30

「こっちからレインくんの気配がする!」
「ぷぎゅ!」
「えー、分かる? 分かっちゃう? だよねー、レインくんってもう魔力からしてかっこいいもんね! 気配とかもうね、それだけで好きになっちゃうもんねー!」
 ミニブタは話の分かるミニブタだった。自然と私の言葉にも熱がこもる。
 ぷぎゅぷぎゅ鳴いて相槌を打ってくれる健気な姿に調子に乗った私がレインくんに関して語り続けているうちに、気付けばだいぶ屋敷の奥に来ていたようだ。レインくんの魔力が濃くなり、私もムズムズしてくる。なんだか不思議な気持ちだ。
 でも早く会いたいという思いがいちばん強いかもしれない。早く会って、そばにいたい。いちばん近くでレインくんが神覚者になるところを見せて欲しい。
 はやる気持ちを抱えたまま曲がり角を曲がると、そこには待ち望んでいた人がいた。ワッと胸が高鳴り、勝手に顔が綻ぶ。ちょうどここからは見えないが、誰かと対峙していたらしく剣を構えるその横顔は真剣なものだった。額から流れる血ですらもかっこいい。ああ、好き。
 堪えきれずに加速した私の気配に気付いたのか、その視線がこちらに寄越された。目が合ったと思った瞬間に驚いたような顔に変わり、珍しく大きな声で名前を呼ばれる。そう、そうだよ!
「お待たせレインくん! レインくんの私が来あああ⁉︎ なに⁉︎ 誰⁉︎ 誰なのこの痴女は!」
 大鎌から飛び降りてレインくんに抱き着こうとしたのだが、衝撃的な光景が目に入ったショックで大鎌に乗ったままレインくんに突っ込んでしまった。ぶつかった衝撃でまだ傷が癒えていない体が痛んで口からは血が出たが、そんなことは気にせずにレインくんの頭を胸に抱え込む。ミニブタは私とレインくんに挟まれて苦しそうにぷぎゅぷぎゅ言っていた。
「おい離せ、前が見えない」
「嫌だよ離さないよ! こんな、こんなのってないよ! ちょっとあなたなんなんですか⁉︎ そんな破廉恥な格好やめてくれます⁉︎」
 レインくんと対峙していた女性を指差し、ぎゃーっと叫ぶ。どこの学校の生徒なのか知らないが、その女性は上半身ははだけたワイシャツ姿、下半身は下着に靴下のみと、痴女としか言いようがない姿をしていた。
 さっきまでとは別の意味で血が沸いて頭がくらくらした。怒りである。
「最ッ低! 嫌がるレインくんに無理矢理裸を見せつけて興奮するなんて……この犯罪者ッ! ああ可哀想なレインくん、変な人に裸を見せつけられて怖かったよね。来るのが遅くなってごめんね……私が来たからにはもう大丈夫だよ、あんなものは見なくていいからね」
「何も見えねえ」
「うんうん、怖かったんだね」
 胸に抱えたままのレインくんの頭をよしよしと撫でながら、目に見える傷は治してあげる。でも心の傷は治してあげられない。うう、可哀想なレインくん……。ここから帰ったら私に出来ることはなんでもしてあげるからね……。
 レインくんの心についた傷を思って涙していると、唖然としていた痴女が今更状況を飲み込んだらしく「ちょっと!」と怒ったように声を上げた。は? 言い訳は聞きたくないんですけど。
「さっきから黙って聞いてれば人を変態扱いして……! なんなのよアンタ!」
「レインくんの所有物ですけどッ⁉︎ あなたこそなんなんですか! 早く服着たら⁉︎」
「仕方ないでしょこれが私の固有魔法なの! アンタこそ所有物とか何よ、どういうプレイ⁉︎」
「プッ……人のことまで変態にしないでくれる⁉︎」
 ギャーギャー叫びながら痴女と言い合っていると、痺れを切らしたのかレインくんにガッと肩を掴まれて離されてしまった。そ、そんな……レインくんも私を変態だと……?
 一瞬そう思ってショックを受けたものの、肩を掴んでいた手が伸びてきて毛先を撫でて頬に触れ、その手つきが優しかったものだから私はついついご機嫌になってしまう。えへへ。その手に擦り寄ってもレインくんは私を突き放しはしなかった。
「口に血がついてる」
「なんかたまに出る! まだ完全には治ってないからねー」
「……動いて大丈夫なのか」
「うん、今のところは! それにねー、レインくんが神覚者になるところ見るまでは死ねないよ!」
 やる気を見せようとグッと拳を作ったのだが、レインくんは眉間に皺を寄せて顔を顰めてしまった。これじゃ足りないと……?
 他になにかあるかなと悩んだのも束の間、頬に触れていた指先が殊更優しく顔の輪郭を撫でていくものだから何も言えなくなってしまう。なんか今までの触り方と違う……! 心做しかその瞳も熱っぽい色をして見えて鏡を見なくても分かるぐらい頬が熱くなった。なんか照れる。
「し、心配かけてごめんね、レインくん。私もう平気だから……あの、その、そんな近くで見られると恥ずかしい……」
「……あとで話がある。待ってろ」
「ひゃい」
 吐息さえ触れそうな距離感で真っ直ぐに見つめられて真剣な顔でそんなことを言われてしまえばもう何も言えない。真っ赤な顔でこくこく頷く私を見て、レインくんは一度私を抱き締めると痴女に向き直った。ひええ。抱き締められてしまった。
 熱い頬を押さえながらくねくねと大鎌の上で身悶える。こんな、こんなの……供給過多!
 ぷぎゅぷぎゅ鳴きながらポケットから這い出てきたミニブタが、真っ赤な顔をしている私を心配したのか、肩をよじ登ってあの五芒星のマスコットみたいなやつを頬に押し当ててくれた。冷たくて気持ちいい。ありがとうね……。
 気遣いのできるミニブタに感謝していると、ふと視線を感じた。顔を上げるとレインくんと、セント・アルズの制服を着込んだ痴女がこちらを凝視している。
「なに……?」
「お前、それ……」
「あ、これ? さっきこのミニブタがくれたの。レインくんの落としもの? ならはい、返すよ」
 呆然としているレインくんの手に五芒星のマスコットを置くと、レインくんはしばらくそれを見下ろした後にひとつ溜息をつき、もう一度私を抱き締めて「お前が馬鹿だということを忘れていた」と呟いた。馬鹿にされた⁉︎ でもその声は優しいし安心してるみたいだし、これは褒められてるのか貶されてるのかどっちだ……⁉︎
「それ大事なやつだった? 私、レインくんの役に立てた?」
「ああ、助かった。礼を言う」
「いいよー!」
「オレは急ぐ。この女の相手を任せてもいいか」
「うん、任せて! この痴女は私が成敗するから!」
「頼んだ。無理はするなよ」
「レインくんこそ」
 さっきまで抱き締められていたから近くにあった頬に一度キスして、今度は私から抱き締める。すぐに離してその肩を押せば、レインくんはもう振り返らずに走っていった。背中もかっこいい。
 ……さてさて。
 むふふと笑いながら振り返り、未だに唖然としている痴女に向き直った。任されたからには成敗しなくては!
 そう思って飛び降りて大鎌を構えたものの、痴女は信じられないもの見る目で私を見るばかりで杖を構えようともしない。なんだコイツ。
「……アンタ、何考えてんの?」
「……レインくんかっこいいな、とか?」
「……あのね、さっきアンタがあの男に渡したのはスターキーって言って、この屋敷にある宝箱を開けるためのものなの。その宝箱の中にははじまりの杖が入ってる。それを手にすれば神覚者になれるのよ。なのにアンタ、なんで渡しちゃったわけ?」
「へー、アレそういうのなんだ。マスコットかと思ってたよ。でもレインくん欲しがってたし、私は神覚者になる気ないし、別にいいかな」
 私がそう答えると痴女は顔を顰めて何度か瞬きをし、呆れたような顔になってフッと笑った。
「元から神覚者になる気もないのにここに来てたわけ? 変なやつ。あーあ……」
「戦わないの?」
「戦わない。見れば分かるわ、アンタには勝てない。万が一アンタを倒してあの男に追いついたところでもう遅いだろうしね……ねえ、アンタ、私のこと覚えてる?」
「痴女の知り合いは私には……」
「痴女じゃないわよ! ……私ね、アンタと昔会ったことがあるのよ。アンタのお母様と私のお父様が騎士団で一緒に働いてたの。覚えてない?」
「……ごめんなさい、さっぱり」
「いいわよ、別に。昔のことだものね」
 本当に諦めたらしく、痴女は「あーあ」と言いながら床に座り込んでしまった。その姿に攻撃の意思はなかったので、私も大鎌をおろして少し離れた位置に座る。いつの間にか頭に乗っていたミニブタが、地面に転がり落ちてすぴすぴ眠り始めた。危機感ないなあ、このブタ。
 ちらりと見つめた痴女の横顔には本当に全く覚えがないけれど、私たちは昔会ったことがあるらしい。そういうのはよくある。レアンのアベルくんもそうだ。母上は顔が広かったから、至る所に知り合いや友人がいる。
 一度伸びをしたあとに床に手足を投げ出した痴女は、ぐちぐちと文句を言い出した。曰く、最初から私をボコボコにするつもりでここに来ていたのに遅刻とかありえない、と。
「そもそも何よ、その怪我」
「あ、分かる?」
「分かる。結構重傷じゃないの、それ。治療はされてるし、ここに着く前にやられてるわよね」
「うん、まあ色々あってねー」
「ふーん」
 聞いておいて興味がなさそうな声を出した痴女は、「春休みそっち行くからその時は万全の状態で私の相手しなさいよね」と呟いた。ええ、めんどくさ……くない。なんでもないです。睨まれたので慌てて手と首を振って誤魔化す。
 そのまま流れで自己紹介をして連絡先を交換することになり、なんと痴女の知り合いができてしまった。うーん。こうして私の交友関係も広がっていくのか……。
 しばらく痴女と「あれは絶対脈アリよ」「えー、そうかな? 両思いかな?」「絶対そう。だってあの男、この私の下着姿を見ても眉ひとつ動かなかったのよ? それがアンタを見た途端にあれだからね」「露出狂……」「固有魔法なんだってば!」と話していたのだが、ふと壁の辺りで何かが動いた気がして二人とも無言になった。しばらく壁を見てからお互い見つめ合う。
「……今なにか動いた?」
「うん。でもなんにもいない」
「よね。……待って、あんなところに草生えてた?」
「……生えてなかった、っていうか現在進行形で生えてきて……る! なんか草生えてる! やばいやばいやばい!」
「早い早い生えるの早い! あっ、後ろ!」
「後ろ⁉︎ ぐえっ! あー締まってる締まってる締まってる! 痛い痛ゴフッ」
「ちょっと大丈夫⁉︎」
「ダメ、死ぬ……」
「ぷぎゅ……」
「アンタもブタも耐えなさい! えーっと、草には火が……効かない! なんなのよこの草!」
「う、うう、意識が……かくなる上は『アレ』を使うしか……」
「『アレ』?」
「ババ上からもらった秘密のお薬……その名も『なんでも燃やすくん』……ここに入ってるから出して」
「ここってこの小さい袋のこと? 薬ってことは瓶とかに入ってるのよね……あ、これ?」
「そうそれ……貸して……えー、この草とかを、燃やしてください」
「うわ、ほんとに燃えてる……すごい薬作るわね、アンタのババ上」
「自慢のババ上ですから。息ができるって素晴らし……待って、なんか壁も燃えてる……!」
「え? うわマジだ。……え、どうするのこれ。天井も……床も燃えてない……?」
「な、『なんでも燃やすくん』は対象を燃やし尽くすまで止まらない。今回は草とかを燃やしてって指定したから、多分人は燃えないけど……草とかの『とか』に建物が含まれてて、もしこのまま崩れてきたりしたら……」
「……逃げるわよ」
「うん、逃げよう。ほらミニブタ、行くよ!」

ふたつおりのひとひら