光のない世界への入口/呪術

 状況の報告へと足早に駆ける。普段はのらりくらりといい加減な態度しか取らない燕もこの時は流石に真面目だった。自分たちが居る世界はこういう世界だったと改めて示されたような感覚に心の中で悪態を着く。本当に理不尽で最低な世界だ、と。あちこちで呪力がぶつかっている。自身の持つ術式の性質上、それが嫌な程に分かって状況が逆に分かり辛い。舌打ちを1つ。速度を保ったまま動いていた足。それは感覚と本能だけでピタリ動きを止めた。

 瞬間。頬にチリッと痛みが走る。鼻につく鉄の匂いと視線の先に映る大きな呪力。表情で気取られないようにそのポーカーフェイスを何とか保った。

「おや、良く避けたね」
「……お久しぶり、と言うべきなのかな。――夏油くん」
「うーん、さようならでもいいのかもしれないね」

 つまりそれはここから生きて帰す気はないと言うことを表していた。そして自身の目は相手の実力が自分では相対する力量では到底無いことを嫌という程に示していた。髪に隠れた眉を僅かに潜める。こんな事なら報告だけだからと1人で行動するべきではなかった。とんだ貧乏くじを引いてしまったらしい。

「君の術式には不鮮明な点が多いけれど……、悟から僅かに君の呪力の残穢を感じたよ。見たところ自分自身で戦うのはそう得意ではない。違うかな」
「さぁ、どうだろう? 案外バリバリの肉体系だったりするかもよ?」

 その言葉に夏油はふは、と吹き出す。こちらの焦燥を理解されているようで気持ち悪い。いや、実際騙せてはいないのだろう。特にあの手の人間はそうだ。人を見透かして穴を付くのが得意。夏油傑がそういう人間だと言うことは五条から聞いて理解していた。そして、今それが本当だと嫌でも理解する。全て見透かされている。

「本当にあの学長とは似ても似つかないな、君は。隠すのが上手い。けれど、僕の方が1枚上手だったようだ。それに君には申し訳ないけれど、不穏分子は取り除いておく主義でね」
「……はっ、1発目を俺が避けたのが想定外だっただけで最初からそれが本題だろ」
「まぁ確かに。あれで終わらせる気だったんだけどな」

 まるで冗談を言うかのように、だが目だけ笑っていない笑みを向けられて背筋が凍える。これは本当に逃げ場がないと本能で悟らされてしまった。その時点で負けだ。それを理解してしまった燕はその回転の早い頭をフル活動させてどうにか目の前の目を掻い潜る方法を模索する。

「術式の媒介はその目。違うかい」
「素直に答えるとでも?」
「ふっ、そうだね。そうだろうとも」
「――ッ」

 息を飲んだその刹那。背後に呪力を感じて地面を蹴る。自分が居たその場所は派手な音を立ててひび割れていた。そしてそこには夏油の従える呪霊。冷や汗が頬を伝う。ほぼ本能と呪力感知だけで体を動かしている。灯滅せんとして光を増す、とはこういう事だろうか。

「っんとに、容赦ないなぁ」
「僕としてはあまり無駄に甚振る趣味はないんだけれど」
「よく言うよ。そんな慈悲は持ち合わせてないくせに」

 生まれながらに持った口は案外こんな状況でも達者なもので、条件反射のように言葉を吐き出す。実際余裕も何も無いのだが。襲い来る呪霊を躱し幾度目か。躱すことに必死になりすぎて目の前に現れた本人を前に足が上手く動かなかった。

「ぐッ……」

 首を捕まれ小さな体はいとも簡単に宙へ浮く。こういう時は身長が欲しかったと思ってしまう。こんな事何度もあってたまるか、と他人事のような心中を嘲るかのように口は酸素を求める。

「……ぁ……、ッ」
「悪いね。少し時間が惜しい。――終わりにしようか」
「……あ゙、」

 焼ける。目が。痛みと、熱。焼き切れるような感覚。そして、光が、無くなる。痛い、痛い、痛い。耳障りな叫び声が、自分の喉からこぼれるのがまるで外野から聞いてるかのような意味のわからない感覚。今まで感じたことの無い苦痛。いや、懐かしいあの頃のような出口のない苦痛。

「さよならだ」

 聞こえたその呟きがやけに遠く聞こえた。繋ぎ止めるだけ苦痛が続くと理解した体はその意識を放棄しようとする。燕は抗うことを諦める。その二度と光を見ないであろう景色の中に、鮮明な赤い薔薇を見た気がした。

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