「今年は流石に海はやめとけ」
「えっ、なんで⁉︎」
「……こんなこと言いたくないけど、リコ、お前このままだと受験落ちるぞ」
高三の七月。私がどうにか隠蔽しようとしていた模試の結果を見た上でのシンイチローくんの発言がこれだった。
わざわざ自室にいた私を呼び出してちゃぶ台を挟んで正座させられての宣告に背筋を冷たいものが伝う。シンイチローくんは至って真剣な顔をしているし、ふと視線を落とされた先にある模試は当事者である私を持ってしてもゴミカスとしか評せないほどには散々な結果だった。あの大寿くんがいつもの暴言も皮肉も咄嗟に出てこなくて無言になってしまうような凄惨たる有り様といえば、この惨状が少しは伝わるだろうか。
言い訳も何も出来ずに、それでも真正面に座るシンイチローくんと私との間に座っているイザナを睨み付ける。私のスクールバッグから勝手に模試の結果を持ち出したのはお前だって分かってるんだからな。その下手くそな口笛で誤魔化されると思うなよ。
私の追求の視線を無視してあらぬ方向を向きながら口笛を吹くイザナを睨み続けていたのだが、窘めるようにしてシンイチローくんに名前を呼ばれた。今度は私があらぬ方向を向く。だって普通に怒るよりも静かに怒るシンイチローくんの方が怖いんだもん。
「行きたい大学あるんだろ?」
「……」
「このままじゃ滑り止めも落ちるって大寿が言ってたぞ」
「……兄さんって大寿くんと連絡取り合ってるの……?」
「まあたまに。今はそれはどうでもいいだろ。あのな、リコ。オレは大学行ってないから受験のことはあんま強く言えねえけど、リコにはやりたいことをやって欲しいって思ってる」
どうにか話を逸らそうとしたのだが、そんな私の思考はお見通しだったのかシンイチローくんは少しも揺らがなかった。誰も居ないキッチンの方に向けていた視線をちらりと正面に向けて見たのだが、静かな鬼がいたのでまた逸らす。
ピーピーとずっと続いているイザナの口笛だけがうるさい。いや、本当にうるさいなコレ。今私めちゃくちゃ怒られてるって言うか窘められてるんだけど。空気読んでよ。
「行きたい大学があるんならそこに行けるように頑張って欲しいんだよ。そのためならオレに出来ることはなんでもするし、イザナだってそう思ってる」
「は? オレ?」
突然話を振られたイザナが思わずと言った様子で口笛を吹くのを止めて驚きに満ちた声を発した。思ってませんけどとばかりの声音だ。ざまあみやがれ。私の模試の結果をシンイチローくんに勝手に見せたりするからこうなるのだ。妹の部屋に勝手に侵入して荷物を漁った罪で逮捕するからな。
「オレは別に何でもする気はねえけど」
「ほら、イザナもリコのために何でもするって言ってるだろ? オレたちはみんなリコに夢を叶えて欲しいんだ」
「シンイチロー、オレの声聞こえてるか?」
「諦めなよお兄ちゃん。兄さんはこうなるといつも無理矢理話進めるでしょ」
「ああ。無理矢理進める」
「威張るなよ」
私たちきょうだいの一番上の兄を務めるだけあって、シンイチローくんはこういう時の強引さはピカイチなのだ。人の話を聞かないことに定評のある私たちの中でもそこは間違いなくナンバーワンだろう。出会った頃から変わらず傍若無人の権化であるイザナですらも、こうなったシンイチローくんを前にすれば霞んでしまう。それに私たちきょうだいはみんなにとってのお兄ちゃんであるシンイチローくんのことがそもそも大好きなので、余程のことでもない限り基本姿勢が「シンイチローくんに従おう」なところがあるし。
目線を逸らすのをやめてイザナの方を見れば、顔を顰めて首を傾げながらもいつも通りシンイチローくんに従うことにしたのか渋々と言った様子で頷いてもいる。同じようにイザナを見ていたシンイチローくんもそれに満足気に大きく頷いて、私の方に視線を戻した。私はというと、視線を逸らすタイミングを失ってしまい大人しくシンイチローくんの方を見るしかなくなっている。
「海は来年でも行けるよな」
「はい……」
「でも受験生の夏は今年だけだろ。来年の夏も受験勉強したいか?」
「うう……」
「大寿と同じ大学行きたいって言ってたよな。オレたちも出来ることはするし、サポートもするから、今は勉強頑張ろうぜ」
「…………はい……」
兄は妹より強しとイザナが小声で呟いたのがムカついて殴り掛かったらシンイチローくんに二人とも頭を叩かれたんだけど、喧嘩両成敗にしては無理矢理すぎる。火種は最初からイザナなのに。
これはさすがに私が可哀想じゃない? と大寿くんに電話をして意見を求めたら返事は得られずにすぐに切られた。大親友まで冷たい。私の味方がどこにもいないんですけど。
+
「お前ここまで馬鹿だったんだな」
「高三のオレより結果悪いんじゃね? まあオレは蘭と沖縄行ってくっから」
「リコ……大寿から聞いてたけど流石にこれは…………」
順番に、蘭ちゃん、デブ、それから竜胆くんの反応である。三人の手を順繰りに回った模試の結果用紙は最後の竜胆くんから私に気まずそうに手渡され、元々失意と怒りと絶望で頭がめちゃくちゃになりそうだった私は兄たちのあんまりな仕打ちに泣いた。馬鹿で悪かったな。だからってそこまで言わなくてもいいじゃん。そんなストレートに罵倒する必要ないでしょ。
「沖縄に槍が降りますように沖縄に槍が降りますように沖縄に槍が降りますように!」
「原住民ごとオレらのこと呪い殺す気か?」
「原住民って言うな! お兄と蘭ちゃんの真上に槍が降り注ぎますようにお兄と蘭ちゃんの真上に槍が降り注ぎますようにお兄と蘭ちゃんの真上に槍が降り注ぎますように!」
「馬鹿だから分かんねえかも知れねえけど今は昼だから流れ星なんて流れてねんだよなあ」
「蘭ちゃんに言われなくてもそんなの知ってるもん! 流れ星に願ってるんじゃなくて竜胆くんに願ってるの! 竜胆くんは私の星だから!」
「言われてんぞ竜胆」
「リコだってオレにとっての星だから、オレら二人とも星ってことか」
「竜胆くん……」
「リコ……」
「お前らホントその実の兄たちをダシにしてイチャつく悪癖どうにかしろ」
「妹とダチがイチャイチャしてんの見せられるとかマジでキツイんだが……」
閑話休題。デブと蘭ちゃんは私の揚げ足を取るからダメ。本当にそういうところ治した方がいい。竜胆くんのこと見習って。
二人は相変わらず仲がいいけれど、多分これは兄同士、弟妹に迷惑をかけるもの同士のシンパシー的な何かがあって仲が良いんだと思う。そう言ったら蘭ちゃんに怒った関節を決められ、デブに私のアイスを全部食べられた。やり方が卑怯、姑息、最低。キレそう。
助けて竜胆くん二人がいじめてくると泣きついた所までは良かった。竜胆くんはデブと蘭ちゃんを止めてくれたし、二人はそれで大人しく引き下がってくれた。それで気を良くした私が「よ〜し、じゃあ私たちも夏休みに出掛ける予定立てよ!」と言ったあたりから、明らかに風向きが変わったのだ。
「はい、これ解いて」
「……分かんない」
「じゃあこれは」
「…………分かんないです」
「……こっちは?」
「…………わ、分からない……です」
目の前に積み重ねられていくプリント、参考書、問題集。一応答えようとは思っているのだ。ちゃんと答えようと思って目で追って頭で考えて、何も思い浮かばない。なので何も答えられない。
夏休みの予定を立てる前にひとまず現在の理解度を知りたいと言った竜胆くんは、何故か大寿くんとシンイチローくんから入手していたらしい私の参考書等々を開き、問いを見せてきた。そして何も答えられない私に大きなため息をつき、家では掛けているメガネのブリッジをクイッとあげて私をじっと見つめてくる。その目の奥には轟々と炎が燃えていた。
なんとなく嫌な予感がした私はそろそろと立ち上がり、捕まるより早くリビングで沖縄旅行の計画を立てるデブと蘭ちゃんの元に逃げようとしたのだが、竜胆くんの方が一手早かった。立ち上がろうと腰を浮かせた瞬間に肩に手を置かれ、私の負けはそこで確定したのだ。悲しい。悲しすぎるよ。こんなのってないよ。
「今年の夏休みはとにかく勉強。どこにもいかないで、朝から晩までずっと勉強だ」
「い、嫌だーっ! 夏なのにそんなの嫌だーっ!」
「仕方ねえだろ! リオだって夏は一応勉強してた……してたか……?」
「お兄が受かったんなら私も受かるよ! 平気だから!」
「リオは推薦取ってんだよ!」
「ヒン……」
過去の私恨むぞ。なんでお前は何も勉強をしなかったんだ。なんで遊び呆けてたんだ。多少の勉強でちょっと英語が出来るようになったからって調子に乗るな。勉強しろ。そうすれば今の私は竜胆くんと高校生活最後の夏も満喫出来たかもしれないのに。
海、夏祭り、二人でデート……と呟いてしくしく泣いていれば、流石に可哀想になってきたのか竜胆くんは私を抱き締めてくれた。そのまま背を撫でられ、優しい声で名前を呼ばれる。
「やりたいことは全部来年やろう。だから今年は勉強頑張ろうぜ。な? オレも一緒にやるからさ」
「……一緒にやってくれるの……?」
「うん、やるよ。リコがこれ全部解けるようになるまで付きっきりで教えるし、予備校サボったりしないように送り迎えもする」
え、たまにとは言え予備校サボってることまでバレてるんだけど。いやたまになんだけどね。本当にたまになんだよ。ほらあの、知り合いが、友人がラーメン食べたいから金出せとか言うから、ほら。金だけ渡すのもなって思って一緒に食べに行ったりしててね。仕方ないっていうか。
私の情報はエマとシンイチローくんと大寿くんからすべて竜胆くんに回されていると言っても過言ではないと思っていたが、どうやら本当にそうみたいだ。この前なんて私とイザナがポップコーン作る時に蓋しなかったせいで大変なことになったことまでバレてたからね。なんでそれ話しちゃうの。私から話そうって思ってたのに。
そんな風に竜胆くんの発言を拾って現実逃避をしていたのだが、竜胆くんは私が予備校をサボっていたことに関して言及する気は無いらしく、私の頭と背を撫でながらもう一度名前を呼んでくれた。うん。やっぱり竜胆くんの全部が好きだけど、声はその中でもかなり好きだ。
「家じゃ集中出来ないってんなら、うち泊まる?」
「泊まっ」
「こっからでも予備校通えるだろ。今そっちイザナ帰ってきてるみたいだし、騒がしいとつい遊びたくなったりしない?」
「す、するけど……お泊まりは……」
「別にそんな今更恥ずかしがる仲でもないし、どうする? オレは夏の間だけでもずっとリコと一緒にいたいけど」
「私も竜胆くんとずっと一緒にいたい……から、お言葉に甘えてお泊まりしよっかな」
お泊まりをするということはまあつまりそういうことになりそうというかなるんだろうけれど、まあもう竜胆くんとのお付き合いも二年を迎えるし、そんな、いけないことではないし。これまでにだって沢山お泊まりしてきたし。そもそも勉強のためにお泊まりするわけだから。
そうやって自分を納得させていたのだが、私たちの話を聞いていたらしい蘭ちゃんが笑いながら「ガリ子チョロすぎ」と言ってきた。黙りな。好きな人にチョロくなるのは仕方ないことなの。
「私がここにお邪魔してる間は蘭ちゃんはデブにくっついて私たちの実家の方行っててね」
「夏の間中ずっと?」
「別に沖縄に永住してくれてもいいんだよ」
「マジでめちゃくちゃだわコイツ」
「おいリコそれオレも沖縄に永住することになるぞ」
「黙れデブ! ミミガーになれ! ラフテーになれ! スーチカーになれ!」
「実の兄に対しての当たりの強さじゃないだろ。ってかミミガーって何?」
「豚の耳を使った沖縄の郷土料理」
「ラフテーは?」
「豚肉を使った沖縄の郷土料理」
「よーし分かった、スーチカーが何かは聞かないでおく。リコ、お前に土産買ってこないからな」
「は? 私は妹だよ? サーターアンダギーでいいよ」
「オレはソーキそば食いたい」
「え、そういう流れ? じゃあオレは首里城が欲しい」
「いや蘭はオレと一緒に沖縄行くんだし、首里城が手に入るわけないだろ」
+
校庭が一望できる渡り廊下に二人並び、開け放たれた窓から階下を除く。何かを話している男女や、部活仲間らしき集団。教師を囲んで話す女子数人など校庭は今まさに、卒業を迎えた生徒たちの別れの場になっていた。
卒業式が終わったのは今から二時間ほど前。最後のホームルームを終えて形式上の都合でクラス全体で写真を撮り、解散後はみんなバラバラに誰かに会いに行ったり校庭に出たりさっさと帰宅したりと、それぞれ思い思いに過ごしているのだ。
そんな中で私たち大親友は、私が連れ回す形になりながらも校舎をぐるっと回ってゴール地点の教室を目前に、こうして渡り廊下で立ち止まってお話をしていた。
「入学式のあの日、出会った頃のことを思い出すね……あの頃の大寿くんは尖ったナイフみたいでさ……」
「そもそもナイフは尖ったもんだろ」
「え? 確かにそうだね。じゃあ何、大寿くんは元々尖ってるナイフを更に尖らせて……? 触れるもの全部傷付けるタイプ……?」
「黙れ口を閉じろ意味の分からないことを言うな」
「リコちゃんが居たから楽しい高校生活だったよありがとう大親友……⁉︎」
「耳もおかしくなったのか?」
「耳以外は元々おかしいみたいな言い方やめてくれる?」
「逆に聞くがお前の一体どこがまともなんだ」
「全部だが⁉︎」
何だこの失礼な男。こんな可愛い美少女の大親友を三年もやっておいてこの期に及んで言うことがこれ。まるで私が頭おかしいとばかりの発言は看過できない。竜胆くん裁判所に訴えて有罪にしてもらわなきゃ……。
憤ってその背と肩を軽く叩けば無視された。ここ最近の大寿くんの流行りは無視である。因みに最近っていうのは入学当初から! なんなのホント。ノリ悪すぎ。そんなんだから私しか友だち出来なかったんだよ? 私は学外に一人友だち出来たからね? 逃亡犯になったけど。
アイツもアイツで私のこと都合のいい金ヅルと思ってるところがあるんだよなと舌打ちしていれば、大寿くんははぁと深くため息をついて窓枠に肘をついた。そのまま横目で私を見下ろしてきたので、なんとなく顔の横でピースサインを作っておく。更に深いため息をつかれた。人の顔見てその反応するのは失礼だぞ?
「何が苦しくてテメェみたいなのとあと四年間もつるまなきゃなんねえんだ」
「は? 嬉しがれよ。大親友と大学も一緒なのは奇跡だよ?」
「お前が合格したのは確かに奇跡だが」
「それは必然だよ!」
ホントに失礼だな。人が一生分勉強して必死で勝ち取った大学合格に対して言うことか。頑張ったねリコちゃんとか一言でも言えないの。同じ大学に通えることになって嬉しいよとか。まあそんなこと言う大寿くんを想像すると、らしく無さすぎて鳥肌が立つけど。
大寿くんが頬杖をついたその横に私も手をついて、グッと身を乗り出す。そのままその顔を覗き込めば、不愉快そうに眉が寄せられた。
「もう諦めればいいのに」
「何を」
「私から離れることを。私たちは高校三年間を一緒に過ごして、大学四年間もこれから一緒に過ごして、きっとその後もなんだかんだ言いつつ仲良くしてるんだよ」
「最悪な未来予想だな」
「予想じゃなくてわりと確信。お互い結婚して子どもが生まれても、その子たちのこと遊ばせたりしようね」
「気色悪ぃこと言うな。というかお前に性格が似たガキなら会わせたくもねえだろ」
「辛辣!」
ひどーいと声のトーンを高くして媚びるように非難すれば、わざとらしくため息をついた後に大寿くんは窓枠についていた腕を元に戻して数歩後退った。私は外に背を向けるようにして、廊下の中央に立つ大寿くんを仰ぎ見る。
この三年間、正直私は結構な時間入院とリハビリに時間を取られて通学が出来なかった。勉強も全然ダメダメだし結局親しい女の子の友だちは出来ないままだったしで、悪い思い出もそれなりにある。というか学校に他所のチームの人間が乗り込んできたり、そいつにすごく恥ずかしいあだ名を拡声器を通して呼ばれたりと嫌な思い出ばかりが思い浮かぶ。今思い出してもムカつくアイツ。あの時もっとボコボコにしてやればよかった。
だけど、だ。まあ良い思い出も沢山あって、そのどれもが全部大寿くんと一緒に過ごしてきたものなのだ。大親友と言うだけあって体育祭も文化祭も修学旅行も受験も全部一緒に過ごしていたから、思い返す高校生活の記憶に大寿くんの影がないことがない。
酷いことばっかり言うし、結局大親友だと名乗り返してくれなかったし、手は出なくなったとはいえ今でも喧嘩ばっかりするけれど、私は大寿くんと一緒に高校生活を過ごせて良かったと思う。
「大寿くんに出会えてよかった」
大寿くんは私を見下ろすだけで何も答えない。こういう人だ。私もそれは分かっているから、低い壁と窓枠に腰を預けて勝手に話を進める。
「こんなに素敵な大親友に出会えただけで、この三年間には十分すぎるぐらい意味があったよ。出会ってくれてありがとう。ひとまずあと四年間もよろしくね」
「最悪な宣告だな」
「最高の間違いじゃない? あと四年も私とずっと一緒にいられるんだよ? 竜胆くんだったらきっと喜んでくれるのに……」
「テメェの男とオレを同列に語るな。灰谷はテメェと同じ気狂いだが、オレは違うんだよ」
「はいはい。あのねえ、気狂い気狂いって言うけど、その気狂いが大寿くんの大親友なことに変わりはないからね?」
実際卒業アルバムに載っていた写真は個別のもの以外全部私と大寿くんは同じフレームに収まっていたし、誰が見たって私たちは大親友なのだ。最近は大寿くんも否定はしなくなってきたしね。竜胆くんもイザナも「まあ大寿なら」って認めてくれるし。家族公認大親友である。
離れて暮らすようになってからも一応大寿くんの近況を気にしているらしいゆずちゃんも、今ではすっかり私に大寿くんのことを聞いてくるようになった。両家公認ってわけ。分かる? この大親友としての私たちの絆。
着納めになる制服のスカートを揺らしながら、さっさと教室に向かって歩き出した大寿くんの後を追う。この後はそれぞれ家に帰って、明日三ツ谷くんも入れて三人で毎年恒例の鍋を食べる会を開いて、私は次の日から竜胆くんと一緒に二泊三日で温泉旅行。帰ってきたら大寿くんと二人でどこかにお出掛けする予定だ。大親友なのでね。竜胆くんも「まあ男と二人っていうのは嫌だけど卒業旅行なら許可する」って言ってた。
大学どころか学部学科まで大寿くんと一緒なので、大学の入学式自体も二人で行く予定。これは竜胆くんの方から「変なのに絡まれて欲しくないから」と大寿くんに要請が行き、私経由で大寿くんは押しに押して押しまくるとキレて受け入れると知った竜胆くんが圧をかけまくったらしい。笑える。まあ一秒でも遅れたら置いていくと何度も言われているので一緒に行ってくれるつもりではあるのだろう。優しい〜。
今日は久々に実家に帰るだのなんだのと話しながら教室に入り、結局三年間隣り合わせだったお互いの机から、既に荷物をまとめていた鞄を引っ掴む。
「外のコンビニでアイス買っていい? 新商品のやつ」
「この前転んで落としたやつか」
「それわざわざ言わないでくれて良くない? 確かに落としたけどさ」
あれは不幸な事故だった。アイスに夢中になりすぎた私がド派手に転けて、大寿くんどころか同級生や下級生、果てには近隣の方々の視線まで集めに集めた悲しい事故。自由登校になったのに大寿くんと遊ぶためにわざわざ学校に呼び出したりいた罰が当たったのかもしれない。
でも今日は卒業式。人生に一度きりの日だ。こんな日に転けたりしない!
「絶対今度は平気だから!」
「どうだか」
信じ難いとひとつ鼻で笑った大寿くんの背を軽い鞄で叩いて叩き返されながら、もう誰もいない教室を背に歩き出す。楽しかった高校生活はこれで本当に終わり。この先の大学生活も大寿くんと一緒ならきっと楽しくなるだろう。
余談だが、その日も私は転けてアイスをひっくり返して泣いた。
「あ、そうそう。話しておきたいなって思ってたんだけど、最近私たちと同じ頃に暴走族率いてた連中がどんどんボコされてってるって話聞いた?」
「そいつら集めて新しいチーム作ろうとしてるっつー話だろ」
「そうそれ。私たちめちゃくちゃ当てはまってるから危なくない? 私も最近結構修行サボっちゃってたし、大寿くんも……大寿くんは平気か」
「テメェに心配されるような事じゃねえのは確かだな」
「えー、心配ぐらいさせてよ。なんかさ、凄い嫌な予感してるんだよね」
+
うぇっと嘔吐くみたいな声が出て、でもその声も掠れていたし濁っていた。血の塊と一緒に吐き出された歯が地面に落ちる。全力で何十キロも走った後みたいに息がまるごと上擦って、開きっぱなしの口からはボタボタと耐えることなく血が伝った。
口の中が痛い。殴られた拍子に切れたのは頬だけではなく口の中もだった。地面に突っ込んだ時に思いっきりぶつけた額からも血が出てるし、背中も痛くて立てないし、右腕は多分折れた。何とか無事な左手で必死で鼻を抑えても鼻血が止まらない。
立たなきゃ。起き上がって立ち上がって、それで何とかしなきゃ。そう思っても体は動かなかったし、蹲った状態のまま脇腹を蹴っ飛ばされたせいで身体がまた地面をゴロゴロ転がった。今度は本当に嘔吐く。
「リコ!」
立たなきゃいけない。立って私はこの子を守らなきゃいけない。
蹲ることも出来ずにみっともなく地面に転がって這い蹲って、全身を満遍なく襲う痛みを堪えるために唇を噛み締める。血の味がした。
まずは、間髪入れず続く蹂躙としか言えない暴力にまともに息が吸えずにおかしな動きをしている肺をどうにかしなくては。でもどうにかって、どうすればいいの。息が出来るだけ時間を作る? どうやって? 反撃が出来たのは最初の方だけだ。途中からはもう私たちは殴られるだけ。
それでも何とか這って移動して、蹴っ飛ばされた時に距離が近付いたらしい末の弟に何とか覆い被さる。この子の方が私よりも背が高いから全然庇えてなんてないけれど、肉壁にぐらいはなれるだろうから。
「かくちゃん」
「リコ、もういい」
「よくない、でしょ」
良くない。なんにも良くない。だって私はあなたの姉なの。お姉ちゃんなんだよ。弟を守りたい。そう思うのは当たり前でしょ。
それに何より、こんな形で終わるなんて私のプライドが許せない。負けだなんて認められない。こんな一方的な暴力に屈するなんて耐えられない。
自分だって相当殴られて辛いだろうに、カクちゃんは私を抱き締めるようにして背に腕を回し、そのまま起き上がった。合わせて私の体も持ち上がり、全身がまた痛む。本当に痛い。こんなに一方的な喧嘩知らない。こんなの認めない。こんなの、絶対に。
「もう一度聞く」
淡々としたその声に背筋が凍る。最悪だ。体がもうすっかりコイツに脅えている。本当に嫌になるけれど、数十分に渡って振るわれた容赦のない暴力は私にとって未知数すぎた。敵わないかもしれないと思わされる相手。
こんなの最早喧嘩ですらないだろう。本当に単純な暴力だ。相手を屈服させ、虐げるためだけの暴挙。コイツは私たちを屈服させる側。
「黒川イザナはどこだ」
そして私たちは、コイツに屈服させられる側なのだ。
ハッとカクちゃんが息を飲んだ。折れてはいないけれど変な風に打ち付けたからか痛くて堪らない左腕でその背に触れる。私の背に回された腕にもまた力が込められた。
多分私たちは今、同じことを考えているだろう。私たちの頭の中に今、全く同じ重りをそれぞれの皿に乗せた天秤がある。
一際強くその背に触れてから、左腕一本を支えにして体を起こした。そのまま背を向けていた方を見て、自分が暴力で支配した私たちを頼りない電球だけを頼りに、どっぷりと辺りを包む夜闇の中で見下ろすその体を見上げる。天秤はもう既に傾いている。
「イザナは、今はいない」
「ならいつ戻ってくる?」
「それは私たちにもわからない」
本当は分かっているけれど。しばらく帰ってこないでと言えばイザナは絶対怪しんで、逆に早く帰ってくるのだろうなと思いながら口を開いた。そのまま飛んできた蹴りを受け入れて、またもんどり打って転がる。これは大発見なんだけど、既に全身の至る所が痛すぎて今の蹴りは特に痛みを感じなかった。最悪で最高な大発見だろう。
でも直ぐに起き上がることは出来ずにそのまま転がっていれば、私を庇うように前に出たカクちゃんが待てと叫んだ。やはり予想通り、私たちの天秤は同じ方に傾いていたらしい。
「オレたちの負けだ」
カクちゃんをじっと見ていた瞳が、地面に転がる私に向けられる。どうやら私も口に出す必要があるらしい。寝たままだと逆流してきそうな口内に溜まった血を吐き出し、仕方がないから口を開いた。今更ながらに涙が出てくる。悲しみの涙なんかじゃなくて、怒りの涙。
「私たちは……寺野サウス、あなたの下につく」
ああ、屈辱だ。
二兎追うものはデブも得ず