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人だかりを抜けて帰ってきた先輩は、まさにほくほくの笑顔を浮かべていた。片手に酒瓶を持って、もう片手には札束を握った姿は山賊さながら。とても名家の子女のそれとは思えなかったが、それでこそ先輩と思ってしまうのが不思議。ずっと一緒にいるからかな。
壁に寄りかかって話す私たちを見て「マックスもいんじゃん」と意外そうな顔をした先輩は、「お前のパートナーの女子、さっきそこで別の男と踊ってたから何かと思ったんだけど、そういうことかよ」とマックスくんに追い討ちをかけ、私に札束を差し出した。思わず受け取ってしまった分厚いそれを見下ろす。この人、かなり引っ張ってきたな……。大人げない人。
「なにこれ、くれるの?」
「あん? あー、まあ何枚かは手間賃でやるよ。その代わりお前の袋にそれ入れといて」
「もー、これお財布じゃないんですけど? 妹がくれた大事なものなんですけど?」
「悪い悪い、頼むよ。次の休暇に新しいオーブン買ってやるから。欲しいっつってたろ?」
「……仕方ないなー。でっかいオーブンだからね?」
「ああ、分かってる」
本当に分かっているのか、先輩は私に向かって軽く手を振ると、早速酒瓶を開けて直接口を付けた。そのままごくごく飲んでいく。うわあ。
それを見ながら私はマックスくんと視線をかわし、頷きあった。
「ボクたちはこうならないようにしよう」
「うん。お酒は飲み過ぎないようにしようね」
「なんでだよ? お前らが成人したら一緒に飲んで潰してやるのがあたしの夢だぞ」
「飲むのはともかく潰すのは勘弁してくれ」
「先輩、その夢捨てていいよ」
「はあ? ったく、揃いも揃ってひでー後輩だぜ。希望はレインだけだな」
やれやれとばかりに肩を竦めて首を振り、先輩は再び酒瓶に口を付ける。この人、レインくんまで潰すつもりだ。レインくんが押しに弱いからって酷いことをする。
マックスくんも苦笑してはいるが、止める気はないらしい。「レインはお酒弱そうだよね」と話を広げだした。マックスくんってこういうところある。
「分かるー、レインくんはお酒弱そう!」
そして私もそういうところがあるんですね。
「まあ言いてえことは分かるわ。アイツが酒で失敗しねーようにちゃんと見ててやれよ。酔って変な女に持ち帰られてそのまま……とか、嫌だろ?」
「めちゃくちゃ嫌。え? 本当に嫌なんですけど。魔法局でお姉さんたちにそんな風に絡まれたりしてないかな……嫌だな……心配だな……」
「あはは」
「何笑ってんの?」
「いや、焦ってんのがなんか面白くて」
「見せもんじゃねえぞ!」
怒る私を見てケラケラ笑う先輩は既にほんのり酔っているようで、頬を僅かに赤くして「そんな心配すんなよ」と口角を上げた。
「そこはあのメガネがきっちりかっちり目を光らせてるだろうさ。アレもまあ、酒で失敗したことがある男だからな」
「オーター様が?」
「想像つかないな」
「そりゃ失敗は一度っきりだからな。あの場にいた人間しか知らねえことだよ。ちなみにその『あの場にいた人間』っつーのは私とカルドさん。あーあ、お前らにも見せてやりたかった……あの可愛い寝顔……」
笑いながらそういう先輩は、自分も酔っ払って寝落ちしてる時に「寝顔は可愛いけどやってることはダメ。ダメというか最悪」と私たちに言われていることは知らないらしい。言ったら怒られるだろうから言わないけど、先輩だって寝顔も可愛いし、オーター様の寝顔が可愛いというのはちょっと審議したい。確実に先輩の贔屓目が入ってると思う。
審議のためにももっと人手か有識者が欲しいなと思って辺りを見回すと、一人で歩いているワースくんと目が合った。おっ、良いところに。弟なら寝顔の一つや二つ見たことあるでしょ。
教職員問わず学校中のほとんどの人が集合しているため大変賑やかなホールで、ちゃんとワースくんに届くように大きな声で名前を呼ぶ。すぐにこちらを見たワースくんは私と目が合うなり嫌そうな顔をして、そのまま足早に歩き去っていってしまった。ええー? 無視? 無視ですか?
「ワースくんが嫌がることは何にもしてないんだけどなー。それこそ弟っていう生き物の生態を学ぶためにちょっと話聞いたぐらいで……」
「それだね」
「それかー」
それだけであんな風に嫌われちゃうのか。ちゃんとお礼にクッキーも渡したし、アベルくんを通してアポイントをとった上で話を聞きに行ったのにな。何が足りなかったんだろう。……もしかして、クッキーの量?
なんてことを考えていると、ホールの中心の方が再び騒がしくなった。先輩の「うるせえガキ共め」というぼやきを聞かないふりでスルーして、マックスくんと揃って騒ぎの起きた方を見てみる。何かあったんだろうか。こんなに人がたくさんいるから、治安の悪いうちの学校で一番に考えられるのは喧嘩とか?
喧嘩なら混ざ……れない。今日はせっかく可愛い格好をしてるんだから、可愛いままでいたいのだ。これが別の日だったら仲裁に入ったかもしれないけど、今日は無理。
それにしてもレインくん、大丈夫かなあ。ドレスを摘んで揺らしながら、なかなか現れない大好きな人のことを思う。レインくんが選んでくれたドレス、実際に着てるところはまだ一度も見せてないから、早く見てほしいな。
でも、ここに来るために無理はして欲しくない。来てね、待ってるよと言ったのは私だけど、それは別に無茶をして無理矢理仕事を片付けてでも来て欲しいというわけじゃないの。ただ、私がレインくんに会いたいだけ。そしてレインくんも少しは私に会いたいと思ってくれていたら嬉し……。
「……なに、その顔」
「別にィ?」
「普通の顔だよ」
「嘘だ! 二人ともニヤニヤしてる!」
「だって、なァ?」
「うん」
「なに⁉︎」
顔を見合わせてはニヤニヤしている先輩とマックスくんが不気味で叫ぶと、直後にホールの中心の方から「ええっ!」とフィンくんの叫び声が聞こえてきた。思わず三人揃ってそちらを見たのだが、なんと視線の先の不自然に開けた人だかりの中央で、妹が跪いてレモンちゃんに手を差し出していた。レモンちゃんは混乱しているようだが、二人のそばにいるフィンくんは乙女の顔をしている。……何をしているんだあの子たちは。
レモンちゃんはやはり困ったような顔で妹になにか言っていたが、ホール全体がザワザワと騒がしいし、そもそも距離が遠くて聞こえない。しかし次の瞬間には、まるで何かの魔法が使われたのかと疑いたくなるぐらいに一瞬でホールが静まり返った。妹は真っ直ぐにレモンちゃんを見上げたまま口を開く。
「私はお前が真に踊りたいと思っている相手になることは出来ないが、そんな私にもお前の寂しさをひと時でも拭ってやることは出来る。私と踊ってくれるか」
……う、うわあ! なに今の!
ちょっと、あの……かなりキュンとした。みんな見て。今の聞いてた? やばかったよね? 私の妹がこんなにかっこいいなんて……もっと好きになっちゃう!
隣に立つマックスくんの背中をバシバシ叩いて興奮を抑える。この静かな空間で私がきゃあきゃあ騒ぐわけにはいかないという理性がかろうじて働いた。
っていうか、レモンちゃんとマッシュくんをベストカップルにしたいんじゃなかったの? これじゃ妹とレモンちゃんがベストカップルになるよ。間違いなくベストカップル賞をとれる。だってそこで審査員を兼ねてる生徒たちがガタガタ震えて、分かりやすいぐらいに大興奮してるもん。
外野が必死で興奮を抑えて気配を消す中、レモンちゃんは僅かに頬を赤くして小さく「……はい」と答えると、妹の手に自分の手を乗せた。ほんの一秒ほどの間を置いて、彼女たちを囲う人だかりがわっと湧く。もうみんな大興奮だ。ちなみに私もです。
再び騒がしくなったホールの端で、痛がるマックスくんを無視してその背をバシバシ叩き続ける。他の生徒たちも、妹たちの空気にあてられたのか皆それぞれパートナーと踊り始めているようだった。
「ねえ、今の、見た⁉︎ なんか小説の中の出来事みたいだった! 超素敵! 羨ましい! 私もあんな風に」
レインくんに、と続けようとした言葉が、後ろから手首を掴まれて止まった。驚くほど熱くて、でもよく知った大きさと硬さのその掌にびっくりして振り返る。やっぱり、よく知った大好きな人が息を切らしてそこに立っていた。
マックスくんが「肩なくなってない?」と先輩に声を掛けているのが聞こえたが、私の視線はもう、振り返った先にいた男の子に釘付けだった。文字通り、仕事を片付けてそのまま駆け付けてくれたのだと分かる制服の上にローブを羽織っただけの姿。その上、今日の仕事は戦闘も込みだったのか制服もローブも汚れていて、頬には小さな切り傷がある。それらは着飾っている人しかいないようなこの場には少し場違いで、どうしたって悪目立ちするものだ。
だというのに、どうしてだか目が合っただけで鼻の奥がツンとしてじわりと視界が滲み出す。
「れいんくん……」
「悪い、待たせた。もっと早く切り上げられる予定だったんだが……おい、どうして泣くんだ」
「泣いてない……」
「そんなくだらねえ嘘つくな。泣いてるだろ。どうした? 誰かに何かされたか」
「違う、ぜんぜん違うよ」
私、ただ、レインくんに会えて嬉しいだけ。それだけで勝手に涙が出てくるの。変でしょ。でも、こんな風に私を変にしたのはレインくんだよ。レインくんに会う前はここまで泣き虫じゃなかったんだよ。
その気持ちを全部引っ括めて、レインくんに飛び付く。首に手を回してぎゅっと抱き着けば、レインくんは僅かにたじろいで「待て、ドレスが汚れる」と言った。ぐすんぐすんと鼻を鳴らしながら、レインくんに抱き着く腕の力を強める。
「そんなのどうでもいいの。どうでもいいから、レインくんもぎゅってして」
ここがどこだとか、今どんな服を着てるのかとか、誰に見られているとか、そんなのは全部どうでもいい。会いたかった。ただそれだけだ。
そして何より、レインくんが息を切らして着の身着のまま駆け付けて、一番に私に会いに来てくれたことが嬉しい。私がレインくんを大切に思うように、レインくんも私を大切に思ってくれているんだと分かると、泣けてくるほどに嬉しいのだ。
数秒間を置いて、レインくんの腕が背中に回されたかと思えば、そのまま力強く引き寄せるようにして抱き締められた。苦しいぐらいの抱擁にまた涙が出てくる。どうしよう。レインくんのことが大好きすぎて、私はもうダメになってしまいそう。
「レインくん、好き。大好き」
「……よく大声でそんなことが言えるな」
「じゃあレインくんは小声でいいよ」
そう言って軽く体を離してレインくんを真っ直ぐに見つめると、レインくんは私を見つめ返してため息をついてから、小さく「愛してる」と言ってくれた。きゃあ! 聞きました⁉︎ 愛してるですって!
嬉しくなってきて涙も止まった。上機嫌なままレインくんの両頬を手で包むと、軽く音を立ててその頬に口付ける。うーん、土埃の味!
そうして再びレインくんに抱き着く。うふふ。愛してるだって。レインくんったら、本当に私のことが大好きなんだから。
「いっぱい話したいことがあるの。全部聞いてね。あと、ドレスも似合ってるね可愛いよって言ってくれないとダメだからね。それからそれから、一緒に踊ってってレインくんから言って? さっき素敵なものを見たから、私も言われてみたくなっちゃった」
「分かったから少し待て。オレは着替えてくる」
「なら私も行く! ……その顔、『何故?』の顔でしょ。もう、レインくんの分からず屋。あのね、好きな人とはなるべく一緒にいたいんです」
「そういうものか」
「そういうものなの。ね、一緒に行こ。手も繋ごうね」
少し名残惜しかったけどレインの首に回していた腕を解き、代わりにレインくんの腕に抱き着くようにして腕を組み、指と指を絡めて手も繋いだ。繋いだ手を軽く振り、「えへへ」と笑いながらレインくんを見上げる。レインくんは私を見下ろして少しだけ眉尻と目尻を下げると、柔い力で手を握り返してくれた。
そうして私たちは「あーはいはい、あたしらは気にすんな」「そうそう。ボクらは二人で踊ってるよ」「あたしらもタンゴ踊ろうぜ、タンゴ」「最初から難易度高いな……」と話している二人に見送られてダンスホールを後にしたのだった。ちなみにレインくんに「私もレインくんとタンゴ踊りたいな」と言ってみたんだけど、「まずは練習する時間が欲しい」と言われてしまった。えー? レインくんってば真面目。もちろんそんなところも好きだよ。