2.それは不穏な知らせ

「うん、肋骨が3本折れていますね。要安静です!」
蝶屋敷に行くと、屋敷の家主である蟲柱・しのぶさんが笑顔でそう診断してくださった。
「上手に肋骨が折れただけでもよかったと思いましょう。下手するとその骨が内臓を傷つけて、肺挫傷や血気胸なんかに発展する場合もありますからね」
「はあ、なるほど…」
「今は呼吸をするのもつらいほど痛いでしょうが、時期に収まります。鎮痛剤を出しておきますので、ある程度痛みが収まってきたら機能回復訓練に参加してくださいね」
わたしは彼女に頭を下げると、よろよろと自分が静養している部屋に戻る。肋骨が3本も折れている、そりゃあ体がひどく痛むわけだ。蝶屋敷までの道のりがひどく長く感じられたのは、息を吸うだけでも痛む、この肋骨のせいだったのだ。わたしはどちらかというと我慢強く、痛みに耐えられる方の人間なのだが、そんなわたしでも肋骨を3本も折ってしまうと、知らず知らずのうちに口から呻き声がこぼれてしまう。

寝台に上がり、処方された鎮痛剤を飲む。水のようにさらりとしたその薬は無臭だったが、ひどく苦い味がした。良薬は口に苦し、その通りなのだろう。日に3度その薬を飲む必要があると思うとやや憂鬱になるが、療養中は任務に赴かなくてよい、つまり、しばらくはあの霞柱から小言を投げつけられる心配がない、と思うと心が軽くなるのだった。

わたしが飲んだ薬には眠気を誘う成分が入っているらしい。薬を飲んでほどなくすると、わたしはうつらうつらと舟をこぎはじめる。任務の疲れがドッと押し寄せてきたこともあるだろう。わたしが浅い眠りに入っていくにつれて、心臓の鼓動に合わせてズキズキと反応していた肋骨の痛みも、少しずつだが引いていくようだった。

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翌日、わたしは相変わらず寝台で肋骨の痛みに耐えていた。本当なら、寝たままでもできる握力や腕力の訓練でもしたかったのだが、まだこの痛みに慣れていないわたしは、薬の眠気に抗いながら寝台でうとうとするしかなかったのである。

「よう」
突如、頭上から声がし、わたしは飛び起きる。
「いっ…!」
途端に肋骨に激しい痛みが走り、起こした体を丸めた。
「驚かせちまって悪いな、見舞いにきただけなんだが」
はははっと豪快に笑うのは、音柱・宇髄さんだった。柱がわたしのようなイチ隊士の見舞いにくるなんて…あまりの驚きに、これは夢なんじゃないかと思ってしまう。わたしは寝起きのやや定まらない目で宇髄さんを捉える。
「あ、う、宇髄さん、お忙しいところ、わざわざありがとう、ございます」
体が完全に起きておらず、わたしの言葉はおぼつかない。しかし、宇髄さんはそんなことなど気にせず「おう!お前らが無事でよかったぜ」とわたしの頭をぐしゃりと撫でた。その勢いの強さに連動して肋骨に痛みが走るが、腹に力を入れて我慢する。
「全快したら、また任務頼むわ。ド派手な活躍を期待してるぜ、隊長さん!」
おどけた口調だが、わたしの心を奮い立たせるには十分だった。役立たずじゃない、そう言ってくれるかのような宇髄さんの優しさが、とても嬉しかった。

「…それでなぁ、実はお前に、面白い知らせを持ってきたんだよ」
突然わたしに顔を寄せ、口の端をニッと吊り上げた不敵な笑みを見せる宇髄さん。嫌な予感がする。むしろ、その”面白い知らせ”とやらを伝えたくて、わざわざわたしの見舞いに来た可能性が高い。いや、絶対そうだ。
「それは、できれば聞きたくないですね…」
「そうか?それは残念だな!でもよく聞け、実はな…」
宇髄さんはお構いなしに話を続ける。聞きたくないと言っているじゃないですか!と抵抗したくなるが、今の体ではそんな元気も出なかった。
「お前の恐れる”霞柱さん”が、この屋敷に来ているらしいぜ」
その”知らせ”を聞いた瞬間、わたしは、ひっ、と息を吸い込んだ。しかも、その変に吸い込んだ息は気管をくすぐってしまい、わたしは体を折って激しく咳き込む。咳をするせいで肋骨が強く刺激され、ものすごく痛い。涙も出てくる。宇髄さんは笑いながら咳き込むわたしの背中を撫でてくれた。
「悪いなぁ、お前がそんなに動揺するとは。だけど安心しろ!あいつは、お前のあとを追って屋敷に来たわけじゃないようだぞ。偶然ってやつだ。あいつも戦闘で負傷したらしい。まあ、お前より先に治療を終えて、この屋敷を出ていくだろうがな」
そう言って、ニヤニヤしながらわたしの表情を観察する宇髄さん。つい先ほどまで感じていた、宇髄さんの優しい言葉に対する感謝が徐々に薄れていく。この人は、わたしが霞柱を恐れていることを楽しんでいるんじゃないか…?
「そんなこと言われても…。わたしは一体どうすればいいんですか」
ようやく咳が落ち着き、体を起こして宇髄さんを睨む。目じりに溜まった涙が鬱陶しく、衣服の裾で乱暴にぬぐった。
「そりゃ、どうもしねぇさ。俺はただ、お前さんにとって有益な情報を提供してやっただけだぜ」
「性悪ですよ……」
わたしがそうつぶやくと、宇髄さんは心底愉快そうに笑った。そうして、わたしの背中を軽くたたくと、「んじゃ、早く治せよ!」と声をかけて部屋を去っていった。嵐のような人だ。残されたわたしは、宇髄さんの言葉を反芻する。

―――「お前の恐れる”霞柱さん”が、この屋敷に来ているらしいぜ」。

”しばらく任務がなくて心が安らぐ!”と思って喜んでいたのに、それが漠然とした不安に変わりはじめる。
…いや、だめだ。とにかく今は治療に専念しなければ。同じ屋敷にいるとしても、顔を合わせるとは限らないわけだし。わたしはいったん宇髄さんの発言を忘れ、もう一度眠りにつくことにした。





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