※下品。ご注意ください。
呪術師はイカれてないとやってられない。
明くる日も明くる日も死の淵をなぞるような人生だ。
普通の人間が死と隣り合わせの生活を余儀なくされれば大抵は狂う。
前線で戦わない補助監督でさえ、先輩も同輩も後輩も関係なく近しい人達がある日突然いなくなることに耐えきれなくなり精神を病むこともある。
だから呪術師は、一般人よりもより意識的にストレスを解消する手段を探っている。
それが温泉に行くことである人もいれば、スパーリングである人もいる。寝るだけでストレス解消になる人もいるし、散財である人もいる。
イカれているなりに、イカれきってしまわないように、精神ダメージを軽減する方法を探っている。
しかし呪術界は常に人手不足だ。必然、呪術師は総じて忙しい。繁忙期に自由に自由な時間が取れることは滅多に無い。そしてストレスは繁忙期にこそ発生する。
わたしは温泉に行くのは遠くて面倒だし、肉体派ではないからスパーリングはしんどいだけだし、束の間の自由時間を寝てしまうのはなんだか勿体ないし、頻繁に散財できるほどの余裕も無い。
要するに、お家で手軽にできて、お金のかからないストレス解消がわたしには必要だったのだ。
呪術師はイカれてないとやってられない。普通でいたら、ストレスが溜まるから。
そしてわたしの場合はそのストレスの蓄積が他者より顕著だ。この呪術界一鬱陶しいクソガキのせいで。
「ハニーー、傑がおもろいもん見つけたんだ、ちょっとツラ貸せよ」
「先輩を呼び捨てにしないでってば!あと敬語!」
「敬えるような先輩になれってハナシ。歌姫といい何回同じこと言わせんの、このやりとりいい加減もう飽きたわ」
呪術界一鬱陶しいクソガキこと五条悟は、一個下の後輩だ。
教室は別だというのに、こうして度々こっちの教室に来てはペチャクチャと一方的に喋り、いい加減にして!と私が声を荒げるまで去ってくれない悪夢のような男。
去り方もまた腹が立つもので、「ハニーが怒ったー!やーん悟こわーい!」などと言いながら妖怪ぬらりひょんのように軽やかな足取りで逃げていくのだ。
その腹立たしさたるや。
こんな人格破綻者が自他共に最強と謳われる呪術師だなんて、呪術界は本当に間違いなく狂っている。
しかし彼もまだ少年。世間で言うところの男子高校生だ。正確には男子高専生だけど。歳一つしか変わらないわたしが言うのも何だが感受性の強いお年頃だし、お家との関係は良好とは言い難いみたいだし、御三家の嫡男ともなればそれなりに背負うものも大きいのだろう。
彼もまた、払っても払ってもなお背中に積み上げられていくストレスと戦っていて、それをわたしで発散しているのかもしれない。
ならば仕方がない、成績も運動能力も呪力も家柄も何もかも勝てないわたしが悟に対して持っている唯一のアドバンテージ、年上であり先輩であるというところに胸を張って、悟のぶつけようのない思春期特有の漠然とした怒りを受け止めてあげよう――――などと思えるはずもなく、自分のことは自分で解決しろアホめと思う毎日である。
なんでわたしが五条家のストレスを横流しされにゃならんのじゃ。
ヒートアップするほどこちらが馬鹿を見る。過剰に反応しては悟の思う壺だ。
ここは年上らしく冷静にいなして、今日こそ穏便にお帰りいただきたいところ。
昨日買った本を両手で開いて閉じないまま、悟に言い返す。待ちに待った新作だ、今日はこれを読み切ってしまいたい。
問題児の遊びに付き合っているヒマはないのだ。
わたしの机の正面に立っている悟は、きっとニヤニヤと今日も憎たらしい笑顔を浮かべていることだろう。首が痛くなるからわざわざ見上げたりはしないが、声が楽しそうに弾んでいる。
「敬えないような先輩に話しかけてこないでよ、わたし忙しいの、どっか行って」
「あ、拗ねちゃった?言い返せないからって大人気ないなーハニーは」
「拗ねてない。話しかけないで」
「……」
「ひゃあんっ!? ……!!無言なら良いって訳じゃないっ!!」
脇腹を擽られた。
長い指が5本、横腹を這い、乱暴にまさぐられた。
たとえそっと触られようとくすぐったいものはくすぐったいが、急襲と言ってよいほど無遠慮に這わされた指に思わず変な声が出てしまう。
話しかけるなということはちょっかいかけてくるなという意味だと分かっている筈なのに、この男は本当に意地が悪い。
「『ひゃあんっ♡』だって。エッロ」
「この……!!」
「早く立てよ。傑待たせてんだから」
睨んだところで、物理的に圧倒的上から目線の悟に迫力で敵う訳がない。
こうなったら徹底抗戦だと脇を締めて本を離さない構えを見せたら、両手をわきわき虫の足のように動かして見せつけてきたので、従うしかなかった。
栞を挟んだ本を閉じて机に置くと、サングラスの奥の目が満足そうに笑った。悔しい。
しぶしぶ席を立ち、いつも通り軽やかな足取りの悟とは裏腹に重い足を引き摺って彼の教室に向かう。
廊下を歩いていると、今日は気持ちいい風が吹き抜けていることに気付いた。日差しは強くないが晴れている。こんな日は木陰で読書でもよかっただろう。
なんで横着して教室に残ってしまったのか。移動する時間さえも惜しく本の続きを読みたかったからだ。そのせいで悟に絡まれた。これも一つの急がば回れか。違うな。
現実逃避をしていると、あっという間に彼の教室に着いてしまう。
悟が面白いものと言うのだ、どうせ碌なものではない。
精神年齢が身長に追いついていない彼の面白いものとは果たして。蛇の抜け殻か、モグラの死骸か、丁度いい長さの木の枝か、エロ本か。
「すっぐる〜。ハニー連れてきたぜ」
「本当に連れてきたのか?」
「ここにいるだろ。え、見えねーの?存在が矮小すぎて?」
「そういう意味じゃないよ」
傑はあまりわたしを歓迎していないらしい。
わたしが彼に嫌われているからとかそんなんじゃなくて、彼は単純にわたしを心配してくれているのだろう。いつも悟がすみませんと謝ってくれる傑はとても礼儀正しくていい子だ。
たまに絶妙に口を滑らせるせいで、んん?と思うことはあるけど、基本的にいい子。まあ誰だって悟の隣に置いたら相対的にいい子なんだろうけれども。
彼が顔を曇らせるところを見ると、やはり悟の言う“面白いもの”とは平和なものではないようだ。帰ります。
「傑が捕まえてきた呪霊なんだけどさ」
「手ぇ離して。呪霊なんか見飽きてる。面白くない」
「傑、出せよ」
踵を返すわたしの手首を掴んで、悟はまたわたしの言葉も気にせずべらべらと話し出す。
クソガキなのに、力はしっかりと男だ。
並みの男なら成人だろうと小指から順番に剥がせば逃れられるのに、それも何故だか通じない。筋肉の構造が人間じゃないのかもしれない。
「わたしの唯一の癒しもいないし、呪霊は別に見たくない。帰ります」
「硝子は用事だってさ。残念でした」
「まあ、そんなに危険な呪霊じゃありませんよ」
「…傑、逃がしてくれないの?」
「悟はしつこいですから」
満足するまで付き合ってやれと言うのかね。奴のストレス発散に。
悟をよく知る傑が判断したのだから、それが一番平和的に解決するのだろう。悟は折れるということを知らない。
逆らわず程々に付き合ってやれと暗に言われた気がする。わたしが仮に逃げおおせたとして、そうしたら後で八つ当たりをされるのは傑なのかもしれない。
出来た後輩のためなら仕方ない、今日のところは年上であり先輩であるというところに胸を張って、悟のぶつけようのない思春期特有の漠然とした怒りを受け止めてあげよう。本当に嫌だけど。
「ルールがあります。説明しますね」
傑が出した呪霊は、ルビンの壺のような形をしていた。
壺と違って、いくつかの閉じた目が引っ付いている。やはり気持ち悪くはあっても笑える要素は見当たらない。
椅子を移動させて、三人でその壺呪霊を囲むように座る。
全員が左手を伸ばし、壺呪霊の上に掌を下にして置くと、壺呪霊の目が三つ開いた。
まるでエイエイオーをする寸前のような状態だ。今から何かを協力して行うのだろうか。
「この呪霊の上に手を置いた者は、互いに嘘を吐けなくなります。手を引っ込めることもできません。時間が経てば効果は切れます」
「……それで?」
「第一回!恥ずかしい秘密大暴露大会〜!」
「帰ります」
悟は妙にテンション高く、拳を天に突き上げて高らかに宣言した。
冗談じゃない。何でそんなことに付き合わなければいけないのか。ただでさえ苛められているのにその上弱みなぞ知られたら一体どんな目に遭うか分かったものではない。
「もう始まってますから、逃げられませんよ」
本当だ。呪霊の上に置いた掌は、まるで貼り付けられたかのように固まって動かない。
しかしこれも呪霊の呪力による効果なのだから、逃げたくなったら呪力で対抗すれば逃げられるのではないだろうか。
試しに掌に呪力を籠めようとしたが、傑に止められた。掌の皮が全部剥がれるくらいで済めばいいですねと。きみさっきそんなに危険な呪霊じゃないって言わなかった?
「制約をつけた時間が来るまで殺し合いをしろってわけじゃないですから、危険じゃないですよ」
「戦争の始まりはいつだって会話による価値観の齟齬の発覚からなんだけどね……。もういい、早く終わらせようよ」
「俺からやる!」
諦めた。
悟の喜々とした表情はいつもわたしにちょっかいをかけてくる時と同じものだ。
若者が楽しそうにはしゃいでいるのは見ていて微笑ましいが、何をしてはしゃいでいるかと言えば他人を陥れる行為なので、その表情には狂気が混じっていると感じざるを得ない。
「何にしよっかな〜。ん〜……最初は軽く、《初恋が何歳か》でどう?《その相手も》ね」
「うーわ。意外と可愛いこと言うのね、悟」
「なに?最初からドギツいのがいい?」
「だが断る」
「悟、自分から答えるんだよ。そうしないと相手に答えさせられないんだ」
ルールを把握している傑が悟に言う。
ふむ。質問という名のお題を出して、自分がまずそれに答える。そうすると回答権――――この場合は権利というより義務だろうか――――が相手に移り、相手はそれに正直に答えなければいけない、と。パスは無いのかね。
傑が今解説しているということは、悟はこの呪霊を利用するのは初めてのようだ。
傑が見つけた呪霊を何の気なしに話題にして、それを聞いた悟が面白そうだ、とりあえずハニー捕まえてくるわと即教室を飛び出した……とか、そんな感じなのだろう、今日わたしがここにいる経緯は。
「俺はねー、《5歳くらい》かな、《美人のお手伝いさん》がいてさ、話したこともなかったけどアレが初恋だな」
「悟にも可愛い時期があったんだな。私は《小学校の時、同じクラスの女の子》だな。消しゴムを拾ってもらった」
「チョッロ!そんなんで好きになんの!」
「初恋なんてそんなものだろう」
「私もチョロいわ。《幼稚園の時、先生に勝手に作られたペアの子》。手を繋いだだけで好きになった」
「うわー。好きになり方が童貞」
「わたしの性別は昔から女の筈なんですが」
悟の軽口に適当にツッコミを入れながら、壺に触れていない右手で自分の唇に触れる。
なんだか、変な感覚だ。
試しに嘘を吐いてみようとしたのだが、なんというか、口の動きはコントロールできるのに、声にした瞬間、発音を無理矢理変えられたように、本当に思っていることが零れ落ちて行った。
喩えるなら、間違った答えを書いたテストを提出しようとしたら、回収される段階で勝手に正解に書き換えられるような。
嘘が吐けなくなるというのは、呪霊が牙を剥いて脅してきて本当の事を言わざるを得なくなるとか、そうことかと思っていた。
それならば、多少負傷してでも変なお題は回避できると思っていたのに。意図せず勝手に本音が口から出るのであれば止めようがない。
手元にテスト用紙があるならともかく、手から離れたものに細工するのは難しい。
しかしまあ、初恋なんて別に、自分から言う事でもないが隠すことでもない。
よしよし、これならどうということもないぞ。
「では次、お先にハニー先輩どうぞ」
順番は特に決まっていないらしい。それか一人が何回でも連続でお題を出せるのかもしれない。
さて、避けなければならないのはお題がどんどん過激な内容になっていくことだ。
恥ずかしいレベル1から始まり次の人に移るたびにレベルが上がっていくというのが、こういうゲームの鉄則だ。
しかしそれはただの暗黙のルールであり公式ルールとして前の人よりも笑えるお題を出さなくてはいけないというものではない。
空気を読むなら少しだけレベルを上げたお題を出すのが正解なのだろうが、私は平和にこのゲームを終えたい。ならばレベルは上げず、むしろ下げるくらいにしてこれからのお題の過激さを抑えていく必要がある。
何を言い出すかわからない悟がせっかく可愛いお題を出したのだ。
この水準で制限時間までお茶を濁そうじゃないか。
「《わたしのこと先輩だと思ってる?》…わたしは《思ってる》からね」
答えは分かっているけれど、前々から訊いてみたかった事を口にしてみる。
わたしの答えだが、これは威張っているとか自分が彼らより上だと思っているとかそういうことではなく、事実としてわたしのほうが一年早く高専に入学したのだからこの認識になんら後ろめたいことはない。
普段から先輩と呼んでくれる傑の答えはイエスだとして、悟はきっと当然のようにノーと答えるんだろうなあ。先輩だと思っていたらあんな振舞いやこんな態度をとれるわけがない。
「私は勿論《思っていますよ》」
傑が、優しい微笑みで断言してくれた。
う、嬉しい……。ほんの少し不安だったのだ。表面上は慕ってくれているように見せかけて、裏では悟と一緒に馬鹿にしていたりしたら、もう立ち直れないところだった。
なるほど、これは結構、怖いな。
恥ずかしい秘密暴露大会なんて、失うものはプライドだけみたいなタイトルの催しだが、お題によってはもしかしたらとても傷つくことになるかもしれない。
そういった意味では、硝子が今ここでこのくだらないお遊びに参加していないことは幸運と言える。彼女とは仲が良いと思っているが、もしわたしの片思いだったとしたら非常にいたたまれない。
「俺も《思ってるよ》。一応ね」
「えっ……!」
「何その顔」
悟が指摘するわたしの顔には、感動などではなく単純な驚きと呆れが表れている。
わたしのことを先輩だと思っていないに違いないと思っていたら、意外にも彼はわたしを先輩だとは思ってくれているらしい。
呆れているのは、先輩だという認識があるにも関わらず何の疑問も持たずわたしを苛めている悟の傍若無人さにだ。
彼の中で先輩という定義は学年的なものであって、尊敬できるかどうかはまた別問題らしい。わたしもある程度同じ考えだが、うーむ、本音であってもやはり悟か。
そうすると先ほどの傑の答えにもあまり喜べなくなってしまったな。
「次は私だね。そうだな……《ここ一ヶ月で一番恥ずかしかったことは?》私は《ズボンに呪霊の黄色と緑の返り血を浴びた状態で高専に帰ったら硝子に『お前、それボンタンアメじゃん!!ボンタンだけにってか!!』って大声で笑われたこと》。速攻で着替えた」
「ぶはははは!!なんだよ!!俺見てねーぞそれ!!」
「何それ!!おもしろ可愛い!!ずるい!!」
ずるい。ずるいわ。嘘が吐けないのだから傑は本当にそれが恥ずかしかったのだろうが、失敗とも言えない、ただの偶然じゃないか。
傑の改造学生服。最初は確かに今時マジかと思ったが、慣れれば傑によく似合っていて格好いいと思っていた。それを弄られてもこっちはそれがちょっと可愛く思えてしまうくらいだ。全然恥ずかしくない。
「じゃあわたし。《休みの日に財布持って買い物に行ったと思ったら、手に持ってたのが箱ティッシュだったってレジで気付いたこと。あと家帰って財布の中身見たら200円しか入ってなかった》」
「え、怖……なにそれ。財布と箱ティッシュ間違えようなくない?」
「自分でも分からん」
「きっと疲れてたんでしょうね」
店に着くまでにすれ違った人たちも、何でコイツ使いかけの箱ティッシュ剥き出しで持ってんだろうと思ったことだろう。
ついでに言えばわたしの財布は長財布でなく折りたたみなので、余計箱ティッシュとは似ても似つかない。本当に自分で自分が分からない出来事だったが恥ずかしかったのは本当だ。
笑うより引いている悟の気持ちは理解できるが、先輩だと思っているなら傑みたいに優しいフォローをしてほしいと願うのは過ぎた願いだろうか。
「次は悟だよ。ほら早く」
生意気なのに完璧な後輩の恥ずかしい話なんて滅多に聞けるものではない。
帰りたい帰りたいと言いながら、わたしは少しこの状況を楽しんでいた。
「あー…なんだろーな。えーと……、あー……《この前、教室で寝てたハニーの頭撫でてたら、いつの間にかいた七海と目が合った》……」
「え、何それ知らない……」
「悟……ふ、ふふ」
「おい笑うな」
何だそれは。悟は悟でずるいのではないだろうか。悟の番でこちらまで恥ずかしくされるなんて。
よほど言いたくなかったのだろう、長い逡巡の後で、悟の口から零れた言葉に顔が火照る。
悟が言うのを躊躇いさえしなければ、また何か悪戯しようとしてたんでしょう!と怒ることができたというのに。何だか変な空気になってしまった。
悟と目が合わせづらくなって何となく傑の方を見ると、糸目を更に細くしてわたしと悟を交互に見ていた。
悟が笑うなと言うが、この状況では迫力も何もあったものではない。
「あーもう!!傑覚えとけよ、お前二度と太陽の下歩けなくしてやる」
滅茶苦茶恥ずかしい秘密を暴いて明るい外に出られなくしてやると悟が唸った。表現が怖い。
悟の脅しもどこ吹く風と受け流している傑には、何も秘密は無いのだろうか。
そもそもこんなゲーム、日々真面目に生きていたら怖くとも何ともない。
自分に恥じるところが無ければ、何を暴かれようと失うものは無いのだ。
そんなに飛びぬけて優秀でもないが地味に問題を起こすことなく生活しているわたしは、あちらこちらで悪評を轟かせている悟や、その隣でそれなりに好き勝手やっている傑よりもよほど有利な筈だが、何だろう、この胸騒ぎは。
早く終わらせて教室に置いてきた小説読みたい。
しかし、悟という人間がいるときに、わたしの願いが叶えられたことは一度としてないのだった。
―――――――――――――――――
「一周回ったから、次はまた悟だね」
「おーし。じゃあなぁ……」
何か確実に思いついているくせに、悟は勿体ぶってなかなかお題を口にしない。
先ほどは傑のお題によって、悟の隠したい秘密が暴露された。恨み言を呟いた彼は、親友である傑にきっちりお返しするだろう。
奴は頭の回転が速い。この短時間で傑を覿面に赤面させる質問を思いついたのだろう、まだ発音もしていないのにもう噴き出しそうになっている。
先に一人でえらいウケているが、一体何を言おうとしているのか。
そんなに効果的に傑を追い詰める質問があるのかと、わたしの体が無意識に前のめりになったタイミングで、悟は右手の人差し指をピッと立てて言った。
「《週何回オナニーする?》」
「は!!?」
いきなりぶっこむな。お題は徐々に過激になっていくのが暗黙のルールでしょうが。
二周目だぞ、二周目。時間で謂うなら宵の口どころかまだ午前だ。
暗黙のルールをしれっと無視してレベルを下げようとしていたわたしに倣ったか、悟は逆にいきなりレベルを百段階くらい上げてきた。
そんなの無しだ。酷い。
悟とばっちり目が合い、覚る。
コイツ、人にもっと恥ずかしい思いをさせることで自分の恥ずかしさを薄めようという魂胆だ。
「俺からね。《任務とかの都合によるけど5回くらい》」
「私は《若干少ないかな。彼女がいない時は週3くらい》だ」
「んだよつまんね。まあいいや、次ハニーな。さすがに0回ってこたねーよなぁ?」
コイツは最初からこれがやりたかったに違いない。最悪。最悪。最悪だ。
露骨に目が泳ぐ。わたしがどこに目を逸らしたところで、彼らがわたしを見ている限り今すぐ立ち上がり逃げ出したい気持ちは無くならないと言うのに。
はーやーく、と両手が空いていれば手を叩いて催促でもしてきそうな悟が甘やかすような声でわたしを急かす。
逃げ、よう。
ぐ、と左手に呪力を籠めようとしたが、隣の悟がまたしてもわたしの横腹を急襲したせいで、変な声を出して力が抜けてしまい、失敗に終わる。
信じられない気持ちで悟を振り返ると、また長い指をわきわきさせて見せつけてきた。これ逃げられんやつ。
ええい。腹を括るか、腹を斬るかの違いだ。要するに平和的解決は認められない。
「《……、かい》」
「ん?聞こえねーよ」
「…っ、《じゅう、はち、くらい》……」
「えっ」
「えっ」
「うああああああああ」
自由が利く右手で顔を覆って膝にくっつくまで体を縮こまらせる。椅子に座っていなければ左手のみを残して床に伏していただろう。
にしてもガチの「えっ」はやめろ。
観念して正直に告白すると、本気のリアクションが返ってきた。
たとえたったの1回と答えたとしても弄られただろう。少なくとも彼らは自分達より多いとは思っていなかった筈だ。
だって、そういう行為は本能的に男の方が回数が多いって決まってる。それを、自然の摂理に逆らって、彼らの三倍以上、しているのだ。
この二人の度肝を抜かれた顔は、いつもの日常の中で見ることができたならさぞかし良い気分に浸れただろうが、この状況では楽しめる訳もない。
いつまでもぽかんとしている二人を心の中で存分に罵る。傑は悪くないが、聞いてしまったのだから恨まれても仕方ないと思え。いや元はと言えばこんな呪霊を捕まえてきた傑が悪い。
ストレス解消なんだ、性欲がバカ強い訳じゃない、そんな訳じゃない!
ていうか誰のせいだと思ってんのストレッサーはお前だ最強!
笑われるのも最悪だけど、引かれるのはもっと最悪だ。なりふり構わず逃げればよかった。どんなに惨めでも敵前逃亡するべきだった。
悟、マジで嫌い。もう絶対相手にするもんか。くすぐられても梃子でも動かない。どんなにムカつくこと言われても喋ったりしない。
「…まあ、女性は、男と違って出るものに限りがあるわけじゃないですし、やろうと思えばいくらでもできますよ」
「変なフォローするくらいなら解放して……」
「すみません、これ一時間の制約付けてるので、破れば腕がちぎれます」
「傑も嫌い……」
反転術式でちぎれた腕は戻るだろうか。一か八かそれに賭けたいくらい逃げたい。
ちぎれた腕が呪霊に取り込まれたりせず回収できるなら……かつ、断面が綺麗な状態なら何とかなるか?いや、自分の反転術式はまだ不完全だから、硝子に傍にいて欲しい……でも彼女は暫く帰ってこなさそうだし……。
そもそも、もう聞かれてしまっているのだ。彼らの記憶を消去するためなら腕の一つも差し出したかもしれないが、今この場から逃げ出すためだけに腕一本は割に合わない。
「次ハニーの番だろ、さっさとしろよ」
「悟きみ、よく平気な顔していられるね。少しは責任感じたらどうだい?」
「馬鹿、こういう時は何も無かったようにサラッと流したほうがいいんだよ」
頭上でごちゃごちゃ相談しているが、そういうのは全てが終わってから聞こえないところでやってほしい。
気遣い風の塩を塗り込む嫌がらせか?
もう口を開くことさえ恥ずかしい。何をしても恥ずかしい、俯いたままの顔が上げられない。
汗が鼻の先から床にポタリと落ちた。
「《好きな遊戯王カード》。《本気ギレパンダ》」
流れに乗ってエロネタをぶち込む余裕なんてものは無い。
開き直って復讐のため彼らの恥ずかしい秘密を暴露するべく更にえげつないお題を出す勇気も無い。
当然だ、それができるならわたしは毎日こんなにもストレスを溜めていないしその結果ストレス解消のための自慰行為だってしていない。そんな簡単に吹っ切れるなら、日頃から悟に振り回されたりしていないのだ。
苛められても亀のように縮こまるしかできない。だから悟に苛められるんだとは、分かっているのだけれど。
できるだけ短いお題にする。そしてまた思い切りお題のレベルを下げる。
いたたまれない雰囲気にしたことを気に病んで、空気を読んでわたしに倣ってくれないだろうか。このままこの低水準で時間を消費してしまいたい。
「《ブラック・マジシャン》かな。ハニー先輩、顔上げてくださいよ」
「《ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン》。くだらねー質問すんなよ」
「ミーハー共が……」
「あ?」
―――――――――――――――――
傷を負った時。
じくじくと熱を帯びるその痛みを何とかしようと思うのなら、それを超える痛みを得られる更に大きな傷を負えばいい。
暴論であるが、一理あると思わざるを得ない。ある出来事が自分をずっと傷つけてきたが、それを超える出来事で上書きしてしまえば、最初の痛みはマシに思えるのだと今まさに実感しているからだ。
今までの悟は良心的だったと錯覚してしまう。わたしが、いい加減にして!と叫べば、笑いながらも去って行ってくれたのだから。
「五巡目いっきまーす!」
HP:5。
PP:3。
状態異常:毒。
持ち物:恥ずかしい秘密。
相手:五条悟・夏油傑。
使用技:くろいまなざし。
つまりは絶対絶命。にげられない!ポケモンの世界なら余裕でチャンピオンなのに、わたしはなんでこんなに追い詰められているんだろう。
というか最大の謎は相手側がダブルバトルしてることだ。チャンピオンとはいえ1対2は卑怯ではないだろうか。
傑は先輩を簡単に裏切った。あれから悟を止めるでもなく、むしろ悪乗りしてギリギリの質問を繰り出してきた。
もはやわたしがどんなくだらない質問で恥ずかしさレベルを落としたとしても、それとは無関係に彼らはまたえげつない質問をしてきたので、わたしに出来る悪あがきはもう残っていない。
言い淀むことができるというのは先ほどまでの回答の際に確認できた。ならば制限時間である一時間が来るまでずっと口を噤むことで回答を回避できるのではないかと目論んだが、それは失敗に終わった。一人あたりの持ち時間が設けられていて、時間が来れば体が勝手に答えてしまうのだ。
この呪霊は推察するに、どうやら信頼し合った関係を強要するものであるらしい。拷問によって口を開かせるのではなく、信頼している相手になら包み隠さず話すべきだという価値観の強制によって秘密を打ち明けさせる。だから一方的な暴露ではいけない、その場の全員が同じ秘密を共有する。
さすが呪霊。人間の負の感情から生まれたもの。エゴの押し付けがすごい。
どうでもいいが「言い淀む」ことが「可能」という言い回しはきっとこの先一生使わないだろう。
悟の番になってしまったのが怖くて怖くて現実逃避をしていたが、現実のわたしは逃避できないので、実に楽しそうにしている彼のお題を黙って受け入れるしかない。
「《何オナが好き》?俺は《普通にチンコ》ね」
泣いた。本当こいつエロいことしか考えてないのか。
「……私は《前立腺もイケる》……くそっ!」
先に答えたのは傑だ。わたしはいつも出遅れる。先に回答すれば、まだ後の人の回答で自分の回答の印象が薄まるかと考えるのに、どうしても即答はできずに一度黙り込んでしまう。
傑もこれは言いたくなかったらしい。口から出るのを止められない呪霊の効果に、眉間に皺を寄せて悪態を吐いた。
「うわ傑《開発済みなの?》引くわあ。俺は《ノーマルだけど》」
「うるさいな《そうだよ》。昔の彼女がド変態だったんだよ」
「しかも女に開発されてやんの。んでハニー、答えは?」
「…《クリトリスが好き》…《後ろはしたことない》です……」
どんなに口を閉じようとしても、筋肉や神経の所有権を奪われているかのように、口が勝手に開いてしまう。
並み程度の術師であるわたしだからこんなにもコントロールが効かないのかと思ったが、悟も傑も言いたくないことを言わされている。
これが本当に危険の無い呪霊の呪力か?…いや、命に関わるようなことは勿論、身体的傷を負わせないという縛りで効果を底上げしているのか。
くだらなすぎる。
「え、週18で《中は触らねーの》?《もちろん俺は触らない》けどな」
「《中も触るけどクリのほうが好き》なの!!あああああもおおおお2回も3回も質問しないでよっ!!」
「ああくそ、私は《前立腺もイケる》……悟は1回飛ばしだからな」
「はいはい」
悟が質問を重ねるせいで傑が2回も同じことを言わされるが、それを笑うにはわたしが暴露させられた秘密の恥ずかしさは大きすぎた。
次はわたしだが、反抗心とかそういうものは完全に削がれているわたしがリスクを負ってまで彼らにしたい質問など無い。どう考えても自分が火傷する。弱点は?や誰にも言えない秘密は?など、攻撃力の高い質問は自分にも同等以上のダメージが発生するから訊けない。もっと清廉潔白と誇れる人生を送ってこればよかった。
このゲームは性にあけすけな悟が一番強かった。そしてわたしに曝け出せる程度のものは彼らも曝け出せる。
仮にわたしがリスクを負わずに彼ら、特に悟にダメージを与えられるお題を考え付いたとして、その復讐が怖いから口に出すことはきっとできないだろうけれど。
「《今までで一番悪いテストの点数は?》《76点》」
「《64点》だったかな」
「《59点》。なんだよ自慢か?」
「思ったより酷くない……」
ほんの少しの期待を込めたお題も微妙なラインの回答に終わる。座学の成績が良かろうと強さには直結しえないので何の自慢にもならないと分かっているだろうに。
一桁ならさすがに笑えただろうが、半分すら割らないとは。彼らは本当に優秀で困る。後輩はアホなくらいが可愛いというのに。
「次は私だね。質問は《どんな体位が好きか》?私は《正常位》だ」
傑を可愛い後輩だと思うのはとっくにやめている。先輩を慕う気持ちより悟と一緒に馬鹿をやるほうが彼は楽しいのだと気づいたからだ。
きみらね、今何時だと思ってるんだ?そしてここはどこだと思ってるんだ?午前零時を回った居酒屋か?放課後の夕日を間接照明だとでも思ってるのか?
「後ろ開発されてるくせに普通だな。俺は《バックでケツだけ上げたやつ》」
「なんだと?」
「傑も今日から絶対口利かないからね。…《シたことないからわからない》」
「マジで!!?処女!?ハニーまだ膜ついてんの!?」
「悟、女性に品の無い言い方するなよ」
「今のはどう言い換えたって内容が駄目でしょうよ!」
「私は慎ましくて素敵だと思いますよ」
「傑……!!」
「あーあ、こんなこと言ってるけど傑が持っているAV、女の方が襲ってくるやつばっかだぜ」
「傑……」
「悟、きみとは一度話をつけなきゃならないな」
傑とわたし、二人に睨みつけられておいて悟は余裕綽々だ。
サングラスをコンコンと指で叩きながら、口笛でも吹きそうなご機嫌顔は、次はどんな酷いお題を出してやろうかと思案している顔に違いない。
「いやー、処女かー。知らなかったなー。いっつも先輩ぶってくるからてっきり経験済みかと思ってたけど処女かあー」
「繰り返さないで。忘れて。あと経験あるから偉いってわけじゃないんだからね!」
「エロい声出すくせに」
「出してない!」
「オナニー狂いのくせに」
「死にたい!」
あれから10周ほど順番が回っただろうか。
悟が次々に口に出すのも憚られるようなお題を出し、傑がそれに対抗するように例に挙げるのもおぞましいお題を出した。わたしはそれに強制的に答えさせられ、人格の崩壊を迎えていた。
「もういやだーっ!殺せーっ!殺してくれーっ!」
「そうだ!俺はお前のその絶叫が聞きたかったんだ!」
「それは実の親を殺したにも拘らず法で裁かれなかった権力者か幼い頃虐待を繰り返してきた育ての親に向かって言うセリフでしょうがァーっ!!」
少なくとも一から百まで苛め抜いてきた先輩に対して言うセリフではない。復讐に燃える者が言うべきセリフであり、五条悟という危害を加える側の人間が言っていいセリフでは決してない。
もう突っ込むのも疲れた、そろそろ終わりにしてほしいと涙ながらに訴えると、傑があと二分ですよ、と答えた。その顔も少し疲れているように見える。
結局このゲームは悟の一人勝ちだ。最初の方になんか言ってた気がするけど、後のインパクトが強すぎて忘れた。
あとにふん。希望の光だ。永遠に終わらない地獄を彷徨っているかのようだった。それももうすぐ終わる。
「さて、時間的に私が最後ですね。そうだなあ……」
糸目が視線を横に外す。最後くらい可愛いものにしてほしい。早く部屋に帰りたい。
いやその前にわたしの教室に寄らなければ。悟に拉致されたせいで忘れてきたが、教室には読みかけの小説がある。
一時間前までは単純に続きが気になって読みたかったのに、今はただ逃避のために読みたい。あれがなければ、きっとわたしは寝るまで今日の出来事を思い出して悶え、何もできない夜となるだろう。のめり込むほど面白い小説で今日の出来事をできるだけ頭の外へ追いやるのだ。
任務は高専に帰ってくるまで。夜蛾先生に言われたことだ。
はい先生、とあの時わたしは真剣に返事をした筈だが、心のどこかで別学年の担任だしなあと舐めたことを思っていたのかもしれない。
何事も終わりに差し掛かったときが一番危ないのだと、先生は教えてくれていたというのにわたしは。
「《今、セックスしたい?》私は《すごくしたい》」
この場合身構えたところで夏油傑の最後の爆弾発言を止めることはできなかった訳だが、わたしは全力でこれからは先生の言う事を死ぬ気で聞きますと神に祈っていた。
わたしは今度こそ椅子から崩れ落ち、床に膝をついた。頽れたところで左手は壺の上に張り付いたまま全く離れてくれず、必死で秒数を数えたが二分が過ぎる前に自分の回答の持ち時間を迎えた。
「右に同じ。《すげえしたい》」
「……《してみたい》、……うああああ!!」
エロいお題ばかりで彼らも興奮していたのだろう。表情こそ見られないが、なんだか声がいやらしい気がする。怖い!
もう答えた。この質問が最後だ。ダッシュで逃げよう。この二人には今後絶対に近寄らないでおこう。
なけなしの力を振り絞り、脚に力を籠める。左手が何だかムズムズする。もうすぐ呪霊の効果が解けるのだろう。
壺の目が眠そうにゆっくりと閉じていく。呪霊の目が完全に閉じたその瞬間に、わたしはワックスの効いたこの床を蹴って飛び出さねばならない。
これを一時間前にやっていればと、悔やんでも悔やみきれないが、今はただ逃げることだけを考えるのだ、ハニー。
これ以上ここにいても碌なことにならないのは先ほどまでのわたしが証明している。ビリーブ・イン・マイセルフ!
「!!」
低い体勢からのクラウチングスタートは、床を蹴る直前に右肩に鋭く食い込んだ指によって阻止された。
ここ、ここで止まるから駄目なのだ。振り切ろうと努力する前に、もう諦めている。
抵抗するだけ無駄、体力を使うだけ。すぐそう考えてしまうようになったのは、呪術界一鬱陶しいクソガキのせいだ。
無駄でも、抵抗しているうち何かが変わるかもしれないのに。
「してみたいんだろ?大好きな先輩の要望にお応えしてやるよ」
「こんな時だけ!!」
「《俺の部屋がいい?ハニーの部屋がいい?》俺は《どっちでもいいぜ》」
「私の部屋でもいいよ。《もちろん悟の部屋でも、ハニー先輩の部屋でもいい》」
「お、傑混ざるの?やる気満々じゃん」
「《わたしの部屋は嫌だ、悟の部屋がいい》……!!あああああもおおおおおまだ効果残ってんの何でなんだよおおおおお」
「傑!こいつ頭ん中ドエロいぞ!初めてが3Pで興奮してる!」
「先輩にこいつって言うなあああああ」
「セックスもしたことねえで先輩ヅラすんなって。ほら大人にしてやるから行くぞ」
「壺っ!壺起きて!!壺!!」
「すみません、効果切れたみたいです。行きましょう」
「ウワアアアアアアア」
両腕を掴まれて逃げられない。ずるずると引きずられていく足に、本気の力は入っていただろうかと、後から考えても即答する自信がない。
明日から、わたしのストレス処理はどのように変わっていくのだろうか。
呪霊の名前は“はらわり”。
悟と傑、二人に流されてしまいたい。ふしだらな本音を一番聞かれたくなかったのは、自分自身だったという話。
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海獺