8.誰かの声

わたしと霞柱が緊急指令を受け、目的地に着く頃には日が傾きかけていた。どうやら移動に半日以上もかけていたらしい。移動中に霞柱(および彼の鎹鴉)から聞いた話によると、緊急指令が出された経緯はこうだった。

とある村で、次々と村人が惨殺される事件が起こっている。いたずらにはらわたを切り裂き、食い散らかしたような遺体もあったという。それはまるで、鬼がわたしたち”鬼殺隊”の気を引くかのようなやり方だ。その惨事は日に日に度合いが酷くなり、ついに送り込まれた隊士が惨殺される事態にまで陥った。そこで急遽、救援に行ける柱および隊士を招集することになったそうだ。

「悪さをしているのは、今度こそ上弦の鬼の可能性が高い。一筋縄ではいかないだろうね」
わたしと霞柱は問題の村から少し離れた小高い丘から、その村を見下ろしている。わたしの手には、道すがらに霞柱が手に入れてくれたおにぎりが2つあるが、新たな任務への緊張からか、まったく食欲が湧かないので困っていた。霞柱は先ほどそれを食べ終えたばかりで、猫のようにぺろりと指先を舐めたあと、わたしのほうを見る。
「できればそれ、食べたほうがいいと思うけど。出発してからここに着くまで、結局なにも食べられなかったしね」
「そうですね。ただ、本当に食欲がなくて…」
霞柱はそんなわたしの顔をじっと見たあと、ひょいとおにぎりを1つ取り上げた。
「じゃあ、頑張って1つだけ食べて。でないと、君を連れていくわけにはいかない。戦闘中に倒れられたら困るからね」
そして霞柱は、もう1つは僕がもらうから、と言ってさっさとおにぎりを食べてしまった。わたしは小さくお礼を言うと、冷たくなったおにぎりを無理矢理に胃に流し込む。

夕日が沈み、いよいよ夜が訪れる。見下ろす村には人気がなく、寒々としていた。村人たちは鬼の残酷な所業に怯えながら、家の中で震えていることだろう。
わたしと霞柱は同時に立ち上がった。今のわたしには、村に悲しみの惨禍をもたらし、大切な仲間の命を奪った鬼に対する激しい闘志が燃え渦巻いていた。もちろん、不安がないと言えば嘘になる。しかし、共に戦う”霞柱”の存在は心強く、弱りかけていたわたしの心を奮い立たせてくれた。

「他の隊士と合流したら、僕は戦闘の最前線を行く。正直、今までのように君を守り切れないかもしれない。僕が言うのもなんだけど、そんな甘い気持ちでは倒せない鬼だと思うから」
霞柱は村を見下ろしたまま、静かに言う。
「でも僕は、ナマエを信じて戦う。生き抜いて、君ともう一度会いたいから」
わたしに顔を向けた霞足の瞳は、静かな闘志に揺れていた。今は、霞柱のそんな真っすぐな言葉が、なによりもわたしの力になった。わたしたち鬼殺隊は、いつも死と隣り合わせ。戦闘のたびに、自分の命について考えるのだ。
「霞柱の足手まといにはなりません。必ず奴の頸を切りましょう」
霞柱はゆっくりと頷いた。そして村に目を向けて言う。
「よし。じゃあ行こう、ナマエ」

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わたしと霞柱が村に足を踏み入れた瞬間、つんざくような女性の悲鳴が聞こえた。その声がした方向へ走ると、そこには人間の肉を食らう鬼の姿があった。村人らしい女性はすでに亡骸となっており、その遺体を片手で弄びながら、鬼はニヤニヤとわたしたちの方を見ている。そして鬼の眼球には、”数字”が刻まれていた。

また別の方向からも悲鳴が上がるが、そちらではすでに戦闘の音もしていた。血鬼術を使っているのか、鬼は自分の体を複数に分けて戦闘しているらしい。
「なるほど、僕らを他の隊士たちと合流させたくないわけだね」
霞柱が刀の鍔に手をかける。恐ろしいほど冷静に鬼を見据えるその姿に、わたしはゾクリとした。
「でもよーく見たら、あんた、下弦の鬼じゃん。あんたみたいな鬼って、雑魚のくせに派手なことをしたがるよね」
煽動的な霞柱の言葉に、鬼はニヤニヤ笑いを止めた。刹那、長い鉤爪のついた両手を振り下ろす。その両手を霞柱が刀で切り落とし、わたしは鬼の手から離れた女性の亡骸を受け止め、後ずさった。しかし、この行動がまずかったようだ。鬼は両手が切り落とされたことなど気にせず、ぐるりと首を回してわたしを睨みつけた。
「俺ノ食事、返セ」
そう言って鬼はわたしに毒のような刺激臭のする液体を吐きつけた。間一髪で避けるも、飛沫が額や髪に飛ぶ。液体が付着した皮膚が焼けるように痛い。
「お前の相手は僕だ」
霞柱はそう言って技を繰り出すも、鬼はそれを簡単に跳ねのける。完全にわたしをターゲットにしたようだ。わたしは亡骸を少し離れた家屋のそばに置くと、すぐさま刀を握り鬼の攻撃に応戦する。
「ソコヲ退ケ。俺ノ食事、返セ」
鬼の”食事”に対する執着心は異常だ。わたしの背後にある亡骸を取り返したくて仕方がないようだ。だがこれを渡すわけにはいかない。霞柱がわたしの盾になるように技を出す。その瞬間わたしは高く飛び上がり、鬼の頸に向かって刃を振るった。

「甘イナ、小娘」
気づいたときには、わたしは鬼の手の中にいた。いつの間にか鬼の両手は再び生え揃い、その大きな手がわたしの体を丸ごと掴んでいる。鉤爪が体に食い込み、あまりの痛さに気が狂いそうだ。また、その爪先から毒が注入されているようで、わたしの体は徐々に痺れていく。
「離せケダモノ!」
わたしは手中で体をよじり、どうにか刀を振り上げる。しかし、鬼がもう片方の手でわたしを殴りつけ、その勢いで刀を手放してしまった。その直後、うねりを伴うような突風が駆け抜けた。霞柱が回転技を出し、わたしを掴む鬼の手を切り落としたのだ。

「うっ………!!」
ホッとしたのもつかの間、わたしは強い圧迫感に声を上げた。切り落とされたその手は、鬼の体から離れたというのに、わたしの体を押し潰さんと言わんばかりに強く締めつける。骨の軋む音がし、恐怖が頭を支配する。
「オ前タチ生意気。コノ小娘、イタダク」
そう言って鬼は一層手に力を入れた。

パキッ

「あっ」
骨の折れる音がした。じわじわと口の中に血の味が広がっていく。息ができない。目の端で、霞柱の姿が消えた。これで彼の姿を見るのは最後になるのかな、そんなことを考えていたら鬼の大きな頭が落ちてきた。

ああ、霞柱、鬼の頸を切ったんだな。相変わらず、全然動きが見えなかった。しかし、今わたしの視界にうつる景色の動きは、すべてがゆっくりとして見えた。夜空がわたしに近くなる、そんな錯覚を覚える。


誰かが大きな声でわたしを呼んでいる。視界一杯に、その誰かの顔が映っているが、ぼやけていてそれが誰なのかわからない。体全体が、脳みそまでもが痺れていて、視力、聴力など、あらゆる感覚が鈍くなっていた。わたしの名を呼ぶ、その人の名前を思い出せない。わたしはもう疲れた。体がだるくて、眠りたい。でも、誰かもわからない人が今にも泣きそうな声でわたしの名を呼ぶので、わたしは眠れない。

「ナマエ!ナマエ、死ぬな!絶対に死ぬな!」

薄れてゆく意識の中で、その声だけが鮮明に頭の中で鳴り響いた。




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