あの日から今日までのこと
気が付いたら、知らない小屋で寝ていた。
実際は、“知らない”ことすら知らなかった。自分が何故、此処で寝ているのか。何故、夥しい程の傷を負っていたのか。何故、男物の服を身に纏っているのか。自分の名前が何なのか。自分が何者か、全て知らなかった。
助けてくれた老夫婦の話によると、身体中がボロボロで生きているのかさえ難しい状態で、川辺に打ち上げられていたらしい。手当てをして貰ったことに礼を言い、動こうとした身体は、言うことを聞かなかった。でも兎に角行かないと、心配させるから、と言った私に、老夫婦は何処にだと聞いてきた。その問いに、私は答えられなかった。確かにそうだ。私は何処へ行くつもりだったのか。誰に心配を掛けていたのか。思考を巡らせてみても、何も分からない。
悩む私に、老夫婦は言ってくれた。思い出すまで此処に居なさい、と。私に居場所をくれた。
最初は、怪我が治るまでと思っていた。ただただ優しくしてくれる老夫婦に、せめて切っ掛けが出来るまで、と思う様になった。時折悪夢に魘される私を心配してくれる姿に、もうこのまま此処で住んで行こうかと思う程になった。
せめて優しい二人に、恩返しをしたかった。何も出来ない私でも、せめてそれくらいは出来るのではないかと錯覚していた。気持ちの整理は出来ていた。でも、悪夢は見続けた。夢の中で、誰かが言うのだ。お前は生きる資格がない、と。お前に平和など似合わない、と。それをひたすら私に告げてくるのだ。命を奪っておいて、自分だけのうのうと生きるつもりか、と言われ続け、決意が鈍った。悩んでしまった。
その内に、優しかった老婆は死んだ。元々身体が弱かったのだと、その時知った。落ち込む老爺を慰めながら、思ってしまった。何故私が生きていて、あんな素敵な人が死んでしまったのかと。
暫くして、後を追うように老爺が死んだ。身体は丈夫だと言っていたのに。最後まで私を心配して逝った。私の中には絶望しか残らなかった。もう死んでしまおう。どうせ一人だ。生きていけない。落ちていた小刀を拾い、左手首へと当てた。勢いよく横に引くと、ピリリと痛みが走り、皮膚が裂け、血が流れ出した。これが全て流れたら、私も老夫婦の元に逝けるだろうか。もう一人にならずに済むだろうか。
――バカか、おめェ
赤い液体を眺めていたら、不意に頭に響いた声。
――俺が護ってやる。だから二度と死んでもいいとか言うな
違う言葉が、聞こえてきた。怒っている様で、暖かくて優しい声。私は、この声が好きだった。私は、この声の主の事が大切だった。この声は、いつでも私を救ってくれていた。
この、声は――
「…ぎ、ん……とき…」
無意識に出た言葉が自分の耳に届いた瞬間、意識が途切れた。
次に気が付いた時、私は全て思い出していた。私が何者なのか。何故あんな場所に居たのか。そして、誰を心配させてしまっているのか。
あれから大分月日が経った。戦争は終わったのだと聞いた。でも何故か、仲間が死んだとは思えなかった。きっと何処かで生きている。私は、ただ彼に、会いたかった。バカ野郎と一喝して欲しかった。
この小さな村では何も分からない。大きな町に行こう。どうせなら、国の中心に、江戸に行こう。道すがら、彼を探そう。銀髪をふわふわとさせてまったり生きているであろう彼を。見れば直ぐに分かる筈だから。
一歩一歩、少しずつ踏みしめながら、江戸を目指す。何処の町も広くて、でも必ず見付かると信じていた。
「アンタ、人探ししてるんだってねェ?」
江戸のかぶき町を歩いている時に、一人の女性に声を掛けられた。髪をしっかりと整え、煙草をふかす女性は、煙を吐きながら上を見上げた。つられて上を見ると、大きな看板があった。万事屋銀ちゃん。何とも言えない看板だ。
「上に万事屋っつーのがいるのさ。そいつらはいつも暇してるからね、依頼したら人なんざ直ぐに見付かるよ」
「…あ、ありがとうございます」
ペコリと礼をして、万事屋へ続く階段を上る。見知らぬ私に声を掛けてくれるなんて、なんて優しい人なんだろう。全然タイプは違うのに、私を助けてくれた老婆を重ねてしまった。
階段を上り切ると、看板の下に玄関があった。ドアホンがあるので、押してみる。
一回目。中から何か聞こえた気がしたけれど、誰も出てくる気配がない。いないのだろうか。とりあえずもう一回。
中から足音が聞こえた気がする。いや、気のせいではない。でも誰も出てこない。
三回目。ドタドタという足音と、声。何処か聞き覚えがある様な、間延びした声。
「はいはい、どちらさん?」
ガラッと開いた扉から出てきたのは、正しく私が探していた男だった。
20160302
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