※トリップ夢主
私は隣に泊まっている浪士郎さんの部屋に声も掛けずに入り、気持ち良さそうに寝ている浪士郎さんの上に乗っかってぺちぺちと布団越しに叩く。
「起きて下さい浪士郎さん! さ、今日もお出かけしますよ〜!」
「……お前なあ……」
もぞもぞと動きながら眠たげな顔を覗かせて、ぎろりと睨む。うわ、めっちゃ不機嫌な顔してる。斬られそう。
「約束したじゃないですか、一緒に探してくれるって!」
「まだ明け六つの鐘も鳴ってねえだろうが」
「だって目が覚めちゃったんですもん」
「ふざけるな、俺はまだ寝る」
そう言って、浪士郎さんは再び布団を被ってしまった。こうなってしまっては絶対に起きないだろう。仕方ない、私も一旦部屋に戻るかな……いいや面倒くさい、このまま浪士郎さんの上で寝てしまおう。
「へくしっ」
隙間風に体を震わせてくしゃみをすると、浪士郎さんが私の腕を引っ張って布団の中に引きずり込む。彼の体温で暖められた布団の中は眠るのに最適な空間だった。う、でも少し酒臭い。また遅くまで飲んでいたな。
「寝れんから大人しくしていろ」
がっしりと固定するように抱き締められて身動きが取れない。流石、元剣術指南役の現役浪人だ。そのまま再び寝入ってしまったので、仕方なく私も瞳を閉じた。
私はこの時代の人間ではない。ある日の帰り道、急な大雨に曝されて家路を急いでいた。かなりの悪天候で、大きな雷が落ちたかと思えば――信じられないかも知れないが、私は江戸時代へタイムスリップしていたのだ。
浪士郎さんと出会ったのは3日前。私がタイムスリップした先は、複数の浪人に囲まれている浪士郎さんの元。浪士郎さんと向かい合っていた浪人の頭上に落下したかと思えば、浪士郎さんは好機と言わんばかりに私以外の全ての敵を斬り捨てた。血が飛び散り、辺りが赤く染まっていく。
何が起こったのかわからず呆然としていると、浪士郎さんが私に手を差し伸べて立たせてくれた。
『どこの者か知らんが助かった。礼を言う』
『……あの、これ何かの撮影ですか?』
『サツエイ? 何だそれは。……まあ良い、お前もここから逃げるぞ』
『えっ、ええっ!?』
そのまま浪士郎さんに連れて行かれ、落ち着ける場所で話を始めた。
どうやらここは、私の住んでいる時代より240年も昔の江戸時代らしい。そして浪士郎さんが斬った男達は彼の追手で、私の不意打ちが無ければ死んでいた、と言った。不意打ちしたつもりは無かったんだけどな。……という事は、さっきのは芝居でも演技でもなく、本当に斬り殺したんだ。そう思うとゾッとした。
で、浪士郎さんが『腐っても武士、借りは返さねばならん』と言い出したので、元の時代に帰る方法を一緒に探して貰うという流れになった。浪士郎さんは半信半疑で『オカシイ奴』と言ったけど、この時代にそぐわない服装を始めにあらゆる手を尽くして説明し、なんとか理解してもらった。
「いつまで寝ている、名前」
「……はれ? 私、寝てました?」
浪士郎さんの声で覚醒し、飛び起きる。隣で寝ていたはずの浪士郎さんはすでに身支度を整えていた。
「ヨダレ垂らして気持ちよさそうにな」
「た、垂らしてません!」
慌てて口元を拭うと少し湿っていた。窓の外を見ればすでに陽は高く昇り、町は人で賑わっている。まもなく昼になるだろう。お蕎麦屋さんの美味しそうな香りが漂ってきて、ぐうとお腹が鳴った。
「先に腹ごしらえだな」
くっくっと笑いながら浪士郎さんが言う。もちろん大賛成だ。
浪士郎さんにお蕎麦を奢ってもらった後、私達は森の中を散策していた。バッグに入っていた未開封のコーラを取り出して川で冷やす。
「何だそりゃあ」
「コーラです。炭酸が強くて美味しいんですよ」
「こおら? 亀の甲羅の汁か?」
甲羅の汁なんて絶対に飲みたくないが、その単語に吹き出してしまう。江戸時代にコーラが無いのは当たり前だよね。
そろそろ冷えただろうか。冷たい水の中に手を突っ込んでコーラを取り、キャップを開けた。プシュッという空気の抜ける音と共に炭酸が底から上へ浮き上がる。それを浪士郎さんに差し出してみる。
「飲んでみますか?」
「いらん。そんな泥水みたいなもの飲めるか」
「ええ〜残念だなあ」
あっさりと拒絶され、私はペットボトルに口を付けて飲み始めた。強い炭酸の刺激と砂糖たっぷりの甘味がたまらない。こんな飲み物を生んだ人はやっぱり天才だ。
「美味しい〜!」
「わざとらしいな」
「いえ本当に! 私の時代では世界中の人がこれを好んで飲んでいるんですよ! ねえ浪士郎さんも飲んでみましょうよ。時代を先取りですよ」
「……フン。仕方ねえな」
ペットボトルを受け取った浪士郎さんは、奇妙な入れ物だ、と呟いた。そして一口、二口と喉に流し込む。
「ぐふぉ!? 何だこれは、口の中が変だぞ!」
今までに味わったことのない喉奥への刺激に浪士郎さんは咳き込み、声を荒げた。その問いに、私は指を立ててえっへんと答える。
「それは炭酸って言って、シュワシュワ〜の正体です!」
「奇天烈なもん飲ませやがって……」
浪士郎さんは口元を手の甲で拭い、川の水で洗い流す。その隣にしゃがみ込んでくすくす笑っていると浪士郎さんが「何だよ」と聞いてきた。
「面白い反応が見れて満足です」
「斬る」
「冗談ですごめんなさい!」
すでに右手が刀の柄に触れている。手をバタバタ振って慌てふためいていると、浪士郎さんは刀から手を離した。
「冗談だ」
「笑えません!」
せめて表情筋を動かして欲しい。それに私は、出会った瞬間に人を斬り殺している浪士郎さんを目の当たりにしているんだからあまり冗談に聞こえない。思い返してみれば、今こうして私が生きているのも奇跡なのかもしれない。そんな事を考えながらちょっとずつコーラを飲んでいると浪士郎さんと目が合った。
「後でまた挑戦する。全部飲むなよ」
「負けず嫌いですね……」
怖い顔をしているけど可愛い一面もある。ギャップ萌えというやつだろうか。
今日の探検はこれくらいにして私達は町へ戻った。すでに夕焼けで空は赤く染まっている。
帰る方法を探すなんて言ったけど、どうしたら帰れるんだろう。知った所で帰るかどうかはまた別。
「いっそこのまま江戸で生きるのもアリですかね」
「別に良いと思うぜ」
「私の面倒を見てくれるんですか?」
それなら生きていけそうだ。なんていったって、知り合いが居るわけないこの時代。浪士郎さんに出会えなければ私は希望を見出せず孤独に野垂れ死んでいただろう。
「いいや。これでお前の面倒を見んで済むと思うと楽だからな」
「逆に突き放す気満々ですか!? そんな事言わないでくださいよ、この世界で頼りになるの浪士郎さんだけなんですからー!」
浪士郎さんの着物の袖にしがみついてぎゃあぎゃあと喚く。自分の時代の便利な生活に慣れきってしまった私が1人で生き抜くなんて無理だ。生活力なんてあるはずが無い。
「おい離せ名前! 騒ぐな! 周りが見てんだろうが!」
「ひとりにしないでくださああぁい!」
「わかった、わかったから静かにしろ! というかお前、自分の時代に帰りたいとか思わんのか!?」
そりゃあ、最初の頃は帰りたくて仕方なかった。見知らぬ土地で独りぼっちで、心細くて堪らない。元の時代で家でぬくぬくと寝転がりながらケータイをいじってダラダラ過ごしていたい。
しかし江戸に来て3日経った今、その思いは打ち砕かれつつある。ケータイは無くても生きていけるし仕事もしなくていい。その日暮らしで大変だけど浪士郎さんが居るなら何とかなるだろう。
「思わなくないですけど、仕方ないってのもあります。この時代でも生きていく方法を見つけないといけませんね」
「随分と淡白で諦めの良い奴だ」
「切り替え上手って言って下さい!」
「物は言いようだな」
「もう、浪士郎さんの意地悪ー!」
そう言いながらも着物を一向に離そうとしない私を見て浪士郎さんは楽しそうに笑った。浪士郎さんは冗談って言ったけど、本当かな。知らない間に置いていかれたりしたらどうしよう。
「名前」
呼ばれた方を向くと、考え事をしている間に私の手から逃れていた浪士郎さんが少し先を歩いていた。
「早くせんと置いて行くぞ」
「……はい!」
その言葉に、パッと表情を明るくして浪士郎さんに追い付く。口にしてはくれないけど、一緒に居ることを許してくれたように思えた。
私の……ううん、私と浪士郎さんの旅は、まだ始まったばかり。なんてね。
月は東に日は西に
(20170129)
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Smotherd mate