14

 ほんの数十秒の攻防でレイピアをへし折ることには成功したが、なんとあの女、その途端にしっぽを巻いて逃げ出しやがった。騎士の風上にも置けない奴だ! いやまああの女は騎士じゃないけど。
 怒り狂って追い掛けたのだが、無駄に逃げ足が早くて全く追い付けなかった。固有魔法で脚力を強化しても追い付けないとか、あの女もそういう系統の固有魔法を持っているのか? なら余計にあの女の中身と外見が一致してないじゃないか。私が知っている限り、あの女と同じ外見をした女性の固有魔法は身体強化系のものではなかった。
 何度か曲がり角を曲がるうちに気付けば見えなくなっていたその背中を思い出して舌打ちをしながら、杖へと戻していた大鎌を更に箒に変えて飛び乗った。そのまま騒がしい方へと向かって加速する。あの女がどこに消えたのかは知らないが、さっきレインくんに化けてた侵入者だけでもギタギタにしてやる。
 そう思って辿り着いた部屋の中では銀髪ポニーテールの人がアベルくんの腕の中で血を吐いていた。
「えっ……えーっ⁉︎ なにやってんの⁉︎」
 思わずギャンと叫んで二人の元へと箒を飛ばす。あー! 何この傷は! 体に穴が空いてるよ穴が!
 驚いたようにこちらを見上げてくるアベルくんの視線は一旦無視して、箒を杖に戻して杖先を傷付近に向けた。やっぱり貫通してるし刺された場所が悪い。生きてるのが不思議なぐらいだ。何があったのか、なんでそんなにボロボロなのかは知らないけど、さすがにこれは医療の心得があるものとしては見過ごせないレベルの傷なのよ。
 後ろの方から妹が「姉上……」と呟く声が聞こえたが、それもひとまず軽く手を上げるだけでスルーさせてもらう。今は目の前の重傷者の方が優先だ。妹の方は少なくとも私を呼べるぐらいには元気なんだろうが、この銀髪の人は意識も既に危うい。
「先に止血するよ。触るからね」
「あわ……」
「泡? なに? 泡風呂入りたいの?」
「あわわわわ」
「なんで震え出すの⁉︎」
 突如震え出した銀髪の人に、摂取者を錯乱させるような毒でも食らったのかと慌ててその体を抑え込む。そうしたら微動だにしなくなった。ほんとに何!
 これまでに見てきた患者にこんな挙動をする人はいなかった。どういう症状なのか全く持って分からない。もしや私の知らない病気……?
 一刻を争う状況で未知の病と向き合わなければならないかもしれないことに僅かに怯えながらも止血をしていると、それまで黙っていたアベルくんが急に喋りだした。
「アビスは女子が苦手なんだ」
「そう、女子が苦手なの……え、もしかして仮面の人?」
「君が大破させた廊下の後始末を押し付けた相手ならアビスで間違いない」
「ねえ嫌味なこと言うのやめて? この人も壊してたからね?」
 まるで私を極悪人みたいに言うアベルくんを軽く睨んでから、止血の終わった傷を見下ろす。さっきまでの震えが女子が苦手だからこそのものだと分かったのは安心だけど、でもやっぱり傷が深い。止血しただけでは持たないし、すぐにでもまた流血し始めるだろう。
 それに銀髪の人……じゃなくて、仮面の人……でもなくて、アビスくんは相当疲弊している。魔力も底に近いぐらいまで減っているし、この様子を見るに体力は言わずもがな。元々の治癒力を使って回復させるのは、この傷じゃ到底無理な話だ。
 さて、どうしようか。私が何か差し出す? でも私もこの三日間お屋敷再建のために使った魔力はまだ回復しきっていないし、そもそも震えるほどに女子が苦手な人に女子である私から何かを差し出したところで受け入れてもらえるかどうか分からない。これまで何度も私からの供給という形で人の傷を治してきたけど、これほどまでに女子が苦手な人にはやったことがないし……。
 だけど、そんなことを言っている間にもアビスくんはどんどん弱っていく。医者として最低な発言だが一か八かに賭けるしかないか。
 そう覚悟を決めて杖を握っていない方の手をアビスくんの手に重ねようとしたのだが、割って入るようにしてアベルくんの手がアビスくんの手を握った。……なるほど。
「アベルくんも結構魔力消費してるみたいだし辛いかもよ。いいのね」
「ああ。僕を庇って負った傷だ。構わないよ」
「分かった。じっとしてて」
 静かに詠唱して杖を改めてアビスくんの傷に向けると、ふわりとその周辺が淡く光った。よし。多少回りくどいけどアベルくんの魔力をアビスくんの魔力に変換して、そこから更に治癒力へと変換させることに無事に成功している。このまま続けていけばどうにかこの場は凌げるだろう。……なんか後ろの方うるさいな。
 アビスくんが助かる見込みがついてホッとしたからか、今更後ろでどんちゃん騒ぎが起きていることに気付いた。音的には戦っているっぽい。さっきレインくんに化けてた侵入者の声もする。くっそー、私がズタズタにしてやりたかったのに!
 若干気になりはするが振り向くわけにもいかないので集中していると、背後から「先輩」と声が掛かった。えーっと、この声は……。
「マッシュくん?」
「はい。良かったらこれ使ってください。貰い物ですけど。……仮面さん助かりますか」
「ありがとう、絶対に助けるよ。何これ……いやこれレインくんのハンカチじゃん! えー、なんか元気出た! マッシュくんありがとう! レインくんの香りがする気がする……!」
「さっき僕使いました」
「あ、そう」
 なんだ、そうなの。君が使ってたの。
 遠慮がちに肩に乗せられた軽い何かを手に取るとウサちゃん柄のハンカチだった。レインくんがいつも持ち歩いてる、傷が治る魔法が掛かったハンカチだ。私もね、お揃いのハンカチをレインくんに作ってもらったから持ってるんだよ。今ポケットに入ってるの。可愛いでしょ、羨ましいでしょ。
 レインくんのことを思うと疲れも吹っ飛ぶ。背後から飛んできた鉄か何かの塊のような鋭いトゲトゲを振り返ることもなく杖を一振りして払い、ふふんと笑った。きっとまだ三本目の痣は消えていないし、レインくんの存在も感じられたし、無敵になった気分。
 一度逸らした杖先をアビスくんの傷に当てながら、「マッシュくん」と背後から覗き込んでいる後輩の名前を呼んだ。
「そっちは君に任せるよ。だからこっちは私に任せて。あのムカつくクソゴミカスボケ野郎をボコボコにして、キスの恨みを晴らしてください」
「キスの恨みとかはよく分かんないですけど、ボコボコにはします」
「よろしく」
 しばらくして再び戦闘音が鳴り響き始めた、侵入者がブチギレているのも聞こえてくる。なになに、「人を床に埋めるな」? ……それはそうだよマッシュくん。「おい、壁にも埋めるな!」……マッシュくん……。

 +

「……はい、一旦治療中断! 残りは病院についてから父上と進めたいから、寝てていいよ」
「……」
「うんうん、無視だね。分かってるからもう傷付きませんよ」
 途中でアビスくんがマッシュくんに加勢したりなんだったりあったものの、私の方は無事にひと仕事を終えた。あの侵入者もなんだかんだで逃げたらしい。へえ。まあマッシュくんがボコボコにしてくれたらしいからいいや。
 先程マッシュくんとシュークリームがどうのと話していた時は普通に喋れていたのに、私が声を掛けた途端にフリーズしてしまったアビスくんを見下ろしながらため息をつく。ずっとこの調子なのかな。今度試合しようねって約束したのにな。
「私、試合の後は感想戦もしたいタイプなんですけど」
「……書面でなら…………」
「まあいいよ、今のところはそれで。とにかく早く傷治してよ」
 ありえないほど聞き取りづらい声でボソボソ呟いて顔を真っ赤にしてしまったアビスくんに呆れながらも少しだけ笑えた。本当に女子苦手なんだ、この人。
 そのままアビスくんを見下ろしながらニヤニヤしていると、開きっぱなしの扉からレインくんと一緒に魔法局の局員さんたちが何人か入ってきた。お、うちの病院の看護師さんもいる。……先輩もいるじゃん!
 若干傷はついているもののピンピンしているレインくんに軽く手を振ってから、局員さんたちに指示を飛ばしたり部屋の隅で固まっていた一年生たちに声を掛けたりしているレインくんの邪魔にならないように顔見知りの看護師さんを呼んだ。
「若先生、無事でよかった! そっちは怪我人?」
「うん、私はほぼ無傷。せっかく来てもらったところ悪いんですけど、搬送手伝ってください。この怪我人、一旦傷は塞いだけど出血が多かったから、病院ついたら父上と相談して今後の方針決めるね」
「了解しました。他の怪我人はどうする? 応援呼ぼうか」
「軽く見た感じ他は医務室に任せてもいい感じの怪我ばっかりだったから私たちがやることはないかな。搬送の準備できたら呼んで。私も一緒に向かいます」
 アビスくんは大人の女性がそばにいるのに耐えられなかったのか看護師さんが近付いてきてすぐに気絶していたため、その場は任せてレインくんと先輩の方へと駆け寄る。二人は局員たちへの指示を出し終えたようで真剣な顔でなにか話をしていたが、私が近付くとすぐに顔を上げてくれた。
「レインくん! 先輩!」
「おー、お疲れ」
「先輩もお疲れー。レインくんもお疲れ様! それにハンカチありがとね。血着いちゃったからもう使えないかもなので、今度お礼になにか見繕います」
「役に立ったならそれでいい。そもそもあれはマッシュ・バーンデッドにお詫びとして渡したものだ、気にするな」
「なんのお詫び……? まあいいや、とにかく今度お礼するから二人でマーチェット通り行こうね」
「お前がデートしたいだけじゃねえのそれ」
「先輩黙って。それから本当に申し訳ないんだけど、交戦した侵入者に逃げられた。その侵入者の件で問題が発生してて、レインくんだけじゃなくて他の神覚者様たちにも話がしたいんだけど」
「分かった。どの道この件でこの後魔法局に向かうつもりだったから一緒に来い」
「ありがと。それで先輩にもお願いがあるんだけどさ、今暇?」
 先輩の方を見てそう聞けば、先輩は「今かよ」と笑ってから「まあ暇だよ」と続けた。
「やることは終わったからな。出来ることならやってやる」
「さすが先輩。ちょっと面倒なんだけど、急いでブローライブ家のお墓掘り返してきてくれない?」
「墓?」
「うん。もちろんレナトス様にご許可をいただくところからお願いします」
「マジで面倒なやつじゃん、それ」
 結構嫌そうな顔をした先輩が頭を掻きながら「レナトスさんまだ局にいたか……? いや、もう収集掛かってっか」とぶつぶつ呟いているのを聞きながら、私も前髪をかき上げた。邪道ではあるが、確認するならこれが一番早い。
 凝っている気がする肩を回しているとレインくんが静かに私の名前を呼んだ。その声に反応してそちらを見れば顔を顰めたレインくんが立っている。
「詳細は後でいいが、概要だけでも話せ。なにがあった?」
「……十二年前に焼け死んだはずの人が目の前に現れて、私を殺そうとした。あの火事から助かったのは一人だけで、他はみんなもう土の下にいるはずなのに。おかしいでしょ?」
「だから墓荒らしか。……分かった。オレからもレナトスさんに話しておく」
「ありがとう。私も後でちゃんと話すよ。これはうちの問題でも」
「おい、妹来てる」
 あるし、と続けようとした言葉が、先輩の鋭い声で遮られた。レインくんも私も咄嗟に口を噤んで先輩が指差した方を向く。まずい。今の話を聞かれてた? 少しでも聞かれたら大変なことになる。
 そう思ってかなり焦っていたのだが、それは問題ないようだった。まだ少し遠くにいた妹はちょうどこちらに駆け寄ってくるところで、それなりに小声で話していた今の話を聞き取れていたとは思えない。あの子はまだそういう諜報系の魔法は使えないはず。
 駆け寄ってきた妹に私も数歩歩み寄って、腕を広げる。いつもなら抱き着いてくると思ったからだ。
 ──しかし、妹は私の数歩前で急に失速して立ち止まった。広げた腕を静かに下げて、私の方から残りの距離を詰める。
「お疲れ様です、姉上。相変わらずお見事な手腕でした。それにご無事で何よりです」
「ありがと。あなたも無事でよかった。痛いところや辛いところはない?」
「はい、大丈夫です。私は特に何もしていませんから」
「そう……後からでも痛くなってきたり違和感があったりしたらすぐに言ってね。それから、もうこんな危ないことに首を突っ込まないこと。これは入学したての一年生が関わるようなことじゃないよ」
「レモンが消灯時間を過ぎても帰ってこなかったんです。だから迷子にでもなったのかと思って外に出て……短慮でしたね。すみませんでした」
「それは短慮じゃなくて優しいって言うの。でも、優しいのはいいことだけど、次からは自分だけで解決しようとせずに先輩や先生を頼るようにしなさい」
「はい」
 素直に頷いた妹にはさして怪我もなく、その表情はいつも通りだ。でも、だからこそ拭いきれない違和感がある。
 もう一歩距離を詰めて、その顔を覗き込む。そうするとまたいつも通りの微笑みが返ってきた。……これはなにかあったな。
 何を言おうか迷いつつも口を開いて名前を呼ぶ。妹は微笑みながら頷いて「はい」と答え、そして「姉上」と続けた。
「姉上は、私を愛していますか」
「もちろん愛してるよ。突然どうしたの?」
「いえ。知りたかっただけです。……姉上、私、神覚者を目指します」
「……え?」
「止めないでください。私は神覚者にならなければならない」
「いやいや、突然何言ってるの」
「姉上、止めないで」
「待って。止めたいわけじゃないよ。もちろん姉上だって応援したい。でもそれは……ねえ、何かあった? 誰かに何か言われたの? ……もしかして、レイピアを持った女に会ったの?」
「何もありませんでしたし、誰にも何も言われていません。それにそんな女にも会っていませんよ。おやすみなさい、姉上。明日も早いですから、私はもう部屋に戻って寝ます」
「待ってってば!」
 にっこりと笑って踵を返した妹の背に伸ばしたては届かなかった。先輩とレインくんに左右から押し留められたからだ。真剣な眼差しで私を見つめるレインくんと静かに首を横に振る先輩とを何度か見つめてから、手を下ろす。そうしている間にも妹は部屋を出て行ってしまった。……私だって頭では分かってるよ。
 ぼんやりと扉の辺りを見ているとちょうどよく看護師さんに名前を呼ばれたので、わざとらしく駆け足でそちらに向かった。今はレインくんにも先輩にももう何も言いたくないし話したくもない。どうせ数十分後か一時間後かに魔法局でまた顔を合わせるだろう。改めて話をするのはその時でいい。
 ──約一時間後、魔法局で行われた緊急の会議で、十二年前のあの日焼け死んだはずのブローライブ家の御息女の遺骨が墓の中から消えていた、と報告が上がることになる。

ふたつおりのひとひら