!」
「起きてないもん! 起きるまで起こしてくれなきゃ意味ないもん!」
「一回起きてんだよ! 起きてあたしに『レインくんに先行ってって伝えて……』とか言ってきたの! だからそれを伝えに行ってやったっつーのに……テメェは!」
 怒髪天を衝くという言葉が相応しいほどに怒っている先輩は、怒鳴りながらも私に向かってパンを投げてきた。これあんまり美味しくないやつ……。そう思ったものの、一瞬嫌そうな顔をしたのがバレたのか「文句あんのか!」とぶん殴られそうな勢いで睨まれたため慌ててパンを口に咥えた。文句ないです。
 開け放たれた窓の外からは冬の朝の身の震えるような冷たい空気が流れ込み、それが尚更この部屋の焦燥感を煽っていた。私はパンを咥えながら大慌てでブラウスのボタンを留め、先輩はブツブツと私への恨み言や怒りの言葉を繰り返しながら棚をひっくり返している。私のネクタイを探してくれているのだ。
「昨日のうちに探せっつっただろうが!」
「探した! でも見つかんないからもう先輩の借りようかなって思ったの!」
「あたしがネクタイなんて持ってるわけねーだろ⁉︎ なくしたわ!」
「えっ、でもこの前ネクタイしてた……」
「あれはあたしのじゃねーよ! ンなことどうでもいいからさっさとその寝癖頭どうにかしやがれ!」
 えーん、先輩が怖いよお。
 あまり美味しくないパンを牛乳で無理矢理流し込んで、全身鏡の前で必死で寝癖を押さえ付ける。なんで今日に限ってこんな、爆発したみたいな髪になるかな⁉︎ 昨日ちゃんと乾かして寝たんだけど!
 これが何もない日の普通の朝なら魔法でも何でも使って無理矢理直しただろうけど、今日はそれが出来ない。何があるか分からないから余計なところで魔法を使わず魔力を温存しておきたいのだ。
 ……このままじゃだめかな。毛先は爆発してるけど、他は何とかなってる気がする。逆立ってたりしたら私だってもっと焦るけど、毛先だけだよ?
 そう思って手を止めた瞬間、がつんっと頭に衝撃が走った。
「いっ……たあ!」
「手ェ止めてんじゃねえ! 時間がねえんだからとにかく急げ!」
「だってえ」
「だってじゃねえ! ったく、手のかかる!」
 足元を見ると酒瓶か転がっていた。え、私これを投げ付けられたんですか? 後頭部に? 思いっきり?
 私じゃなかったら死んでたよ……とドン引きしている間にも、鬼のような顔をした先輩が駆け寄ってきて私の髪を引っ掴んで杖を振った。爆発していた毛先が大人しくなる。そのまま手早くネクタイを結ばれていく。見つけてくれたの……うん?
「これ私のネクタイじゃない? なんか長いけど……男物?」
「探してる時間がもうねえからあたしのを貸す。メイクはいつも通りでいいな? 髪型はどうする」
「メイクはいつもの、髪はこのままで。ねえこのネクタイ誰の? 治癒の魔法と防御の魔法かかってない?」
「了解。それは貰いもんだよ。魔法もそいつがかけたヤツだな」
「ふーん……」
 ネクタイを結び終わった先輩によってメイクを施されていく中、手暇になってしまったのでネクタイを摘む。誰に貰ったんだろう、これ。かなり綺麗ではあるけど、使われてる感じはある。しかもどちらの魔法も結構最近かけ直されたあとがあるし、かなり強力なものだし、そもそもこの魔力、見覚えが……あ、彼氏とか?
 でも先輩に彼氏がいるなんて話聞いたことないな……と首を傾げると、「動くな!」と鋭い声が飛んできた。はい、すみません。
 先輩はこういう身支度とか生活関係とかの魔法が得意だ。普段の酒カスっぷりからは想像できないけど、これで生活力が高めなんだよね。私もよく面倒を見てもらっている。
 そして結構口うるさい。
「今日のお前はうちの代表だってことを忘れんな。例年うちの学校からは三年生が選出されるところを今年は三分の二が二年生、更には他校も二年が多くてただでさえ注目されてんだ。お前らのうち誰かが神覚者になりゃ史上最年少だっつってな」
「最年少神覚者のレインくんかあ……かっこいい肩書きだ」
「そう思うんなら、少しでもレインがかっこよく見えるようにお前も気を抜くな。いいか。お前は強い。そのお前より強い奴が敵にはわんさかいる。でもお前にだって先手さえ取れれば勝てる可能性はあるんだ。とにかく油断をするなよ」
「うす」
「返事は『はい』だろうが!」
「先輩がオーター様みたいなこと言ってる……」
「あァ⁉︎ ぶん殴るぞ!」
「もう殴ってる!」

 +

 先輩からの愛ある拳でたんこぶの出来た頭を押さえながら、箒で廊下をかっ飛ばす。みんなもうとっくに観戦気分で外にいるようで全然誰にもすれ違わなかった。うーん、開放的。思う存分飛ばせるね。
 待ち合わせ場所は正門の辺り。本当なら寮から一緒に行こうと話していたけど、それは私が寝坊してしまったせいで叶わなかったから、もう一人の候補者の人との待ち合わせ予定だったそこが私とレインくんにとっても待ち合わせ場所になった。
 早く行かなきゃ。先輩のおかげでどうにか間に合いそう。やっぱり持つべきものは酒カスでも面倒見がいい先輩兼友達だな。
 どちらに行こうかと迷いながら曲がり角を曲がる。窓から出た方が早いかな。でも窓から出るところを先生とかに見られたら怒られるよね。こんな日に怒られるとか……あれ、あそこに立ってるの誰だろう。
 廊下の奥に誰かが立っている。ちょうど日陰になっているし、フードを被っているようで顔が見えない。着用しているローブはアドラの物に似てはいるけど、違う気がする。それにかなりの魔力量だ。神覚者様に並ぶ……いや、勝る……? こんな魔力量の人、うちの学校には……。
「姉上」
「……え?」
 真後ろからとろけるように甘い声が聞こえた。廊下の奥にはもう誰もいない。事態を認識し、この一瞬で背後を取られたのだと理解するよりも早く体から血が吹き出す。数秒遅れてやってきた痛みが今のこれは現実であると突きつけてきた。
 ──まずい。後手に回った。いいや、先手を取れたところで勝てる相手じゃない。そもそも誰だ。
 崩れ落ちるようにして箒から落下しながらも、懐から杖を取り出して振り返る。選択肢は逃亡しかない。戦ったところで勝てない。殺される。だったらまだ逃げた方が……え。
 振り返った先であどけなく微笑むピンク色の髪の少年。わざわざフードを外して顔を見せつけてきたのかと考える間もなく、私の視線はその頬の痣へと釘付けになっていた。その痣は、その痣の形は!
 構えた杖先が、動揺で下がる。その瞬間を相手は見逃さなかった。
「はじめまして、姉上。──そして、さようなら」
 何をされたのかも理解できないままに再び体から血が吹き出し、そのまま──暗転。

 +

「遅いな……さっき探しに行った先輩も戻ってこないし、やっぱり僕も探しに行ってくるよ。レインはそろそろ出た方がいい」
「……オレも探しに行く」
「それはダメだ、レイン。心配なのは分かるけど、これで二人とも遅れたら洒落にならない」
「アイツは校内で迷うほど馬鹿じゃない。どうせまたなにか面倒事に巻き込まれてるんだろ。それならオレが探しに行って連れて行った方が早い」
「レイン……」
「……おい! レイン、早く出ろ!」
「あ、先輩。あれ、一人だ」
「……アイツはどうした」
「やられた! 襲われたんだよ!」
「……は?」
「ウォールバーグ様がメリアドール様をお呼びしてくださったが助かるかどうか……ああクソ、一人で行かせるんじゃなかった……! いいかレイン、今すぐここを出て会場に向かえ! 校内で神覚者候補の生徒が襲われた! 相手の目的が何かも、今どこにいるかも分からねえ! 次はお前が標的の可能性もあるんだ、とにかくここを出ろ! 途中でカルドさん辺りと合流できるようにする……!」
「……」
「……レイン、先輩の言う通りだ。今は会場へ向かった方がいい」
「……だが」
「だがもクソもあるか! ……レイン、あのな、神覚者になるっつーのはこういうことなんだよ。惚れた女が死にかけても、お前は惚れた女を優先しちゃいけねえ。優先できねえんじゃなくて、しちゃいけねえんだ。ましてやアイツはあの病院の院長になる女だぞ。今後も常に命を狙われるだろうよ。その度にそうやって動揺するつもりか? ……そろそろ覚悟を決めろ。で、アイツを信じろ」
「……言われなくとも理解も覚悟している。アイツを頼んだ」
「おうよ。あたしたちに任せとけ。魔法局長脅してでも辞退したんじゃなくて遅刻してんだってことにしてやる」
「……もしかして『あたしたち』って僕のことも含んでたり?」
「そりゃそうだろ。あたしたちの仲じゃねえの。おら、まずは校長室乗り込むぞ!」
「悪い。頼んでもいいか、マックス」
「あーうん、分かった、やるよ! ──行ってこい、レイン!」

ふたつおりのひとひら