失恋との迎合


バタバタと聞こえた足音に、目を覚ました。こんな大人数の足音、何日振りだろう。扉へ近付き耳を澄ますと、自分の名を呼ぶ声も聞こえる。無意識に、口が開いていた。


「ここ…っ!たすけて…!!」


近付いてきていた足音が、ピタリと止まり、勢い良く扉が開かれた。何日も見てきた顔じゃない。
黒い長髪を揺らして、しっかりとした眼差しで私を見てくる。助かったんだ。この閉鎖的な空間から、私は出られるんだ。


「Hey,she is here!(おい、居たぞ!)」


男は、外へ向けて声を上げると、此方へ一歩近付いてきた。


「Is it OK?(大丈夫か?)」
「あ……」


真っ直ぐとした瞳に見つめられた瞬間、頭がふわりとした。視界が霞んで身体が重力に従って崩れていく。ガチャリと鎖の音が遠くから聞こえてきて、何か温かいモノに支えられている感覚を感じて意識が途切れた。



*



「My Hatsune…(僕の初音…)」
「……っ!?」


目の前から聞こえてきた声に、身体が固まった。真っ白な世界が一ヶ所開いて、男が現れる。手には鎖を持っていて、逃げようとするけれど、でも足が動かない。


「いや……っ」


少しずつ近付いてくる男から少しでも距離を取りたくて、思わず目を瞑る。
――瞬間、身体が温かいナニかに包まれた。ふわりと薫るタバコの匂いに覚えはなくて、でも何故だか安心出来た。離れて行ってしまわないよう、必死にソレを握り、ゆるゆると目蓋を開ける。

最初に目に入ってきたのは、真っ白な天井だった。さっきまでの閉ざされた部屋ではない。見知らぬ部屋。
次に目に入ってきたのは、天井の白と正反対に主張する黒だった。


「……あ、」
「…気が付いたのか」


口から言葉にならない音が溢れた。目の前の黒がピクリと反応して、振り返ってきた。視界に入っていたのは、どうやら黒い服を着た男性の背中だった様だ。長髪がさらりと揺れる。
振り向いた顔は、私を助けに来てくれた人と一緒だ。ふわりと薫った匂いは、夢の中で感じたモノと一緒だった。


「さっきの…」
「悪いが、離してもらえるか?」
「え………?あ…!!」


何を言っているのかと思って男の人を見ると、彼の袖を私が握っていた。しかも結構力を入れて。
慌てて離すと、その人はスッと立ち上がり軽く身体を伸ばし始めた。私が袖を持っていたから動けなかったんだろう。悪いことをしてしまった。


「あの、」
「なんだ?」
「…ごめんなさい、ご迷惑を掛けて」
「迷惑?何か迷惑になる様な事をしたのか?」
「え…?あ、えっと、袖、私が持ってたから…」


訳が分からない、と首を傾げた彼に戸惑ったが、袖を指差す。納得したのか、ああ、とだけ呟いて、彼は私の頭をポンと一回撫でた。


「気にするな」


あれ?
頭に手を置いたまま、彼は私の顔を覗き込んできた。何だろう。感じたことのある感覚。母からでも父からでもない、でも私の中にあるふんわりと暖かい記憶。
何だろう。彼の顔をじっと見返す。見たことがある様な、懐かしい様な、不思議な感覚がする。


「医者を呼んで来よう。その後で詳しく話を聞きたい」
「あっ、」


行ってしまう。分かった瞬間に手が動く。さっき離した裾をまた掴んでしまう。彼は不思議に首を傾げた。


「一人になりたくないのか?誰か代わりの者を寄越そう……男がいるより安心だろう」
「ちが……」


彼は勝手に結論を出し、私の手を離そうとする。でも私の中ではそうではない。この人と今離れたら、もう会えない。そんな気がするんだ。この人と、私は離れたくないのだ。初対面の異性相手にこんな感情になるなんて、パニックで頭の中がおかしくなってしまったんだろうか。ぎゅっと手を離されないように、力を込めると、彼は口端を上げ、笑った。


―――お兄さんと、また、会えますか…?


この間見た夢の中のお兄さんの笑顔が頭を過る。


「君が望むのならば、俺が此処にいることにしよう。そんなに怯えた顔をするな」
「あ………、おに、い…さん…?」


夢の中のお兄さんとダブってしまった私の言葉に、目の前の彼は訳が分からない様子で首を傾げた。
でも、部屋から出るつもりはなくなったのか、さっきまで座っていた椅子へと座り直して、徐に携帯を取り出した。手早くメールを打ったのか、直ぐに携帯を片付け、無言になってしまった。
顔を真っ直ぐ見る訳にもいかず、横目で彼を見ながら、昔の記憶を掘り起こす。
あの時のお兄さんは、顔はよく見えなかった。髪の毛はもっと短くて、帽子は被っていた気がする。
目の前の彼と、共通点が分からない。別の人だろうか。むしろ、最近、彼とよく似た人を見た気がする。長い髪を靡かせ、鋭い目を少し柔め、そして……


(……そうだ、)


綺麗な女の人と、一緒に居たんだ。素敵だなと思った。恋をした瞬間に失恋した、あの時の、男の人だ。あれ、でもあれは。


「……お兄さん、日本にいました?」
「何故だ?」
「日本語だし、それに……日本で見たことある様な気がしたんで…」


濁した言葉で伝えると、彼は表情を崩さずに、視線を少しだけ私から反らした。
これは、どういう思考なんだろうか。思い出すなんて難しいことではないはずだ。誤魔化すにしては間が空いている。


「…仕事で行っていた」


ポツリと、呟いた声は先程までと何一つ変わらないのに、お兄さんの瞳が、少しだけ、哀しそうだった。何か、嫌なことでも思い出したのだろうか。私のせいで、嫌な思いをさせてしまったのだろうか。


「おにいさ…「Did she wake up!?(目を覚ましたのか!?)」


バタンッ、と勢いよく開いた扉と大きな声を上げながら入ってきた男の人のせいで私の声が掻き消された。お兄さんもその人に視線を向けた時に、もう表情を元に戻していて、部屋の空気は一気に変わってしまっていた。
男の人の後ろから白衣を来た人がゆっくりと入ってきて、多分お医者さんなんだろうと見ていると、三人で何やら小声で話し始めた。

お兄さんとお医者さんが私をチラチラと見ながら何か言っていて、新しく入ってきた男の人が私の方へ近付いてきた。


「Your parents were anxious.(ご両親が心配していたよ)」
「………っ!!!」


私に向かって手を伸ばしてくる。あの男と重なって、肩が跳ねた。上手く息が出来ない感覚になってきて、必死に息を吸う。目の前の人が、私の顔を見ようと更に近付いてきた。


「あ……や、いやっ、いやだ…!!」


来ないで、来ないで。
必死に距離を取ろうと身体を動かす。それに気付いて、更に近付こうとしてきた男の人が視界に入って、思わず目を瞑る。いやだいやだ。身体が思考することを拒否している。


「…落ち着けっ」


焦った声と、身体に衝撃を感じて、更に肩を震わせた瞬間、鼻に入ってきた薫りに、一気に脳に酸素が回ってきた。
ぎゅっと私を抱き締める腕は、力強くて、ゆるゆると目を開けると、黒が視界を占めていた。


「あ……あああ……」
「落ち着け、大丈夫だ」
「おに……さ、ん…」
「ああ。直ぐに両親を呼んでもらおう、それまでは俺が側に居よう」


すまない。
そう呟くお兄さんの声を聞いて、お兄さんにまた支えられながら私の意識は途切れた。





20160930
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