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 床、冷たい。気持ちいい。
 毒で嫌な風に火照った体にはちょうどいい床の冷たさに目を細めて全身を投げ出していると、ふと視界に誰かの足が入った。目だけを動かして見上げる。シュークリームをもしゃもしゃ食べている男の子。
「先輩も食べますか」
「たべる……」
「声ガラガラだ」
「うん……さっきの毒は喉に来た……」
 起き上がりながらゲホゲホ咳をしていると、マッシュくんはわざわざ水を取りに行ってくれた。なんともありがたい。何か飲みたいなって思ってたところだったんだ。
 受け取ったコップに口をつけ、程よく冷えた水を一気に飲み干す。あー。喉が生き返る。血の味がしたとしても、この冷たさに勝てるものはない。
 ぼんやり放心していると、スッと紙袋が差し出された。それを受け取ってひとつシュークリームを貰う。甘い匂い。良かった、嗅覚も生きてるみたいだ。
 お腹が空いていたのか結構なスピードでシュークリームを食べていくマッシュくんの隣で、貰ったひとつをちまちまと食べ進めていく。毒を飲んで吐いたり気絶したり死にかけたり、そんなこんなで体は絶不調である。母上が後遺症の出ないように計算をして三年かけて慣らしたところを、後のことなんて無視して一気に耐性を付けようとしたらまあそうなるよね。体重はちょっと減ったし、食欲もなくなった。それもこれも当然の結果だ。
「今日は制服なんですね」
「うん。学校にちょっと顔出してきたんだー。レモンちゃんが寂しがってたよ」
 マッシュくんはここでひいおばあ様と、フィンくんはカルド様と、ランスくんとドットくんはオーター様と、そして妹は家でドミナと修行中である。ひとり学校に残されてしまったレモンちゃんは、先輩に料理を教わったり効率的な掃除方法を教わったりして過ごしているみたいだった。「花嫁修業してるんです!」だってさ。修行にも色んな形があるね。
 私も花嫁修業しよっかなーと思ったが、なんとなくそんなことを言い出せる雰囲気でもなく、こうして今日もここで毒を飲んでは死にかけている。いいなあ、花嫁修業。私もしたい。ふりふりのエプロン着てレインくんのことお出迎えしたいな。おかえりなさーいって。新婚さんっぽくない?
 昨日会ったばかりのレインくんのことを思い出して、少しため息をつく。もう会いたくなっちゃった。手も繋いでハグもして、いっぱい話聞いてもらったのにな。やっぱり私は欲深いので、一緒にいればいるだけ、一緒にいられない時間が辛くなる。
 もそもそシュークリームを食べ進める唇は乾燥している。毒がね、結構こういう所に効くんだよ。解毒剤で体内の毒を打ち消しても、表面的な所に結構毒の影響が出る。爪も最近ボロボロ。嫌になっちゃうね。これじゃレインくんとキスも出来やしない。そもそも毒を摂取しまくってるこの体では、体液を交換するような身体接触は出来ないんですけどね。残念。
 昨日も珍しくレインくんからキスしてくれそうだったのに、私はそれを断るしかなかった。だってレインくんに毒の影響が出たりしたら嫌だもの。レインくんには出来るだけ体を大事にして欲しい。怪我しやすいお仕事だからこそ、尚更。
 そんなことを考えながら食べていたシュークリームがようやくなくなった。結構お腹いっぱいになったかも。いや、もうちょっと入るかもしれないけど、次の毒を飲んだらまた吐くかもしれないし……。
 もう一個ちょうだいとお願いするかどうか迷っていると、マッシュくんの方から「もう一個いりますか?」と聞いてくれた。少し迷ってから首を横に振る。
「ううん、平気。貰ってもまた吐いちゃうかもしれないから」
「なら余計食べるべきでは? 食べなきゃ動けないでしょ」
「それはそうだけど……」
「先輩最近やつれてますし、食べた方がいいと思います。強制はしませんけど」
「……いただきます」
「はい」
 貰った二個目のシュークリームを、さっきよりもゆっくりと食べ進めていく。確かに、食べないと動けないよね。ちょっとずつでも栄養を取らなきゃ、いつか倒れてしまう。
 お互い血なまぐさく薄汚れたまま、並んで二人でシュークリームを食べる。不思議と無言が気にならないから楽だった。同じ建物で別々の修行をしているだけで、距離は縮まるものらしい。
 そのまましばらく二人で無言で並んでいたのだが、ふと扉の向こうからライオ様が顔を見せ、フッと笑うと軽く手をあげてどこかへまた歩いていった。もう少し休んでいていいってことっぽい。それは個人的には助かる。
 でもマッシュくんは向上心の塊なので、ぱんぱんと手を払うと立ち上がり、「じゃあ僕は行きます」と言った。その横顔の堂々っぷりと言ったら、もう。私は思わず少しだけ笑ってしまった。
 突如くすくす笑い出した私にマッシュくんはフリーズし、「え、なに?」と言っている。その反応もまた笑えた。
「あは、あはは……ごめん、あの、悪い笑いではないの」
「悪い笑い」
「馬鹿にしてるとかじゃないってこと。……私、ずっとレインくんがこの世界を変えてくれるんだって思ってた。でも、レインくんだけじゃなくて、レインくんたちなのかもなって最近は思うんだ」
 きっとみんなで変えてくれるのかなあって、思うんだよ。
 あの子が、あの子たちが少しでも生きやすい世界。成すべきことを成して遠くにいってしまった人が、「何も守れなかった」と後ろ指を指されなくていいような世界。私の大切な人たちが笑って生きていけるような世界に、きっと近いうちになるんじゃないかと思えるの。
 笑っているうちに勝手に浮かんできた涙を人差し指で拭う。
「レインくんやマッシュくんが変えてくれた世界、私も生きてみたいなあ……」
「……僕は将来シュークリーム屋さんをやりたいんですけど」
「うん?」
「その時は、先輩の作ったクッキーとかマフィンもお店に並べたいな、と思います。先輩の作るお菓子はすごく美味しいから、みんなに食べてもらいたい」
「……うん。いっぱい作るね」
 またぽろりと溢れてきた涙を今度は拭わずにそっと微笑む。マッシュくんは力強く頷いて立ち上がると、そのまま歩いていってしまった。その背中を見送って、私も立ち上がる。毒、飲みに行こう。後輩が頑張ってるんだ。私もやれることはやらなくちゃ。素敵な夢を聞かせてもらったのだから、マッシュくんのその夢が叶うように応援したい。
 私の成すべきことの輪郭が、ようやく見えたような気がした。

ふたつおりのひとひら