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やはりというべきかなんというべきか、執務室にオーター様はいらっしゃらなかった。本を全て机の上に置いてグッと伸びをしてから踵を返し、無人の執務室を出た瞬間に懐から取り出した杖を一振り。箒に飛び乗ってゆらゆらと道なりに進んでいく。オーター様とマッシュくんは恐らくこの道の先にいる。
正直な話、あまり気が進まない。だってオーター様ってば怒ると怖いんだもの!
それにオーター様があそこまで厳格なお方になられたのには何やらご事情がおありのようだし、なんというか、真正面からオーター様の考え方を否定するようなことはしたくないのだ。分かりにくいがお優しいお方だ。いつも私のことを気にかけてくださっている。不器用なところがすこし目立つだけ。
はあとひとつため息をつき、曲がり角を曲がるべく重心を僅かに傾ける。その瞬間、向こう側から覚えのある魔力を感じた。これはレナトス様では。
少しだけ箒を加速させてクイッと曲がり角を曲がると、確かにレナトス様がこちらに歩いてくるのが見えた。その隣にはマッシュくんもいる。多少怪我はしているようだが、良かった、無事だ。
今度は安堵のため息をついて二人の元へと箒で飛ぶ。「よう」と手をあげたレナトス様に頭を下げ、マッシュくんを箒の上から見下ろす。
「ほんと、君は怪我ばっかりするんだから」
「なんかすみません……」
「別にいいよ。ただし、あとで病院に来ること。父上には私から連絡しておきます。……っていうか、制服はどこにやったの? あとランスくんとドットくんが探してたよ。下の階で待たせてる。早く行ってあげなさい」
しょぼんと背中を丸めたマッシュくんの頭をわしわし搔き撫でながら、ちらりとレナトス様へと視線を送る。その視線だけで意味を察したのか、レナトス様は「オーターも思うところがあるんだろうよ」と腕を組んで遠くを見た。
「そうなんでしょうね。私から言うことは何もありません。マッシュくんの口頭試問の結果は?」
「合格だ。ヴァルキスのドミナ・ブローライブの件も話しておいた」
「ふーん……」
それを話すってことはマッシュくんはドミナの抑止力になることを期待されているわけで、つまり神覚者様方のほとんどは、少なくともマッシュくんの実力だけは受け入れつつあるということだ。カルド様が受け入れたのが大きかったんだろう。あの方はアレで歴が長い。度の過ぎた甘党なだけでは神覚者は務まらないのだ。
つい午前中にも顔を合わせ、私と痴女の昼食にと蜂蜜をこれでもかと掛けたサンドイッチを勧めてくれたカルド様。百パーセント善意だから断れないんだよ。おかげさまで、カルド様と一緒にいる時間が積み重ねれば積み重なるほど、私と痴女の味覚は狂っていっている。
ともかく、魔法局の蜂蜜モンスターことカルド様はマッシュくんを実質的に認めた。そして現在の神覚者における最高実力者のライオ様はもちろん、あの伝説のウォールバーグ様も認めているとなれば、他の神覚者様たちだって柔軟な考えをなさったのだろう。
ただし、どうしても譲れないご事情と信念がおありのオーター様は除く。
先輩に聞けばその辺りも何か分かるかもしれないが、先輩はきっと教えてくれないだろうし、私もそこまでして知ろうとは思えない。だってマッシュくんが実力でオーター様をねじ伏せて、認めさせれば良いだけだもの。「イノセント・ゼロをぶん殴る」と言ったのだから、それぐらいはしなくちゃね。
そんなことを考えてなんとなく顔を緩ませていると、マッシュくんがふと口を開いた。
「そう言えば、その、えー……ドリア・カレーライスは」
「ドミナ・ブローライブね。お腹空いてるの?」
「あっそうそうそれ。そのドミナって人が、先輩が前に言ってた『弟』ですか?」
「そうだよ」
レナトス様がこちらを見たのが分かったが、敢えて気付かないふりをしながらマッシュくんに向かって頷く。ドミナは私の弟だ。誰がなんて言おうと、私はあの子の姉である。
「そうなんですか……」
「どうかした?」
「いや、先輩の弟をぶん殴るのかあ、と……」
「えー、そんなこと気にしないでいいんだよ! っていうか、いいじゃん兄弟喧嘩! 殴り合って絆を深めるのはありがちだけど、私は良いと思うなー」
私は妹とは殴り合いの喧嘩なんてしたことないし、レインくんとフィンくんもそういう喧嘩はしなさそう。オーター様とワースくんは……その二人が殴り合いの喧嘩してるところ想像したらなんか笑える。
面白くなってきてくすくす笑っていると、レナトス様が呆れたように「軽いよなあ、色々」と呟いた。褒められてはいないのは分かってるけど、私はその言葉にえっへんと胸を張る。
「重く捉えすぎても体にも心にも悪いですから!」
適度に軽く考えて、ちょっとは楽観的でいるぐらいでいいのだ。おもーく考えすぎても良いことはない。去年の私も色々考えすぎちゃってレインくんにたくさん迷惑をかけたけど、結局はレインくんも私のことを大切に思ってくれてるってことで解決したしね。つまり、考えすぎは良くないってことですよ。
ふふんと鼻を鳴らしながら、再びマッシュくんの頭を撫でた。いつもは私よりも高い位置にあるそのまるっこい頭も、私が箒に乗っている今は低い位置にあって随分と撫でやすい。
若干首を傾げてこちらを見上げてきたマッシュくんは心做しか妹に似ている。やっぱり、姉弟なんだなあ。
「姉上はいつでもあなたたちの味方だからね」
世界中の誰もがあなたたちの敵になったとしても、私はずっと味方だ。だってそれが姉という生き物だもの。
最後にわしゃわしゃとマッシュくんの頭を撫でて、「じゃあ私行くね!」と手を振った。レインくんを待たせてしまっているから、早く行かなきゃ。予想していたよりもずっと時間が掛かってしまったから、きっと心配をかけてしまっている。
ぼさぼさになった頭で手を振るマッシュくんに手を振り返してから、レナトスさんに「オーター様に伝言お願いします!」と声を掛ける。
「頼まれてた本は執務室の机の上に置きました! 疲れたので帰りますとお伝えください!」
「あー、覚えてたらな」
「覚えてて! 怒られるの私だから! 絶対覚えててよね!」
後日オーター様には「せめて一言言ってから帰りなさい」と怒られた。レナトス様の馬鹿。