私は今、所謂『殺し屋』のお世話になっている。
『ある事件』をきっかけにその人と暮らすようになり、のんびり穏やかな毎日を過ごしていた。殺し屋とのんびりだなんてあり得ないと思われるだろうけど、事実のんびりしているのだから仕方ない。彼も毎日人殺しをしているわけではない。
で、その『ある事件』とは何なのかと言うと、まあそれはまたいずれ……あーウソウソ。……言いたくないわけでも、言いにくいわけでもない。ただ、記憶がないんだ。
私には両親が居ない。兄弟も居ない。というか、身内が居たのかすら思い出せない。ただ一つ記憶に残っているのは、血の海の中でぽつんと膝をついていた自分。たったそれだけ。その時何が起こっていたのか、何を思っていたのか全くわからない。思い出そうともすることもしない。
「太郎さん太郎さん」
「何でしょうか、名前さん」
「殺しを教えてよ」
ゆったりとしたソファに腰を掛けて読書する太郎さんの肩に手を置いてお願いする。ちらりとこちらに視線を送る太郎さんの顔の中心には、真っ二つにするように縫合の跡があり、「ああやっぱり彼は殺し屋だ」なんて印象を持たせる。
「私は貴女の社会復帰を手助けするのみで、それ以上の事をするつもりはありません」
「じゃあ本名教えてよ」
「田中太郎でございます」
「絶対ウソだ!!」
手で拳を作り、太郎さんの肩をとんとん叩く。「そこ良いですね。もう少し強めでお願いします」なんて言いながら本を閉じる太郎さん。抗議はいつの間にか肩叩きになっていた。
私もお世話になっている身だし、あまりワガママは言えない。しばらくとんとん叩いていると太郎さんは「もう良いですよ」と言って立ち上がった。細身ゆえに背の高さが引き立つ彼は、ソファを過ぎてキッチンへ向かう。何となく私も付いて行く。
「太郎さん、何してるんですか?」
「殺しの準備です」
「えっ」
表情を変えないままそう言い、テキパキと冷蔵庫から卵や牛乳を取り出してテーブルに置いた。ボウルに材料を入れ、泡立て器で混ぜていく。どう見てもお菓子作りにしか見えない。
「そこの小瓶の中身を数滴入れてください」
「わかりました。……あ、もしかしてこれって毒ですか?」
「匂いを嗅げばわかります」
「ええー、死んだりしませんか?」
「大丈夫ですよ」
言われた通り小瓶を開けて中身を振り入れる。太郎さんがかき混ぜると、ふんわりと海の幸の香りが鼻を掠めた。
「これは……サザエの香り……?」
「どうぞ」
どうやら完成したようで、スプーンで一口すくって口元に持ってきた。何の疑問も抱かずにそれをぱくりと食べる。
「サザエだ!」
「どうですか?」
「美味しいです!」
「それは良かった」
太郎さんはどろどろに混ざったそれを専用の容器に入れてラップをかけ、冷凍庫にしまった。
結局今日も殺しを教えてもらえなかったけど、美味しかったので良しとしよう。サザエアイスの完成が楽しみだ。
Smotherd mate