日常にドラゴンを添えて

 早朝、六時を少し過ぎた頃。

「起きる時間ロト!ツムギ、おはよ〜ロト!」

 ロトロト♪と元気な声で目を覚ます。元気な声はしっかり充電された証拠。疲れ気味の声なら充電不足。なんて分かりやすい家電ポケモン……いや、プラズマ家電なんだ。え?どっちも違う?残念ながら脳はまだ寝ているようだ。
 ロトムに起こしてもらっている立場なので文句は言えないがとても眠たい。二度寝を決めて七時前に起きたい。起きれない自信しかない。眠い。
 ううーん、と強めに唸りながらゴロンと寝返りをうつ。

「ツムギ!二度寝したら起こさないロ!」
「ううっ……起きます……毎朝ありがと、ロトム……」
「エッヘン!いいってロトよ!」

 ロトムはスマホの家主……持ち主?である私の特性をよく理解していた。というか、最早ロトムに手網を握られている。これではどちらがお世話しているのか分からない。一応持ち主ではあるものの、最近じゃ世話を焼いているのはもっぱらロトムの方だ。正直助かってる。
 ベッドの端に腰掛けて背伸びをする。ついでにあくびも大きくひとつ。腰を曲げて指先を床に……床に、つ、つけ……痛い。ギリギリでつかない。起きたては体のあちこちが固い。ぐぬぬっと声を上げつつ上体を戻す。さらに首を回して耳の下を指でグリグリとマッサージする。これがなかなか気持ちいい。リンパ節の老廃物よ、さようなら。こうして全身をのんびり動かし終えるとようやくベッドから離れるが、もうすでに布団が恋しい。お布団さんの上でゴロンゴロン寝転がりたい。早く帰宅できるよう今日の自分に期待して、出社の支度開始だ。

 満員の電車に揺られて出勤。その通勤途中でワイヤレスイヤホンからロトムの声が響く。そう。いつもの「ロトロトロト!」だ。イヤホンがなければ電車内の乗客たちがざわつくこと間違いなしだろう。電車内でポケGOしてる人もいるし、ポケモンが好きな大人が多いことも十分存じ上げている。私だって着信音や通知音でロトムの声が聞こえてきたら (あの着信音、いいな。帰ったらダウンロードしよ……) と思う。本体をサイレントで設定してもロトムは声を出すのでイヤホンが必須だ。
 メッセージアプリの通知かメールかどちらかだろう。スマホの画面をタップして確認する。

「キバナからメールが届いたロト!」

 読み上げるロト?そう尋ねられたので静かに小さく首を振る。こちらも、なんというか……日課?になっているキバナさんからのメール通知。電話番号を知られているのでショートメールが割りと頻繁に届く。内容はシンプルに挨拶だけだったり、今日食べたご飯の報告や、休みだったからジュラルドンをピカピカに磨いたんだぜ〜とか、ダンデも交えたジムリ会議だっつーのに来ねぇ。アイツの迷子体質どうにかなんねぇかな?とか。日によって様々だ。
 ……ダンデさん、日常に支障をきたし過ぎじゃない?流石にマネージャー的な人を雇うべきでは……。だが、最近はダンデさんの迷子情報を知るのが楽しみの一つにもなっている。もちろんキバナさんには内緒だけど。毎回ぶっ飛んでて面白い。
 迷子内容を思い出して口角を上げた。急に笑う不審者になりたくないので片手で口元を隠しつつメール画面を開く。おそらく朝の挨拶とかそういう……。

『おはよう!電話かけていいか?』

 良いわけがない。公共交通機関内で通話など!許されざる行為だ。短く返事を返してスマホをカバンの中へ。また折り返しで連絡が届くけどそれはもう無視。キリがないし長くなる。
 ロトムに返事をするか問われ一度首を小さく振れば、以降は声をかけてこない。賢い子だ。誰かさんにも見習ってほしい。……なんて思う。

 遅刻することなく出勤完了。業務開始だ。今日も一日ぼちぼち、無理せずしっかり頑張ろう。


◇ ◇ ◇


 ──ロトロトロト!

『ツムギ、おはよう』
『今日のお昼なに食べた?オレさまはな〜』
『は?まだ帰ってねぇの?労働環境大丈夫なのか?』
『なぁ〜〜、仕事が忙しいのもわかるけど!こっちにも来いよ!手持ちのポケモンたちが寂しがってるだろ!?』
『オレさまもツムギの顔が見たい』
『オレが寂しい』
『……ナシ、今のナーシ。はっず、取り消そ』
『スクショした?こういう時の行動力なに?』

『ワイルドエリアで無茶してるトレーナーがいてさ。ギャラドスにギャラドスぶつけて、しかもお互いはかいこうせんをぶっ放すバトルしてたわけ。地面が抉れるわ水辺のポケモンたちは慌てふためいて無差別に技繰り出すわ、大騒動だったぜ……』
『え?人に向けてはかいこうせん撃たせた奴がいる?』
『やば。あんなの受けたら病院送りだろ』
『……は、ワタルさん!?!?あの、カントーのチャンピオンの、ワタルさんか!?なら仕方ないんじゃね?理由もなく撃たせるわけねーって!絶対!ワタルさんに間違いはねぇ!』
『崇拝してるのか、って?敬愛してんの!オレさまの憧れ!』

『よ、なにしてる?ブルーベリー学園でテラレイドバトル?どこだよブルーベリー学園』
『イッシュ地方か!ふーん』
『へー』
『ガラルに帰ってこい』
『嫌とか言うな、キバナさん泣いちゃうぞ』
『……近づくとにっこり笑う奴がいる?ドラゴン使いでオレさまみたい?ふーーん?』
『オレ以外に興味持つなよ』
『まあた言わされた。言わすな』
『スクショやめろって言ったよな〜!?あーあ、ツムギはひどい女だ。男心を弄んでやがる』
『……で、そいつオレさまよりカッコイイ?』
『返事は』
『おーい、ツムギちゃーん?』

『帰ってきたか?お疲れさん!無理だけはするなよ』
『オレさまも疲れちゃった〜。癒しがほしいなぁ。チラチラッ』
『別にチラーミィの真似はしてない。チラチーノでもない。イジってんな?』
『声が聞きたいんだけどな〜?頑張ったキバナさんにご褒美くれないかな〜?』
『ナックラーの心の声じゃない!お前さぁ!!』
『くっそ意味わかんねえ笑う……。もしヌメラだったら?』
『ヌ〜!?ヌメ〜じゃなくて!?』
『腹筋が持っていかれた』

『んじゃ、また明日な』
『夜更かしはお肌に良くないわよ!』
『ってルリナの口癖!引用〜!』
『そうだ、早くバトルしに来いよ?ジムチャレンジ終わってないだろ』
『オレさまに勝てるまで毎日言うぞ。毎日だ!』
『……名残惜しいけど。おやすみ、ツムギ』


◇ ◇ ◇


 どう見ても、どう考えてもキバナさんが私の日常に入り込んでいる。連絡が来たら返すのが当然になっている。無視しても、着信拒否してもいいのに。私はキバナさんに返信をしていた。おはようからおやすみまで、それこそほぼ毎日。なんというか、むず痒い。中身のないやり取りでも楽しいとか、テンポよく返ってくる会話が面白いとか、そんなこと思ってない。
 ……こともない。

 深めのため息が出る。なにをしてるんだ、私。
 ロトムだって、こちらに来た時にすぐ送り返せばよかった。キバナさんの元へ帰ってほしい。もうこちらには来ないでほしい。そう言えばきっと一度くらいなら聞いてくれるはず。賢い子だから。キバナさんとの繋がりを絶たないのは他でもない、私自身の判断だ。
 知りたいと思っていたキバナさんを知れば知るほど、自分の気持ちがわからなくなる。

 今度の休みはナックルジムへ挑みに行こう。何度目のバトルになるのか、もう数えていない。負けたくない。勝ちたい。先へ進みたい。倒さなきゃ……キバナさんを。


 意気込んだあの夜から、数日。今日は休みの前日……だが、友人から晩ご飯に誘われた。友人からの誘いが久しぶりだったので断るという選択肢は無い。居酒屋飯、食べたくない?という誘い文句も上手すぎた。
 指定されたお店へ着き、席へ向かうと。そこには数人の男女が席を挟んで座っているではありませんか。ははーん、これは所謂、合コンだなぁ!なるほどなるほど。誘ってきた友人とバッチリ目が合えば素早く寄ってきてテヘペロ顔をした。完全に謀られたわ。
 明確な意図を持って両手で友人の肩を強めに掴んだ。

「人数合わせで呼んだな!?」
「出会いを提供しようと思いまして!」
「物はいいようじゃん」
「お相手はなんと!大手企業だよぉ!」
「えっ!?……くっ、揺らいで許しそうになった自分がいる。悔しい……」
「正直で良き!はいどうぞこちらへ!」

 友人の隣へ座り、飲み物を頼む。謀られたとはいえ居酒屋飯が食べられるのも事実。ここはひとつ、ご飯とお酒を楽しむことにしよう。そうしよう。
 今の雰囲気は比較的穏やかで大学生のようなウェイウェイするノリの飲み方ではなかった。男性側も女性側も目は若干……ギラギラしているかもしれないが。極端に騒がず落ち着いているのは流石大人、って感じだ。いや、社会人ゆえ……かもしれない。わからんけど。
 恋人が欲しくないか?と聞かれたら、そりゃ好きな人がいるなら恋人になりたい、と思う。思うが、誰でもいいから今すぐ恋人がほしい!というわけではなかった。出会いがなければ無いで趣味が捗るし、一人時間も好きなので暇を持て余すことはほとんどない。
 趣味はゲーム!な私に暇な時間があるとでも?
 それに……反対側にいる方々に惹かれない。大手企業の人だったとしても、だ。黒髪短髪で黒縁眼鏡の人も、マッシュヘアで爽やか笑顔の人も、おしゃれな服装で会話が弾みそうなワンコ系な人も、他の方々も素敵ではあると思う。が、トキメキはしなかった。おかしい。黒髪短髪で黒縁眼鏡、すっごい癖なんだけどなぁ……?

「ツムギ、キバナからメールロト!」

 片耳に付けていたイヤホンからロトムの声。どうやらキバナさんから連絡が入ったようだ。……キバナさん。そうだ、キバナさんだ。驚くほど合点がいった。
 ロトムから「読み上げるロト?」そう尋ねられ、今回は素直に頷く。

『ツムギ、今日もお疲れさん!晩ご飯食べたか?オレさまはみんなでカレーを食べたぜ。フライゴンがジュラルドンに食べさせてあげたり、バクガメスがヌメラやナックラーにおかわりを譲ってあげたり、サダイジャとコータスがにっこり笑ってたり!すっげぇ微笑ましい光景が広がってたんだぜ。ツムギにも見せてやりたかったな〜!』

 ふふっ、と小さく笑みをこぼす。微笑ましいし平和な光景ばかりだ。フライゴンがジュラルドンに食べさせてあげる?スプーンを持ってあーんしてるのかな。なにそれ可愛いが過ぎる。小さなポケモンたちに優しいバクガメスも推せる。

「ニヤニヤしてどうしたの?誰から?」
「……ニヤニヤしてた?」
「してた。で、そんな顔をさせた相手は誰よ〜?」
「……えーと、遠くに住んでる、知り合いの……お兄さん、的な人……?」
「微妙に遠い関係だった!返信しなよ」

 ひょっこり顔を覗いてきた友人の言葉に戸惑う。ニヤニヤ、してたのか。小さく笑みをこぼしたつもりだったのに。ニヤニヤ……。自分の頬に片手をあてた。
 じゃあ一応、返事をしておこうかな。

▶ お疲れ様です。今日の晩ご飯は居酒屋飯です!

 ……居酒屋飯です!の後ろに、力説!みたいな文に見えなくもない。女子力投げ捨ててる感すごない?まぁ、本当のことを言うのは悪いことじゃないし。
 返事して数秒でロトムが反応した。

『誰と』

 キバナさん、レス早すぎ。こわぁい!……怖い。短い文が怖い。隣の友人は笑っている。お兄さんおこじゃん!とも言っている。そう見えるよね。私も。だからより怖いのよ。

『ツムギは飲んでるのか』

「返事を間違うとヤバいタイプとみた!」
「覗かないでくれる?けど、確かにその通りな気もする。え……、なんて返すのが正解?」
「そりゃ、呑んでまーっす!でしょ」
「絶対、火に油!」
「本当に知り合いのお兄さん?彼氏でしょ?」
「彼氏じゃない!」

 二人でやいのやいの言い合っていたら正面のマッシュヘアーの人が話しかけてくる。苦笑いしつつ話に対応した瞬間、スマホを友人に取られた。しまったと思う間もなく。スイスイと画面をフリックしている……!嫌な予感しかない。やめろ、やめろーッ!
 画面を見ずとも教えてくれるのはロトム。

「それ以上飲むな、飯食ったら帰れ。店出る時に電話しろ。しなかったらこっちからかける。……うーん、ツムギ、これはキバナ怒ってるっぽいロ〜!」

 なんで怒る必要が。彼氏か?キバナさんは私の彼氏だった?そんなわけがない。間違いなく知り合いのお兄さんだ。バトルで倒せばジムバッジを渡してくれる、陽気なお兄さん。
 つまり、ジムリーダーとジムチャレンジャーの関係なわけ!それ以上でも以下でもない。そもそもキバナさんが怒る理由すらないわけで。
 お兄さんのリアクション最高じゃーん!なんて笑う友人からスマホを返してもらう。送ったその内容に天を仰いだ。

▶もちろん飲んでまーす!合コンなので良い人と出会えるよう頑張ってきまーす!

「火にガソリン注いでる……」
「いやぁ、怒ってるね!愛されてるねぇ!」
「私が怒られてるの理不尽すぎる。というか愛されてないし!彼氏じゃないのに!なにを言っても信じてくれなさそうじゃん。代わりに怒られて!」
「やーだね!付き合ってもない人がこの内容で怒るなら脈アリじゃん。次誘うの止めとこ」
「ちょっと!反省してくれる!?」

 よし、返事はここで止めとこう。着信が来ても無視しよう。いやぁ、お酒が美味しいなぁ!
 現実から目を背けるように食事とお酒に集中した。集中した結果、まぁまぁ酔ってくる。記憶を無くすほど無茶な飲み方はしない。が、アルコールが回ると頭も体もふわふわしだす。水を飲んで落ち着かねば。
 合コンという名の飲み会はここで解散。二次会はないので各々帰宅……する者もいれば、連れ立って夜の街に消える二人もいたりいなかったり。食事とお酒に集中していた私は連れ立つ人なんていません!いぇーい!恋人なんぞ私の愛ポケモンたちと比べたら塵芥も同然よ!
 ……だいぶ酔ってるわ、はよ帰ろ。

「ツムギ、大丈夫?」
「よゆーでぇす!」
「いろいろなお詫びとしてタクシー呼んであげるね……」
「お!代金も含めて〜?」
「黙って帰れ、酔っ払い」

 私に対する扱いが雑になってきたな。こりゃそっちも酔ってるね!あははと笑っていたら男性が一人、近づいてきた。何か言っているがふわんふわんな頭じゃたくさんの言葉は入ってこない。右から左へ。酸素から二酸化炭素へ。入っては抜けていくだけだ。……いや、なに言ってんの私?瞼が落ちてきてない?流石にここで寝落ちるな、頑張れ私の脳と体。
 友人が首を振っているのを見るに、送って行こうか?的なやつだろう。私に構わず行くがいいさ!友人へ向けて親指を上げた……つもりだったが、なぜか男性は私の手を掴んできた。友人と間違えてるのかな。
 疑問符でいっぱいな私をよそに、掴まれた手に力が込められた。……痛い。なにこいつ。
 眉間に皺を寄せてあからさまに嫌な顔を向けてやった。くっそ、離せぇ!

 その時、カバンが振動した。正確にはカバンの中のスマホが、だ。耳元ではロトムが焦ったように着信を知らせてくる。ロトムの言葉が入ってこないくらい強い力にイライラしてきた。私が視線をカバンへ向けたのを察知した友人が手を突っ込み、スマホを取り出した。
 ……あれ?まさか私、動くのもやっとな感じ?マジか、酔いが回りすぎてる?友人は画面をタップして私、いや……男性へ向けた。ロトムが音声を出すロト!と声を上げた。

『──ツムギ、電話しろって言ったよな?』

 低い低い、かなりドスの効いた声が響く。
 ……キバナ、さん。
 メールでのやり取りは多いが通話はほとんどしない。声を聞くのは久しぶりだった。

『今、どこにいる。自宅か?』
「えーと、初めましてこんばんは!ツムギの友人です。あの、お兄さんのツムギが男性に絡まれているので、私がスピーカーにして出ました!すみません!」
『……ああ、ご親切にありがとう。で、肝心のツムギはどうしてる?もしかして話せないくらい、そいつに絡まれてんの?』
「手を掴まれてますね!!」

 スピーカー。なるほど、だから突然キバナさんの声が聞こえてきたのか。こんなに酔っていても、キバナさんの声はちゃんと届く。言葉がはっきり真っ直ぐ私へ届く。不思議だなぁ。

『離せ』

 ミシッ……、向こう側で何かが軋む音が聞こえた。

『オレのツムギに触るな。今すぐその手を離せ』

 端々に怒りの音が混ざっている、気がする。そのおかげか、手を掴む男性の力が弱まった。よし、今だ!酔っ払いが渾身の力で振り払った。ふー、自由!自由って素晴らしい!よたよた、ヨロヨロと友人の方へ寄りかかる。すまんよ、足元も覚束ないみたい。
 スマホが近くなったのでキバナさんへ話しかけてみる。

「キ、バナ、しゃん」
『……おう、ツムギ。手ぇ、掴まれたって?』
「あい」
『呂律回ってなさすぎ。飲み過ぎ。オレが電話しなかったらどうなってた。危機感を持てよ』

 ツムギ、かわいいんだから。

 その一言を聞いた友人が気持ち悪い声で笑う。なにさ、ツムギちゃんは可愛いでしょうが!
 ……へへへ、可愛いだって。キバナさんそう思ってくれてるんだ?
 思わず画面を見つめて笑顔になる。可愛い、だって〜!

「きばなさん、きばなさん」
『ん。なあに』
「あした、やすみなんです。きばなさんに、あいにいきますね」
『ああ、待ってる。無事に帰り着けよ』
「はあい。きばなさん、やさしいですね。ね、きばなさん」
『……くっそ、すげぇオレの名前呼んでくるじゃん……。可愛い……。あー、友人ちゃん?世話かけて悪いんだが、ツムギの手を掴んだ相手まだそこにいるかな?もう一回そいつに画面を向けてくれる?』

 もちろんだぜ旦那!なんて答えて勢いよくズバッと腕を伸ばす。どうしたの友よ。それどんなキャラ?舎弟になってない?というか面白半分でやってるな。
 開口一番に聞いたドスの効いた低い声じゃなくなったから、口調も語気もいつもの気のいいお兄さんに戻っていたから、気を緩めていた。キバナさんは普段から温厚で滅多に怒りの感情は出さない人。穏やかな好青年だとリーグカードにも載っている。

『二度とツムギに手を出すな。声もかけようとするな。いいか、彼女はオレのだ。ドラゴンの逆鱗に触れた日には、なに一つ残さず……跡形もなく消し飛ばす』

 これほど荒々しい言葉を使うのはバトル中だけだと思っていた。現実の男性に惹かれなかった私がこの人には揺れる。惹かれてしまう。──心を、掴まれる。

『ツムギに触れていいのは、オレだけだ』

 キバナさんは遠く、次元すら違う、ゲームの世界に住んでいる離れに離れた知り合いのお兄さん。ナックルシティのジムリーダーで宝物庫の番人。
 私はただのジムチャレンジャー。普通の、一般人。なにひとつ誇れるものはない。そんな私を、想ってくれている。キバナさんのことを知らない私なのに、守ろうとしてくれる。
 ゆらゆらと視界が揺れた。静かに瞬けばポロポロこぼれ落ちていく。
 ……これは、どの感情の涙、なのかな?

「お、お兄さん……。ツムギ、泣いてます」
『……へぇ?これ以上オレを怒らせてどうしたいんだ?容赦はいらないと分かった。オレの代わりに攻撃できるやつ、近くにいるんだが』

 なあ、ロトム。

 イヤホンから「ムッ!こいつやっつけるロト!?」なんて声がする。ロトムの攻撃……?一番威力が低いのは電気ショック、だろう。いやいや、攻撃はダメだよ。ステイステイ。
 男性は顔を引き攣らせながら後退り、この場から逃げ出して行った。あの人はあの人でキバナさんの言葉に恐怖を抱いたみたいだ。スマホ越しの声にビビるとは。……ああ、うん。面と向かって威圧感増し増しな地を這うような低い声で話されたら……怖いかもしれない。

「お兄さん、逃げて行きましたよ!ナイスです!」
『そっちも現場の状況を教えてくれてありがとうな!それで?うちの可愛い可愛いツムギは大丈夫か?泣き止んだ?ツムギ、もう心配いらねぇぞ。そうだ、帰宅するまで通話のままにしとくんだぞ。オレさまが話しかけててやるから。……手、掴まれて怖かっただろ』
「キバナさん……」
『おう。どーした?はは、呂律戻ってら』
「こわかった、です」
『……そうか、よし。ジュラルドン送る。おすすめはドラゴンクローかアイアンヘッドな』
「……キバナさんも、こわかった……」
『オレさまも!?うーん、どう守ろうか必死だったからなぁ』
「キバナさん、っ」
『ん。ここにいるよ。……涙を拭けないのがもどかしいぜ……』

 そんな会話をしていると目の前にタクシーが停まった。どうやら友人が本当に呼んでくれたらしい。しごできウーマンがここにもいた。スピーカーを通常に戻し、スマホもバッグへ入れてくれる。なんとか乗り込み、扉が閉まる際には「運転手さん指定の場所までお願いします。安全運転で!あとこの子彼氏と通話しているので、そこに口を挟まないでくださいね。ではよろしくでーす!」と謎の説明までしてくれた。優しさが手厚い。

 タクシーに揺られ、耳元ではキバナさんが話しかけてくれて。自宅付近で車から降りた時は足元がフラつき、覚束なかったけどなんとか無事に自宅へ帰り着いた。
 だいぶヨロヨロしながら玄関に入り、到着の報告を口にするとキバナさんがホッと息を吐く。申し訳ないレベルでご心配おかけしてます……。

『お疲れさん。おかえり』
「ただいま、です。ありがとうございます」
『そのままベッドへ行くなよ?シャワー浴びて着替えて、そっから寝るんだぞ。オレさまはまだ寝ないから……もし声を聞きたくなったら遠慮なく電話しな』

 優しい言葉に涙腺が緩んでいく。おかしい。私はこんなに涙脆くない。アルコールが残ってるせいだ。ズズ、と鼻をすすればキバナさんの焦る気配がした。
 泣いてないです。大丈夫。そう言いたいのに唇が震えて上手く声が出てこない。
 これ以上心配させたくない。

「キ、バナ、さ」
『うん。どうした』
「も、だいじょ、う、ぶ……です」
『大丈夫じゃない。大丈夫なわけないだろ』
「おうちに、いるから。ないても、ない、です」
『泣いてる泣いてる。っああああもう!手の届かない場所にいるオレさま無力すぎる!今すぐ飛んでって抱きしめて、安心させてやりたい!』

 本心かな。本心、なんだろうな。手の届く場所にいたら飛んできて抱きしめてくれるんだ。そんなことを言われたら頼りたくなっちゃう。優しくて、バトルも強くて、行動も言葉もイケメンで。怒ると怖いけどそれすら優しさからの怒りで。非の打ち所がないほど素敵な人だ。
 涙を拭いて、洗面所へ。言われた通り今のうちにシャワーを浴びたり歯磨きしたり、身の回りのことを済ませておかないと眠ってしまいそう。

「……キバナさん、ごめんなさい」
『それは、何に対しての謝罪?』
「すぐに帰らなくて、電話も、しなくて……」
『ん!同じことを繰り返さないなら、ゆるーす。キバナさまの懐は海より深くて広いんだ』
「うう……優しい……」
『フフッ、良く言われる〜!でも気にかけてるのはツムギだけだよ。これもほんと。ほら、シャワー行ってサッパリしておいで。ロトムの充電忘れずにな!』

 静かに通話が切れた。そうだ、充電しなきゃ。ずっと通話していたからだいぶ減っている。本体も熱を持ちかなり熱い。……少し置いてからの充電にしよう。
 メイクを落としシャワーを浴びる。面倒だし眠気もきているがあちこちのケアは忘れずに。歯磨きまで終えてひと息ついたらスマホに充電ケーブルを差す。ロトムは目を閉じ、充電中になった。今日も一日ありがとう、ロトム。

 ベッドに腰掛けてスマホを見つめる。連絡……していいのかな。特に話すことはない。もう寝るだけだ。このまま電話しなくても、きっとキバナさんは怒らない。
 ……でも、おやすみの挨拶、してないよね。今日は迷惑も心配もかけたし面と向かって挨拶しよう。そう、それだけ。決して声を聞きたいわけでは。
 自分に言い聞かせるように納得させて、画面をタップした。数コールで向こうと繋がる。

『スッキリした?落ち着いたか?』
「はい、今日はありがとうございました」
『おう。助けになったなら良かった。そろそろ寝る時間だな。眠れそうか?通話しとく?』
「もう大丈夫ですよ、過保護ですねぇ」
『過干渉って言われなくてよかった』
「ふふ、キバナさん。また明日、です」
『ああ。また明日な』
「今日のキバナさん、かっこよかったです」
『……え』
「おやすみなさい」
『待っ、え?もっかい、もう一回言っ──』

 通話終了ボタンぽちー。うん、頑張った。ちゃんと言葉にできた。言葉にして直接伝えるってなかなか照れる。おかわり要求されてたけど意図的にスルーしちゃった。……意を決したセリフをもう一回!は、無理です。恥ずかしすぎて。

 私の日常に溶け込み始めたキバナさんとのやり取り。他愛のない話も、何を食べたかの報告も、気遣うような会話も。まるでそれが今までの当たり前だったかのように、とても自然にとても温かく、そして……とても優しく。そっと寄り添ってくれる。
 甘えそうになる。頼りそうになる。でもそれは出来ない。だってキバナさんは、キバナさんは……、この世界に、いないから。私は私として生きなくちゃいけない。しっかりしなければ。自分の身は自分で守らないと。今回の飲み会で反省、いや、猛省した。飲み過ぎ、よくない。


 明日はキバナさんに何度目かのバトルを挑む。今度こそ、次こそは。勝って聞きたいことを話してもらうんだ!改めて意気込み、ベッドへ潜り込むとギュッ!と目を閉じた……ら、思い出されるのは耳に残ったキバナさんの声。

『オレのツムギに触るな。今すぐその手を離せ』

 ……あの時は状況が状況だったからめちゃくちゃスルーしていたけど、オレのツムギ、ってなに?いつから私はキバナさんのツムギになったんだ……?冷静になって思い返すとあちこちツッコミたくなる発言が多かったような。
 酔いで脳が処理しきれてなかったし、理解も追いついてなかったもんね?『ツムギに触れていいのはオレだけだ』とかね。なんでだよぉ!キバナさんも私の許可を得てほしい!
 なんで、オレさまは特別〜!って思ってるのかな!?謎い!

 ぴえ"あ"ぁ"あ"ーッ!!
 と、奇声を発し身悶える私に「ツムギ、もう夜ロト。静かに寝るロト〜!」と非難の声を上げたのは生活に一番密着しているロトムだった。

 翌日、陽が高く昇るまで泥のように深く長く眠ってしまったのは……言うまでもない。


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