08
「あーっ! レインくん! レインくんだー!」
「うるさい」
「あーん、父上が叩いたあ」
それも金属製のバインダーで勢い良く! うえーんと顔を覆って声を上げれば、聞き慣れたリズムと低さでカツカツと音がして、父上に叩かれたばかりの頭に大きな手のひらが乗せられる。
「うるせえ」
「なんで父上と同じこと言うのお」
「……お前もインターンか」
「疑問に疑問で返さないで欲しいんですけど……」
ぎゅっとレインくんに抱き着き、鎖骨を抉るようにぐりぐりと顎を動かした。嫌そうな顔はされたが突き飛ばされないのを良いことにそのまま抱き着いていると、父は「休憩が終わったら戻ってこい」と言ってすたこらと歩いていってしまった。一足先に病院に戻るつもりらしい。まあここだと何かと絡まれるからね。
ここは魔法局人材管理局の近くだ。つい先日重傷を負って搬送されてきた人が魔法局で何かを横領して逃げていた元局員だったらしくて、初期治療をした父上と私に話が聞きたいとカルド様に呼び出された。
と言っても私たちがしたのは治療だけで、既に身柄は魔法局に引き渡している。話せることなんてそうあるわけでもなく、形式的な質問にいくつか答えてすぐに開放された。それで「じゃあ帰ろっかー。ついでに休憩早めてなんか食べて帰る?」と話しながら歩いていたら、こうしてレインくんに巡り会えたってわけ。今頃仕事はどんどん増えているだろうけど、レインくんに会えたから超ハッピー。
にこにこしながらその肩に顔を埋めて久々に嗅ぐレインくんの香りを胸いっぱいに吸い込んでいると、心底嫌そうに額を押された。
「嗅ぐな」
「変な匂いしないよ?」
「そういう問題じゃねえ。オレは任務帰りだぞ」
「でも変な匂いしないよ? それ言ったら私だって昨日からずーっと働き詰めでお風呂入ってない……なんか恥ずかしくなってきたから離れる……」
サッとレインくんから離れて、白衣の襟や袖の匂いを嗅ぐ。自分じゃ全然分からないけど臭うかも……。レインくんも離れる私を引き止めたりしなかったし……。
肩を落としてしゅんとしていると、そんな私に気遣ったのかレインくんは「そんなに忙しいのか」と話を変えてくれた。うん、と小さく頷く。
「夏休みだからハメを外す人が多いの。あと例年この時期は学生の搬送が増えます」
「インターン絡みか」
「うん。みんなすぐ無茶するから」
回復や治癒系統の魔法は決して簡単ではない。だから医者の数もそう多くなく、首都で色んな意味で一番規模の大きいうちの病院は必然的に患者が集まってくる。魔法局の局員が担ぎ込まれてくることもままあるし、それこそインターンで気合いを入れすぎて負傷しすぎた学生が運ばれてくることもある。三大魔法学校はどこもこの時期に一回目の魔法局インターンを計画しているから、患者の数は毎年減らない。
昨日もそれで相当忙しかった。院内を駆け回り、幻覚か何かを見て暴れる患者を気絶させ、患者にくっついて来てしまったらしい魔物を退治して、魔法局に退治した魔物の処理をお願いして……。その間だって昼も夜も関係なく患者は運び込まれてくるわけだから、一息つける瞬間も早々ない。
本来ならば学生である私がここまで忙しくしているのは色々と問題があるのかもしれないけど、結構なお賃金を貰っちゃってるからなあ。人手が足りていないのは院長の娘である私には分かりきったこと。小さい頃から仕事が忙しい父上に代わって面倒を見てくれた人たちも沢山働いているわけだから恩返しだってしたい。魔法の腕を買われているということでもあるし、これもまた次期院長の務めってやつなのかもしれないね。そう考えて一応自分の中では納得している。
でも、お風呂に入れないぐらい忙しいのはやっぱり嫌かもな。
もう一度自分の匂いを嗅いでみて、やっぱりよく分からなかったけど更にレインくんから一歩退いた。レインくんに「コイツ臭うな」って思われたら嫌だ。
「本当は一緒にご飯食べようって誘いたかったけど、私お風呂入ってないし、レインくんも疲れてるよね? 今日はバイバイしよ……」
せっかく会えたけど仕方ない。夏休みに入ってから一週間、レインくんに会えなくて寂しかったけど、でも仕方ないのだ。疲れてるレインくんを連れ回すのは良くないし、私お風呂入ってないし、嫌われたくないし。次に会えるのはここから更に一週間後だけど、でも、仕方ない。
ずーんと気持ちが沈んできて思わず俯くと、カッと革靴が床を叩く音がした。この辺りは局内でも知る人ぞ知る裏道なので人通りは全然と言っていいほどない。しかも今の音、私のすぐ目の前から。
顔を上げるよりも早く、ぽんと頭に大きな手が乗せられた。
「れっ」
「明日の午後なら空いてる」
「わ、私も! 私も明日は空いてる! ご飯一緒に食べよう!」
「ああ。……睡眠不足はミスにも繋がる。ちゃんと寝ろよ」
「はい! 九時に寝ます!」
髪を梳くように頭を撫でるレインくんの手に擦り寄って、「えへへ」と声を上げて笑ってしまう。そのまま手を伸ばして服の裾を掴んでも振り解かれることはなかった。レインくん、優しい。大好き。