6.暗がりの中で

結局、わたしが任務に発つまでに霞柱が屋敷を訪れることはなかった。今日の任務先は少し遠く、移動に時間がかかるため、のんびりしてはいられない。わたしは霞柱と会うことを諦めて、屋敷をあとにした。

今日は久しぶりの単独任務だった。復帰早々の単独任務はやや不安が残るものの、この状況で単独任務を任されることは、それだけわたしの力が信頼されている証拠でもある。ヘマをしないようにと自分自身に喝を入れながら、任務先へと急ぐ。
途中、数名の隊士とすれ違った。片手を上げ、簡単な挨拶をしたが、もちろんその中に霞柱はいなかった。霞柱は蝶屋敷ではなく、どこか別の藤の花の家紋がある屋敷で休むことにしたのだろうか?まさか、わたしと会うのを避けるため、蝶屋敷に来るのを断念したとか?…考えれば考えるほど、胸にわだかまりが積もっていく。

「気つけてくれ」なんて宇髄さんに頼まれてしまった手前、それを無下にできない自分がいる。どうしても霞柱に会わなければ、そんな意識が芽生えてしまった。とはいえ、まずは任務に集中しなければならないだろう。療養明け、初めての任務だ。わたしはいったん、霞柱のことを頭の片隅に追いやった。

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任務先では、柱に救援を求めるまでもなく、鬼の頸を切ることができた。途中ひやりとした場面があったのは、やはり長期間、治療を行なっていたせいだろう。あんなに頑張って機能回復訓練をしても、やはり体はなまってしまうのだ。改めて、戦闘で怪我を負わないこと、また復帰に向けて体を叱咤することの重要性を思い知らされる。

「ミョウジ ナマエ!東ニ向カエ!東ニ向カエ!」
突如、わたしの鎹鴉がわめきはじめる。「また任務?」そう尋ねても鴉はなにも答えない。変だ。今まで鎹鴉がこんなに曖昧な指令を出したことはない。しつこく尋ねても、とにかく「東ニ向カエ!」としか言わないのだ。少し腹が立ったので、嘴を少しだけ小突いてやると、鴉はなにかを思案したように静かになった。しかも、指令を伝えたあと飛んでいかず、わたしの肩にとまったままだ。さては、わたしになにか隠しているな。

時刻は丑三つ時―――鬼の頸を切った頃には日付が変わっていたようで、わたしが鎹鴉の言う「東方向」へ向かい歩く夜道は深い闇に包まれていた。日々、鬼のような異形のものを切る仕事をしていても、こうした夜闇は怖いものだ。今回の任務先はかなり山間に近い場所だったため、あたりは夜風が背の高い草木を揺らす、さわさわという音しか聞こえない。なのに「ガサリ」と虫や動物が立てた音なのか、時折大きな音もするので、そのたびに飛び上がりそうになる。このときばかりは、単独任務を任された自分の境遇を激しく恨んだ。
そうしてわたしはビクビクとしながら、手持ちの蝋燭の明かりを頼りに、一歩一歩、田舎道を進んでいったのである。


「…こっちでいいんだよね?」
鴉に尋ねると、首肯するように頭を動かし「カァッ」と一鳴きする。どうやら鴉もこの夜闇に怯えているようで、鳴き声に覇気がない。それにしても、いつになれば目的の場所に着くのだろうか。暗闇の中では時間感覚が狂ってしまうが、もう随分と歩いている気がする。持っている蝋燭もだいぶ短くなってきたし、精神的にも身体的にも疲労が蓄積されていく。そんな風に、不安や不満が沸き上がりながら歩いていると、急に鴉が「右手!右手ニ行ケ!」と叫んだ。
「はっ、はぁ?右手…?」
わたしは再び心臓が止まりそうになるほど驚き、息が上がった。そうっと右手の方に蝋燭を向けると、小さな洞穴のようなものが確認できた。まさか、あそこに行けというのか…?わたしが怯えて足を踏み出せずいると、「行ケ!行ケ!」と生意気にも鴉が頭を小突く。

しぶしぶ洞穴に近づくと、そこは思ったより奥行きがありそうな、立派な洞穴だった。しかし、だからといって無邪気に探検できるような心持ちではない。「奥ヘ行ケ」と鴉がうるさいので、恐る恐る中へ進むと、急になにかにつまずき、わたしは「ギャッ」と情けない声を上げて、持っていた蝋燭を手放してしまった。
「危ないなぁ。ちゃんとまわりをよく見なよ」
暗闇から聞こえてきたのは、久しく耳にする”霞柱”の声だった。しかしそこは、死後の世界か?と思うほどの真っ暗闇だったため、わたしは泣きそうな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すしかなかったのである。

シュッ、とマッチを擦る音がしたかと思うと、その場がほのかに明るくなった。柔らかい明かりがする方に目を向けると、そこには蝋燭を持った霞柱がいた。その蝋燭はわたしが持っていたものよりも真新しく、上等なもののようだった。
「お疲れ様、よくここにたどり着いたね。この辺は民家がなく、途中で休めるような場所がない。かといって町へ出るには相当な時間がかかる。だから、いったんこの洞穴で休むようにと君に指令が送られたんだよ」
わたしは崩れ落ちるようにその場に座り込む。張りつめていた緊張と恐怖とが一気に開放され、ドッと疲れが押し寄せた。そんなわたしを照らしてくれるかのように、霞柱もわたしのそばにしゃがみ込む。
「一応君は療養明け、かつ単独任務明けという身だ。そんな体で、真夜中の山道をウロウロしていたら、鬼に襲われないとも限らない。だから、いつでも助太刀できるよう、僕がこの洞穴で待機していたってわけ」
そう言ってから霞柱は、「怖かった?」と小さな声でわたしに尋ねた。わたしはとてつもない安堵感に包まれていて、子どものようにコクリと頷くことしかできなかった。そんなわたしに、霞柱はわずかな”甘さ”を含んだ声色で、「よく頑張ったね」とわたしを労わってくれるのだった。

「それにしても、洞穴で蝋燭1本で一夜を過ごせだなんて。柱になってから、こんな野営じみたことをする日がくるとは、思いもしなかったよ」
霞柱は竹筒に入った水と、笹の葉に包まれたおにぎりをわたしに差し出しながら言った。安心したらお腹がすいてきたので、わたしはそれらをありがたくいただく。
「食べ終わったら休みなよ。僕が朝まで見張っておくから」
霞柱からの優しさを、すべて素直に受け取ってしまっているのは、あまりに疲れすぎているからだろうか。わたしは霞柱になにか言うことがあったのではないか。しかし、腹が満たされたわたしは、自然と瞼が重くなり、さまざまな判断能力を失っていく。
「霞柱、あの…」
なんとか声を絞り出すも、「ん?」と微かに口角を上げた穏やかな表情の霞柱を目にしたら、なにを言うべきだったのかすっかり忘れてしまった。
「その……ありがとう、ございます」
「いいって。君は早く休みな」
霞柱は藁や落ち葉の上に麻布のようなものが敷いてある場所を差す。わたしのために寝床を作ってくれたのだろうか、そんなことをぼんやりと考えながら、大人しくその場所に横になる。
「僕は入り口の方にいるから、なにかあったらすぐに声をかけて」
「はい…」
返事をする前に瞼が閉じていた。
「ナマエ、おやすみ」
霞柱の優しい声が遠くで聞こえた。





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