※トリップ夢主
「宗矩さん、おにぎりの具は梅干しと鮭のどっちがいいですか?」
「どっちも食べたいなァ」
「わかりました!」
現在私は、隣に居る男性――柳生宗矩さんの屋敷でお世話になっている。そして今日は宗矩さんと遠乗りするので、お弁当を作っているところだ。
ここは私が住んでいた時代から400年以上昔の日本。現代人である私が、何故こんな所に居るのかというと……。
――残業で遅くなった帰り道。
街灯もなく足元がよく見えない状態で小道を歩いていたら、なんと蓋の空いたマンホールに落ちてしまった。我ながらドジだと思いつつ、蓋が空いていることに憤りながら自力で這い上がると、そこは私の見慣れた景色では無かった。
森の中のようだけど遠目に家が見える。古い家屋で、まるで武家屋敷みたい。それに落ちた時は夜だったのに、今の空はまるで昼間のように明るい。
井戸から腕と頭だけ出して見回していると、1人の男性が私に気付いた。
『お嬢ちゃん、そんな辺鄙な所で遊んでるのかい? それとも涸れ井戸の妖怪かなァ?』
『ち、違います! あの、ここはどこですか?』
『ここは大和の柳生庄だよォ。そこがおじさんの屋敷さァ。刺客や忍びっぽくも見えないねェ、迷子かい?』
自分のことを"おじさん"と言う割に若そうに見える男性は、自宅を指しながらのんびりとそう言った。
大和ってどこだろう? 忍びって忍者のこと? それにこの人変わった着物を着てるなぁ。大きな太刀まで持ってるし、ちょっと怖い。
『あの、ええと……わかりません』
『記憶喪失かい? お嬢ちゃん、自分の名前は覚えてる?』
『はい、苗字名前です』
『良かった、覚えてるみたいだねェ。おじさんは柳生宗矩だよォ。とりあえず、井戸に住んでるわけじゃないなら出てきたらどうかなァ?』
確かにこのまま井戸の中にいるわけにもいかない。力を込めて体を外に出そうと踏ん張るが、悲しいかな現代の社会人は運動不足なのだった。
『仕方ないねェ』
宗矩と名乗った男性が近付き、私の脇の下辺りに手を入れた。う、くすぐったい。
そしていとも簡単に持ち上げられ、彼の傍に下ろしてもらった。
『あ、ありがとうございます』
なんという怪力だ、私とは大違い。それに、井戸から見ていた時からそうだろうと思っていたけど、この男性すっごく背が高い。2mはありそう。顔を見ようと仰ぐと、まるで木を見上げている気分になる。
『で、結局迷子なのかい?』
「人生の迷子です」と言うべきか戸惑った。いや、むしろそれで正しいのかもしれない。……やっぱり話がややこしくなるような真似は止しておこう。
『そうみたいです……マンホールから落ちて、やっと出てこれたと思ったらこんな所に居ました』
『まんほおる? よくわからんが、とりあえず話を聞こうじゃない。おいでよ、ここは寒いからねェ』
確かに昼間と言えど少し肌寒い。季節的に春の手前あたりだろうか。辺りには草木が生い茂り、つくしやたんぽぽが生えていた。
男性に屋敷へ招かれて、私はそこで色んなことを話し、沢山のことを聞いた。
どうやら私が今いる場所は大和――現代で言う奈良県だ。そして私の住んでいる時代から400年以上も前という事が判明。私を助けてくれた男性は名の通った剣豪らしいが、正直言って歴史を何も知らない私にはあまり聞き慣れない名前だった。
井戸から出てきたなら井戸に入れば戻れるのでは、という話になり、早速私は再び井戸へ飛び込んだ。正確には、怪我をしないようにゆっくりと壁を伝いながら。
しかし涸れ井戸の中は土や石が転がっているだけで、私の知っているマンホールの中とは程遠い世界だった。こりゃ駄目だと早々に諦めて這い上がり、再び宗矩さんに持ち上げてもらう。
……そんなこんなで色々あり、私は宗矩さんにお世話になることになった。
お弁当が完成し、宗矩さんと一緒に馬の隣に立つ。宗矩さんはひらりと馬に跨り、少し体を屈めて私に手を伸ばす。その手を取ると、ものすごい力で引き上げられた。このまま馬の反対側に飛んで行くかと思った。
宗矩さんの前に座らせてもらい、太い腕が私の体を包むようにして手綱を握る。アトラクションのシートベルトみたいな安定さを感じ、その腕にそっと触れてみる。うわぁ、筋肉隆々だ。
「おじさんの腕がそんなに楽しいのかなァ?」
「ええ、すっごくムキムキです!」
「ムキムキかァ。面白い表現をするねェ」
笑いながら宗矩さんは馬を走らせる。馬に乗り慣れない私に気を遣ってか、速度はとてもゆったりとしていた。馬に乗るとお尻が痛くなるというので少し覚悟をしていたけど、これなら大丈夫そうだ。
大分山の奥へ進んで行ったと思う。森の中を通り、道がひらけたかと思えばそこは草花が一面に広がる草原だった。風が吹く度に波打つ草花に感嘆の声を上げる。その中央に生えている大きな桜の木の下へ向かった。
宗矩さんは馬から降りて、次に私の脇腹あたりを抱えて降ろしてくれる。うーん……この子供扱いのような抱っこは未だに複雑だ。一応私、宗矩さんより年上なんだけどな。でも宗矩さんは身長も相まって年下という感じがしないし、私も年上ぶっているつもりもない。自然体で居たらこうなっただけなので、あまり気にすることでもないか。
持って来た茣蓙の上にお弁当を広げて宗矩さんにおしぼりとお箸を渡す。重箱を開けて1段目は卵焼きや椎茸の煮物、かぶの漬物、焼き鳥などのおかず系。2段目はぎっしりとおにぎりが詰まっている。宗矩さんの希望通り、梅干しも鮭も入れた。
海苔を巻いて宗矩さんに手渡す。宗矩さんが持つとおにぎりがとても小さく見える。くすくす笑っている私を気に留めず、大口でばくばくと食べ始めた。
「お嬢ちゃんは料理上手だねェ。母親に習ったのかい?」
「ええ。後は自分で創作したり、本を読んだり」
へェ、と言いながら煮物に箸を伸ばす宗矩さん。あれ、そういえば箸で何かを掴む剣豪の逸話を聞いたことがあるような。
「宗矩さんって、箸でハエを掴めますか?」
「それくらい出来るけど、飯を食う道具でわざわざやったことはないなァ」
「うーん、じゃあ宮本武蔵かな……」
「待った、お嬢ちゃん。宮本武蔵を知っているのかい?」
ぽつりと呟いた人名に宗矩さんが目付きを変えた。眉をひそめて訝しげにこちらを見ている。いつも通りの笑顔のはずなんだけど、微かに威圧感を感じるというか。
「ええ、宮本武蔵って佐々木小次郎と戦った人ですよね?」
「……何でその子達は知ってて、おじさんのことは知らないんだろうかねェ」
面白くない、と言いながら宗矩さんはおにぎりを頬張った。なんだかわからないけど気を悪くさせてしまったみたいなので、慌ててフォローを入れる。
「でも私、本当にそれくらいしか知りませんよ。あとは織田信長とか、徳川家康とか?」
「その辺は知ってて当然っちゃ当然さァ」
あ、ダメだ。ちょっとへそ曲げてる。やっぱり怒ってる……よね。
機嫌を取ろうと考え、私は持っていた箸で卵焼きを掴んで宗矩さんに差し出す。
「宗矩さん、はい、あーん」
宗矩さんは一瞬ぴくりと反応し、眉間に皺を寄せたまま私の箸から卵焼きを食べた。
「……こんなんで……モグ、おじさんの機嫌を、モグモグ……美味しいねェ」
「良かった、お口に合ったようで」
卵焼きであっさりと懐柔された宗矩さんにホッと胸を撫で下ろす……のも束の間。今度は宗矩さんが自分の箸で焼き鳥を掴んで差し出してきた。
「はい、どうぞォ?」
「え……」
笑顔の宗矩さんに思わず胸が高鳴る。自分はやっておきながら相手の親切を無碍にするのはどうかと思うので、私はおずおずと焼き鳥を口にした。
「美味しいです……」
こうやって食べさせ合っていると、まるで恋人みたいで何だかドキドキする。
「成程、まるで親鳥の気分だァ」
……宗矩さんはそうじゃないみたいだけどね。恋人になりたいとか、そんな関係を望んでいるわけではないが、女として意識されていないのもそれはそれで辛い。というか親鳥って。
「おじさん、箸でハエは掴まないけど、食べ物を掴んで名前に食べさせてあげることは出来るよォ」
もしかしてさっきの話をまだ根に持っていたのだろうか。宗矩さんは次々と料理を掴んでは私に食べさせようと口元へ持ってくる。まだ飲み込んでいない、と手で制してもお構いなしだ。ようやく料理を飲み込んで宗矩さんに言う。
「この料理は宗矩さんの為だけに頑張って作ったから、もっと宗矩さんに食べて欲しいです」
そう言うと、宗矩さんは私の口元に持ってきていた料理を今度は自分の口に入れた。ああ良かった、これで自分のペースでゆっくり食べられる。でも今言った言葉も私の本当の気持ちだ。
お弁当を食べ終えて、2人で茣蓙の上に寝転がる。どこまでも広がる青い空に、白い雲がゆっくりと流れている。こんな風に過ごしていると時間を忘れてしまう。私の居た時代では常に時間に左右されて、一分一秒をとにかく焦って生きていた。生き急いでいたと言ってもいい。
「お嬢ちゃんの居た世界の話を聞かせてくれないかい」と言われたので、まだ話していないことをぽつりぽつりと話し始める。私の居る日本には戦争なんてもう無い。明確に対立して殺し合いをするような敵も居ない。領土を奪い合う為の殺しもないし、皆が平和に暮らしている。
「……お嬢ちゃんの話を聞いていると、日本も随分平和になったんだねェ」
「宗矩さん、やっと私の話を信じてくれる気になったんですか?」
何を話したって大体「へェ、そうなんだ」で終わらせる宗矩さんがそんな言葉を吐くなんて少し驚きだ。
「おじさん、こう見えても空想話は大好きだよォ」
「全然信じてないじゃないですか! もう!」
宗矩さんが信じてくれたと思って、ちょっと嬉しかったのに。そんな私をなだめるように、宗矩さんは私の頭の下に自分の腕を入れてきた。これは俗にいう腕枕というやつでは……。宗矩さんとの距離が一気に縮まり、体温が急上昇した気がする。
「ちゃんと信じてるよォ、名前の事」
またその笑顔だ。見ているとこっちまで穏やかな気持ちになる、裏表のない優しい微笑み。
「なら良いですけど」
くあ、と1つ欠伸が出る。お腹いっぱいになったせいか、今度は眠気がやってきた。ぽかぽかな陽気でお昼寝にはもってこいだ。宗矩さんにも移ってしまったようで、彼も大きく欠伸をする。
「ちょっと寝ようかァ」
「……ですね、おやすみなさい」
「おやすみ、お嬢ちゃん」
そのまま2人で目を瞑り、日向ぼっこをしながらお昼寝をする事になった。
こんな穏やかな日常は、自分の世界では味わうことが出来なかっただろう。この時代だからというだけじゃなく、きっと宗矩さんに会えたのも大きい。
ささやかな幸せを噛みしめるように、目が覚めたら夢で終わっていないようにと願いながら、私は宗矩さんの胸元にそっと手を添えた。
*オマケ*
「へくしっ」
「風邪かなァ?」
私と宗矩さんは馬に乗って屋敷へと戻っている。
昼寝から目を覚ましたらすっかり空は赤く染まっていた。昼間の暖かさは失われ、体が少し冷えていた。
「うう、掛けるものを何か持ってくれば良かったです。宗矩さんは寒くないですか?」
「おじさんは風の子さァ。病気なんか向こうが逃げていくよォ」
それは頼もしい限りだ。流石、鍛えているだけある。
「良かったら一緒に湯浴みでもするかい?」
「な、何を言ってるんですか!」
「冗談さァ。それだけ大声を出せれば大丈夫そうだねェ」
もう、と唇を尖らせて前へ向き直る。宗矩さんは冗談と言いながら冗談じゃない時があるから油断ならない。
「さて、お嬢ちゃん。明日はどこへ行く?」
「えっとですねー……」
宗矩さんってばもう明日のことを考えてる。こっちは今夜の献立で頭がいっぱいだというのに。でも何だか楽しそうだから、そっちに合わせてあげる。
いつか私は帰ってしまうかもしれない。けど、今はそんな事を忘れて宗矩さんと同じ時を過ごしていたいから。
春はほのぼの
(20170125)
Smotherd mate