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ふわりと欠伸をすると、右隣に座った父上が「おい」と咎めるような声を出した。ちらりと横目でそちらを見てから「ごめんなさーい」と適当に謝る。仕方ないじゃん。緊張して寝れなかったの。
父上は私の適当な返事にわざとらしいため息をつくと、いそいそと手鏡を取りだして覗き込んだ。生前、母上が使っていらっしゃったものである。それをわざわざ持ち出して何度も取り出して身だしなみをチェックするぐらいには、父上も緊張しているのだ。
私も一緒になって手鏡を覗き飲んで前髪を整えていると、左隣に座った先輩が呆れたように「お前らなあ」と声を発した。
「気持ちは分かるが、全部今更だ。やれることはやったんだろ? 潔く諦めろ」
「しかし、隈が……」
「それこそ今更ですよ、院長。アンタはいつも隈が酷いし、いつも不健康そう。試験開始数分前に焦ったところでどうにもなりません」
「いつも不健康そう……⁉︎」
「何を驚いてるんです。もしかして自覚がなかったんですか?」
呆れ顔でそう言った先輩は、足を組みかえると「お前も」と今度は私に矛先を向けた。
「切りすぎた前髪は一晩じゃ元に戻らねえよ」
「先輩が魔法で治してくれないから……」
「あーあー、そのままでも可愛い可愛い」
「適当だよお」
ぐすんとわざとらしく泣き真似をすると、先輩と父上の両方から「うるさい」と声が飛んできた。二人とも酷い。そこは慰めるべきでしょ。レインくんだったら絶対に慰めてくれてた。
渋々泣き真似はやめ、父上から手鏡を奪うようにして懐にしまい込んだ。あれこれと文句を言われたが全て無視だ。先輩の言う通り、切りすぎた前髪は一晩で伸びないし、父上の不健康そうな顔付きは今更健康そうにはならない。
今日は神覚者選抜試験の最終試験が始まる日である。父上は自分の立場と権力をフルに利用してこの場に押し掛け、堂々と生徒の観覧席に──それも最前席に座っている。堂々としすぎていて、誰も何も言い出せないほどだ。
校長先生は何かを言おうとしていたが、「息子の晴れ舞台です。野暮なことは言わないでいただきたい」と父上に押し切られてしまっていた。うーん、さすが私の父上である。家族に対する愛が深く、押しが強い。
手鏡を取り上げても尚そわそわしている父上は、いつも通り不健康そうな顔であちこちを見渡した。『息子』を探しているらしい。
「入場はまだなのか」
「まだみたい。っていうか、父上はドミナに会ったことないでしょ? ドミナもきっと父上のこと分かんないよ。生徒席に混ざってる不審者としか思われないと思う」
「不審者はやめろ。お前の隣にいれば父だと分かってくれるはずだ。そのためにオレは来賓席ではなくここにいるんだぞ」
「絶対分かんないよ。ドミナは父上には興味ないと思うな」
「いいや、ある。父だぞ。父上だぞ?」
「ドミナには他にも父上いるじゃん。姉上は私だけですけどね」
フッと鼻を鳴らしてドヤ顔をすると、悔しそうに睨まれた。ふふふ。まあ、妹もドミナの姉である可能性は五十パーセントぐらいある。姉上が私だけの確率もまた五十パーセントってこと。
とはいえ私は既にドミナに会ったことがあり、「姉上」と呼ばれたこともある。私の方が父上より一歩先を言っていることは確かだ。
先輩の「情けねえ争いはやめろ」という声を無視してドヤ顔を続けていると、高らかなファンファーレが鳴って僅かに会場の照明が暗くなった。おっ! 選手入場の始まりだ!
姿勢を正してじっと扉を見つめる。ドミナに会うのは約一年ぶり。それも前回はまともに話なんてしていないし、一方的に殺されかけただけだ。今日が実質的なはじめましてであり、緊張して昨日は眠れなかった。せめて目ぐらいは合えば嬉しいな。
司会の子が高らかに開幕の宣言をし、ファンファーレが止んだ。三つの扉が全て開く。……ん? この魔力……。
ここにあるはずのない魔力を感じて、視線を思わず他所へと向けた。選手は無事に入場したのか、わあわあと響く歓声の中で父上が小さく「あれが息子たち……!」と呟いているのが聞こえる。この人、さりげなくマッシュくんのこともカウントしてる。
足早に移動しているらしい魔力がどうしても気になってその位置を探り続けている間に、歓声はなぜだか静まってしまった。先輩の治安とガラの悪い「あん?」という声に引き寄せられるようにして私も再び下を見る。……うん?
「セント・アルズは? 遅刻?」
「あのきっちりかっちりした学校がこんな日に遅刻なんてすっかよ。なんかトラブルでもあったんじゃねえの」
「いやでも、来てるはず……」
だって、と続けようとした瞬間、司会の子が驚いたようにセント・アルズの辞退を発表した。はあ? いやいや、それはないでしょ。じゃあなんでここに。
私が思わず「えー?」と声を上げると、先輩と父上は揃ってこちらを見てきた。私は首を横に振る。その間にもドミナは血だらけの杖の残骸を地面に落としていた。あの子ったらまた……。
「夜襲をかけてセント・アルズの候補者を全滅させたということか」
「その可能性が一番高いでしょうね。まあ、それだと去年のコイツの件と合わさってウチもセント・アルズも外部からの侵入者を許しすぎだって話になるがな」
「いーや、全滅はしてないよ。来てる」
私を挟んであれこれと話し始めた先輩と父上にそう言うと、二人はまた揃ってこちらを見た。二人とも「は?」と言いたそうな顔をしているので、とんとんと自分の目の下を指で軽くつついてから「もう校内にいる」と続けた。それも二人。更には、先に入ってきた方を追い掛けているのは私もよく知ったあの露出狂である。
優雅にお茶会を始めたマッシュくんたちに会場はざわついたが、そんなことはものともせずにセント・アルズの出場者の枠がヴァルキスに譲られてしまった。六対三。いきなり不利である。
薄らと笑いながら余裕そうに喋るドミナを見つめる。視線に気付いたのかすぐにこちらを見たドミナは、私と目が合うなりパッと花が綻んだように笑って軽く手を振ってきた。うんうん、やっぱりあの子は私の弟だ。やってることはヤバいし、私がやられたこともヤバいけど、それはそれとして可愛い。
可愛らしく笑いながら手を振り、更には「姉上」と弾むような声音で私を呼んだドミナに会場はまた騒然とし、観客席のどこかからは「アァン⁉︎」という『ブチギレてます』と言わんばかりの声が聞こえてきた。間違いなく妹である。フィンくんとレモンちゃんと観戦すると言っていたけど、声の聞こえ方から言って結構離れたところで見てるみたいだな。
ドミナは一度そちらを見て鼻で笑い、次の瞬間には会場中に響いた「貴様ァ!」という妹の叫びは堂々と無視した。そしてまた私を見ると「しっかりと僕を見ていてくださいね、姉上」と軽やかに言ってくる。もちろん私も「うん、見てるよ」と頷いて手を振り返した。なんせ弟の晴れ舞台だからね。見ますよ、そりゃ。見るなって言われても見るよ。
ドミナの横に立つヴァルキス生五人の「なんだアイツ」という視線を受け止め、そのうちの一人をじっと見つめる。憎たらしいぐらいにさらっさらの金髪に、右目を覆い隠す真っ黒な眼帯。そして叩きたくなるぐらいに丸まった背中と、奴はこのイーストンを実質的に追い出されたその日から何も変わってはいない。生意気ロン毛である。
熱烈な視線を無視できなくなったのか奴の視線は私へと向き、すぐに心底嫌そうにその顔が歪められた。まあ忘れるわけないよね。私たち、なんだかんだ言って何ヶ月かに一回ぐらいは病院で顔合わせてるもんね。
声は出さずに「ひさしぶり」と口を動かすと、すぐに「しね」と口パクで返ってきた。は? ロヴィくんにチクるぞ。いいや、チクる。絶対にチクってやる。私を舐めるなよ。
私がぎりりと歯軋りをしている間にも話は進み、更に人がやってきた。セント・アルズの、去年の最終試験でレインくんと戦ったというあの強くて厳しそうな人である。私と痴女のせいで全焼したお屋敷に最後まで取り残されてた人ね。
うわあ、ぼろぼろ。怪我は相当深そう。かなり無理をしてここまで来たようだ。
医者の性なのか、父上はスッと立ち上がると足早に観客席を抜けていった。あの人のところまで行くつもりらしい。先輩が駆け足でその後を追い、私も二人を追い掛けようと立ち上がる。そしてそのタイミングで、下から私の名前を叫ぶ鋭い声がした。はいはい、分かってるよ。
首から掛けていた絹の小袋を開け、小袋には到底見合わないサイズの剣を取り出す。そのまま鞘から抜くこともなく、勢いよく振りかぶって階下目掛けて剣をぶん投げた。固有魔法できちんと腕力も強化した上でのスペシャルな投擲である。
その剣を躊躇いなく掴んだ相手は「助かる!」と叫ぶと、続けて「っつーかアンタは絶対安静って言ったでしょ⁉︎ 勝手に動くな!」と同級生に怒りをぶつけた。アレンジしすぎな足丸出しのミニスカートに胸元の開いたブラウス、制服の着崩し方が大胆すぎる。そりゃ停学にもなるだろうよ。今日も元気な痴女である。
ぎゃんぎゃんと吠えながらセント・アルズの厳しそうな人の襟首を引っ掴んで退場しようとした痴女は、生意気ロン毛によって厳しそうな人諸共串刺しにされそうになって「私は出場者じゃないんだけど⁉︎」と叫んでいた。見れば分かる。単純に生意気ロン毛が兄に手を出そうとする痴女を嫌っているだけだ。
しばらくそのまま彼らを見下ろしていたのだが、痴女に助太刀しようとしたマッシュくんたちもあれやこれやと分断されてしまい、戦況は悪い方へと傾いてしまった。あらら。仕方ないなあ。
懐から引き抜いた杖を箒に変え、そのまま飛び乗って会場を横断する。妹が「姉上ーッ!」と黄色い悲鳴をあげているのが聞こえた。あの子はもう本当に私のことが大好きで……私も大好きだよーっ!
しかし今はそんなことを言っている場合ではないため、空中で箒を大鎌へと変えるとその勢いのままに生意気ロン毛に斬りかかった。本気ではなかったので軽くいなされて終わったが、一瞬攻撃と意識を私へと向けられれば十分である。振り返った先では痴女がとっくに撤退していた。よーし、私も撤退撤退。
「おい、逃げんのかァ?」
「だって私、今年は出場しないもん。去年の試験に出られなかったレヴィが悪いんじゃない? じゃあねー」
曖昧に手を振って、大鎌に飛び乗ってぴゅーっと選手入場通路を逆走する。途中ですれ違ったマーガレット・マカロンたちが後は良い感じにやってくれるだろう。私は父上と一緒に怪我人の治療をしなきゃね。