死にたい女


死にたかった。

どれくらい死にたかったかというと、毎日毎日狂ったように、自殺の方法を調べるくらいには、死にたかった。

できれば楽に、ひとおもいに死にたかった。薬のODは生き残ってしまった時の副作用が恐ろしかった。やけ酒による溺死もあまりにも死体の見た目が酷くなりそうで、やめた。電車の飛び込みも死にたすぎてとっさに迷うことがあったが、自分が目の前で飛び込み事故など見た暁にはトラウマで眠れなくなってしまいそうだったし、迷惑をかける人数があまりにも多くなるので辞めた。
自宅で死んでもなかなか気づいてもらえなそうだったので、そもそも自宅で死ぬのは取りやめることにした。家で死ぬと後に見回った不動産屋がかわいそうだし、近所の人もかわいそうだ。となると、外で死ぬしかない。

そういった経緯で、ありふれた方法である首吊りをとることにした。首吊りが一番、あっけなく、そして確実に死ねる確率が高そうだったからだ。

死に場所もありきたりな山中を選んだ。今日はその下見に来たのである。
それなりには有名な東京のその山は、それなりに自殺スポットとしても有名だったし、それなりに便もよく、されどずっと人がいないわけでもない。第一発見者にはトラウマを植え付けることになるので申し訳ないが、遺書には見なかったことにしてほしいと謝罪をつらつらと書いておくつもりである。もし自分の遺体が1週間見つからなかった暁には、警察に見つけてもらおうとヤマト運輸の指定日配送で遺書を警察署に届けることも考えている。もちろん、己が死んだ後で。
親戚はいないが、金一封包んでおけば、行政が埋葬くらいはしてくれるだろうとも考えている。仕事を増やして申し訳ないことこの上ないが、それでもできるだけ仕事を減らせるように車がたどり着ける程度の山中で死ぬし、首を吊ると死体の水分が(糞尿が)出てしまうと聞いたので処理しやすいようにビニールシートも引いておくつもりだし、疑いようもなく自殺だと分かってもらえるようにもするし、葬儀の費用もプランも用意した上で死ぬつもりであるし、家もそのまま引き払えばいいように中のものを全て捨ててから死ぬつもりだ。

今日の登山がなぜ本番ではなく下見なのかというと、今の季節が夏真っ盛りだからである。
そう、夏だ。夏なのだ。
夏に死ぬと死体がすぐ傷んで悪臭がするし、処理する方の立場になって考えたときに嫌に決まっている。葬儀場も夏の遺体の維持にドライアイスを大量に使うとyoutubeで見た。
まだ家の中の処理も終わっていなかったし、死ぬには時期が悪かった。だが死にたくて、気がはやって、死に場所くらいは見ておきたいという気持ちになったのだ。己の体重を確実に支えてくれそうな木も目星をつけておきたかったし、縄も確実に結べるようになりたかったし、何はともあれ予行練習がしたかった。

背負った小さなリュックの中には、水と食料と、練習用の縄がある。首にかけているタオルで汗を拭いながら、山を登る。風はぬるかったが、空気が心地よくて、湖がきれいで、冬の静けさの中でもここはいい場所だろうなと思った。ここで死ねるなら、自分の最期は悪くないものになるだろうという、確信が持てたのがよい収穫だった。

登山客もいない山の中腹で、よさそうな太い丈夫な木を見つけた。そばにぼろぼろの地蔵があって、むかしは近くに人が住んでいたのかもしれないと思った。ここは死んだ集落もちらほらあって、自殺スポット以外にも心霊スポットとしても有名らしい。死ぬ間際に、見たこともない幽霊が見られるかもしれないと思うと、なんだか少し楽しくなった。
自分の身長より少し上の位置に太い枝もあり、縄をつけるのにもちょうどよさそうだった。予行練習ができる。スマホに保存した動画を再生しながら、漁師が投稿したほどけない縄の結び方を実行する。漁師も自殺のために自分の動画を使われると思ってはいなかったと思うが、良さそうなので参考にさせてもらっている。
やや結びにくいが、首を痛めながら木を見上げてぎゅうぎゅうと縄の結び目をひっぱると、頭が入りそうな空間ができて、最高に満足した。これなら本番もいい感じに死ねそうだ。
会心の出来に縄の下の方を引っ張って微笑んでいると、カサカサと落ち葉を集めるような、不思議な音がした。
振り向くと、そこには男がいた。


あまりにも驚きすぎると、人間は声も出なくなるのだと初めて知った。


その男もわたしに気づかなかったのか驚いたようで、魚のような印象深い、つりあがった琥珀色の目をカッと見開いて棒立ちになっている。わたしも棒立ちのまま、しばらく彼を呆然と見つめた。

ひとまず見なかった、というのはもう出来ないので、軽く会釈をして、縄を解くことにした。下見はもう終わりだが、人がくるということは、この木は目立つところにあるということだろう。車道や登山道からはやや距離があるのだが、本番ではもっと奥まったところにしないといけないかもしれない。

「きみは、ここでなにをしているんだ?」

後方から声をかけられてぎょっとする。低い、お腹に響くような声だった。見上げていた首を元に戻し、そっと振り向くと、男はわたしをじっと見ていた。
変わった男だ。長袖の詰襟の、むかしの学生のような服を着ていて、上着は白と黄色と赤色で先がギザギザとしている。金髪の髪も同じように先だけ赤色な染めていて、どこにいても目立ちそうな色合いを纏っている。
炎のような男だ、と思った。

「‥きみは、ここでなにをしているんだ?」

先程の声を再生するかのように、もう一度男はそう問うた。
なにをしていた、そう聞かれたら、どう考えても、

「首吊りようの、縄を、結んでいました」

どこからどう見てもそうなのだから、そう答えるしかない。それだけ言って口をきゅっと結ぶと、男は困ったように、命を大事にしなさいと、先生が至らぬ生徒に諭すかのようにそっと言った。まあ、わたしも目の前で人が死のうとしていたら止めるだろうと思ってしまうので、それにはゆっくりと頷く。それに今日の今日死ぬつもりもない。
男はずかずかと近寄ってくると、解こうとしていた縄に手をかけてきて、それをぶちりと切った。
手のひらで。
唖然としてしまい、その光景を見守ることしかできない。この縄は練習用なので細いものだが、それでもトラロープである。普通ナイフなどでセコセコ切るのがやっとのロープを、男は握力だけで、ぷちっと、枝毛をちぎるかのように千切ったのである。そしてぶちぶちとさらに細切れにすると、ばらばらになったロープを差し出してきた。思わずと言った体でお椀状にした手を差し出すと、そこにロープの残骸を降ろしてくる。なんなんだ、これは。

「もう死のうとしてはいけない。父母からもらった大切な命なのだから、大切にしなければ」

本当に、まるで先生のような口調だった。なによりロープに驚いているのだが、唖然としながらゆっくり頷くと、満足したように男は微笑んで頷き、わたしの頭をゆっくりと撫ぜた。大きな、あたたかい手だった。分厚くてずっしりと重いが、触られただけで優しさに満ちた手だと思った。初対面の人間なのに、不思議と抵抗がなくて。おじいちゃんに触られたような懐かしさもある。心地よさに目を瞑りたくなるが、男はそこで思い出したかのように言った。


「ところで、ここはどこだろうか」