いってらっしゃいの後


鳴り響く着信音に、プリノは書類を書いていた手を止め、受話器を取った。書類を見ていた私も何気なくプリノへ視線を移す。


「はい、そうですか」


ちらりと、プリノが私を見た。どうしたのかと思い、プリノに近付いてみると、プリノが突然受話器を渡してきた。


「…はい?」
「報告の電話です」
「報告?」


一体何かは分からないけれど、とりあえず、受け取ってみる。
少しザワザワとした音が聞こえるが、誰かが話している様には聞こえない。


「……えっと…?」
『紅だ』
「ああ、紅か。ってことは、魔王捕獲任務の報告か!」
『将軍にも伝えたが……』
「どうせ生死不明とかだろ?」


聞いた瞬間に、電話越しに咳き込む音が聞こえた。リアクションからして図星なのだろう。想像通りの展開すぎて、笑いが込み上げてくる。


「まあ、そうだろうと思ってたよ」
『すまない』
「謝る必要はないさ。どっかに行っちゃったとか?」
『…谷底に落下していった』
「そうかそうか」


落下しちゃったら仕方ない。探しに行けなんて酷な頼みをする訳にはいかないし。
笑いながら言うと、紅はまた謝った。
罪悪感があるのだろうか。私の存在意味を知らなくても、長い間私が彼の側に居たことを知っている紅やキャロルには、何か思う事があるんだろう。


「会って話した?」
『一応はな』
「じゃあ、戻って来たら、聞かせてくれる?」
『ああ、構わない』
「……あり、がとう」


声が少し揺らいだ。
それにプリノが気付いたみたいで、心配そうに見てくる。プリノに対して心配しないでと微笑み掛けたら、何故か泣きそうな顔をした。空いている方の手を伸ばして、プリノを引き寄せる。首を傾げながらも近付いてきてくれたプリノの頭を撫でると、目を何度も瞬きさせて私を見てくる。


『おい』
「あ、……ああ、ごめんごめん」
『何もないなら報告は終わった。切るぞ』
「ちょっ…と、待って…!」


思わず、紅を引き留めた。
何か話がある訳でもないのに、別に永遠に会えない訳ではないのに。
谷底に落下したらしい彼に、私は伝えなければいけない様な気がしたんだ。


『どうした』
「谷底にさ、伝言…。いってらっしゃい、幸せに、なってね、って…」


プリノがピクリと反応した。
紅も急に無言になって、私の声だけが静かな部屋に響いて、聞こえた音はすごく切なくて、言うんじゃなかったっていう後悔が押し寄せてきた。
本心から出た筈の言葉には、単語が何個も足りなくて、でもそれは口に出しちゃいけない。優しいプリノが、きっと泣いてしまう。谷底の彼が、決意を鈍らせてしまう。私は、何があっても、彼の足枷になってはならないんだ。


『分かった。伝える』
「お願い…じゃあね、また」
『ああ』


ツーツーと無機質な音が耳に届いて、瞬間溢れそうになる物を必死に堪えて、プリノに心配を掛けない様に笑う。上手く笑えてるだろうか。



*



切れた電話をポケットにしまい、キャロルと会話をした後、対岸にいる二人を見る。何やら楽しそうに話しているのは、遠目からでも分かった。態々アイツらを追い掛けて行かなければいけないのは至極面倒だが、預かってしまった伝言は無事に谷底まで伝えるべきだろう。


「行くぞ」
「行くって、何処に……って、勝手に行かないで下さいよ!」


歩いて行けば、川の中を覗いていた二人の元へは直ぐに着いた。
足音で気付いたアイツが、此方を見る。


「あれ?まだ何か用?」
「伝言だ」
「俺に?誰から?」


しゃがんだままの勇者が、見上げてくるのが視界の隅に入った。
こんな女の為にしたコイツの行動は、未だに理解出来ない。
コイツに出逢うまで毎日側で笑っていた人間を、あっさりと捨てたその行動は、理解したくもない。電話越しでも、分かったんだ。無理して言葉を紡いでいることが。俺より長い付き合いのコイツなら、容易に想像出来るだろうに。


「ちょっと、紅?」
「……理解はしていないからな」
「は?」
「貴様の行動の軽率さをだ」
「まだそういう事言うの?」


勇者を立たせ、アイツは歩み出そうとした。勇者は戸惑った様子で俺とアイツを見比べる。
少しずつ離れていく背中に、伝えなかったと知った遥の顔が浮かんだ。泣きそうな目で、笑う顔が。


「…幸せに」


アイツが足を止めた。ちらりと、振り向く。


「“いってらっしゃい、幸せになって”だそうだ」


言った瞬間、アイツの瞳が揺れた。誰からなんて言わなくても分かったのだろう。あの城で、アイツを本気で気遣うヤツなんて一人しかいない。口を開こうとしたのを確認して、踵を返す。
俺が歩き始めれば、キャロルも隣を歩き始め、後ろから少しずつ遠ざかっていく足音が聞こえた。





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