プロローグ レオ視点
あれは忘れもしない、クリスマスのちょうど前日の深夜11時のことだった。
世間は2000年ちょっと前に死んだ聖人の祝いで浮かれていて、此処……ヘルサレムズ・ロットも大忙し。
あちこちでイルミネーションがカチカチと光って、酒と宜しくないブツでべろんべろんの一般人が打ち上げ花火を上げ、ついでに何人か巻き込まれて爆散しているいつもよりちょっと騒がしいヘルサレムズ・ロット。
いつものピザの配達の帰り。頭にまで積もってくる雪に凍えながら帰っている途中、小さなパァンという音がして思わず立ち止まった。
カウントダウンまで我慢できなかったせっかちな奴が、花火か爆竹でも鳴らしたのだろうかと思ってふと視線を向ける。そして、微かに驚いて目を開いてしまった。
人工的に整備された小さな川に架かる簡素な架け橋。塗装も剥げ気味で手摺りも無く少々危ないその場所で、見覚えのある影がひっそりと静かに立っていた。
思わず一歩前に踏み出すと真っ黒な水面に俺の義眼の蒼が映って、転げ落ちた石の波紋で弾け散る。
遠くに聞こえる喧騒も俺の息遣いもその時ばかりは聞こえていないのか、その人は大きな背を曲げて何かを探すかのように川を見下ろしていた。
いつもなら頼もしい背中も何だか萎れて見えて、本当ならそっとしておいたほうが良いじゃないのかとは何となく思ったけど、それでも放っておくことは何となく出来なくて声を掛ける。
蚊の鳴くような俺の声にそれでもその人は気が付いてくれたみたいで、寂しそうな気配を漂わせたままゆっくりと此方を振り向いた。視線が合うと、ぎこちなく眉を下げて微かに笑みを浮かべる。
「あの、えっと、こんばんは。なまえさん」
なまえ・V・ラインヘルツ。普通の女の人よりも大きなその背に、世界を背負って進む人。
誰よりも強いのに負けず嫌いで変なところで頑固で、天然ボケしてるのに頼もしくて、どんなに絶望的な時でもこの人がいたら何とかなるって根拠もなく思わせてくれる人。
そんなクラリスさんが今まで見たことも無いくらい小さく見えて、思わず俺は息を呑む。
「こんばんは、レオナルド。アルバイトの帰りだろうか」
「は、はい!あ、今日はその、寒いですね……その、雪も降ってるし……」
「ああ、こんなに積もったのは久しぶりだ。雪で滑らないように気を付けなさい」
「あ、はい。その、えっと……なまえさん」
「今日はお一人ですか?」その一言を言った瞬間、なまえさんの空気がまた少しだけ暗くなった。
寂しそうで悲しそうで、そんな筈無いのに新緑の瞳が潤んだように見えて、慌てて「ギルベルトさんはご一緒じゃないんですか!」と叫ぶように付け加えると、張り詰めた空気がパッと散る。
パチリと小さく瞬きをしたなまえさんは、そんなことを言われるなんて予想していませんでした。みたいな顔で俺の顔を見詰めている。猫だましをくらったライオンのようだと場違いに思った。
居心地の悪い無言の中、「あ、えっと、あはは……」みたいな馬鹿丸出しの誤魔化しをしているとなまえさんは申し訳無さそうな顔をして、橋の一歩手前で突っ立っている俺に向かって歩いてきた。
「少し、1人になりたい気分で歩いていたのだ。あまり遅くなるとギルベルトに叱られる、帰るついでに家まで送っていこう」
「え、良いですよそんな!待っているギルベルトさんにも悪いですし」
「立ち話に付き合って貰った、これくらいはさせて欲しい。ギルベルトには少し遅くなると連絡を入れよう、もしかしたら迎えに来ると言うかもしれないが……」
「え、じゃあお言葉に甘えて……」
正直に言うと、浮かれ切っているこの街のド真夜中に一人歩き(+小動物が1)は少々心許なかった。なまえさんがいてくれるのならば、月が落っこちてきても何とかなるだろう。
あと数秒で地球が爆発しますというレベルで無い限りはなにがあっても安全な気がする。
手に収まるには少々小さく、まるで子供の玩具のように見える携帯電話を取り出して電話を掛けるなまえさんを眺めながらポケットの中のソニックを弄っていると、少しして携帯から微かに顔を話したなまえさんがこちらを向く。どうやらやはり、ギルベルトさんが車を回してくれるらしい。
なまえさんは俺を待たせてしまうことに申し訳無さそうな雰囲気をさせていたけど、誰だって雪道を蹴り開けて徒歩で家に帰るよりも、数分待ってでも温かい高級車に揺られて帰宅したいだろう。
俺の方こそ静かなプライベートな時間を邪魔してしまって、なんだか申し訳ないと思った。
ヘルサレムズ・ロットを覆う霧は星の光すら遮って、今もこの街を世界から閉じ込めている。なのに雪が降ることが少し不思議に思えた。
そんなことよりも奇妙なことは秒単位で起こっている筈なのに、外界と同じように小さく舞う花びらのような雪の欠片はまるで奇跡のように思える。
クラリスさんもこの雰囲気に飲み込まれていたんだろうか。
夢を見ているような顔で光の見えない夜空を見上げて、ふとポツリと呟く。
「冬はあまり好きでは無くてね」
「……どうしてですか?」
似合わない程にか細い声が、まるで迷子のように聞こえた。
俺が思わず聞き返すと、なまえさんは一度手のひらを開いて息を吐く。白い息を通り抜けた雪花がなまえさんの手のひらに下りて、そしてたちまち溶けて消えた。
「……あの人を」
「え?」
「私の半分を、亡くしてしまったからかもしれない」
「あの人って、それ、」
誰なんですか。
言い掛けたその声は、誰の耳にも届かなかった。
なんの前触れもなく、この世界が崩壊してしまったのだと錯覚するような光が俺となまえさんの身を貫く。
痛くはなかった。ただ、酷く熱い。熱湯に放り込まれた小魚になったみたいな気がする。
生きたままグラグラと煮られるような感覚。体の細胞の一つ一つが解けて溶けていくような喪失感。
何も出来ずただ突っ立っている俺をなまえさんが抱き寄せた。
突然の出来事にいつもの優しさと余裕を湛える淑女の表情は崩れ、脅威と焦りが滲んでいる。
「レオナルド!」と、なまえさんの叫ぶ声がやけに遠くに聞こえた。そして強かな衝撃と痛いほどの抱擁。
女性特有の甘い香りに包まれるまでの数秒間に見えた世界は白で塗り潰されて、赤と青の光が滅茶苦茶に跳ね回って遊んでいる。きゃらきゃらと場違いな幼子の笑い声をあげて、俺たちを飲み込んで跳ね回る光。
その光を記憶した瞬間。悲鳴も驚愕の叫びも上げることすら出来ずに俺の意識は闇に包まれて消えた。
「大丈夫」と安心させるように繰り返すクラリスさんの声だけが、たった一つ溶け残った現実のように感じながら。
世間は2000年ちょっと前に死んだ聖人の祝いで浮かれていて、此処……ヘルサレムズ・ロットも大忙し。
あちこちでイルミネーションがカチカチと光って、酒と宜しくないブツでべろんべろんの一般人が打ち上げ花火を上げ、ついでに何人か巻き込まれて爆散しているいつもよりちょっと騒がしいヘルサレムズ・ロット。
いつものピザの配達の帰り。頭にまで積もってくる雪に凍えながら帰っている途中、小さなパァンという音がして思わず立ち止まった。
カウントダウンまで我慢できなかったせっかちな奴が、花火か爆竹でも鳴らしたのだろうかと思ってふと視線を向ける。そして、微かに驚いて目を開いてしまった。
人工的に整備された小さな川に架かる簡素な架け橋。塗装も剥げ気味で手摺りも無く少々危ないその場所で、見覚えのある影がひっそりと静かに立っていた。
思わず一歩前に踏み出すと真っ黒な水面に俺の義眼の蒼が映って、転げ落ちた石の波紋で弾け散る。
遠くに聞こえる喧騒も俺の息遣いもその時ばかりは聞こえていないのか、その人は大きな背を曲げて何かを探すかのように川を見下ろしていた。
いつもなら頼もしい背中も何だか萎れて見えて、本当ならそっとしておいたほうが良いじゃないのかとは何となく思ったけど、それでも放っておくことは何となく出来なくて声を掛ける。
蚊の鳴くような俺の声にそれでもその人は気が付いてくれたみたいで、寂しそうな気配を漂わせたままゆっくりと此方を振り向いた。視線が合うと、ぎこちなく眉を下げて微かに笑みを浮かべる。
「あの、えっと、こんばんは。なまえさん」
なまえ・V・ラインヘルツ。普通の女の人よりも大きなその背に、世界を背負って進む人。
誰よりも強いのに負けず嫌いで変なところで頑固で、天然ボケしてるのに頼もしくて、どんなに絶望的な時でもこの人がいたら何とかなるって根拠もなく思わせてくれる人。
そんなクラリスさんが今まで見たことも無いくらい小さく見えて、思わず俺は息を呑む。
「こんばんは、レオナルド。アルバイトの帰りだろうか」
「は、はい!あ、今日はその、寒いですね……その、雪も降ってるし……」
「ああ、こんなに積もったのは久しぶりだ。雪で滑らないように気を付けなさい」
「あ、はい。その、えっと……なまえさん」
「今日はお一人ですか?」その一言を言った瞬間、なまえさんの空気がまた少しだけ暗くなった。
寂しそうで悲しそうで、そんな筈無いのに新緑の瞳が潤んだように見えて、慌てて「ギルベルトさんはご一緒じゃないんですか!」と叫ぶように付け加えると、張り詰めた空気がパッと散る。
パチリと小さく瞬きをしたなまえさんは、そんなことを言われるなんて予想していませんでした。みたいな顔で俺の顔を見詰めている。猫だましをくらったライオンのようだと場違いに思った。
居心地の悪い無言の中、「あ、えっと、あはは……」みたいな馬鹿丸出しの誤魔化しをしているとなまえさんは申し訳無さそうな顔をして、橋の一歩手前で突っ立っている俺に向かって歩いてきた。
「少し、1人になりたい気分で歩いていたのだ。あまり遅くなるとギルベルトに叱られる、帰るついでに家まで送っていこう」
「え、良いですよそんな!待っているギルベルトさんにも悪いですし」
「立ち話に付き合って貰った、これくらいはさせて欲しい。ギルベルトには少し遅くなると連絡を入れよう、もしかしたら迎えに来ると言うかもしれないが……」
「え、じゃあお言葉に甘えて……」
正直に言うと、浮かれ切っているこの街のド真夜中に一人歩き(+小動物が1)は少々心許なかった。なまえさんがいてくれるのならば、月が落っこちてきても何とかなるだろう。
あと数秒で地球が爆発しますというレベルで無い限りはなにがあっても安全な気がする。
手に収まるには少々小さく、まるで子供の玩具のように見える携帯電話を取り出して電話を掛けるなまえさんを眺めながらポケットの中のソニックを弄っていると、少しして携帯から微かに顔を話したなまえさんがこちらを向く。どうやらやはり、ギルベルトさんが車を回してくれるらしい。
なまえさんは俺を待たせてしまうことに申し訳無さそうな雰囲気をさせていたけど、誰だって雪道を蹴り開けて徒歩で家に帰るよりも、数分待ってでも温かい高級車に揺られて帰宅したいだろう。
俺の方こそ静かなプライベートな時間を邪魔してしまって、なんだか申し訳ないと思った。
ヘルサレムズ・ロットを覆う霧は星の光すら遮って、今もこの街を世界から閉じ込めている。なのに雪が降ることが少し不思議に思えた。
そんなことよりも奇妙なことは秒単位で起こっている筈なのに、外界と同じように小さく舞う花びらのような雪の欠片はまるで奇跡のように思える。
クラリスさんもこの雰囲気に飲み込まれていたんだろうか。
夢を見ているような顔で光の見えない夜空を見上げて、ふとポツリと呟く。
「冬はあまり好きでは無くてね」
「……どうしてですか?」
似合わない程にか細い声が、まるで迷子のように聞こえた。
俺が思わず聞き返すと、なまえさんは一度手のひらを開いて息を吐く。白い息を通り抜けた雪花がなまえさんの手のひらに下りて、そしてたちまち溶けて消えた。
「……あの人を」
「え?」
「私の半分を、亡くしてしまったからかもしれない」
「あの人って、それ、」
誰なんですか。
言い掛けたその声は、誰の耳にも届かなかった。
なんの前触れもなく、この世界が崩壊してしまったのだと錯覚するような光が俺となまえさんの身を貫く。
痛くはなかった。ただ、酷く熱い。熱湯に放り込まれた小魚になったみたいな気がする。
生きたままグラグラと煮られるような感覚。体の細胞の一つ一つが解けて溶けていくような喪失感。
何も出来ずただ突っ立っている俺をなまえさんが抱き寄せた。
突然の出来事にいつもの優しさと余裕を湛える淑女の表情は崩れ、脅威と焦りが滲んでいる。
「レオナルド!」と、なまえさんの叫ぶ声がやけに遠くに聞こえた。そして強かな衝撃と痛いほどの抱擁。
女性特有の甘い香りに包まれるまでの数秒間に見えた世界は白で塗り潰されて、赤と青の光が滅茶苦茶に跳ね回って遊んでいる。きゃらきゃらと場違いな幼子の笑い声をあげて、俺たちを飲み込んで跳ね回る光。
その光を記憶した瞬間。悲鳴も驚愕の叫びも上げることすら出来ずに俺の意識は闇に包まれて消えた。
「大丈夫」と安心させるように繰り返すクラリスさんの声だけが、たった一つ溶け残った現実のように感じながら。