※クリーニング・ボンバー夢主
最悪だ。
ちょっとした遊び心から始めた競馬の借金が膨れに膨れ上がって遂に1000万。
ちょっとやそっと稼いだ所で返せる額じゃない。完全に引き際を間違えた。その上、ローン会社も最悪な所を選んでしまった。
『金融会社 カリヨーゼ』……少し調べればどれだけ暴利な悪徳金融なのかわかるはずなのに、俺はそんな余裕も無いくらいとにかく焦っていたんだ。どうしたら返済出来るか考えたが、貯金は無いし金を借りる相手も居ない。あるのはプログラミングの腕だけだ。
その能力を生かして面白いアプリや便利なソフトを開発するか? いや、そんな時間はないし、大衆に受けるアイデアなんてポンと浮かぶわけがない。企画、構成、制作、デバッグ……考えただけで嫌になる。
ならば逆にウイルスソフトを作ってしまうか? 銀行に不正アクセスして自分の口座に入金させるものや、HPの広告のリンク先を改ざんしてクリック収入を得るというものもあったな。
……いや、流石に犯罪は駄目だ、それだけには手を出しちゃいけない。……と、良からぬ方向へ巡る頭を俺の理性が静めようとするが、それよりも先にウイルスソフトの作りについてどんどんアイデアが浮かんで仕方ない。……だってそれ以外に現実的な方法が無いんだ。このまま借金地獄に苦しみ続けるより何万倍もマシだ。もう後がない。そうだ、後がない。俺は"それ"を"やる"しかないんだ。
出どころがバレず、簡単に駆除出来ず、感染も容易なウイルス。それだけ完成度の高いものを作ればきっと借金返済なんて目じゃない。今やネットワークが世界を動かすデジタルな時代だ。機械に頼る人間が一番怖れるもの、それはデータが消える事。俺の作ったウイルスソフトで画面の向こう側の奴らはどんな顔をするのか、それはどれだけの価値があるものなのか。俺は俺の持つ実力が知りたくなった。早速パソコンを立ち上げて俺はプログラムを組み始めた。
一週間後、寝るのも忘れてひたすら打ち込み続けた結果ウイルスソフトがほぼ完成した。さて、どんなものになっただろうか。軽くテストをしてみよう。パソコンの電源スイッチを押し、起動するまでの間に冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
『旦那様! おはようございます!』
「んブフッ!?」
突如、室内に響く女の声に驚いた俺は、口に含んだ飲み物全てを勢い良く吹き出した。
な、何だ!? 誰か居るのか!? 慌てて部屋を見回すがもちろん俺以外誰もいない。窓は閉まっているしテレビも付いていない。……となると。
『やだな、……ここですよ、ここ』
再び声がした方へ振り向くがそこには俺のパソコンしかない。何でもない至って普通のどこにでもあるパソコンのモニターだ。まさかとは思うが、いやまさかなんてあり得ない、勝手に何かの動画が流れただけ……と思ったその時、パッと画面に女の顔が映った。
「うおおぉ!? 幽霊だッ!!」
『酷いですね、旦那様。あなたが作ったんじゃないですか、私を!』
俺は世界を混沌に陥れるウイルスソフトは作ったが、こんな萌え系お喋りアバターソフトを作った覚えはない。いや、むしろウイルスを作っていたつもりが実は萌えソフトを作っていたのか? 俺はそんなに疲れていたのか?
『ちょっと旦那様、聞いてますか?』
「はッ……、あ、ああ」
女は俺に対して話し掛けているようだ。何故画面に映る女と意思疎通が出来ているかは全くわからない。何だこれは。
『テストしないんですか? せっかくこんなに可愛いウイルスが誕生したっていうのに』
「う、ういるす?」
『試してみましょうよ、ね!』
その女は信じられないことに、自分を"ウイルス"だと言った。俺はパソコンに一切触れていないのに、デスクトップのフォルダが勝手に開いてウイルスソフトのアイコンに矢印が移動した。
『良いですか? いきますよ、えい!』
俺の返事も待たずにその女が勝手にウイルスを起動させると、テスト用のデータが次々と削除されていき個人情報を全て抜き取って、最後にはウイルスの痕跡すら無くなってしまった。……こんな事が自分のパソコンでいきなり起こったらと思うと、ゾッとする。
「すげえ……俺すげえ!」
『ふっふーん! 旦那様と私の力があればこんなもんです。もっとえげつないのにしましょ!』
「ていうかこの変なAIは要らないな、コード書き換えておくか」
『ちょっ! いい加減認めてくださいよ、私がこのウイルスなんですってば!』
相変わらずアホなことを言う女だ。どう考えても信じられない。俺は女の言うことを無視してソースコードを開いた。だが、どこにもこのAIのソースが見当たらないし、いくら見ても情けないことに全然わからない。画面と睨み合っていると、次々とその文字が後ろから消されていくのに気付いた。ソフトが勝手に閉じてデスクトップに切り替わったと思えば、今度は並んでいるいくつものアイコンが削除されていき、俺は心臓が凍り付いて慌ててモニターを両手で強く掴んだ。
「お、おい、何だよこれ! 止めろ!」
『信じてくれないなら良いです。全部消してやります!』
「わかった信じる! 信じるから直してくれ!」
その言葉に画面上の女は笑みを浮かべ、全てのデータを元に戻した。何なんだこの女は。まさか本当にウイルスだって言うのか? あまりにも非現実的な展開で俺は付いていけそうにないが、この女の機嫌を損ねれば俺の半身ともいうべきパソコンが跡形もなく消え去るということだけは明白だ。
『旦那様、私は何という名前ですか?』
「はあ? 知らないよ」
『酷いです! 旦那様が生みの親なのに……ちゃんと名付けてください!』
突然そんなことを言われたって、何も考えてなかったとしか言いようがない。だがコイツの言う通りにしないと、今度は何をしでかすかわからない。金のなる木に自己発火されてたまるか。
……名前か。データを全部消すってことは、真っ白になるって事だ。それでいてこの女の爆弾みたいな厄介さを表現する言葉といえば。
「……クリーニング・ボンバー」
『は?』
「良い語感だ。よし、お前は今日からクリーニング・ボンバーだ!」
『わかりました! では略して名前って呼んでください!』
「嫌なら嫌ってはっきり言え!」
結局自分で名前を決めやがった。自由すぎるだろこの女。
『さー旦那様! 今以上にとびっきりのウイルスにしちゃいましょう!』
「はいはい……」
現実逃避をするのは諦めた。俺は目の前の画面の女……名前、とか言ったか? まあ、とにかくコイツの言う通り、更に手のうちようがない程の最悪なウイルスに仕上げなければ、俺の借金を帳消しにする事は出来ないだろう。なんか変なオマケ付きだがまあいい。どうせコイツはその内俺の手元から離れるんだ。人工知能だかAIだか萌えアバターだか知らないが使えるものは使わせてもらおう。
――という俺の目論見は、甘すぎた。
『旦那様、ここの宣言は余計じゃないですかね』
『ちょっと旦那様、また競馬ですか? どうせ負けるのに』
『あ、洗濯物終わったみたいですよー。とっとと干してください!』
『旦那様! 起きて下さい、会社に遅刻しちゃいますよ〜!』
う、る、さ、い。
コイツは俺のかーちゃんかというくらい、俺の日常生活に口を出してくるようになった。というのも電源を落とすとコイツ――名前が怒るからだ。仕方なく俺は常にパソコンを付けているが、どちらにせようるさいことに変わりはない。
だがまあ悪いことだけではない。仕事から帰ってきて「おかえり」という声を掛けてくれる人(?)が居ることの安心感や、放置しがちで生乾きになってばかりの洗濯物の減少や、誰かと話をするという当たり前のようなコミュニケーションが俺にはなんだか温かく感じた。本人には絶対言わないが。
「大分かかったが……これで完成だな」
『お疲れ様でした、旦那様』
「データ消失後にお前のふざけた顔とメッセージが出てこなければ完璧だったんだけどな」
『大事ですよ、"Hello World"は!』
「皮肉にしか聞こえないんだよ」
俺はデスク脇のラックから空のCD-ROMを取り出してHDDに入れる。明日、これをゼニトラに渡せば俺の借金は帳消しになる。俺のこの後ろ向きに前向きな努力の賜物がいよいよ報われるんだ。
「じゃあ、コピーしてくれ」
『……わかりました』
「どうした?」
名前の顔がどことなく曇った気がして心配になった。まさか実は他にもバグが隠されていたとか、不備があったのだろうか。
『旦那様、短い間でしたがありがとうございました。私、頑張って世界の覇者になっちゃいますね』
「何だよ、急に改まって。そういえば、CDにコピーしたら名前も2人になるのか?」
そう思うとゼニトラが不憫だな、なんて笑いがこみ上げてきたが、名前の顔は無表情のままだった。
『いいえ、……私は消えます』
「……どういう事だ?」
『正確には、CDの方に私が移ってウイルスを起動させなければなりません。その後、私は消滅します。ネット上の不安定な情報環境下では生きられないんですよ。波にさらわれる砂粒みたいな感じですね』
自分が消えるというのに、まるで他人事のようにそいつは淡々と喋り続けた。
『今すぐとは行かずとも、いつか私のアンチウイルスソフトが出回るでしょうし……そうしたら完全に消えるでしょうけど、旦那様だけは私の事を忘れないで下さいね』
「名前……」
名前はニコッと笑って別れを告げた後、自らCD-ROMの中に入っていった。それまで振動音が響いていたHDDは静かになり、焼き終わったことを証明するようにトレイからCD-ROMが出てきた。だが俺はそれをしまうのも忘れて呆然と見つめる。
……消えるなら消えるって最初からそう言えよ。せっかく二人で最悪のウイルスを生み出したっていうのに、喜び合える相手が居ない身にもなれよ。いきなり現れて好き勝手言って人のパソコンで暴れて、いきなり消えるって……何だよ、
「勝手すぎんだろ!」
衝動的な感情をぶつけるように脇のラックに拳を思い切り叩きつける。大きく揺れた後にやっちまったと思って見上げると、一番上の棚から紐で縛った分厚い雑誌の束が落ちてきて、見事に俺の顔にクリーンヒットした。
「うぐッ!」
思った以上に痺れる衝撃に、目の前に火花が散った。じんじんと痛む頬、そして……なんて事だ、今の雑誌のせいで左耳がおかしい。耳に水が入った時のように音が遮断されて違和感を感じる。ああくそ、最悪な事はどうしてこうも重なるんだ。だが、痛みで頭に血が上りしばらく怒りの感情を露わにした後、やってきたのは虚しい気持ちだけだった。
……アイツが消えるから何だって言うんだ。俺は、俺の為にこれまでの時間を費やしてきたんじゃないか。……くそ、やめろよ。これをゼニトラに渡せば、俺は借金地獄から逃れる事が出来るんだ。アイツの存在自体が夢みたいな、理屈で説明できないわけのわからないものだったじゃないか。良いんだ、これで。
翌日。
アルミラックからの落下物により左耳が聞こえなくなった俺はまず病院へ向かった。医者いわく、耳の鼓膜が損傷しているらしい。治療をしてもらい、薬を受け取ってからゼニトラと待ち合わせていた吐麗美庵にやってきた。
ビクビクしながら待っていると、ファンシーな内装の店には全く似合わない図体のでかい男――借金の取り立て屋が来店した。俺の座っているテーブル席に、向かい合うようにしてどっかりと座る。髪を全て後ろに流したトゲトゲしいオールバック、ギラリとした目付き、傷の入った顔、牙のように鋭い犬歯、龍と虎の入ったシャツ、……相変わらず見た目がおっかない。
「ようニイちゃん、約束のブツは持ってきたか?」
「……はい、大分お待たせしてすみませんでした」
俺はCDを取り出してテーブルの上に置いた。これが使われれば、名前は消える。けどこれしか方法はない。俺が罪悪感を感じる必要なんて無い、アイツの事は忘れろ。
乱れる気持ちを落ち着かせようとパーカーのポケットに手を突っ込むと、丸まった何かが入っていたのに気付いて、それを掴んで取り出してみる。……あ、宝くじだ。そう言えばこの前、馬券のついでに買っていたのを忘れていた。当たるわけないと思いながら夢を捨てきれず手に入れた宝くじの一等賞は5000万で、当選発表は……今日!?
「す、すいません、待って下さい!」
俺はウイルスの入ったCDを――名前を手のひらでテーブルに押さえた。ゼニトラにメチャクチャ睨まれたが、負けじと心を奮い立たせる。藁にもすがる気持ちで携帯のラジオを付け、イヤホンを耳に当ててしっかりと聞き漏らさないようにする。
三等は……ハズレか。二等も、ハズレ。だが俺が欲しいのはそこじゃない。
『……続いて、一等の番号です』
かつて無いほどの緊張感が俺を包み込む。一字一句聞き漏らさないよう、番号を一つひとつ確認していく。
『……1035…3…3です!』
「うそ、だろ……」
「おいニイちゃん、いい加減この手ぇ離さんかいゴラァ!」
ゼニトラが凄みながら俺の手を指差す。だが俺は目の前の男の言葉を無視して、テーブルの上のCDを再び鞄にしまった。
「おいコラァ! どういうことじゃワレエエェ!」
「……当たりました」
「何がじゃおんどれゴラアアア!! エエ加減にせんと……」
「宝くじが当たったんです! 5000万!」
俺は大声で叫びながら当たりくじと鞄を掴んで立ち上がった。今すぐに帰らなければ。ゼニトラは『頭イカれとんのかコイツ』という顔をしていたが、俺のタダ事じゃない様子を見て本当の事だと気付いたようだ。急に手のひらを返すように俺の機嫌取りを始める。
「そ、そうか〜じゃあコーヒーでも飲んでいかんか? ん?」
「いえ結構です! すみませんがあと一週間待って下さい。今度こそ絶対に利子ごとお返しますので! 失礼します!」
矢継ぎ早に告げ、すぐさま店から勢い良く飛び出して自宅へと戻った。乱れる息を整える間もなくCDをパソコンに入れて立ち上げる。データを自分のデスクトップにコピーして、CD-ROMの方は削除。ウイルスのソースコードを開いて名前の登場を待つが、見慣れたアイツの姿は画面に出て来なかった。
「おい名前! 居るんだろ、返事しろ!」
名前を呼んでも返事がない。何なんだよ、まだウイルスは使ってないんだから、消えるわけがないだろ。返事しろよ、顔を見せろよ、勝手に消えるなよ。それに、俺の左耳の文句だってお前に言ってやらなきゃ気が済まない。
何とかならないものかと、コードに手を加える。修正や改善なんかじゃない、滅茶苦茶になるように書き加えていく。もうこれで個人情報だの改ざんだの不正アクセスだのはおじゃんだ。
『ちょちょ、ちょっと旦那様!? なな、何してくれちゃってやがるんですか!』
「おお、やっと出たな名前」
待ち望んだ女の顔が困惑と怒りを滲ませながら飛び出てきた。俺の顔とソースコードを見比べては大きくため息を吐いて、やがて呆れた表情をした。
『あーあ、もう……これ修正大変ですよ? 私にやれってんですか?』
「いや、別に直さなくていいんだ。全部消そうと思ってな」
『ええ!? 役を果たさせないまま私に消えろと!? 酷すぎます!』
「違う。お前だけ残して、他の要素は全部消そうと思ったんだ」
『…………え?』
名前の間抜けな声に、俺は何やら恥ずかしいことを言ってしまった事にようやく理解した。今更慌てて訂正したってもう遅い。名前はこれ見よがしに画面の左右に動き回っては嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべる。
「勘違いするなよ。宝くじで5000万が当たったからクリーニング・ボンバーは必要無くなっただけだ。だけどまるごと削除したら可哀想だし、お前だけは残しておいてやろうという優しさをだな……」
『ふうーん、へえ〜、そうなんですか〜!』
あ、駄目だ。コイツ完全に俺の話を聞いてないな。完全に都合よく解釈している。ニヤニヤニヤニヤと邪な面見せやがって。……コイツも、俺と居られるのが嬉しいのだろうか……なんて、俺は何を考えてんだか。
『でも旦那様、ウイルス要素を消すのは無理です。私がクリボンなんですから』
「変に略すなよ。じゃあどうすればいいんだ?」
『要は私がネット上にウイルスをばら撒かなきゃ平和で平穏で安心って事です!』
「おい」
『しませんよ、そんな自殺みたいなマネ』
「なら良いけどな」
椅子の背もたれに体を預け、頭の後ろで手を組みながらそう言うと、目の前のモニターに映る名前は歯を見せながら口角を上げた。
『……とゆーわけで、これからもよろしくお願いします! 旦那様!』
「仕方ないからよろしくしてやるよ、名前」
素直じゃないんですから、と名前は口うるさく言うが、互いに悪い気はしないどころか喜びの感情がぶつかり合っているようなむず痒い感じさえしてくる。
ただそれをコイツに素直に言ってやるのはやっぱり癪なので、俺はマウスを握って名前の頬をクリックし、そのままドラッグして抓ってやると本当にほっぺが伸びたので驚きながらも笑ってやった。セクハラです訴えますだの言い出すが、好きにするがいいさ。
変な同居人が増えてしまったがかかるのは電気代だけなのでまあいい。今後共よろしくしてやるか。
ロクデナシと爆弾
(20161202)
Smotherd mate