ひかるるものにひかるる

 バイトをしている店の常連さんに連れられて店を訪れた女の子が、長くなるので過程は省略するが半年程前に恋をした女の子だった。

 四つ年下の高校生のその子は惚れた故の贔屓目抜きにしたって可愛い。彼氏でもないのに学校で告白されたりしていないかとか探りを入れて、友人たちに「頼むから手は出すな」と懇願されたりした。


 連絡の一本を入れるのにだって馬鹿みたいに緊張するのだ。返信が返ってきた時は人目を憚らずガッツポーズをして弟妹に気でも狂ったのかと心配された。声が聞きたいと気味の悪い理由で電話した時に少し笑ってから「私も佐野さんの声が聞きたかったんです」なんて言われた時なんて、正直その場で好きだと告白しそうになった。怖がられた嫌だからあの時は何とか堪えたが、電話越しではなく対面してそんなことを言われたら多分抱き締めてしまっていたと思う。
 忙しくて昼食も食べられないと愚痴みたいなことをこぼした次の日には手作りの弁当を持って「忙しくてもご飯だけは食べてくださいね」なんてわざわざ店まで来てくれたりして、正直脈アリかなとか思うことだって何度もあった。年頃の女の子の「今年は行けなかったから来年は二人で夏祭りに行きたい」は告白も同意義じゃないか。酒の席でそう洩らして友人たちに「そうだったとしても手だけは出すな」と半泣きで縋られもした。アイツらはオレのことをなんだと思っているのかとその時は呆れたものだ。

 まあ、結局手を出してしまったわけだけど。

 あれはなんというか、仕方がなかったのだ。二人で夜景を見ていた時に、ふとオレのコートの裾を引いて「もう少し一緒にいたいです」なんて照れた顔と恥ずかしそうな声音であの子がいうものだから、つい。本当につい、昂って、うん。ホテルに連れ込んでまあ、そういうことになった。

 責任はもちろんオレにある。それは分かっているが、分かった上で、責任を取る覚悟だってもうとっくに決めているのだ。そういうつもりでなんならこれまでだって接してきた。
 色々と順序だって間違えただろう。だけどあの子も演技でなく本気でオレに好きだと言ってくれたし、愛があればなんとでもなるなどと無責任なことは言えないが、それでもオレたちにはきちんとお互いを思い会う気持ちがあることはよく分かった。両想いだ。実質付き合ってるようなものだ。

 だけど最初がこんな形で流されたようにして始まってしまったからあの子は不安に思っているかもしれない。目が覚めたら必ずもう一度目を見て好きだと伝えよう。こうなった以上ほとんど付き合ってるようなものだとは思うけれど、それでもちゃんと伝える。それが男のケジメってもんだし、何より驚くか照れるか感動するか、あの子がオレのために表情を変えるところが見たいのだ。表情がコロコロ変わるところも愛らしくて好きだ。オレのためだけに笑って泣いて欲しいと思う。

 そう思って疲れ果てたのか行為を終えてすぐに眠ってしまったその額に口付けて、抱き締めるようにして眠りについた。そのはずなのだ。


 綺麗に畳まれて置かれた彼女が寝ていたはずの場所に置かれたオレの服と、サイドテーブルに乗せられた一万円札と、一人取り残されたオレ。呆然としながら室内を見回したけれど、やはりオレしかいない。転がり落ちるようにしてベッドから出て風呂の方まで見に行ったがそれでもどこにも影も形もなかった。
 浮かれて見た長い夢なんかじゃないことは体に残る怠さとゴミ箱の中身から分かっている。それに、オレの服を畳んだのも金を置いていったのもあの子だろう。ベッドの下に脱ぎ散らかした服はひとりでに畳まれたりしないし、一万円は急に現れたりしない。

 だというのに、あの子はやはりどこにもいなかった。

 いつまでも下着姿でいる訳にもいかないのでひとまず服を着ながら、今更心臓が逸り出す。なんの物音もしなかったし、声だって聞こえた覚えはない。なにか声を掛けられた覚えすらない。昨晩その額にキスをしてから先程目覚めるまで、寝ていたのだから当たり前だが記憶は綺麗に飛んでいる。

 それはつまりあの子があの子の意思で、オレに気付かれないように出ていったということではないのか。
 何故。本当は嫌だった? ただオレとその場の空気に流されて体を重ねて、目が覚めて怖くなったか。もしくはオレに言っていないだけで実は彼氏がいて、バレるとまずいからと慌てて逃げたか。
 だけど行為中に繰り返された好きだという言葉は間違いなく本音だった。なんの根拠もないけれどそれは断言出来る。

 でも実際にあの子はオレを置いてホテルを出て、更には何の連絡も寄越してきてはいない。携帯を何度確認しても電話は愚かメールも一本も入っていなかった。センターに問い合わせてもメールは来やしないし、いくら待っても電話も来ない。

 そもそも寝入っていたせいであの子が何時にホテルを出たかすら分からないのだ。携帯で今更時間を確認したが、今はまだ八時やそこら。以前話した時に休日は起きるのが遅いと言っていたあの子からしたらまだ早いぐらいの時間なんじゃないだろうか。

 だというのに、あの子はここにいない。かなり疲れただろうにオレより早く起きて、オレを起こさないようにと恐らく物音ひとつ立てぬように気を配り、そして出ていった。


 やはりオレのことが嫌になったか、怖くなったか。もしくは元から好きなんかじゃなかったか。でも昨晩散々伝えられた好きの言葉が嘘だとも思えないし、だけど実際にあの子はここにはいないわけだし……。
 ぐるぐると考えているうちにだんだん混乱してきて、ひとまず一万円はあの子に返すためにも財布にしまった。こんな所で金を受け取るわけにはいかないし、四つも年下の高校生の女の子にホテル代を出させるのは身が廃る。

 それにこの金を返すことを口実にでもしないとあの子はもう会ってくれなさそうだという嫌な方向での信頼があるのだ。半年あまりの付き合いでも、おかしなところでおかしな風に思い込みを加速させる子だということは分かっている。今回の件も、放っておいたらもう二度とオレには会わないし店にも来ないなどという無駄な決断力を発揮しそうで恐ろしい。
 そんなことを決断される前に何とか話し合いの場を持ちたい。一緒に寝てみて嫌なところがあったなら直すし、元々好きじゃなくて流されただけだと言うなら好きになってもらえるように努力する。手を出されたのが怖かったのならば、オレを信じてくれるまでは今後二度と手を出さないと誓ったっていい。
 それぐらい本気であの子のことが好きだ。なるべく好きな子の前ではカッコつけていたいけれど、みっともなく泣き喚いて縋り付いてもいいぐらい好きなのだ。この一万円を理由に何とか次に会えたとして、その時に「もう会わないようにしましょう」なんて言われたら、人目を憚らずに土下座しかねない自覚すらある。

 せっかく体を重ねて手に入れたのに、手放したくない。初めてがオレなら最後だってオレでいいだろう。絶対に幸せにするし、笑って暮らせるように心掛ける。毎日好きだと伝える。泣かせたりなんてしない。


 そのためにもひとまずはあの子に連絡をしなくては。そしてその前に自分の考えを整理するために、友人に電話をしよう。これはオレの決意表明みたいなものだ。
 意気込んで、携帯を開いて電話帳の一番上の名前を押す。オレはこういうものはフルネームで登録する派なので、アイツが一番上に来るのだ。苗字が明司だから、まあ当然のことだろう。

 たっぷり数十秒コール音が続いた後に数秒間が空き、電話の向こうで今起きましたとばかりに気だるげな唸り声が上がった。今の今まで寝ていたらしい。
 オレたちレベルの仲になってくると寝ているところを叩き起して申し訳ないなんて感情は微塵もなくなるので、一度息を吸ってからそのまま今考えていたことを口にした。


「婚姻届欲しいんだけど、区役所って何時から開いてる?」