7.朝明けの独白

チチチチ……と微かに鳥の鳴き声がする。朝が来たのだろうか。わたしはぶるりと体を震わせてから目を覚ます。なんだか肌寒い。そうして瞼を持ち上げ、一番最初に目に入ってきたのは、寒々としたむき出しの”岩肌”だった。なぜ、岩…?わたしは驚いて飛び起きる。すると、わたしの体の下からカサカサと藁が柔らかい音を立てた。
「あ、起きた?」
少し離れた場所から霞柱の声が聞こえる。そのあと、ふあぁと、間の抜けた欠伸も続いた。
「大したもんじゃないけど、それ、一応食べといたら」
言われて周りを見渡すと、藁の寝床の近くに、笹の葉の上に乗せられた食べ物が置いてあった。干し芋と干し柿、そして木苺だろうか。竹筒に入った水も置いてあり、こちらはまだ冷たい新鮮な水のようだ。霞柱が朝一番にどこかの川で汲んできてくれたのかもしれない。

そうだ。わたしは昨日、この山奥の洞穴で一夜を明かしたのだ。任務を終え、たどり着いたこの洞穴で、霞柱に食事や寝床まで用意してもらい……しかも霞柱自身は夜通し見張りをしていたに違いない。なんということだ。わたしは、霞柱から与えられるものをなんの抵抗もなく受け入れ、とことん甘えてしまっていたなんて。
「あ、あの…霞柱は、お食事の方は…」
「もちろん食べたよ。だから君も気にせず食べて。まあ、町まで出ればまともな食事ができるだろうから、それまではそれで食いつないでよ」
洞穴の入口付近にいるらしい霞柱は朝日の柔らかい光に照らされていた。わたしのいる場所からだと彼はやや逆光がかっており、その表情はほとんど読み取れなかったが、そんな霞柱を見ても、以前のような不安や緊張を覚えるようなことはなかった。

わたしは素早く食事をとると、急いで身なりを整え、霞柱のもとへ行く。
「よく眠れた?」
胡坐をかいた状態でわたしを見上げる霞柱は、心なしか眠そうな顔だ。相変わらず表情の変化が少ない顔つきだが、これまで見てきたような冷酷極まる、刺々しい表情はこれっぽっちもなかった。
「はい、おかげでしっかり体を休めることができました。本当にありがとうございます」
わたしが頭を下げると、霞柱は静かに立ち上がり、大きく伸びをする。そんなあどけない仕草を間近で見られることに、何度目かの驚きを覚えてしまう。今の霞柱は至極自然体で、以前わたしに小言を投げつけていた人物とはまったくの別人のようだ。
「それはよかった。じゃあ、そろそろ行こうか」
霞柱はパンパンと隊服を軽く払うと、そう言った。

新しい朝がはじまったばかりの清々しい空気が鼻孔をくすぐる。そんな気持ちのいい朝を迎えたわたしたちは、町に向かって静かに歩き出した。

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道中、わたしは忘れていたことを思い出した。宇髄さんから”頼まれごと”を受け、わたしは霞柱と会わなければならないと、そう思っていたではないか。久々に赴いた任務での疲れ、洞穴に行くまでの精神的な疲れにより、泥のように眠ったら、キレイさっぱり忘れてしまっていた。わたしはこっそりと霞柱の横顔を盗み見る。すると、すぐさま目が合った。
「ん?歩く速度、速かった?」
「い、いえ、そういうわけでは…」
「そう」
霞柱はいつも通りの涼しい顔で歩き続ける。宇髄さんの話では、戦闘中にも関わらず上の空で仕方なかったということだが、今の霞柱からそんな素振りは微塵も感じられない。
「あの、霞柱」
「なに?」
「ええと…その、具合はいかがでしょうか?」
霞柱は怪訝そうな表情でわたしを見る。
「どういうこと?僕はこの通り、怪我もなく健康そのものだよ。そりゃ、多少は眠いけどね」
「で、すよね。失礼いたしました…」
慌ててわたしが詫びると、霞柱はなにかに勘づいたように一瞬黙り込んだ。
「君ひょっとして、僕の調子が悪いとかなんとか…そういう話を誰かから聞いたの?」
「えっ……と」
「誰が君にそんな話をしたのか、大体想像つくけどさ」
霞柱は少し歩調を緩めた。話に集中したいようだ。
「その件だけど、完全に僕が悪いから、君は気にしなくていいよ」
「………」
「だってそうでしょ?僕は今まで君を恐怖に陥れるようなことをしてきた。それに加えて、君をひどく驚かせてしまうような行為までした。だから君は、僕を拒否して当然だよ。それで僕が戦意を喪失してしまうのは、僕の弱さ以外のなにものでもないし、ある意味、自業自得だよね」
自嘲気味に話す霞柱になにか声をかけたかったが、言葉が見つからなかった。「そうですね」と彼の行為を認めるのも違うし、「そうじゃない」と彼を庇うのも違う気がした。

「今回君を洞穴で待っていたのも、僕が自ら選んでやったことなんだ。もともと、誰かが君をカバーしようという提案が鬼殺隊内であったんだよ。そこで僕が手を上げた、誰よりも早く。
…でも、いい加減怒られるかもね。僕が、ナマエに執着していることに。実際今回のことは、僕が半ば強引に引き受けたような形だし、周りもあまりいい顔をしてなかったよ。…ああ、強引に引き受けるのは、今回だけに限らないか」
爽やかな朝の風に乗った霞柱の独白が、わたしの耳に届く。まるで他人事のような心持ちで、わたしはその独白に耳を傾けていた。
また、鎹鴉が例の洞穴へ導いてくれたとき、彼が指令の詳細を言わなかった理由もなんとなくわかった。誰が洞穴に行くのか、それを取り決める際、一悶着あったのだろう。その現場を見た鴉は本当にその指令をわたしに伝えていいのか、頭を悩ませたのかもしれない。結局、洞穴で待機することになったのは霞柱。頭のいいわたしの鎹鴉は、それがわたしの苦手な人物だとわかっていたから、詳しいことを言いよどんだのだろう。そんな鴉に一種のいじらしさを感じる。

「あんな風に手を振りほどかれて、なんにも手につかなくなっても、僕はナマエのことを考えるのを止められなかった。一人の女性を好きになるだけで、人間ってこんなにも狂ってしまうんだね。本当に参っちゃったよ」
霞柱の「好き」という言葉に、わたしの心臓がドクンと反応した。ああ、やっぱりわたしは霞柱の”想われ人”なんだ。やっとその実感を得られた気がした。
そのとき、霞柱が急に歩みを止めた。顔を上げると、彼は少し悲しそうな、優しい眼差しでわたしを見つめていた。
「でも、一番迷惑しているのはナマエ自身だよね。たくさん悲しい思いや、怖い思いをさせてごめん。戸惑わせて、ごめん」
そう言って、わたしに頭を下げたのだった。わたしはあまりの驚きに声を失った。そして、これまで恐れていた霞柱の人物像が、恋情によって作り上げられてしまったものであり、今目の前にいるのが本来の霞柱なのだと感じた。
「君への想いと、僕の感情、それはこれから折り合いをつけていくよ。なるべく、迷惑をかけないようにする。だから、さ。今だけは…」
霞柱は言葉を切ると、少し俯いた。わたしは胸が締めつけられるようで苦しく、だけどそれ以上に、体中の血が沸騰するようなざわざわとした音が耳障りだった。それが自分の心臓の音だと気づいたのは、一瞬あとのこと。

なにか声をかけたかった。そう思って口を開いた矢先、甲高い鴉の鳴き声がして、ビクリと体を震わす。
「アーッ!アーッ!緊急指令!無一郎、ナマエ、コノママ西へ向カエ!西へ向カエ!」




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