なんて事をしてしまったんだ、とあとから後悔が津波のように押し寄せた。
違う、僕は悪くない。だってあの女が僕の携帯を警官なんかに渡すから。これから取りに行くって言ったのに、どうしてそんな余計な事をしたんだ。
いや、今こんな所で過去を悔いても仕方ない。さっさと僕のメガネと携帯を手に入れてここから逃げるんだ。幸い、今なら目撃者は居ない。
――と思った矢先に、目の前にある公衆電話が鳴った。ジリリリ、ジリリリ、とまるで僕を呼び寄せているかのようにけたたましく鳴り響く。ゴクリと唾を飲み込み、僕は電話ボックスに入って受話器を握った。
「……もしもし?」
『やっちゃったね、諸平野クン』
ドクンと心臓が脈打った。知らない女の声が、まるで今の惨劇を見ていたかのような言葉を放った。
『警官殺しか、とんでもないね。今の気分はどう? 後悔してる? 助かりたい?』
「き、君は誰だ! 近くにいるのかい? この惨状を何とかしてくれるっていうのか!?」
『焦らないで、大丈夫。全部私の言う通りにしてごらん』
そして電話口の女は僕にいくつかの指示を言い渡した。電話の内容は5分もなかったと思う。
警官の指を使って地面にダイイングメッセージを書く。彼を殺したのは僕ではない、携帯をこの男に渡した女だ。スズキ、とか言っていた。スズキという女がこの警官に渡さなければ殺される事は無かったのだ。
ふう、と一息ついて空を仰ぐと高台に人影が現れ――1人の女がこちらに気付く。
マチオサン、と女が震える声で叫んだ。騒ぎを聞きつけた周りの人々が少しずつ僕達を囲み始める。
「あの女だ……あの女が、この警官を突き落としたんだ!」
『まもなくやってくる女性に、罪をなすりつけて』
すかさず、僕は周りの野次馬にも聞こえるように叫んだ。再び電話ボックスに入って警察に通報。ここまでは、あの女の言う通りにしたが……結局、メガネと携帯は見つからなかった。
そして裁判が始まり、僕に突きつけられた真実は――信じたくもない、有罪判決だった。
独房に閉じ込められ未だ茫然自失な僕は床にぺたりと座り込む。くそっ、全部あの女のせいだ。……違うって、そんな事はわかっている。僕が人を殺した事実はどうあがいても消えない。けれど、今の現状を受け入れたくない僕の心を救うためには誰かに罪をなすりつけなければ、やっていられなかった。
独房の外から靴音が聞こえてくる。規則的な音は僕の背後で止まり、鉄格子に背を向けていた体をゆっくりと動かしてそちらを見た。
「看守、さん?」
廊下の電灯による逆光と深く被った帽子のせいで顔がよく見えない。
問いかけに返事もなく、看守は鉄格子を勢い良く両手で掴んだ。ガシャ、と短い金属音が響き、僕はビクリと体を震わせて両手を地についた。
「ふ、ふふふ、ふ、ふ」
「な、何だい君は、本当に看守なのか?」
不気味な笑い声がピタリと止まり、看守はゆっくりと顔を上げた。ようやく明かりが相手の顔を照らし――そこに居たのは、優しい笑みを浮かべた若い女性だった。今、自分が独房の中に居るのを忘れてしまうくらいに、開放的で晴れやかな笑顔だ。
「これでずっと一緒に居られるね……諸平野クン」
女の口角が、ぐにゃりと歪む。
その声は、あの時公衆電話で聞いた――ああ、そうか、僕はこの女に嵌められたのだ。
「ずーっと見てたよ、諸平野クンの事。よくあの公園でサンドイッチを食べている所も、代わる代わる女の子を騙してる所も、電話で老人相手に振り込め詐欺している所も。あ、下唇噛むのは苛々してる時なんだよね。腕組んで目を瞑っていたのは、次のカモでも考えてたの? 白いスカーフ、よく似合ってたよ。ここじゃ巻けないけどね」
ぞわりと全身に鳥肌が立つ。肌の表面が粟立つような不気味で気色悪い、それでいて甘美な爪痕がつつ、と僕の心を優しく撫でた。
「これからも、ずっと見ててあげるからね。……諸平野クン」
鉄格子が、優しく軋む音がした。
Smotherd mate