10.よいよい

「えっ、えぇぇ?!待って、ナマエ、泣いて……るよね!そうだよね!俺、言い過ぎた?!言い方まずかった?!
いや、それよりも、どうしよう…俺、君に泣かれるなんて……。あぁっ、ごめん!ごめんね、たぶん、俺が悪いよね!お願いだよ、泣かないでくれよぉ…」
善逸さんはなにがなんだかわからない、といった様子であたふたする。まさか、わたしが涙を見せるとは思わなかったのだろう。そんなの、わたしだって同じだ。泣くなんて女々しい行為、したくない。ましてや、善逸さんの前では。

いまだに涙が止まらない自分の体を鬱陶しく感じる。諦めてわたしは両手を膝の上に置き、涙の流れるままにした。そんなわたしを見た善逸さんは、おろおろと逡巡した挙句、自身の衣服の裾でわたしの目元を優しく拭ってくれた。そんな優しい仕草にイライラして、わたしは顔をプイと背けてしまう。善逸さんのうろたえた様子が目の端に見えた。

「あ、あのう…ナマエ。その…」
「………」
「俺、君の気持ちが聞きたいよ。じゃないと、やっぱり俺は、君と一緒にいていいのか迷い続けてしまうから」
いつになく、はっきりとした口調で善逸さんは言った。今度はわたしが”自分の気持ち”を口にする番なのだ。わたしは軽く鼻をすする。いつの間にか涙は止まっていた。泣き崩れた顔なんて見られたくないから、わたしは前を向いたまま口を開く。


「わたしは軟派な男が嫌いです。軟派な男はすぐに女扱いをしてくる。”女扱い”は、わたしにとって屈辱なんです。
わたしは鬼の頸をろくに切れない弱い剣士でした。だから”あいつは女だから弱い剣士なんだ”という目で見られることも多かった。悔しくて、悲しくて…でも仕方なかったんです。きっとその通りだから。
だけど、わたしは強くなりたかった。女でも強いんだって、周りを見返してやりたかった。…そんなときに、善逸さんと出会いました」
善逸さんは小さく頷きながら、わたしの話を聞いている。
「正直、最初はあなたのことが嫌いでした。わたしのことを、女扱いしてくるから。いつもいらぬ気遣いをするからです。本当にイライラしました。
…だけど、あなたはすごく優しい人でした。そんなわたしのことも受け入れてくれました。軟派な男は優しい、というのは本当なんだなと、変に納得してしまいましたね」
「…いや、それひどすぎでしょ」
善逸さんのぼやきに思わず笑ってしまうと、彼自身も少しだけ笑った。
「それまでは、わたし、女扱いをされることが本当に嫌だったんです。女として扱われることは、すなわち男が上に立つこと。相手に舐められることだと思っていましたから。
…でも、それは違うって気づきました。というよりも善逸さんが、そういう世間一般の軟派な男ではないと、気づきました。わたし、あなたに大事にされているんだと思いました。女として、そして一人の人間として。わたしと、わたしの気持ちを丸ごと大事にしてくれているんだって。それに気づけたとき、本当に本当に嬉しかったです」

わたしは、この先の言葉を言うかどうか迷っていた。その言葉を口にすることが、果たしてわたしたちにとって幸福なことなのか、そうでないのか。ふと隣を見ると、善逸さんと目が合った。べっこう色の瞳が揺れ、頬がほんのり赤く染まっていた。あ、この人照れているんだ、そう思うと気が抜けて、わたしはやっぱりちゃんと言葉を伝えたくなった。

「それからしばらく、善逸さんと一緒にいるうちに、わたし”もっと大事にされたい”と思うようになりました。なんというか、善逸さんの優しさを、わたしだけに向けてほしいって思ったんです。我ながら、なんてワガママなことを…と呆れてます。いまだに女扱いされることには抵抗があるけれど、善逸さんの優しさには触れていたいだなんて、矛盾してますしね」
不思議な気分だった。わたしは、自分が話す言葉の中で自分の気持ちに気づいていった。話していくうちに、その気持ちがはっきりと形を成してくる。
「だから、善逸さんが離れていくのは嫌です。絶対に、嫌なんです」
善逸さんが小刻みに震えていた。顔を真っ赤にして、手で口を覆っている。なにかを一生懸命我慢しているみたいに。
「あ、あのさ、それってさ…」
「はい」
「ナマエが、その…俺のこと……好き、ってこと?」
善逸さんがこれでもかというほど緊張した面持ちで尋ねる。わたしは一瞬考えたのち、口を開く。
「たぶん、そうだと思います」
「たぶんってなんだよぉ!!俺はっ、俺はナマエのこと好きなのに!!!」
言ってから善逸さんはハッと我に返り、しまった!という顔をして、わたしに背を向けた。うわー!言っちゃったー!と1人で悶えている。それがおかしくて、わたしは声を上げて笑ってしまった。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

「ねぇ!!もう一回、もう一回だけ確認させて!念のため!!」
「もう、しつこいですよ…」
「だって確認しないと、俺めちゃくちゃ不安になっちゃうから!幸せすぎて、これが夢なんじゃないかって不安になっちゃうから!!頼むよぉ、ナマエ…!!」
寝床のある部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、善逸さんは何度も立ち止まり、同じ質問を投げかけてきた。
「俺たちはさ、その、これから…恋人同士になる、そういうことだよね…?!」
「…さっきから、そうだって言ってるじゃないですか」
「朝起きたら、あれは嘘でしたなんて言わないよね?もし嘘だったら俺、自殺するよ?」
「言いませんってば」
「あああぁぁぁ!!!」
突然善逸さんは頭を抱えてしゃがみこむ。
「もう俺幸せすぎて、死ぬ、死ぬかも!いや死にたくない!!!だって今まで、好きな女の子と両想いになるって、伝説かなにかの類だと思ってたもの!!でも、俺は現実にそれを体験したからね、もうあり得ないほど幸せなわけ!!あぁぁーー!!!」
「やめてください!みっともない!!」
「ナマエ、ひどい!!!でも嬉しい!!」
そんな風に騒ぐ善逸さんを引っ張りながら廊下を歩いていると、部屋の障子戸が開いた。炭治郎さんと伊之助さんが顔を出す。

「やぁ、2人とも幸せそうなにおいがするよ」
炭治郎さんがにっこりと微笑む。伊之助さんはわたしと善逸さんを見比べながら、「変わった女もいるもんだな」と鼻を鳴らした。
「炭治郎ぉぉぉおお!!俺、幸せすぎて死ぬかもしれない…いや死にたくない!!!」
「そうだぞ、善逸が死んだらナマエが悲しむじゃないか。お前はナマエを幸せにするんだろ」
「する!!めちゃくちゃ幸せにする!!!」
わたしは恥ずかしいやら困ったやらで、どんな顔をしていいかわからず、曖昧に微笑む。
「善逸が町の茶屋で、ナマエの相方を辞めるって言いだしたときは、どうしようかと思ったが…。でも俺は、2人ならちゃんと気持ちが通じ合うって信じてたぞ。改めて、おめでとう善逸、ナマエ」
炭治郎さんが心から嬉しそうな顔をするので、わたしもつられて笑顔になった。善逸さんは涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだったけれど、やっぱり嬉しそうに笑っていた。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

後日、わたしたちはお館様に呼び出された。
「へぇ、そうか。善逸とナマエは、晴れて恋人同士になったんだね」
お館様はわたしと善逸さんの顔を交互に眺めながら言う。
「いいじゃないか。私は一目見たときから、君たちの相性は抜群だと思っていたよ」
そうしてにこりと笑った。
「同じ鬼殺隊員として、また人生の伴侶として、末永く互いを支え続けるといい」
”人生の伴侶”という言葉に一瞬疑問を覚えたものの、善逸さんが間髪いれずに「はい!!ありがとうございます!」と言うものだから、わたしもそれに続いた。

それからの善逸さんは、これまでと同じようにわたしの”相方”として任務に励み、また非番の日には”恋人”として共に時間を過ごした。

行きはよいよい、帰りはこわい(行きはいいが、帰ってくるのは難しい/通りゃんせ)
…今までわたしはそんな風に生きていた。けれど、今はもう怖いものなどない。ちょっと騒がしいけれど、強くて愛情深い恋人が隣にいるからだ。行きはよいよい、帰りもよいよい、そんな人生に変わった。

―――なお数年後、わたしが本当に善逸さんの”人生の伴侶”になったというのは、また別の話。




拍手