26
ベッドに寝転がってクッキーを食べていると、ドアが開いた。もしやと思って飛び上がって居住まいを正したものの、入ってきたのは先輩だった。
「なんだ、先輩か……」
「なんだとはなんだ。昼飯どうすんのって聞きに来てやったんだけど」
「えー、今日夜勤だからなー……病院で食べよっかな。先輩は?」
「あたしはそんなに腹減ってないからお前に合わせるよ」
「じゃあ出勤前に食べよ」
扉を閉めて部屋に入ってきた先輩は私と会話をしながら窓際に置かれた椅子に座り、そのまま窓枠に頼りなく置かれていた酒瓶を手に取った。窓を軽く開けて外を眺める横顔にはどこか慣れたものがある。すっかり我が家に馴染んでるなあ。
ま、私も私で先輩がいる生活に馴染んだからこうして先輩のベッドの上でクッキー食べてるんだけどね。
先輩はこの夏休みの間、我が家に滞在することになった。先日の先輩のご実家での事件を受けてライオ様から「彼女の身の安全を確保するためにもそちらの家に置いてあげてくれないか」と頼まれたのだ。私はもちろん一も二もなく了承し、妹は「姉上がよろしければそれで」といつもの姿勢を貫き、父上はというと「人手が増える……ッ!」と感涙していた。いやー、今年の夏も忙しくてもうね、人手がね、全然足りてなくてね。
先輩も先輩で最初は渋っていたものの、父上がかなりの熱意で「給料は出すから仕事を手伝ってくれ!」と頼み込んだため、流されてしまったようだ。あの時の父上は土下座しかねない勢いだった。父上の名誉のために一応言い訳するとそれだけ忙しいんだよ。
ともかく、確かに我が家は妹の件もあって元々セキュリティが魔法局長のお宅ぐらいには厳しい上にライオ様やレインくんを筆頭に神覚者様の出入りもそれなりにあるので、命を狙われかねない人を保護するには最適な環境が揃っている。それに、父上も私も病院の方の人手が増えるし、先輩は保護は保護でもこれまでにも何度か遊びに来たことがある友達の家なので結構気ままに過ごせるしでウィンウィンじゃないだろうか。
あと先輩は魔法を使おうが使わまいが家事が上手いので、この夏は暮らしがすごく快適。先輩が帰っちゃったあとが怖いぐらいだ。
客間の一室を先輩の部屋としているのだが、最初はらしくもなく遠慮していたのかあまり荷物がなかったこの部屋も、今では至る所に中身のあるなし問わずに酒瓶が転がっている。先輩も一週間も家に滞在してるからね。嫌でも慣れるのだろう。
にしても寮室もこんな感じだから謎の懐かしさも覚えるよねー。ごろりと寝返りを打って先輩の方を見ると、酒瓶に直に口をつけながらこちらを見た先輩はニヤリと笑った。
「さっき、誰が部屋に入ってくると思ってたんだ?」
「そりゃ……ねえなんでニヤニヤしてるの」
「してねえよ。ふふ……照れなくていいんだぜ。『姉上』だって妹がいない時ぐらいは好きな男を家に連れ込みたいよなあ」
「ニヤニヤしてるじゃん! っていうかその言い方やめて! 私があの子が留守のときを狙ってレインくんを連れ込んでいるみたいな言い方……!」
確かにあの子が魔法局インターンで留守にしているこの一週間、レインくんを家に呼んでないとは言わないけども! お泊まりもしたけど……!
そもそもその時は先輩は魔法局に呼び出しを受けていていなかったはず。父上も夜勤で病院に詰めていたはずなのに、なんで知ってるんだ。
飛び起きてベッドをばしんと叩いたものの、先輩はニヤニヤ笑って「引っ掛かったな」と言った。うわ! 引っ掛けだったの⁉︎
「やっぱり呼んでるんだ。へえ。あたしも親父上さんもいない時に……へえ?」
「なっ、そっ……そ、それ先輩に関係ある⁉︎」
「いや、別に? 神覚者の皆さんがこの家に出入りすることは何もおかしいことじゃねえからな。ただ泊まっていくことまで含めて普通のことなのかは……あたしには分からねえかもなあ?」
「この話終わり! はい、終わり! クッキーあげるから黙って!」
「あはは! 分かりやすすぎんだよお前!」
腹を抱えて笑い始めた先輩はなんとも愉快そうだ。対する私は、鏡なんて見なくても顔が真っ赤になっていることが分かる。何がそんなに面白いんですかねえ⁉︎
+
延々とカルテと向き合っていると目と頭がじんわりと痛くなってきた。一度休憩することにしてカルテを机の上に投げ出し、椅子の背もたれに背中を預けてグッと伸びをする。何となく周りを見回してみたが、いつの間にか休憩室はがらんとしており私以外には誰もいなかった。そんなに時間経って……るね。二時間も経ってるよ。
誰も呼びに来なかったということは私が出る必要のある患者はいなかったということでもあるが、それはそれとしてさすがにここまでの時間経過に気付かないのは重症だ。既に日付も変わりかけの時計をひと睨みしてから、もう一度伸びをして立ち上がった。下の購買で何か目が覚めるようなものを買ってくるべきだろう。別に眠いわけではないけど……。
そう思って扉に向かって歩いていると、パタパタという足音の後に向こうから勝手に扉が開いた。そのまま慌ただしく顔見知りの看護師さんが中を覗き込んでくる。思わず「えっ」と声を上げた私を気にもせずに、目が合うなり看護師さんはほっとしたような顔になった。
「若先生いた……!」
「え、何、急患? でも呼び出しなかったよね、いやごめん私ボーッとしてて」
「あ、そういうんじゃないの! そっちじゃないトラブルで……ねえ、このぬいぐるみなにか分かる? 動くし、神覚者の方にそっくりなんだけど……」
「動くぬいぐるみぃ? なにそれ、誰かの忘れっ⁉︎」
開き掛けの扉を肩で支えながら両の手のひらを差し出してきた看護師さんの手元を覗き込む。その瞬間に額に鋭い痛みが走って私はひっくり返った。看護師さんが目を見開いているのと一緒に、手のひらよりも少し大きいほどの大きさしかない、なのに見慣れた格好のぬいぐるみが空中で飛び蹴りの姿勢を取っているのが見えた。サラサラの黒髪、たなびくローブ、二本の痣に何よりそのメガネ……!
「お、オーター様あ⁉︎」
「やっぱりそうだよね⁉︎ っていうか若先生大丈夫? おでこに思いっきり蹴りが入ってたけど……」
「だ、大丈夫ではない。めちゃくちゃ痛い。でも今の蹴りは絶対オーター様……それにこの魔力も……うん? この魔力どこかで……あ、ネクタイ……え⁉︎」
地面にひっくり返りながらも、ここに来て発覚した衝撃の事実に声を上げて驚いていると、再び仮称オーター様に蹴られてしまった。いやいやいや、え? この魔力って先輩の持ってたネクタイに込められてた魔力と一緒だよね? あれはオーター様の……そんなことある? 先輩後輩だったとは聞いてたけど、餞別にネクタイを渡すような深い仲だったの?
何度もガシガシと蹴られてはいるが、衝撃が大きすぎて起き上がれない。私はあのネクタイを見た時、直感的に「相手は先輩の彼氏だ」と思ったのに……か、彼氏⁉︎ オーター様が⁉︎ 先輩の⁉︎
そういえば先輩はオーター様をメガネに絡めた変なあだ名をつけたりしていたし、オーター様はオーター様で先輩のことを知りたがりながらも私が先輩に関して話すとあれこれ文句を言っていた。今思い返すとお互いに対するただならぬ思いは前から滲み出ていたのでは……!
ドキドキしながら起き上がり、小さなぬいぐるみの姿だというのにどこか偉そうに立っているオーター様を見下ろす。
「あの、オーター様ですよね……?」
ぬいぐるみは頷いた。
「喋れない?」
ぬいぐるみはまた頷く。
「魔法はどうですか……使えない? そっか。でも魔力は流れてますから、永久に使えないわけではないでしょう。元の体に戻れれば使えるように……っていうか、何があったんですか?」
喋れなくても文字は書けないかな……とスクラブのポケットから取り出したペンとメモを渡すと、オーター様は短い手足と綿で出来た体を使って懸命にペンをメモ帳に走らせ始めた。それをしばらく見つめてから、扉のそばで困ったように立ち尽くしていた看護師さんに指示を出す。
「ひとまず父上にこの件伝えてきてもらっていい? それから病院の防衛障壁レベルを早急にあげること。その辺りの指示は先輩に仰いで」
「分かった。魔法局への通報はどうする?」
「それはオーター様の話を聞いて私と父上で判断する」
「……テロの可能性、あるよねえ」
「あるねえ。患者さんには悟られないようによろしく」
「了解しました」
力強く頷いて小走りで去っていった看護師さんの背中を見送って振り返ると、オーター様はまだメモに文字を書いている最中だった。
ペンを全身で抱きかかえるようにして頑張って書いてるけど、字がよれよれで可愛い……。そう思ったのがバレたのかぎろりと睨まれたので慌てて真面目な顔を取り繕い、そばに歩み寄ってしゃがみこむ。えー、なになに。
「まほうきょく、はんらん? にんぎょう、まほう……ヤバいやつじゃないですかあ」
反乱……反乱かあ。オーター様ははてなマークを付けられたけれど、反乱ね……テロよりかはマシだけど……。
項垂れたくなる気持ちを抑えこみ、メモ帳を捲って次のページを出してあげながら「どうしてウチにいらしたんです? オーター様が被害に遭われたのは魔法局なのですよね」と尋ねれば、「なげられた」とオーター様は文字を書いた。投げられた!
まあ、魔法を使って投げられたのだとすれば、こんな見るからに軽そうな綿だけの体になってしまったオーター様ならよく飛んだことだろう。うちの病院まで飛んできてしまうのも頷けることではある。それにしても犯人は度胸があるな。
顎に手を当てて「うーむ」と唸りながらまた口を開く。
「魔法局の被害状況はいかがですか。予測で構いません。ほら、私はこの通り特殊な目をしていますから魔力を見てオーター様だと判断できましたけど、他の方はそうもいかないでしょう。他の方に被害が出ていたら、本当のぬいぐるみだと……え? レイン? レインってレインくん?」
私が長々と話している間にもメモ帳に次の単語を書いて見せたオーター様は、壊れたラジオのように「レインくん?」と繰り返す私に頷いてみせた。対する私はというと、頷いてもらったあとも何度も「レインくん?」と繰り返しながら、とうとう立ち上がって部屋中をぐるぐる歩き回り出す。
魔法局の被害状況を聞いて、オーター様は「レイン」とお答えになられた。しかもその「レイン」とはレインくんのことだという。それはつまり、レインくんもオーター様同様にぬいぐるみにされてしまったということだろうか。
「……ヤバいじゃないですか!」
だからそう言っているだろとばかりに心做しか呆れたような空気をまとったオーター様は、ペンを重そうに持ち上げるとクイッと窓の外を示した。え? なに?
「外? 私? え、違うの。……オーター様? オーター様を外に……魔法局に連れていけと?」
その体のオーター様を……?
思わず足を止め、オーター様と見つめ合う。ぬいぐるみだからかその表情はむすりとした仏頂面から動きはしないが、真剣な眼差しをしているように感じられた。……いやでも、ぬいぐるみにされている上に魔法が使えないオーター様を、現在進行形で反乱が起きている魔法局に……?