※『春はほのぼの』の続き
この時代の夏は現代に比べて涼しい方だと思う。それでも文明の利器であるエアコンの涼しい風に慣れてしまった現代人の私にとっては暑くて堪らない。
宗矩さんの居室の前で、襖の外から声を掛ける。
「宗矩さん、ところてんをお持ちしました」
「ありがとう、入っておいでェ」
許可を頂いたので襖を開けて失礼する。宗矩さんの部屋は風通しが良くて涼しい。風鈴の音も情緒があって『いとおかし』という感じだ。
宗矩さんと一緒にところてんをすする。お昼はあまり食欲がなかったけど、喉越しのいい冷たいものなら意外と食が進む。
「お嬢ちゃん、美味しそうに食べるねェ」
「おやつみたいで美味しいですから」
「それは良かった」
宗矩さんも、よく食べる私を見て安心したようだ。ところてんのお陰で少しだけ体温が下がった気がする。でもやっぱりまだ暑い。
「夏は嫌いかねェ?」
「いえ、暑さが苦手で……」
「ならおじさんが怖い話でもしてあげようかァ」
「えっ……!?」
宗矩さんの提案に少し面食らう。そういうの好きなのかな。怖い話はあまり得意ではないけど、宗矩さんがどんな話をしてくれるのか興味が沸いた。
「じゃあ、お願いします」
そう言うと、宗矩さんは窓の障子を閉めた。私は居住まいを正し、両手を膝において窓側に座す宗矩さんと向かい合う。
いつもの穏やかな笑みはそのままに、少し目を細めると、どこか不安を感じる雰囲気に変わる。
そして宗矩さんはぽつり、ぽつりと静かな声音で怪談を話し始めた。
「……そうして振り向くと、後ろには白い生首が浮かんでいた」
「ひえぇ……!」
これで何個目の怪談だろうか。宗矩さんの話し方も相まって恐ろしさは倍増し、鳥肌が立っていた。
「も、もういいです……十分冷えました……」
震えながらそう言うと、宗矩さんは残念そうに首を傾げた。
「そうかい? じゃ、これで最後にしようかァ」
もういいって言ってるのに。絶対私の怖がる反応を見て楽しんでるよ、宗矩さん。
「これは、とある茶人の話さァ……」
私の断りを無視して宗矩さんはまた話し始めた。
今度は茶人の話のようだ。
茶器集めが趣味の男が不運な事故で亡くなり、茶器は他人の手に渡ってしまった。その夜、家に飾っていた茶器が金切り声のような音を立てて一斉に割れた。持ち主は唯一無事だった茶釜を抱えて家を飛び出そうとしたその時、
「耳元で男の声がした。『その茶釜は……』」
――瞬間、私の肩にずしりと感じる重み。
「我輩の物だああぁ――!!」
「ぎゃあああああああああ――――ッ!?」
急に背後から耳元で叫ばれ、反射的に大声で悲鳴を上げた。肩を掴まれ、逃げようと立ち上がるがおぼつかず、膝立ちのまま顔から畳の上に倒れ込む。
「痛いッ!」
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
「むっふふぅ、なかなかにいい反応だの〜」
亡霊の正体は久秀さん。宗矩さんが仕えているお方で、柳生庄が在る大和国の大名様だ。
どうやら私と宗矩さんが怪談話をしているのを廊下で聞き、音を立てないように入って来たようだ。私は廊下を背にしていたから気付かなかったけど、向かい側の宗矩さんは気付いていたはずだ。
「宗矩さん酷い! 久秀さんが来る事を知ってて2人で嵌めましたね!?」
「おじさんは知らなかったよォ。たまたまさァ」
けたけたと笑いながら私を抱き起こしてくれる宗矩さん。確かに今の私の反応は、誰が見ても笑うほど面白かったかもしれないけど、ちょっと笑いすぎ。私は未だに心臓がバクバクしているというのに。
「しかし名前よ、もう少し色っぽい悲鳴の方が男は悦ぶぞ〜『いやぁ〜ん』とか言ってみろよ〜」
「死の恐怖を感じた上でそんな悲鳴を上げられる人が居るなら見てみたいですよ!」
ここまで驚かせておきながらダメ出しをされるとは思わなかった。というか、そんな悲鳴を上げられる人は本当に怖がっていないんじゃないかな。
「それで松永殿、急にどうしたのかなァ」
「いやなに、西瓜が手に入ったからお主らにも食わせてやろうと思ってな。それにしても相変わらず羨ましいぞ〜宗矩。まるで絵草紙にありがちな幼馴染との同居生活ではないか。要素詰め込みすぎだぞ! 人畜無害なフリして頭の中は下劣な妄想でいっぱいの主人公気取りめ!」
久秀さんはたまに、"こちらの世界"を知っているんじゃないかというくらい鋭い発言をするので、私はたびたび驚かされている。先日は宗矩さんと一緒に居たところ、「実に仲睦まじいの〜つい爆発させたくなるわ!」と言われた。
「松永殿が何を言ってるのかよくわからないなァ」
「私もです」
わからない。そういう事にしておこう。
やがて女中さんがやってきて、切り分けた西瓜を乗せたお盆を置いていった。久秀さんにお礼を言い、みんなで西瓜を食べ始める。結構甘くて美味しい。
「お嬢ちゃんの食欲が戻ったようで何よりだ。でも夕餉もきちんと飯を食べるんだよォ」
宗矩さんの大きな手が私の頭を優しく撫でる。西瓜を食べちゃえば夕飯はいらないけど、宗矩さんはそうはいかないよね。
「我輩も井戸を掘れば生命の神秘を語り合える女子に出会えるのか〜?」
「白い着物が似合う、長い黒髪の女性なんてどうですか?」
「実に良い! よおし、張り切って掘るぜ〜!」
久秀さんはガッツポーズで喜んでいるけど……ごめんなさい、私が言ったのはホラー映画の幽霊のことなんだ。気付いてないから良いか。
「亡くなった奥方が出てきたりしてねェ」
「む〜ね〜の〜り〜!」
久秀さんは急に渋顔になり、食べていた西瓜の種を宗矩さんに向けて吹き出した。しかし宗矩さんは瞬時に反応し、でこぴんをするように中指で弾く。その種は吹き飛ばした久秀さん本人に跳ね返され、額やら頬やらにビシビシと当たっていた。
「ぎゃあああ! 何をする〜!」
「松永殿、行儀が悪いよォ」
表情1つ変えずに反撃する宗矩さんと、顔を嫌そうに歪ませて叫ぶ久秀さん。その光景がおかしくて、私は声を上げて笑った。宗矩さんってばすごい反射神経だ。
「名前よ、知っとるか? 種を飲み込むとへそから西瓜の芽が出るんだぞ〜」
「迷信ですよそんなの。出たこと無いですもん」
「何〜? 我輩は見事に出てきたぞ! 見るか? 我輩の可愛いおへそ……」
「松永殿ォ、そろそろ帰りなよォ」
久秀さんが自分の着物の裾に手を掛けたと同時に宗矩さんが制止する。宗矩さんはいつも通りの笑顔だけど、私にはなんとなくわかる、ちょっとだけ不機嫌だ。
「松永殿の存在はお嬢ちゃんの情操教育に悪いんだよねェ」
情操教育って……私は一体いくつだと思われているんだろう。年齢を知ってるくせに。でも私を守ってくれているのはわかるので、少し嬉しい。
「宗矩さん、許してあげて下さい。久秀さんはきっと他に話し相手が居ないからここに来たんですよ」
「そうかァ、仕方ないねェ。だが名前、念の為おじさんの傍においでェ」
「人を可哀想な年寄り扱いするでない」と怒る久秀さんをよそに、宗矩さんが手招きをする。移動して宗矩さんの隣に座ろうとしたら腕を引っ張られ、そのまま彼の膝の上に着地。
「ヒューヒュー! 見せ付けてくれるな宗矩〜!」
変に冷やかしてくる久秀さんに若干気まずい気持ちを覚える私だが、宗矩さんは全く動じない。宗矩さんの胸元に密着している背中が何だか熱い。彼の体温を感じるほどに緊張感が高まり、体は石のように固くなる。
「あーつまらん。帰ろ」
いくらなんでも手のひらを返すのが早すぎる。急にテンション下がりすぎでしょう。久秀さんの態度の移り変わりに失笑する。
「西瓜もご馳走になったし、見送ってあげるよォ」
すぐ頭の上から宗矩さんの声がする。そういえば小さい頃はこうして父の膝の上によく座っていた。懐かしい思い出が蘇る。
「いらんわい! 我輩、同情なんて嬉しくないんだからね!」
久秀さんに断られたが、私と宗矩さんそういうわけにもいかず、廊下を歩いて行く久秀さんの後を付いて行った。
すでに空は夕焼けで赤く染まっていた。思ったより話し込んでいたみたいだ。久秀さんが来ると楽しくてつい時間を忘れてしまう。
「また来てやるぞ! 親密な男女の間に割り込む我輩のなんと悪な事か!」
「自覚はあるんだねェ。次は桃がいいなァ」
「またいつでも来て下さい。お待ちしてます」
宗矩さんが久秀さんに次のリクエストをする。桃かぁ、良いな、私も食べたい。久秀さんの事だからきっと簡単に手に入れて、また持ってきてくれるんだろうな。
柳生庄と街道の境目に立ち、馬に乗る久秀さんの姿が見えなくなるまで見送る。
仮にも大名が1人でこんな所まで来て大丈夫なのかな。宗矩さんにそれとなく尋ねると、どうやら既に家督を息子さんに譲っているから問題ないらしい。……いや、家督とか関係なく、大いに問題ありだと思うけど。
夕餉を終えた後、自室へ戻って休もうとしたが暑くて寝付けない。涼もうと廊下へ出ると、夜着に身を包んだ宗矩さんとばったり出会った。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
「ちょっと涼もうかなって思いまして」
「本当に暑いのが苦手なんだねェ」
えへへ、と控えめに笑うと宗矩さんが手招きした。
「おいで。おじさんが良い所に連れて行ってあげるよォ」
「……?」
その誘い方はちょっと危ない気がする。でも宗矩さんの事だから、きっと変な意味ではないだろう。
誘われるまま宗矩さんに付いて行くと中庭に出た。ほら、と宗矩さんが空を指したので、言われた通りに見上げるとそこには満天の星空があった。時折、流れ星が流れている。
「わあ、綺麗……!」
「お嬢ちゃんに見せたくてねェ」
だから宗矩さん、私の居室の近くに居たんだ。わざわざ教えに来てくれるなんて嬉しいな。
「今日は七夕だよォ。お嬢ちゃん、知ってる?」
「あっ……! 天の川ですね!」
道理でこんなに沢山の星が輝いていると思った。ビーズを散りばめたような星空だ。私の時代じゃ、この時期は大抵曇りでまともに見れた事がない。しっかりと目に焼き付けておかなければ。
「宗矩さん、織姫と彦星はご存知ですか?」
「いいや、知らんなァ」
宗矩さんの時代ではまだ、この話は生まれていないようだ。私は織姫と彦星について説明する。
「仲良し夫婦の織姫と彦星が仕事を怠けておしゃべりばかりしていたので、天帝が怒って2人を引き離してしまったんです。でもそれじゃ可哀想だからって、1年に1度だけ天の川をかけて逢えるようにしてくれたんです」
「へェ、そんな話があるんだねェ。本末転倒な夫婦だァ」
内容をだいぶ省いてしまったが大体こんな感じだと思う。宗矩さんの感想は何だかそっけない。
「おじさん達にとっては、あの涸れ井戸が天の川になるのかねェ」
……と思ったら、まさかの発言。確かにあの井戸(とマンホール)のお陰で宗矩さんと会えたわけだけど、それって、その。
「だが1年に1度と言わず、おじさんは毎日でも名前に会いたいものだねェ」
どうしてこっちが照れてしまうような言葉を平然と言えるのだろうか。私はいつも宗矩さんの言葉に喜んで、困惑してしまうばかりなのに。
返事に困っていると、空を見ていた宗矩さんが私に顔を向けた。
「願い事は決まったかなァ?」
「……秘密です。言うと効力が無くなるので」
「それは初耳だァ、残念」
もちろん嘘だ。
でも、素直に宗矩さんの言葉に同意するにはまだ勇気が足りない。
それに、私はこの時代の人間ではない。仕事を怠けることよりも、生きる世界が違う人と想いを通じ合わせる方がよっぽど天帝に叱られそうだ。
幸せなのに、胸が苦しい。
宗矩さんはこんなに近くに居るのに、どうしても手が届かない。星空の方が触れられそうな気がする。
けど今だけは、そんな切なさも忘れてしまおう。
「願い事とはまた違うんですけど、来年もまた宗矩さんと天の川を見れたら良いなと思います」
「……ありがとう、名前」
私の名を呼ぶ宗矩さんの声は、とても耳に心地良くて大好きだ。
そっと宗矩さんの腕に手を伸ばしてみたけど、何となく躊躇い、触れる直前で自分の元へ戻した。
夏は願う
(20170209)
Smotherd mate