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 机いっぱいに乗せられた試作アップルパイの山をナイフとフォークを両手に構えて切り崩していく。……うむ。我ながら素材の味を生かせていると思うし、何より甘くて美味しい。
 そう思いながら二枚目の皿を引き寄せたのだが、真向かいの椅子に座るフィンくんはまだ一枚目の半ばだというのに既に半泣きになっていた。あらら。
「フィンくん、甘いもの苦手だったっけ」
「そういうわけではないんですけど、でもこの量はッ……この量は流石にッ……!」
「うーん……無理はしなくていいからね。ミートパイもあるよ」
「またパイッ!」
「あとグラタンパイもあるからね」
「そしてまたパイッ!」
 チェリーパイもあるよと言ったら本当に泣き出してしまいそうなので、それはやめておくことにした。義弟を泣かせる趣味はない。というか、人を泣かせる趣味自体持ち合わせていない。
 ──先日の戦い以降、世界は目まぐるしく復興を遂げている。私も延期になっていた卒業式の実施を待たず既に実家の病院で働き出しており、忙しない日々を送っていた。
 イノセント・ゼロが最後に使ったという魔法のおかげで、あの戦いで目立った怪我人は出なかった。でも殴り合ってお互いに骨折含む重傷を負った我が家の双子や、復興作業中に軽い怪我をしてしまった人なんかは毎日出てくる。おかげさまで病院は大忙しだ。
 私と先輩という大型新人を獲得しても尚続く休む間もない忙しさにおかしくなった父上が勧誘してきたのが、何を隠そう義弟ことフィンくんである。なんでも先の戦いでレインくんのサポートを見事に果たしたそうで、その実力の高さはなんとあのカルド様のお墨付き。
 それを聞いた父上は青田買いだのなんだのという建前を投げ捨てて、「頼むから手を貸してくれ」とフィンくんに泣き付いた。大の大人が泣き付いてくるという異常事態にパニックになったフィンくんは流されるままに契約書にサインをしてしまい、週に数回ウチの病院でインターンという名目のバイトをしているのだ。
 私は最初「流石に無理矢理はヤバイよ? 保護者の許可とった?」と父上を諌めたのだが、予想を裏切ってレインくんが「そうか、頑張れ」とフィンくんを応援し始めたのである。どうやらこの二人は仲直りができたみたいだ。良かったね。まあ、フィンくんは「味方がいない……!」と泣いていましたが……。
 調子に乗った父上が「お前たちが結婚したとしても、お互い生活が安定するまではウチで暮らせばいい。なに、我が家は広い。新婚夫婦ぐらいは受け入れられる。そしてその弟もな……」と言い出し、我が家にはレインくんの部屋とフィンくんの部屋が増設された。どこからどう考えても私たちはおまけで、父上がフィンくんを病院に取り込みたがっているだけである。この変わりゆく世間の流れに乗って強引な勧誘が法規制されても知らないからな。
 そんなこんなで我が家に取り込まれつつあるフィンくんは、今日もこうして私と共に試作アップルパイの片付けに追われている。「今日も」というのは、昨日も一昨日も食べてもらったからである。レインくんや先輩の手が空いていれば二人にも食べてもらえるけど、二人とも最近は本当に忙しそうにしてるからフィンくんにしか頼れなくて……。
 双子も同じく、あの子たちにはあの子たちで色々とやることがある。二人は収監されたイノセント・ゼロの実の子ども。特にドミナは彼と関わりが深く、悪事に手を染めた過去もある。日々魔法局に呼び出されては偉そうな大人にあれこれ詰められているらしい。ストレスが積み重なっているらしい妹は「あのハゲ!」と叫びながらサンドバッグを切り刻み、ドミナは私の膝で丸くなっていた。昨日のことである。
 レインくんや先輩は、そのこともあって忙しくしているのだ。あと、今年の神覚者の……あ、これは言っちゃダメなんだった……。
 フィンくんには間違っても言っちゃダメだ、と口を噤み、代わりにアップルパイをぱくぱくと食べ進めていく。美味。
 そうしてしばらく無言のままお互いそれぞれ食事を進めていたのだが、ふとフィンくんが「あの……」と遠慮がちに声を上げた。まだ姉上に遠慮の残る、初々しくて可愛い義弟である。
「なあに?」
「本当に兄様とここで……ご実家で暮らされるのかな、と思って」
「んー、多分そのうち出るよ。まあウサちゃんのお世話とかもあるし、最初のうちはここにいるかもしれないけど」
 父上だって、何も本気でうちで暮らせと言っているわけではないのだ。あればあの人なりのジョークってやつ。
「それに、私とレインくんがうちで暮らしてたら、あの子たちが暮らしにくいでしょ」
「あー、確かにあの二人は……うん。無理そうですね」
 真顔でそう言いながらうんうん頷いたフィンくんは、バイトが遅くなった時にたまに家に泊まる度に双子に絡まれている。妹はもう一年半近い付き合いがあるはずなのに、いつだって新鮮な感情で「お前姉上のなんなの?」って絡みにいくからね。それが彼らのコミュニケーションなのだと言えばそれまでだが、見ているとフィンくんが可哀想になってくるのだ。
 あれも私たちが出ていけば多少は収まるだろう。私たち、というか私がそばにいるから、あの子たちは甘えたくなっているだけ。私がいなければ冷静で優しい良い子たちだ。
 そう思って、「私たちが出て行った後も二人のことをよろしくね」とお願いすれば、フィンくんはさあっと青ざめた。
「もしかして僕ってずっとここで暮らす感じなんですか……?」
「うん? あ、部屋気にいらなかった? 日当たりがいいところ選んだんだけど、良すぎちゃったかな」
「そういうことじゃなくてえ!」
 わあっと泣き出したフィンくんを見守る。アレかな、この子もようやく仲直り出来た兄様と暮らしたい感じかな。でも私もレインくんと一緒にいたいし、二人がいいこともあるからなあ。そればっかりは要相談だ。

 +

 この廊下は縦にも横にも広いからか、コツコツとヒールが床を打つ音がよく響いた。特別な牢獄というだけあり、かなり分厚く丈夫に作られているらしい壁や天井を見上げてゆっくり歩く。特注かな。お金と手間が掛かっていそうだ。
 しばらく歩いていると、向こう側から人が歩いてくることに気付いた。ひらひらした服を着た、目のところに何かかっこいいやつを付けた背の高い男の人である。看守の人かも。
 すれ違いざまにサッと横に避けて「こんにちはー」と挨拶をすれば、その人は軽くこちらを見下ろして「……こんにちは」と挨拶をしてくれた。爽やかな挨拶は爽やかな関係を築く第一歩。看守の人ににっこり笑いかけて私は私で目的地を目指す。……あっ。
「あのー」
「……私か」
「ですです。私、ここに収監されてる囚人と面会の予定を入れてる者です。看守さんが今暇だったらその囚人ところまで案内していただきたいんですが……」
 迷っちゃって、とはにかむと、看守さんはなにか困惑しているのか口を小さく開いた。私はそれを見ながら、お仕事の邪魔しちゃったかな、でもレインくんも「迷った時は勝手に進まずに人に道を聞け」って言ってたし……と考える。レインくんはちょっと心配性なところがあるけど、間違ったことは言ってないと思う。
 しばらくの沈黙のあと、看守さんはゆっくりと口を開いた。
「私は看守ではなく、囚人だ」
「……えっ⁉︎ で、でも出歩いてる……」
「敷地内から出ないことを条件に、軽く出歩くことは許可されている。……知らずにここに来たのか?」
「思い出して見れば、そんなことを言われた……かも……?」
 ライオ様にそんなことを言われたような気がしなくもないけど、私がここに行くことを知った妹が大絶叫して反対してきたため、よく聞こえなかったのだ。多分あの時にそう言ってたんだと思う。
 なんとか記憶を辿ろうとしつつ頭を悩ませていると、看守さん……ではなく囚人さんは、「一緒に行こう」と言ってくれた。なんて優しい人だろうか。こんなに優しい囚人さんもいるんだね。
 先に歩いて案内してくれる囚人さんの背中を足早に追い掛けながら、声を掛ける。随分背が高いからか歩幅も全然違って、追い付くだけで一苦労だ。
「ここにいるってことは、お兄さんもイノセント・ゼロの関係者なんですか」
「息子だ」
「息子……ええっ! こんなに大きい息子が⁉︎」
「……下三人と私含めた上四人は年が離れているんだ。体格に関しても下三人は母親に似たようだな」
「へえ……失礼ですけど、お兄さんは今おいくつ?」
「三十歳だ」
「ほんとに歳離れてる! えー、ライオ様と同い年なんだ! でもライオ様より大きい」
 人の成長って不思議だ。お兄さんは、大きいって言うよりもデカい。幅と厚みがある。筋肉だ。
 マッシュくんの筋肉質な体も、彼の努力はもちろん遺伝の要素があるのかもしれない。兄弟じゃん……。
 それに比べて双子はひょろひょろしてるな。でもあの子たちはまだまだ成長期だし、お兄さんぐらい大きくなる可能性もある。二メートルぐらいはありそうだから……二メートルのあの子たち……いける。全然余裕で愛せる。
 既に二人とも私よりも背は高いので、そんなことは気にならない。どれだけ大きくなってもあの子たちは私の可愛い弟妹である。
 そんなことを考えて決意を改めていると、どうやらいつの間にか目的地に着いていたらしい。案外近かったみたいだ。……あれ、私お兄さんにどこに行きたいか言ったっけ?
 私の疑問を他所に、お兄さんは扉をノックする。
「あなたに客が来ています」
「……誰」
「双子の姉です」
「……気分じゃない、帰らせろ」
 うわ、声低! ガラ悪!
 あからさまに機嫌が悪そう。この女アレだ。機嫌が悪いアピールをして周囲に気を使わせるタイプだ。母上のストーカーな以外にも最悪か要素があるとか……うわあ。
 いい歳をした大人の情けない姿にドン引きしながらも、お兄さんの隣に立って私はドンドンと扉を叩く。叩くというか最早殴る勢いだ。これは扉じゃなくて太鼓。
 そのまま返事が聞こえるまでドンドンやってると、背後の壁がドンッと叩かれた。やばい、うるさくしすぎて他の人を怒らせたかも……と一瞬ビビったが、お兄さんが「無視でいい」と言ったので遠慮なく扉を殴り続けた。
 しばらくそれを続けると、ようやく扉が内側から叩き返される。
「……うるさい! 気分じゃないって言っただろ!」
「知らないよそんなの。半休取ってわざわざここまで来たんですけど」
「そんなこと知るか。厚かましいガキだな。私は頼んでない」
「はあ? それを言うならお前は無礼なおばさんだな。わざわざ来てやったんだって言ってるだろ。開けなくてもいいから話は聞けよ」
「嫌だ、聞かない。帰れクソガキ」
「お前こそガキか? 何が『嫌だ』だよ。いいから聞け。……母上から伝言。『お前は私の人生で一番の馬鹿』だってさ」
「…………は?」
「なんか癪だけど、これ伝えてやんないとお前、いつまで経っても騎士様騎士様って騒ぎ続けるでしょ。それはそれでうるさいから」
 最後にもう一度扉を叩く。言いたいことはちゃんと伝えた。心做しか胸が軽くなったようにも感じる。あの日母上たちと話してから、ずっと「早く伝えなきゃ」って思ってたんだ。
 ずっと隣に立ってくれていたお兄さんを見つめ、頭を下げる。
「ここまでありがとうございました。もう道は分かるので、大丈夫。一人で帰ります」
「……いや、見送ろう。私もそちらまで用事があった」
「あ、そっか。お兄さんそっちに向かってたんでしたね。じゃあ一緒に行こう」
 そう言って、これ以上ここに残る理由もないので踵を返す。ところが扉が内側からドンドン叩かれて思わず足を止めてしまった。おい、それは太鼓じゃないぞ。
「待て、行くな。話を聞かせろ」
「……話も何も、さっき言ったことが全てだけど。母上はお前に関して他にはなんにも言ってなかったよ」
「そんなことはどうでもいい。……泣いていたか、あの人は」
「…………まあ、泣いてもいた、けど」
「……ああ……なんで……ごめん……私はただ、お前と……お前のそばに……」
 扉の向こうから聞こえ出した母上の名前を繰り返す弱々しい声とか細い嗚咽に慄き、ぎゅっと唇を噛み締める。この女、泣いてる。それも母上を呼んで泣いている。
 ならどうして、と言いたかった。それならどうして、母上を殺したんだ。今更泣いたって遅い。母上はもう帰っては来ない。直接お前の毒で殺したんじゃないからなんだ。お前が殺したようなものじゃないか。
 ……だけど、どうしたって声に出してそう言うことは出来ないのだ。そばにいたいと願う気持ちの儘ならさが私にも分かってしまうからこそ。
 無視して立ち去ることもできずにしばらくその泣き声を聞いていたのだが、すんと鼻を啜った女が「……城の地下」と突然呟いた。
「城の地下に、私の研究の資料がある。学生時代から今に至るまでのもの全て……お前にくれてやる」
「……はあ?」
「黙れ。私が話してるんだ。……中には、お前の母上が私の毒に関して研究していたものもある。それも含めて全てやる。私はもういらん」
「いや、なんで?」
「盗んだ」
「そういう『なんで』じゃないんだけど……なんで私にくれるのってこと」
「……お前の母上ならそうしただろうから。……いいか、私以外の毒で死ぬな」
「ええ……? ちょっと……え、それだけ? ねえー、なんなのほんとー……」
 困ってしまってお兄さんを見上げたのだが、首を横に振られるだけだった。これで終わりらしい。本当になんなんだ、この女は。母上の周りにいたのってこんな人ばっかりなの? あの日会った双子のお母上もだけど、みんな自由人過ぎない?
 話したいことは話し終えたのか、扉の向こうからはもう何も聞こえない。仕方なく背を向けて歩き出すと、思い出したように「鍵はお前の母上が眠る墓地、ヤドリギの木の根に埋めてある。パスワードはお前の母上の誕生日」と声が飛んできた。……なんなんだ、本当に。
 最後の声には返事をせずに、さっき来た道を逆に戻った。お兄さんは元々無口な人なのか、何も話しかけてはこなかった。少し迷いながらも私の方から声を掛ける。
「お兄さんは甘いものとか好きですか」
「嫌いでは無いが」
「良かった。私最近アップルパイ作ってるんですけど、理想を追い求めすぎてついつい作りすぎちゃうんですよね。今度差し入れで持ってきます。良かったら食べてください」
「……そう言えばこの前ドミナがそんなことを言っていたな」
「えー、ほんとに? 恥ずかしいー」
 ドミナったら、もう。
 照れていると、お兄さんがふと「パンケーキは作れるか」と聞いてきた。突然の質問に首を傾げながらも、「はい」と答える。
「作れますよ。好きなんですか?」
「好きというか……作ってみたいんだ」
「なるほどお。じゃあ今度差し入れを持ってくる時、大きいフライパンも持ってきますね。お兄さん体大きいから、でっかいフライパンで作ったでっかいパンケーキの方がお腹いっぱいになるでしょ」
 そう言って笑うと、ちらりと横目でこちらを見下ろしたお兄さんも「そうかもな」と小さく笑う。お、笑った!

ふたつおりのひとひら