40

 ふあ、と欠伸をしながらドアノブを捻る。名残惜しそうにウサちゃんたちが足にまとわりついてきたが、私は一度部屋に戻らなければならないのだ。ウサちゃんルームに置いている化粧品のうち、下地を切らしていたのをつい忘れてしまっていた。
 すぐに帰ってくるからねーとウサちゃんたちに言い聞かせながら、ドアを開けた。ウサちゃんルームはレインくんとマックスくんとウサちゃんたちのお部屋だが、昨晩から今朝にかけてはウサちゃんたちと私だけの小さな城である。レインくんは魔法局に泊まり込みで、マックスくんも就職活動を兼ねたインターン。だから私がウサちゃんたちの世話を任されたってわけね。
 そんな私も今日の午後からはお屋敷再建プロジェクトの諸々で学外に出なければいけないが、その頃にはマックスくんが戻ってこられる予定なのでそこに関しては問題ない。もしマックスくんの帰還が遅くなったとしても、その時はその時で先輩にお願いすればいいだけのことである。
 先輩、まだ寝てるかな。今日もレインくんには会えないから気合い入れる必要ないし適当に魔法でメイクしてくれないかなー。そう思いながらドアから出ると、背中を向けた廊下の奥から「えっ」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。その途端にぴしゃんと背筋が伸び、ドッと心臓が鳴る。一瞬でまだ若干眠気に支配されていた頭が冴え渡り、冷や水を浴びせられたような気持ちになった。
 ──やばい、やらかした。見られてしまった。それも多分、見られたらヤバい子に。
 あああ、そうだ、今日は平日でここは学校で、多少早いとは言え、早起きの子ならもう動きだしていてもおかしくはない時間なんだ。私ったらどうしてそんな基本的なことを忘れていたんだろうか。馬鹿の凡ミスだ。間抜けすぎる。
 後ろ手にドアをゆっくり閉めながら、ぎぎぎと音がしそうなぐらい緩慢な動作で振り返る。廊下の奥には、露骨に「ヤバい場面を見てしまった」という顔をしているフィンくんとマッシュくんが立っていた。う、うわあ。よりにもよって……よりにもよってこの子たちに見られてしまうなんて!
 何かを言おうと口を開いた二人を、パッと手を広げることで言葉なく黙らせる。そのまま親指をクイッと下に向けた。ここで話すと声に気付いた誰かが部屋から出てきて余計な騒動に繋がる可能性がある。話すなら下で……。
「地獄に堕ちろと……?」
「いや違うから。そういう意味のハンドサインじゃないから。下ね、下。談話室行こうってこと」
 ガタガタ震えだしたマッシュくんとフィンくんに慌てて駆け寄って言い聞かせ、その背を押した。とにかく下に行こう。話はそれからだ。
 というか私、この子たちになんだと思われてるんだ。レインくんの部屋から出てきたのを見られたらだけで「地獄に堕ちろ」なんて言うわけないでしょ。
 私はね、心優しい先輩ですよ。血気盛んなアドラの中でも随一と言っていいほど穏やかな性格をしていると自負してもいます。それをこの子たちったら、もう。

 +

「つまり、私はレインくんとマックスくんの許可を得てウサちゃんルームに泊まってるの。分かった?」
「はい」
「分かりました」
「なら良し」
 うんうんと頷いて、談話室にこっそり隠していたクッキー缶をぐいっと二人に差し出した。口止め料代わりのクッキーだ。これをあげるから、今日見たことは誰にも言っちゃダメだよ。黙っていなさいね。
 あのフロアを利用しているのは三年生男子だけだからあのフロアの住人になら別に見られたっていいと言えば良いんだけど、下級生に話が広まると少し面倒なのだ。
 同級生たちは私とレインくんの仲睦まじさを、それこそこの三年間でよく知っているから「ああまたあの二人か」で済ませてくれる。でも下級生たちからすれば物珍しくて、「監督生の部屋から女子が出てきた! 不純異性交友だ!」と面白おかしく噂のネタにされてしまうかもしれない。それは色々と困るだろう。私たちにも立場というものがある。
 幸いにもそういう噂話をしなさそうな後輩二人は、クッキーを食べながら「なんか……知らない味がする……」「シッ、多分こういう味なんだよ」とコソコソ話している。そんな二人を対面のソファーに座って見つめながら、「大陸の北の方で売ってるクッキー缶だから、微妙にこっちとは味の好みが違うみたいなんだ。『甘い』にも種類があるんだって」と言えば、マッシュくんは興味深そうにクッキーを見つめていた。シュークリーム好きが高じて自分でもシュークリームを作るほどだから、そういうことも気になるのかもしれない。
 マッシュくんとは違ってそこまでクッキーの味には興味がないらしいフィンくんは、ちらっと私を見つめてから目が合うなりサッと視線を逸らしてもぐもぐと口いっぱいにクッキーを頬張った。うん?
 何か私の顔に変なところでも……と聞こうとして、「あっ」と声が出る。そう言えば、すっぴんだ。
 いやー、恥ずかしいところを見られてしまった。後輩の男の子、それも好きな人の弟に。マッシュくんは妹が「コイツは弟です」と言っているから私にとっても一応弟判定で、身内ならすっぴんを見られてもセーフ。でもフィンくんはまだちょっと恥ずかしいかな。
 そんな恥ずかしさを誤魔化すようにごほんと咳払いをして、「それで」と声を上げる。
「どうしてあそこのフロアにいたの? 二人の寮室はもう少し下だったよね。あのフロアの誰かに用事?」
 何かあるなら私が口利きしてあげることも吝かではない。何せみんな知り合いで、みんな友だちみたいなものだからね。この前もアドラの三年生全員で集まって魔法禁止ジェンガでトーナメント戦をやった。もちろん私は初回で負けたが、今年はマックスくんが良いところまで行ったんだよねえ。その分レインくんはちょっとしたミスが重なって結構早めに敗退しちゃったんだけど……。
 今年もタイミングさえ合えば一年生や二年生も一緒にトーナメント戦やりたいな。特に今年の一年生は見どころのある子が多いから、楽しい試合になりそう。
 そんな感じでうちの寮の三年生たちは他寮に比べると結束感も強いし、仲良しだ。二人があのフロアの三年生男子になにか用事があるなら、それが誰だったとしても私が繋ぎ役になってあげられると思う。まあ、レインくんは忙しいから無理かもだけど!
 二人は顔を見合わせると、「実は……」と口を開いた。
「校舎で肝試しをしてたらマッシュくんが落し物をしちゃったんです。僕たちでも探したんですけど見つからなくて、三年生の先輩なら落し物を探す魔法とか知ってたりしないかなって思って……」
「……き、肝試し……?」
「はい。夜中に勝手に寮を抜け出してすみませんでした! あ、落としたのはシュークリームの人形で、名前はシュー子ちゃんって言って」
「……なんで肝試ししたの……?」
「えっと、先輩は聞いたことありませんか? 夜中の一時半に校舎の三階廊下を西回りに三周して、最後に西階段横の鏡を覗き込むと自分の未来の姿が見えるって噂。一年生の間で流行ってて、結構みんな試してるんです」
「初耳だよそんな噂……」
 その噂がどうして肝試しに繋がっちゃうんだよ……と頭を抱えてボヤいていると、マッシュくんとフィンくんはそんな私を見て何を思ったのか「やっぱり僕たちだけで探さないとダメかも」とコソコソと相談を始めた。待て待て。
「起きちゃったことは仕方ないけど、寮の門限後の外出はなるべく控えなきゃダメだよ。夜中に動くなら動くで監督する人が必要だし……うん。そのきもだ……じゃなくて探し物、私が付き合うよ」
 可愛い後輩が困っているなら助けに入らないわけにはいかない。肝試し……じゃなくて、捜し物だし! おばけとかいるわけないし!
 気合を入れるようにして拳を作ってグッと構えると、フィンくんは「ええ……」と何か言いたげに私を見てきたものの、マッシュくんは「よろしくお願いします」と言ってくれた。うんうん、素直で可愛い後輩だ。ここは大舟に乗ったつもりで先輩に任せなさい、ってね!

ふたつおりのひとひら