怪我より心が痛いのは、

空が白み始めた、朝。
いつもより早く目が覚めてしまった私は、家を出て近くの海岸へと向かった。遠目からでも見える大きな船。白いクジラが船頭の船。
船といっても、それは…海賊船。
海賊船といっても、島をその海賊旗ひとつで他の無法者達から守ってくれる、とても頼もしい海賊船。この島は彼らの補給地ナワバリでもあるから、滞在期間は長い。

寄港した時はこうして、海岸の砂浜からその船を眺めることが私の楽しみにもなっていた。
近づきすぎず、離れすぎず。
ヤシの木の傍に座り白いクジラを見つめる。

…あの人も、船の中にいるんだよね。
一目でいいから会いたいなぁ…なんて。

─ドサッ、

近くで何かが倒れる音。
その音に驚いて肩と心臓が跳ねた。
恐る恐るそちらへ顔を向けると…。

人が、倒れていた。

オレンジ色のテンガロンハット。
この帽子がトレードマークなのは一人だけ。

「あのっ!大丈夫、ですか?」
「ぐー…」
「寝てる!!」

突然砂浜に倒れながら現れたのは、先ほど私が会いたいと思っていた人…だった。

白ひげ海賊団二番隊隊長、火拳のエース。
前回寄港した時にお店へ来てくれた。
私が勤めているお店。夜の店ではなく、お昼がメインの定食屋。そこへご飯を食べに来て。
美味しそうにご飯を頬張る姿に、ときめいてしまった。私はたくさん食べる人が好きだ。

倒れているその人に近づく。
もう一度、大丈夫ですか?と小さい声で話しかけつつ腕に触れようとしたら…。

「誰だ」

ガッ!!と強い力で手を掴まれた。
痛みすら感じる強さに顔を顰めてしまう。
寝ていたはずじゃ、なかったのか。

「っ、私は島の者…です。突然砂浜に倒れられたので、大丈夫か声をかけようと…!」
「砂浜?…ほんとだ」
「痛っ、すみません…手を離してください」
「え?ああ、悪ィ!」

手を離して謝ってくれるその人。
そのまま上体を起こし、その場に座った。
顔面から突っ込んだので顔は砂まみれだ。
自分でも状況が分かっていないようで、ぼーっと辺りを見回している。…海風に乗ってその人から薫る、女性ものの香水の甘い匂い。なるほど、逢い引きからの帰り…だったのか。

想い人が目の前に現れて嬉しいのに、その匂いのおかげで高揚した気持ちが薄れていく。
海での生活が長く、船は男所帯だろう。
陸に着いたら女性を求めるのは必然で。
恋人でもなく、夜の相手をするわけでもない私が勝手に胸を痛めるのは…間違っている。

「あんたは、なんでここに?」
「…船を眺めていました」
「船?ああ、モビーか」
「はい。大きな船だなぁ、と」
「船、つっても海賊船だぞ?」
「この島を守ってくれる、海賊船です」

そしてあなたが乗っている、船。
彼へ目を向けると、砂を落としていた。
その動きが可愛く見えて、つい口元を緩ませてしまう。私の視線に気づいた彼は
「なんで笑ってるんだ?」と首を傾げた。
帽子も取って砂を落とす。が、まだ顔のあちこちに砂がついている。指摘するとそこへ手を伸ばす…けれど、なかなか落ちない。

「顔はわかんねェ、とってくれるか」
「えっ…触ってもいいんですか?」
「?おう、頼む!」

先程の警戒が嘘のように、ニッと笑って顔を近づけてくる。ち…っ、近い。それにお酒くさい。
かっこいい。なんで上着のボタンとめてないの。腹筋も胸筋もすごいなぁ。かっこいい。

そっ、と額に触れる。次は鼻。そして頬。
砂がパラパラと下へ落ちていく。

「…視線が、熱いな」
「っ、見過ぎました。すみません…」
「いいや、助かったよ。ありがとな!」

再び笑う。
明るいその笑みに、胸が高鳴った。
帽子を頭に乗せ、立ち上がると
「声、かけてくれてありがとう!じゃあな!」
そう言って船の方へ歩いていく。

彼が歩いて行く方角から太陽も登り始める。
朝の日差しが浜辺と彼を照らして。
それがとても眩しく…目を、逸らした。



***



「おっ」
「…あっ」

太陽が真上を過ぎた頃。
その人たちは勤め先の定食屋へやって来た。
結構な人数で来店してきた中に、今朝出会った彼の姿もあった。そして目が合ってしまう。

ホールもキッチンも兼任している私。
…目は、合ったけれど。
近くにいた髪型が特徴的な人へ声をかける。

「いらっしゃいませ」
「大人数で悪いが、入れるか?」
「はい。お好きな席へどうぞ」
「おう、ありが「ここで働いてたのか!」とう…、なんだよい、エース。割って入るな」

へへへ、悪ィ悪ィ!
絶対悪いと思ってない彼の言い方に、ため息を吐くお兄さん。各々、好きなテーブルへ。
先に飲み物を提供して、私も厨房に。
海賊の皆さんの食事量は半端ない。
体格の良い方はもちろん、細身の方も信じられない量を平らげる。どんどん作らなければ。

厨房とホールを行き来して。
カウンターへ目をやれば、彼が座っていた。

「お一人で、座られているんですか?」
「ん、まぁな!」

声をかければニッコリ笑う。
その笑顔にキュンとしてしまうが、働く手を止めるわけにはいかない。そうだ、彼は何を食べたいのだろうか?聞いておこう。

尋ねてみれば「大盛りペペロンチーノ」と。
出来れば辛いと嬉しい!激辛ならもっといい!
…なるほど、好物を知りました。

他のお客様の分を先に作り、次にご要望のペペロンチーノを作る。かなり辛くしたけれど。本当にこれ全部、食べきれるのかな?
トレーに乗せてカウンターへ向かった。
お皿を出した時、隣にはいつの間にか綺麗な女性が座り、彼に話しかけていた。

「ねぇ、二番隊の隊長さん。今夜どう?」
「あー、…そうだなァ」
「…お待たせしました」
「おー!うまそう!ありがとな!」

無表情な彼が、満面の笑みを見せる。
隣の女性には見せなかったその笑顔に、優越感を覚えてしまって。…私はなんて嫌な奴だ。

他のスタッフに呼ばれて、そちらへ向かう。
まだまだ忙しい。仕事に集中しよう。

─海賊の皆さんへの提供が落ち着いた時には、もう日が沈みそうだった。これから彼らは酒場やそういうお店で過ごすのだろう。
テンガロンハットの彼も、もう店にはいない。
…もっと話しかければよかったなぁ。
食べ残しひとつない皿を見つめて、ため息。

上がり作業を終えて、エプロンを取ると店を出た。今日も一日頑張った。えらいぞ、私!
自宅へ帰る、途中。

「お店に行く?それともホテル?」

お昼に見かけた女性と…彼が。
腕を組んでこちらへ向かって歩いてきた。
…そう、か。そうだよね。
綺麗な女性を拒むなんて、ありえない。

私もドレスを着て、綺麗にメイクしたり。
アクセサリーで華やかに飾ってみたり。
胸はどうにもならないので仕方ないけど。
少しでも、興味を惹けたら。彼に近づけたら。
…なんて。それができれば悩んでない、か。

視線を地面に落とし、早く通り過ぎたかった。
通り過ぎてほしかった…のに。

「お疲れさん!」

ぽふ、と頭に手が乗った。
弾かれるように顔を上げれば、笑顔の彼。

「声かけずに出ちまって悪かったな!あんたの作る飯、すっげぇ美味しかったぞ!」

どうして、声をかけてくれたんだろう。
わざわざ足を止めてまで。
優しく笑ってくれるんだろう?
あなたの隣を歩くことはない…私に。

「ありがとう、ございます…」
「エース、行こう?」
「…あー」
「ねぇ、私、ホテルがいいな」

二人の会話を聞きたくなくて、走り出す。
挨拶、忘れてた。そう頭の片隅で思ったけど。
私の心は、それどころじゃ…なかった。



***


翌日の仕事は休み。
その次の日はお店のガスが通らず、臨時休業。
さらに次の日は豪雨にみまわれて、臨時休業。

思わぬ三連休で、ゆっくり休むことができた。
けれど、心は相変わらず晴れていない。
こんなに彼を思うことになるなんて。
もはやこれは恋と呼んでいいのでは?
…叶うことのない、恋…か。

豪雨の後の海岸へ。
浜辺には大きな枝や葉、石などが打ち上げられていた。海も大きく荒れたのだと分かる。
一昨日と同じように、ヤシの木の傍に座った。

白いクジラを見つめ…すぐ立ち上がる。
彼に会いたい、でも、会いたくない。
早朝の浜辺を少し歩いてから帰宅した。

早めにお店へ入り、開店の準備を済ませる。
開店時間になると他のスタッフがオープンの札を下げに行く。来店を知らせるベルの音。

「いらっしゃいま、せ」

白ひげ海賊団の皆さん。
…テンガロンハットの彼もいた。
心臓が、じくりと痛む。

ホールスタッフに声をかけて今日はキッチンに入る旨を伝える。別に…逃げてるわけじゃない。
彼らが来たら作る量が多くなる。だから、キッチンへ行く。ちゃんとした理由だ。

「逃げてきたな?」
「…なにから、ですか」

近くに来たオーナーがニッと笑みを見せる。
私が彼に一目惚れしたのを知っているから出た一言なんだと…分かってる。分かってるから、私もわざととぼけた。触れないでください。
すると、今日は奥で仕込みしてもいいぞ。
そう言ってくれた。珍しい。とても助かる。
オーナーの言葉に甘えて奥へ引っ込んだ。

黙々と野菜の下拵え、肉や魚の解凍、足りない食材の補充。裏方の仕事もなかなかハードだ。
ふと、視線を感じてそちらを向けば。

「手際がいいな、お嬢さん」
「…どちら様ですか?」
「白ひげ海賊団の台所を預かってる者でーす」
「!ええと、サッチ…さん?」
「おお?知ってんのか!光栄だな〜!」
「隊長さん達のことは、存じ上げてますよ」

現れたのは四番隊の隊長、サッチさん。
長めのハード系パンのようなリーゼント。
…という例えは失礼だね。すみません。
白ひげ海賊団の台所を預かってる人。
料理の腕がべらぼうに良いと聞いている。

私の作業を見てくるのはいいんだけど…、少々、その、視線が強いんじゃないかなぁ…!?

「何か御用、でしょうか?」
「うん、腕を見てる」
「なんのためにです?」
「今後のために!」

はぁ…?
よくわからないが、気にしないでおこう。

「そうだ、お名前は?」
「ナナシと申します、が…」
「ナナシちゃんな!なぁ、味噌汁作れる?」
「味噌汁?お味噌があれば…」
「なるほど。得意料理は?」
「なんの調査ですか?」
「ひーみつ!」

ニッ!と笑うサッチさん。
サッチさんも笑顔が素敵だなぁ…。
私もつられて笑えば、「可愛いねぇ」なんて言葉が飛んできた。お世辞がお上手ですね。

下拵えした材料を中へ運ぶ。
何故かサッチさんも手伝ってくれたので、二往復するだけで済んだ。あと、必要なものは…。

「ふっっっは!!ナナシちゃん、髪に…っ!野菜の切れ端が…ついてっ…ますぅー!」
「さ、サッチさん!!笑うなら笑う!笑わないなら最後まで堪えてもらえますか!?」
「んはは!っはー、ちょっとこっち来て…」
「だいぶ腹立ちますね…!」

口元を抑えて笑うサッチさんの側へ近寄る。
耳の上…あたりに手が伸びて。

─ガタン!!!

ホールから、大きい音が響いた。
そちらへ目をやれば。
二番隊の隊長が仁王立ちで…こちらを見てる。

「…ナナシちゃん、話があるんだ。で、その返事は大きめの声でいいですよ!つってくれる?」
「はい…?」
「よし。ねーぇ、ナナシちゃん??このおれ、サッチさんと付き合ってくれないかなァ!?」
「うるさっ!ええと…、いいですよ!」

なにこの謎のやり取り。
サッチさんを見上げると…とても悪そうな顔。
まぁそんなサッチさんは置いといて。
スープのストックが無くなりそうだなぁ。
お米ももう少し炊いておくべきか。

サッチさんはまだ店にいるみたいだし、思い切って手伝ってもらっちゃおうかな。

「サッチさん、お願いがありまして…」
「手伝いなら任せろ!」
「ふふ、話が早くて助かります」

─バリン!

!?
今度は、何の音…?

「きゃあ!ナナシ、た、タオルを!」
「大丈夫ですか!?」
「うわ、何してんだエース!」
「エース、どうした?酔ってんのか!?」

彼が持っていたガラスのコップが粉々に砕けていて。その手からは…血が出ている。
何故。
なんで、コップを割ってしまっているの!?

濡れたタオルと乾いたタオル、二枚を手に…
彼の元へ。

「どうされたんですか!?手当てを…!」
「…サッチと、付き合うのか?」
「…はい?」
「サッチが好きなのか?」
「え?なんの話をして…」

血が流れていない方の手で、私の手首を掴む。
掴むその手は力が強くて…痛い。
彼を見れば、真っ直ぐ射抜くような瞳で。

「おれを見てたんじゃ、ねぇの…?」

その言葉を紡いだ直後、彼の瞳が揺れた。
おれを見てたんじゃ、ねぇの?
見てました。見て…ます。想ってます。
…え、嘘!?もしかして気づかれた!?

「エェーースゥ、お前意図してそのコップ割ったんだろ?ほんっとに馬鹿だなァ。うちの野郎共、そしてお店の皆さん!お騒がせして申し訳ねェ!ぜぇーーんぶ、こいつの自業自得なんで気にせず飯食って、飯作ってください!」

サッチさんが一声かけると、お店の緊張感は解れていく。クルーの皆さんは言葉通り気にせず食べ始めて、うちのスタッフは「あとはナナシに任せた」と言わんばかりに散って行く。

いつの間に持ってきてくれたのか、サッチさんが床に落ちたガラスを箒で集めている。そして棒立ちの彼の額を小突いて椅子へ座らせた。
彼の手は、まだ私の手首を離さない。

怪我をしている手を濡れタオルでそっと拭く。
痛いはずだけど、全く動かない。

「あの、手は大丈夫ですか?」
「…手より」
「は、い?」
「心が、痛ぇ。あんたがサッチを好きだと知って…めちゃくちゃ、へこんでる」
「え??」

私がサッチさんを好き。
…一体いつそんな話をしたっけ?彼の言っていることがいまいち分からなくて首を傾げる。

夕方すれ違った時、無理やりにでも連れ去ればよかった。走っていくあんたを、捕まえておけば。…気づくのが遅かったおれが、悪いんだけど。

「会いたくて仕方なかった。朝、浜辺に佇むあんたの姿を見つけてもすぐいなくなるし。ここへ来てみれば、奥から出てこないし。出てきたと思えば、サッチと笑い合ってて…」
「え、…ええ、と?」
「おれのことが好きなんだって…勘違いしてた。ずっとおれを見てたと思ってたけど、サッチを…思ってたんだな。…はは、あー、くそ。痛ぇ…」
「!あの、やはり一度お医者さんへ!」
「…だから痛いのは手じゃねェんだって…」

困ったように笑う。

…私の脳は。
彼の言葉を自分の都合のいいように解釈し始めていた。私のことを好いてくれてるのでは?と。
サッチさんと付き合うと思い込んでいて、手を怪我するより心が痛いと、…項垂れている。

「ナナシちゃん、エース」
「サッチさん、」
「…悪い、引き止めた。行ってこいよ」
「エース。お前も来い」
「なんでだよ…」
「いいからナナシちゃんとお手手繋いで、オーナーの部屋に来い。はい、早く!」
「意味わかんねェ」

そう言いつつも立ち上がり、私の手首を掴む手がするりと離れ…すぐ、指を絡めとった。
頬に熱が集まるのを感じる。
腕を引いて離そうとしても…出来ない。

彼を見れば、静かに微笑まれた。

「部屋へ着くまで…おれの、だ」

おれの。
もしかして本当に、私を想ってくれている…?
繋がれた手が震える。
そうだったら、…嬉しいな。

サッチさんに言われた通り、手を繋いでオーナーの部屋へ着いた。ノックをして中へ入ると、オーナーとサッチさんが談笑している。

「おっ、来たか!…いや、エースお前ね…。手当てくらいさせてやれよ。ナナシちゃん、そいつ座らせて怪我を見てやってくれる?」
「はい!あの、…触ってもいいですか?」
「…おう」

ようやく怪我した手を差し出してくれた。
繋いだ手も離して、簡単な手当てを始める。

「そのままで聞いててほしい。ナナシちゃん、突然だがうちの船に乗ってくれねェか?」
「えっ!?」
「ナナシちゃんは手際もいいし料理の腕もいい!何よりうちの連中がここの飯はウメェと連日言ってる。海の上でもその味を堪能してェ!親父に食べさせてやりてェ!ってなァ!」
「え、ええ!?」
「で、オーナーに引き抜いていいか相談してたんだが。さっき了承してくれてな!」
「は!?お、オーナー!?」
「あっはっはっ!ナナシ、行ってこい!」
「軽いですね!!…で、でも!!」

白ひげ海賊団の厨房に入れるんだぞ?
海上での調理法も知りてェだろう?
それに未知の食材とも出会えるはずだ!
まぁ、なにより─…。

オーナーの目が、彼を捉える。

「そっちのが、ナナシは嬉しいだろ?」
「オ…オーナーッ!!!」
「というわけで、サッチさん。うちのナナシをよろしく頼みます。腕は、確かですので」
「もちろん、頼まれました!」

とんとんと話が進んでいく。
当の本人、私の意見を聞くことなく。
断るわけがないと…そんな空気さえある。

手当てを終え、オーナーとサッチさんへ物申すためにソファーから立ち上がった…が。
再び目の前の彼に手を握られた。

「…ナナシ、準備してこい」
「私、船に乗るとは…!」
「行かないのか?」
「興味は…ありますけど!」
「海賊船が怖いか?大丈夫だぞ、ちゃーんと守ってやるから!おれも、エースも!なっ!」
「そう、だな。ああ、守るよ」

握る手に力がこもる。
視線は真っ直ぐ、私を捉えていて。

それじゃあ、おれは港で待ってるな!
エース!ちゃんと連れてこいよ!

サッチさんはオーナーへ一礼して部屋を出た。
私も戸惑いつつ頭を下げ、彼を引っ張るようにして部屋から出る。ええ、本当に…!?

お店へ出て、スタッフに声をかけた。
事情を話せば「なるほど」と納得されてしまう。いやいやいや、受け入れるの早くない!?
ここでも戸惑いを隠せず、混乱する私。

自宅に着いて、はっとした。
彼まで連れて来てしまっている。うちより、お店で待ってもらった方がよかったのでは?

「二番隊の隊長さん、すみません。連れて来てしまってなんですが…準備をしますので、お店の方で待っていてくれますか?」
「…エース」
「はい?」
「名前で呼んでほしい」
「…エース、さん」
「おう。…ここで待たせてもらう」
「私は逃げません、よ?」
「ああ。逃がさねぇ」

熱い瞳から、目を逸らす。
待って本当にもう、キャパオーバーだ。
かっこいいが過ぎる。これは勘違いするよ…!

旅行用の大きめのトランクケース二つに必要そうな物を詰めて、大きめのカバンとリュックを用意して…。思いのほか結構な量になった。
そういえば、この家はどうしたら…!?
…オーナーに丸投げしよう、そうしよう。

玄関の壁に腕を組んで寄りかかる彼…エースさんに視線をやれば、気づいたエースさんが、ふっと笑って「どうした?」と訊ねてくる。

「エースさんに訂正しないといけない話があるんです、が…。玄関ではなんですし、中へ…」
「…ここが境界線だと思ってる。これ以上あんたの方へ踏み込めば…何するかわかんねェぞ」
「!?それはどういう意味です、か」
「惚れた女の家へ、簡単には入れねぇって意味。サッチからあんたを…奪い取りたくなる」
「それを!訂正したいんです!」

どういうこと?
そんな表情。疑問符が浮かんでいる様子だ。

サッチさんがお店で言っていた「付き合ってくれないかな!」は、白ひげ海賊団へ私を引き抜くという話に“付き合ってくれる?”であって、恋人になるための“お付き合いしてくれる?”ではない。そして私が好きな人は別にいる。

一息にそう伝えれば、彼は何度か瞬いた。

「私が好きなのは、エースさんです」
「…おれ?」
「はい。エースさんが、好きです」

寄りかかっていた体を離して、一歩近づく。
彼が言う、境界線を…越えて。

「私はエースさんを、見ていました」
「…砂浜で会った時も?」
「はい、かっこいいなぁ、って」
「道ですれ違った時も?」
「エースさんと堂々と並んで歩ける人が羨ましいな…。そう思いながら見て、ました」
「今朝、船を見てたのは?」
「…会いたいのに、会いたくないなぁ…と」

うつむけば、エースさんのズボンと靴が映る。
一人分の距離を空けて、そこに立っている。

伝えてしまった。
でも勘違いさせたままなのは…嫌だったから。

「なぁ、名前を呼んでいいか」
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は…」
「ナナシ」
「!!」
「…名前は知ってた」
「そ、そうでしたか…」
「なぁ、ナナシ」

今日、何度も繋いだ手。
男らしい、エースさんの手。
その手が私の手を取り、指を…絡めて。
怪我をした方の手は頬へ添えられ、上を向く。

エースさんは。
とても、嬉しそうに笑っていた。

「おれ、ナナシが好きだ」
「本当…ですか」
「ああ。おれを想ってくれて、すっげぇ嬉しい」
「…私も、嬉しいです」
「おれの恋人になってほしい」
「私で、いいのなら」
「ナナシがいいんだよ!っはー、やべぇニヤける…!しかしサッチ、あの野郎…!おれの気持ち知っててあの行動とったんだよな…?船に戻ったら一発入れてやろう…!」

頬に添えられた、怪我をした手。
その手に私の手を重ねる。

「怪我した手、痛い…ですよね?」
「ん?ははっ、痛くねェよ!手も、心も!」

エースさんの眩しい笑顔に、胸が高鳴る。
なんて格好良くて、可愛い人なんだろう。

ゆっくり、顔が近づいてきて。
唇を奪われた。

「…全然ちがうな」
「?なにが、ですか?」
「好きな人とする、キス。もっとしたい」
「!!だ…っ!だだだだめ、ですよ!ほら、船でサッチさんが待っていますし…!」
「あと二日、滞在予定だ。待たせとけばいい」
「えぇ!?あ、オーナーにこの家をどうするのか…とか!お店の皆へ挨拶とかしないと!」
「……明日でも、いいんじゃねぇか?」

後ずさる私に、グイグイ迫るエースさん。
押しが強い…!!
あっという間にベッドまで追いやられて。

トン、と肩を押され背中からベッドへ沈む。
そしてエースさんが私に、覆い被さる。

「ナナシ、おれだけを見てろ」
「エースさんだけ、を?」
「そう。船に乗っても目移りすんじゃねぇぞ」
「…ずっと、エースさんしか見えてません」
「はは、すげぇ殺し文句」

瞼に、キスをひとつ。

「ナナシの視線に、捕まったんだ」
「エースさんも、目移りしないで…ね?」
「あたりまえだ」

唇に、何度も触れて。

「おれもナナシしか見えねぇよ」

炎が宿る瞳に、今度は私が…捕まった。



怪我より心が痛いのは、

あなたの想い人が自分ではないから。

「エースさん、先に手の治療しましょう?」
「…今止められるのはキツいんだけど」
「診てもらったら、好きなだけ…いいですよ」
「!…煽ったのはナナシだからな?」
「エースさんしか煽らない…です」
「わかった。ナナシ、覚悟しとけ…!」

想い人が自分だと言うのなら。
痛めた心を、癒してあげよう。
大好きな…あなたのために。


Fin.


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