先日の事件を報告書にまとめながらコーヒーを喉に流し込む。後からマコ先輩に殺人の動機を尋ねたところ、どうやら被害者が外科医を恨んでいたらしい。凶器は被害者が用意したもので、恨みから外科医を殺そうとしたが正当防衛からの返り討ちにあってしまったという事件だった。
そういえば、今回みたいな恨みの方向性が逆の事件は以前もあった。あれは確か半年前の……そうだ、私が哀牙探偵と初めて出会った時の事件だ。
ホトケの顔は三度も四度も
とあるマンションの一室で起こった殺人事件。
私にとっては初めての現場捜査で、緊張が頂点に達していた。
被害者の男性は椅子に座ったまま、両足をそれぞれ椅子の脚に縄で縛られ、後ろ手に手錠をかけられ、腹部に包丁を刺されて亡くなっていた。……うう、見ているだけで血の気が引く。今すぐ気絶しちゃいそう。
部屋は大分荒らされていて、本やファイルは散らかり、カーペットは乱れ、あちこちに錠剤が転がっている。どうやら睡眠薬のようだ。デスクに置いてあるテープレコーダーに残ったテープを再生すると、被害者が女性の名を叫びながら懇願する声と悲鳴、激しい物音、そして静かになり……再生が終わった。
包丁に付着していた指紋検査の結果、指紋も包丁も三日前に別れた恋人のものだとわかった。被害者が叫んでいた名前とも一致。おかげですぐに犯人逮捕へ繋がった――ように見えた。
この事件には不可解な点があった。
それは、この部屋が密室であること。
そして、第一発見者は、今まさに警察に疑いの目を向けられている元恋人であること。
更に死亡推定時刻の昨夜二十時頃、彼女は別の場所に居たというアリバイがあることだ。
「だから私は殺してなんかいないってば! むしろ私が彼に恨まれていたんだもの。それにどうして私の包丁がこんな所にあるのか……何もかもサッパリよ……」
嘘を吐いているようには見えない。それどころか元彼が死んだことを今知ったばかりで混乱しているようだ。難航の末、「哀牙探偵に捜査協力を要請しよう」という流れになり、彼を待つことになった。
探偵が来るまでの間も証拠を見つけるべく現場捜査を続ける。しかし皆が居るとはいえやはりすぐ隣に死体があるのは怖い。今にも潰れそうな心臓を叱咤させつつ、気を紛らわせようとマコ先輩に話しかけた。
「哀牙探偵ってそんなにすごい方なんですか?」
「そうッスよ! 今までの難事件も哀牙探偵にことごとく解決してもらったッス!」
「へえ〜なら今回も――」
「や あ れ ! !」
言い掛けた瞬間、十二分に活気のある大きな声が耳に響き渡り、かつ勢い良く肩を叩かれた。突然の誰かの登場に私の心臓が大きく飛び跳ね、頭が真っ白になり――
「この哀牙の力がご入り用と聞き、馳せ参じ……おや、どうされましたかな?」
「……哀牙探偵、名前ちゃん気絶したッス」
私はその場に倒れた。
ハッと目を開け、体を起こそうとしたが思うように動かない。金縛り? 筋肉痛? いや、違う。これは……拘束されている。もやのかかった頭が次第に明瞭になっていき、自分は椅子の上に縛り付けられている事にようやく気付いた。
傍らには哀牙探偵が立っており、私と彼を中心にして先輩や鑑識、容疑者の元恋人が集まっていた。
「あいや、お嬢さん。ご機嫌いかがかな?」
「な、何ですかこれは!」
「誠に遺憾ながら苗字刑事、貴女はこのまま逮捕あそばれて下され」
「んなっ!? 私やってません!」
見れば両足は椅子の脚に縄で縛られ、両腕は背もたれを回るように鎖のようなもので締め付けられ……あれ、もしかしてこれ手錠!? 逮捕ってそういうこと!?
「それでは被害者役も目を覚ました所で、我が華麗なる推理をご覧に入れましょう!」
「話を聞いて下さいよ! マコ先輩助けて!」
先輩に助けを求めるが、「無理ッス」と全然申し訳なさそうに見えない顔で謝られた。くそ、先輩め。あとで町尾先輩に何か……何かしらしてやる!(完全な八つ当たり)
「では刑事殿、あなた方の推理はこうですな?」
まず容疑者が被害者の部屋に潜み、睡眠薬で被害者を寝かせて椅子に縛り付ける。自分の家から持ってきた包丁で殺害をする拍子にレコーダーにぶつかってしまい、録音が始まった。殺害後、死体から凶器が抜けなくなってしまい、そのままに。そして自殺に見せかける為、外から合鍵で鍵を締めた。
ちなみに合鍵はまだ返しておらず、お互いの部屋の鍵を持っていたと言う。
「……残念ながら、辻褄が合いませぬな」
「ですよね。私もそう思います」
「お口にチャックですぞ、刑事殿」
哀牙探偵の否定に相槌を打つと、彼は私の口元に手をやってチャックを閉めるようなジェスチャーをした。これが初めての『お口にチャック』の瞬間だ。テストに出ません。
「このテエプには被害者の悲鳴と暴れているような物音と、被害者が容疑者の名前を呼ぶ声が入っておりましたな」
哀牙探偵はテープを手に取って皆に見せつける。最初に再生したのは誰かと聞くと、イトノコ先輩が手を上げた。
「貴方はこれをどのように再生なさったのかな?」
「テープが入っていたからそのまま再生ボタンを押したッスよ」
「ほお、巻き戻さずに?」
「それはすでに巻き戻っていたから……あっ!」
「そう、ソコなのですよ。これは古典的な――」
「成程! 真犯人が巻き戻したんですね!」
横から口を挟むと、哀牙探偵は再び私の口元に手をやってチャックを閉める動作をした。これが初めての『チャックが破られた』瞬間だ。やっぱりテストに出ません。
「このテエプの激しい物音……まるで大きな物が倒れたような音ですが、椅子も死体も倒れずにそのままでした。更に被害者の悲鳴はあれど、犯人側の声は息継ぎすら聞こえませんな。よってこのテエプは事件発生時のものではないッ!」
「どういう事ですか?」
「苗字刑事、チャックの意味はご存知で?」
「開けたら閉める、閉めたら開ける。チャックの基本ですよ」
「左様。が、開けるのは必要な時のみと存じる」
つまり今は必要な時ではない、と3度目のチャックが閉められた。だって、哀牙探偵の推理にワクワクして、つい。でも流石にまた開けたら怒られそうなので今度は黙っておこう。
「このテエプは事件が起こるより前に作られた、ということですよ」
誰がどのような目的で……というのはまた後でお教えしましょう、と哀牙探偵は言った。意味深で気になる。今知りたい。
「凶器の包丁は真犯人が合鍵を使って元恋人殿の部屋から盗んだのです。真犯人は密室を作り、用意しておいたテエプレコオダアをデスクの上へ」
哀牙探偵は部屋の鍵を閉めてテープレコーダーをデスクに置くと、私の手錠を外し、定規を包丁に見立てて握らせた。
「次に、足を椅子に縛り付け、包丁で腹部を刺し、手錠をはめたのだッ!」
定規を握る私の手を哀牙探偵の手が包み込み、それを私の腹部へ持っていく。そして定規を離させて、私の手を椅子の背もたれの後ろへやり、両手首を掴んだ。
「予め片手に手錠をつけておけば、もう片方の手にはめるのは容易い。次第に睡眠薬の効果が現れ、被害者は失血しながら眠るように絶命したのです」
「待って下さい、哀牙探て……」
「待ちませぬ」
「その推理でいくと、真犯人は……」
「ズヴァリ! 美しき推理が我に囁く真実!」
私の言葉を遮るように哀牙探偵は大声を上げた。小さく額に青筋が立っている。もう私のチャックは諦めたので勢いで押し切ってしまおうという感じだ。
「真犯人とは、被害者に他ならないッ!」
「自殺ってことですか!?」
「そう、これはセルフキラアッ!」
そんなセルフサービスは嫌だな。サービスかは知らないけど。
するとイトノコ先輩が信じられないと言わんばかりに声を荒げた。
「こんなに証拠があるのに、自殺ッスか!?」
「……足跡が残り過ぎなのですよ。容疑者である元恋人殿を"犯人に仕立て上げる為の証拠"が」
哀牙探偵は私の手首を解放し、右目に付けた虫眼鏡で容疑者かつ元恋人の女性を観察するように突きつけた。女性は沈痛な面持ちを浮かべながら、哀牙探偵の勢いに飲まれないように反論する。
「ほ、ほらやっぱり私が殺したわけじゃなかったじゃない! もういい加減、帰しなさいよ!」
「んがッ、しかし! ここで重要なのは"貴女が殺したという証拠品が被害者によって無数に用意されていた"ことだッ!」
「な、何よ……! 私は関係ないじゃない!」
「果たしてそうかな? 室内に落ちていたノオトに綴られた想いは、到底無関係とは思えませぬが」
哀牙探偵が床に落ちていたノートを拾って読み上げる。三日前あたりは『辛い』『死にたい』『連絡さえ取れない』と、恋人に振られて嘆いている心情が書かれている。しかし亡くなる前日の文面の様子はガラリと変わっていた。
『俺を捨てるなんて絶対に許さない。絶対に後悔させてやる。
……本当は後悔しているのは俺だ。別れたのは俺のせいだ。
君の心を繋ぎ止められなかった。他の男になんて向かないよう、俺だけを見ているように出来れば良かったんだ。
それくらい君を愛していた。誰にも渡したくなかった。
さようなら。生まれ変わっても君を愛すよ』
それは今までのような恨み言ではなく、愛しい彼女へ残した最後のメッセージだった。彼がこれをどんな気持ちで書き残したか想像するだけで胸が痛くなる。
読み終えた哀牙探偵はノートを閉じて静かにデスクに置いた。
「自ら手を下さずとも精神的に追い詰めて死へ向かわせれば、それは殺人者と変わらぬのですよ。尤も、貴女がそのつもりで被害者に別れを告げたと言うつもりはありませぬが」
哀牙探偵がそう言うと元恋人の女性は言葉を失った。膝から崩れ落ち、被害者の名前を叫びながら大粒の涙をいくつも零した。
「だからって……死ぬことないじゃないッ! 本当に馬鹿なんだから……」
彼女の心を襲う悲しみは、かつて愛し合った恋人との永遠の別れによるものなのか、自らの罪を悔いての贖罪なのか……誰にもわからなかった。
こうして、一方通行の愛が起こした悲しい事件は幕を閉じたのだった。
女性は先輩に連れて行かれ、事情聴取を受けることになった。
私はようやく椅子から解放して貰えたが、真犯人役として活躍出来たような気がしてむしろ誇らしいとさえ思えた。目を輝かせながら哀牙探偵を褒め称える。
「スゴイです哀牙探偵! 皆が"殺人事件"と思っていたのに、それをひっくり返してしまうなんて!」
「事件の際、誰しも証拠品ばかりに目を奪われる。しかし時には『推理を逆転する』ことも必要なのですよ」
哀牙探偵は、クックックと喉を鳴らしながら腰に手を当てて自慢げに笑った。『推理を逆転』か……やっぱりプロは見るところが違うな。
「哀牙探偵、もしかして部屋に入った瞬間に犯人がわかったんじゃないですか?」
「何故そのように思うのかな?」
「だって私が気絶してた時間は十分もありませんでしたし、あのノートだって推理後に見つけて読んでたじゃないですか」
「……ふむ、成程。根っからのボンクラというわけではなさそうですな」
「ボンクラって! 失礼ですねー!」
「いや失敬。褒めたつもりなのですよ。"何故か?"という問いに具体的な説明が出来るのは賢い証拠だ」
褒めるつもりならもっと気持ちの良い言葉を使って欲しい。この人、素直じゃないんだろうな、きっと。
「では苗字刑事。いずれまた事件が起こる時、我らは巡り合うでしょう! その時にはもう少々、刑事としての頭を磨いておくことですな」
哀牙探偵はそう言って現場から去った。"腕"じゃなくて"頭"なのが微妙に気になるけど、次回はもっと役立てるよう、しっかり磨いておくことにしよう。
***
……うん、こんな事もあったな。
そう言えば私、自己紹介してなかったのにどうして名前がわかったんだろう。まさかこれも探偵としての推理……いやいや、普通にマコ先輩が教えたのだろう。
推理はスゴかったけどいちいち癪に障る言い方をする探偵だ、まあもう会うことはないだろうけど……なんて思っていた。が、まさか翌日にまた別の事件が起きたおかげでこんなに早く再会する羽目になるなんて、誰が予想出来ただろうか。
『また貴女ですか……』
『私だってイヤだけど仕事だから仕方ないじゃないですか。はい、推理一丁入りましたよ』
『出前みたいに言いなさるな!』
あの時の哀牙探偵のげんなりとした顔が忘れられない。私はむしろヤケクソにも似た心地だった。
初めての事件同様、私は哀牙探偵の補佐に就き、またも見事に解決を迎えた。
それからだ。私に"哀牙探偵係"が任命されたのは。その時私は、『これから哀牙探偵とホトケの顔を拝むのは三度や四度じゃ済まないだろう』と直感したのを覚えている。これも下っ端の宿命だ。そう、時には諦めも肝心なのだ。哀牙探偵も『別の担当者にしろ』なんて文句は言わないし、別にいいんじゃないかな。
最近は慣れてきたし、呼ぶとわかったらすぐに紅茶をマイボトルに用意するようになった。哀牙探偵曰く、"紳士の嗜み"なんだって。……紳士ねぇ。
確かに哀牙探偵は推理力も幅広いし、知識も観察力もすごいけど、人格に難ありな気もする。だっていつも嫌味を言ってばかりなんだもん。でも、哀牙探偵と捜査をするのは楽しい。彼と共に解決してきた事件を思い返すと、自然と頬が緩んだ。
カップの残り少ないコーヒーをぐいっと飲み干す。
報告書の記入を終えて、空になったマグカップを手に給湯室へ向かった。
次は紅茶でも飲もうかな。淑女の嗜みとして。
(20170417)
Smotherd mate