将来、弁護士を目指している私は社会勉強も兼ねて裁判を傍聴しに来ていた。
弁護側は青いスーツにツンツン頭の見た目若そうな男性だが、それなりに裁判を経験している人だ。私も彼の名前だけは聞いたことがある。
成歩堂 龍一。数々の刑事事件をそのハッタリと執拗なまでの追求で全てひっくり返したという、生ける伝説だ。彼の裁判とあらば、人生で一度は傍聴してみたいものだった。
対する検察側は初めて見る男性だった。
浅黒い肌にグレーのふさふさ頭、モスグリーンのシャツの上には前面がベージュ、背面はブラックのベストを着て……コ、コーヒーを飲んでる……!?
それよりも目が行ったのは、彼の顔に掛けられている赤い三本ラインの入った仮面。
彼の異様な存在感をさらに引き立ててくれるアイテムのおかげで一層非現実的なものを感じる。
名前は――ゴドー検事と呼ばれていた。日本人ではない、のだろうか。その割には日本語が達者で、ますます謎は深まるばかり。
裁判中の彼らはひどく真剣で、その異議の応酬に私は息を呑む。
成歩堂弁護士は流石、恐怖のツッコミ男と呼ばれるだけあって、些細な証言にも待ったをかけて新たな証言を引き出しては、証拠品との矛盾を突き付けていく。
反対の検察側は着々と被告人が無罪に近づいているにも関わらず、涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
一度だけ、弁護側が突きつけた矛盾に対して、口に含んだコーヒーを勢い良く吐き出した時は、そのギャップに驚いて声を出さずに笑った。
結果は弁護側の勝訴。被告人は無罪を勝ち取り、真犯人を緊急逮捕となった。
裁判が終わり、私はロビーのベンチで一休みをしていた。
先ほどの裁判の興奮が、まだ冷めやらない。
すごく、ドキドキした。
ふと、紙コップ式の自販機を見るとコーヒーがあったので、お金を投入してボタンを押す。しばらく自販機の前で待っているとランプの点灯が消えて、注ぎ終わったことを知らせてくれる。私はプラスチックの小さなフタを開いて、アイスコーヒーの入った紙コップを取り出した。
ミルクも砂糖も一切入れていない、ブラックコーヒー。そう、ゴドー検事の真似だ。彼の飲み方を真似て、一気にごくごく飲んでみる。口の中いっぱいに慣れない苦味が広がり、喉を通っていく。あまりの苦さに思いっきり顔を歪めた。
あの時の興奮をもう一度と、私は刺激を求めるように度々裁判を見に行くようになった。
ゴドー検事の裁判を見れた時は本当に嬉しくて、ドキドキしながら彼の低い声を聞いていた。彼のミステリアスな一つひとつの言動が、証人の証言だけでなく、私の心までもを強く揺さぶった。
裁判の傍聴が終わった後は、必ず自販機でブラックコーヒーを買って飲んだ。何度飲んでも苦くて慣れないけれど、彼が好んで飲んでいるものだと思うと、喜んでそれで喉を潤した。
多分私は、弁護士を目指しておきながら、ゴドー検事に憧れを持ってしまったんだと思う。
あれから幾度目かの傍聴の後、いつものようにブラックコーヒーを買う。紙コップを傾けて、一口。やっぱり苦くて顔を顰めてしまう。
「クッ……アンタみたいな可愛いお嬢さんに、漆黒の闇は似合わねえぜ」
背後から聞こえてきた聞き覚えのある低くて静かな声。まさかと思って勢い良く振り向けば、そこには私の憧れのゴドー検事が立っていた。
え、本物? 今、私に話し掛けたの? と、信じられない気持ちで一杯で、ただ目をパチクリさせていると、ゴドー検事は胸ポケットから何かを取り出した。
「真暗な夜空には月明かりが恋しくなるだろう?」
ガムシロップとミルクを私の飲みかけの紙コップに入れ、上質なハンカチに包まれた小さなマドラーを取り出してかき混ぜる。随分と準備がいいものだ、と心の中で静かに感心した。
飲んでみな、と言われてからハッとし、ミルクによってダークブラウンに染まったコーヒーを口に含んだ。少しだけ甘味とマイルドさが加わったコーヒーは私の口によく合い、美味しく感じた。
「おいしい……」
「ソイツも笑顔で飲まれりゃ喜ぶだろうさ」
「私、そんなに不味そうな顔で飲んでましたか?」
「クッ、見かける度に渋い顔をしているコネコちゃんが気になってな」
コネコちゃん、とは私の事だろうか。何にせよ、コーヒーに対して失礼な事をしたなあ。ましてや、コーヒー好きな人にそんな表情を見られていたなんて。でも、『見かける度』ということは、ゴドー検事は私の存在に気付いていてくれたんだと知って、嬉しくて堪らなかった。
「裁判の後に此処を通る度、何かを飲んでは『苦い!』って顔をしていたからな」
「うっ……!」
もしかして、それは私の真似だろうか。そういえばゴドー検事、裁判中も成歩堂さんや証人の真似をしていたし、そのモノマネも上手だった。
憧れの検事は、実際に話してみると案外気さくな人で、また少し私の心の中に入り込んできた。
「このコーヒーの味を監修しているのは俺だ。だからこそ、美味しく飲んで貰いてえのさ」
「そ、そうだったんですか!? それは、すみませんでした……」
まさかゴドー検事が直々に味の監修をしているなんて思いもしなかった。つまり、これこそがゴドー検事が裁判中に飲んでいる『ゴドーブレンド』なのだろう。ますます申し訳ない気持ちになったし、恐れ多くも感じる。けどそれ以上に、憧れの人が飲んでいるコーヒーと全く同じものを飲んでいると知って、余計に嬉しくなった。
次からはしっかりミルクとシュガーも付け加えて飲むように、と言われて私は首を縦に振った。
会話も終わり、ゴドー検事が踵を返そうとした時、私は思い切って自分の気持ちを打ち明けた。
「あの、私、実はゴドー検事に憧れていたんです!」
「ほお、そうなのかい?」
「はい! 私……これからもゴドー検事を応援しています!」
「よせやい、照れちまうぜ」
ニッと口角を上げるゴドー検事が、かっこよくて。
その仮面の奥の瞳はどんな風に私を見ているのだろう、いつか見てみたい、と思った。
「コネコちゃん、アンタの名前を聞いてもいいかい?」
「は、はい! 苗字名前と申します!」
「……じゃあ、名前。アンタと法廷で逢えること、楽しみにしてるぜ」
そう言って、ゴドー検事は私に背を向けて手をヒラヒラさせながら行ってしまった。ゴドー検事の言葉に、私は小脇に抱えていた弁護士になる為の本の存在を思い出した。しまった。これじゃ敵対宣言のようなものだ。でも。
「名前で呼ばれちゃった……!」
それが無性に嬉しくて仕方なくて。
ああ、どうにかしてゴドー検事の期待に応えたい。
絶対に弁護士になって、今度は弁護席で真正面から彼と向き合おう。
彼と対等に戦えるくらい強くなって、いつかブラックコーヒーも飲めるようになろう。
仮面で閉ざされたその先を、いつか私にも教えてもらえる日が来ると信じて。
決然たる白と黒
(20160915)
Smotherd mate