俺は今日、仕事を休んでアイツ――上司である外城の家に向かった。と言っても、用があるのは外城ではない。
チャイムを鳴らすと、相手はインターホンで俺を確認し、何も疑うこと無くドアを開けた。
「おはよう内藤君。どうしたの? 今日は休み?」
「ウッス。ちょっと相談がありまして」
外城の家から出てきたのは嫁の名前さん。外城より大分年下の若妻だ。俺より年上のはずだが、女ってのはどうしてこうも若く見えるのかねぇ。俺が老け顔ってのはよく言われるが……チッ。
「相談? 良かったら中に入る?」
「いえ、ここじゃちょっと……」
「そう……じゃあ別の場所に行く?」
「ええ。良けりゃ俺の車で移動しましょう」
ちょっと準備してくると言われ、俺は先に運転席で待っていた。そう時間も経たない内に名前さんはやってきて、隣の助手席に腰を掛けた。
外城交えて三人で何度か食事をした事もあり、名前さんは全く警戒をしていなかった。
「あ、涯さんに連絡しておかなきゃ」
「待った!」
「え?」
「いや、なんつうか、リーダーには知られたくない話なんで、出来れば遠慮して貰っていいすか」
「わかった。涯さんには内緒ね」
すんなりと俺の嘘を信じ、人差し指を口元に当ててはにかむ名前さんがあまりに可愛くて、咄嗟に顔を手で押さえた。それは反則だろー! って違うだろ、俺! 上司の嫁にときめいてどうすんだ!
「……んじゃあ、行きますか」
「うん!」
気を取り直し、俺は車を走らせた。
今回の目的は相談でも、上司の嫁を奪うものでもない――外城の嫁を人質にすることだ。
草太の計画通りにすれば上手くいくはずだ。これも外城を出し抜いて俺がナンバーワンになる為、協力して貰うぜ。
まずは女性に人気のパンケーキ店へ行き、ふわふわ生クリームの美味しいスイーツを堪能させ、俺への警戒心を完全に解いてもらう。
口いっぱいにパンケーキを頬張る名前さんはまるでハムスターみたいで可愛かった。
その後はボウリングだ。
ほどよく疲れさせて思考能力の低下を誘う。……つうか名前さん、運動音痴か。たまにストライクを出すのはビギナーズラックだろう。重い玉を必死に投げる姿も愛橋がある。
次は公園でボートに乗る。
豊かな緑に囲まれて平和ボケさせちまおう。って、おいおい、あんまり端によると湖に落ちちまうぞ。ったく、そんなにはしゃいじまって仕方ねえな。ボートに誘った甲斐があるってもんだ。
夕飯にはちっと早いが、夕焼けが綺麗に見えるレストランのテラスでイタリアンを食べる。
名前さんはワインを、俺はノンアルコールビールで乾杯だ。
まったく、良い一日だったぜ。
――って草太さーん!
これ完全にただのデートじゃねえか! 何が『絶対成功する最高のプラン』だよ! そりゃ相手が人妻じゃなければ上手くいっただろうがな!!
で、次の作戦は何だ? "相手の手を握り、『お手てが留守だぜ』と言う"……アホかーい!!
俺はこの女を利用して、人質にしてやるんだ。遊んでる場合じゃない。いい加減目を覚ませ、俺!
「内藤君。今日は誘ってくれてありがとね。涯さんはいつも仕事だから寂しくて……でも、今日は内藤君のおかげで本当に楽しかった!」
にっこりと満面の笑みを浮かべる名前さんの純粋な眩しさに、完全に毒気を抜かれてしまった。自分の心に巣食っていた卑怯で悪質なもう一人の俺が消え去っていくのを感じた。
きっと俺には余裕が足りなかったのだ。彼女のおかげで大事なことに気付けた。
「ええ、俺も本当に楽しかったですよ。付き合ってくださり、ありがとうございました」
レストランで食事を終え、俺は名前さんを家まで送り届けた。人質だのナンバーワンだのは、どうでもよくなっていた。名前さんも俺の相談の件はすっかり頭から抜けているようだった。
名前さんが家に入ったのを見届けてから、俺は家路へと車を走らせる。もう外城より上の立場に固執するつもりは無い……が、今度は"別のもの"が欲しいという感情が、心の奥底に生まれた。だがそれは、今より上の肩書を手に入れる以上に難しいとすでに知っていた。
……ああクソ!
なんつうモノを欲しちまったんだ俺は!
Smotherd mate