9.理想と現実

わたしたちは屋敷の主人たちが眠る部屋と、伊之助さんたちが休む部屋から離れた縁側に来た。ここでなら、周りに迷惑をかけることなく話ができるだろう。

炭治郎さん、わたし、善逸さんという順番で横一列に並んで座ったものの、誰も口を開こうとしない。善逸さんは両拳を握りしめて小さく震えているようだし、炭治郎さんは腕を組み、そんな善逸さんをチラチラと横目で見ている。わたしはわたしで、2人に挟まれどうしたらいいかわからない。

「善逸!」
「ひゃいっ!!」
炭治郎さんに呼ばれて、素っ頓狂な声を上げる善逸さん。つられてわたしも驚いてしまう。
「そろそろ話をしたらどうだ。さっきからナマエを待たせているし、先延ばしにしたっていいことはないぞ」
「んなこと言ったって、お前は高みの見物だからいいものを…!」
「高みの見物じゃない!仲間として”見守っている”だけだ!」
「それはそれで、やりにくいんだよ!大体なぁ、人それぞれペースってものが…」
「あの、」
2人がわたしを挟んで言い合いをはじめたので、思わず話を遮ってしまう。
「すみません、話が見えないのですが…。わたしに関係のあること、なんですよね?」
「あっ…いや、あのね、その…」
「善逸!」
「はい、そうです……そうですよ!」
善逸さんは自棄になったようにそう言うと、細く長い溜息を吐いた。そして肩を落とし、俯いた姿勢のまま動かなくなる。
しばらくしてから善逸さんは顔を上げ、ゆっくりとわたしのほうを見たが、その瞳は不安で満ち満ちていた。
「…少しだけ、俺の話を聞いてくれないか」
善逸さんの声は掠れて、少しだけ震えていた。
「わかりました」
「途中でナマエは、俺のことが嫌になっちゃうかもしれない…それでも、最後まで聞いてほしいんだ」
「はい、聞きます」
「はは…本当に君は、いい子だなぁ」
善逸さんは、弱々しく笑う。それから、わたしの隣にいる炭治郎さんに向かって小さく頷いた。
「じゃあ、なにか困ったことがあったら呼んでくれ。俺は部屋にいるから」
炭治郎さんはにっこり微笑むと、縁側を去っていった。わたしは善逸さんの方へ向くように、体を少し斜めにして座り直す。どんな内容だとしても、最後まで話を聞こうと心に決めた。

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「…俺ね、今すごく楽しいよ。もしかしたら、鬼殺隊に入ってから一番楽しいかもしれない」
善逸さんはぽつり、ぽつりと話しはじめる。
「それはね、ナマエと一緒に過ごす時間がすごく充実しているからなんだ。君は俺のことを慕って、信じて、いつもついてきてくれる。俺はそれがすごく嬉しくて、嫌いな鍛錬も、苦手な戦闘も、頑張れたよ。
だって、こんな風に誰かに頼られたり、尊敬の眼差しを向けられたことなんて一度もなかったからさ。正直ね、俺すっごく舞い上がってると思う。…うん。もうめちゃくちゃ、舞い上がってるよ」
一つひとつ言葉を選ぶように、話を紡ぐ善逸さん。わたしは黙って耳を傾ける。

「だから、ナマエに稽古をつける時間も楽しかった。君が怪我をするのは辛かったけど…。でも、こんなどうしようもない俺でも、先輩としてナマエの成長を支えることができるんだって。ちょっと自信を持てたんだ」
善逸さんに少しだけ笑みが見えて、ホッとした。しかし、その笑みはすぐに引っ込む。

「でも、でもね。そうやってナマエと一緒にいればいるほど、俺は…その、やっぱり……ダメなんだ。100%押さえ込んでいるつもりでも、ちょっと気を抜くだけで…」
「……どういうことですか?」
「…待って!整理させて!誤解を生むかも!ちゃんと順序立てて話したい!!」
慌てた表情で両手を振る善逸さん。なるほど、わたしも変な先入観を持たずに話を聞こう。


「お、俺はね、俺って男はね、女の子に弱いの。ものすごく。知ってると思うけど…」
「知っています」
「だけどね、君って子はね、そういう男が嫌いでしょ?」
「嫌いです」
「うん、そうだよね。だから俺は、ナマエの先輩になるのに一番相応しくない相手なんだよ。どう頑張っても、俺たちの相性は最悪だったんだ」
たしかに最初、わたしが善逸さんに抱いていた感情はまさに”最悪”だった。しかしそれは、わたしが”噂”で聞いた善逸さんしか知らなかったからだ。
「でも仕方ないと思った。俺は俺だし、君は君だ。俺が変わるのなんて無理だし、相手に変わってもらおうなんて、それこそおこがましいじゃない。このままやっていくしかないんだって、最初は俺、諦めてたよ」
そこで善逸さんは、ぎゅ、と右手を握った。その仕草は、なにか大切なことを口にする前触れのようだった。
「それなのに、俺…変わりたいと思ったんだ。軟派な男に見られたくないって、ナマエから一目置かれるような男になりたいって…もう必死に、強い男として振舞ったよ。それでもきっと、ボロが出ていただろうけどさ。ナマエは気づかないふりしてくれてたんだろうな」
善逸さんは困ったような顔で頭をかく。

「だけど、やっぱり本当の…心の奥底までは、強くなれなかったんだ。
俺、ナマエと一緒に稽古をするたびに、どうしようもなく胸がきゅうってなる瞬間が増えたよ。ナマエの怪我の手当てをするたびに、俺の熱が君に伝わるんじゃないかってひやひやしたよ。
……ナマエの笑顔を見た日には、急にその笑顔を思い出して、眠れなくなったことも、あったよ」
善逸さんはわたしの目を見ず、じっと前を向いて話し続けた。握った右の拳は、細かく震えている。体全体が震えてしまうのを、必死で押さえているかのようだった。

「やっぱり俺ってダメだね、俺は俺の心を騙せなかった。結局ナマエのことを意識しちゃってさ。つまるところ俺は、君が一番嫌いな種類の男で、君に憧れられる男にはなれなかったんだ」
だからね、と善逸さんは続ける。
「俺はナマエと一緒にいていい男じゃない。先輩として君の”相方”を務められる人間じゃない。このままだと、俺はきっと、君の成長を邪魔してしまう。そんなこと、したくないよ」
そこで、善逸さんは初めてわたしの方を見た。今にも泣きそうな顔なのに、それでも無理に笑おうとしている。
「だから俺は、お館様に頼んで、君の相方を辞めさせてもらおうと思ってる」

わたしは黙って善逸さんの顔を見つめた。なんだろう、体が熱い。でもそれは、浮つく感情から派生した熱ではなく…どちらかと言えばこれは…そう。この感情は「怒り」に近い。
「そんなことで、わたしが失望すると思いましたか?」
気づけばわたしは立ち上がって、善逸さんを見下ろしていた。手が、指先が怒りで打ち震えている。しかし、そんなこと今はどうでもいい。
「いいですか?善逸さん。
あなたが本当にわたしの嫌いな種類の男なら、こんなに真面目に稽古をつけるはずがないし、怪我の治療をしようなんて細やかな考えに及ぶはずもない。そんなことをするくらいなら、さっさと夜這いに来たでしょうね。それが、善逸さんはどうですか?あなた、わたしに指一本触れることすら、ためらうような人じゃないですか。それだけわたしの心と体を気遣える人じゃないですか。
わたしに言わせれば、あなたは真面目すぎるほど真面目な人です。本当に、馬鹿がつくほどの大真面目ですよ。それなのに……」
善逸さんは目を大きく見開いて、わたしのことを見上げている。そんな善逸さんの姿が徐々にぼやけていった。
「わたしの前から去りたいなんて、言わないでください…」
止めどなく溢れる涙を抑えられないわたしは、怒りと悲しさですっかり冷たくなった両手を顔に押しつけた。




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