いちばん怖いこと
及川さん家のおばさんと女子会をするんだ、と意気揚々と準備をして出掛けていったお母さんを見送って、部屋に入った。
さあ、勉強の続きだと思って椅子に座って直ぐ、玄関が開く音がした。お母さんが忘れ物でもしたのだろうか。
部屋を出て声を掛けるけど、返事がない。あれ、どうしたんだろう。
「お母さん?忘れ物?」
何となく、階段下を覗いてみた。お母さんだろうと思っていたら、そこには、徹くんがいた。
少し怖い顔をして、何も言わずにじっと私を見てくる。
声を掛けても、返事がない。
とりあえず私の部屋へ入ってもらうけど、やっぱり何も言わない。
気まずいし、どうしていいか分からずに言葉が上手く出てこない。徹くんはやっぱり怖い空気で、何でこんな状況になっているのか分からない。
徹くんを見ていると、突然、徹くんが動いた。
「とおる、くん?……きゃっ!」
「光儚ちゃん……ゴメン、俺、」
徹くんは凄く小さな声で呟いたかと思ったら、強い力で突き飛ばされた。ちょうどベッドの方向だったから痛いとかはなかったけれど、突然のことだし徹くんの考えてることが分からないし、徹くんの目が怖くて、身体が動かなかった。
ギシリ、ベッドが軋んだ。
起き上がることも出来ずにいると、徹くんが私に覆い被さる様に私の上へ乗ってきた。
「ゴメン、ゴメンね…」
譫言の様に本当に小さな声でひたすらに謝罪を繰り返す徹くんが、私の頬に触れてくる。
優しく、するすると指先が私の輪郭をなぞる様に移動して、少しくすぐったくてピクリと身体が動く。
徹くんの指が、私の顎まで辿り着いて、一瞬止まった。
「光儚ちゃん、好き、大好き」
「……徹くん?」
「だから、俺に、頂戴」
「何……?」
「光儚ちゃんの初めて、全部ぜんぶ、……頂戴?」
徹くんの指が、私の唇に触れる。
触れるか触れないかの位置でするすると唇を撫でていた徹くんの手が、私の目を塞ぐ様に被せられた。
「とお、るくっ……んんっ!」
口に柔らかい感触。
感じたことのないソレは、暫くそのままだったけれど、私の唇を啄む様に動き始めた。リップ音が耳に入ってくる。
なにこれ、いやだ、いやだ。
必死に抵抗しようと、徹くんの手を振り払おうとするけれど、徹くんの力は強くて手間取っている間に逆に徹くんに手を取られて、指を絡められた。ぎゅっと握られて、反射的に握り返す。
その反応が良かったのか、徹くんがうっすらと笑った気がした。
何でこんなことをされてるのか。分からなくて、どんどんと怖いという感情だけが募っていく。
急に徹くんが私の目から手を外して、視界が徹くんでいっぱいになった。徹くんはじっと私の目を見てきて、不意に私から離れた。
「あ……」
目を見開いて、徹くんは少し小刻みに震えていた。
「ゴメン、俺……ゴメンこんなことするつもりじゃ…、ゴメン、光儚ちゃん、ゴメン……泣かないで…、ゴメン」
「え……」
倒れていた身体を起こしてみると、頬を何かが伝った。ああ、泣いてるんだ、自覚した瞬間に次から次へとポロポロと涙が流れてくる。
徹くんが私に手を伸ばしてきたけれど、身体が勝手にびくついて徹くんを拒絶した。それを見た徹くんは辛そうな顔をして、部屋から出ていった。ずっと、ゴメン、ゴメンと言う徹くんに言葉を返すことも出来なかった。
遠くに離れていく徹くんの足音に、ポロポロと流れる涙が更に量を増した。
怖かった。
はっきり言えば、怖かった。
あんな顔する徹くんは知らないし、抵抗しても無意味な感じが怖いとしか思えなかった。
でも、徹くんの辛そうな顔は、見たくなかった。徹くんには笑っていて欲しい。
きっと私のせいで、あんな顔をさせてしまったんだ。私が、徹くんを一瞬でも拒絶なんてしてしまったから。
これが、徹くんと会える最後だったらどうしよう。徹くんがもう会ってくれなかったらどうしよう。
――光儚ちゃん、好き、大好き
「とお、るくん…っと、おる、く…っん、と…っる……くっ…!」
悲しくて、寂しくて、ひたすら泣き続けた。
20151124
(いやだ、いやだ)
(徹くんがいなくなるのが)
(一番いやだ)
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