10.彼の言葉は猛毒

「ナマエさん、お食事とお薬の時間ですよ〜」
昼頃、キヨさんの可愛らしい声で目が覚めた。朝食のお粥を啜ったあと、わたしはまた眠りこけていたようだ。
キヨさんはわたしが起き上がるのを手伝ってくれたあと、匙を使ってわたしの口に食事を運びはじめた。正直このように誰かに食事を手伝ってもらうのは恥ずかしかったが、体が思うように動かない今は仕方がない。キヨさんはわたしの面倒を見ながら、現在蝶屋敷に滞在している隊士のことや、最近屋敷であった面白い出来事など、他愛もない話をしてくれた。彼女なりの気遣いなのだろう。そんなさり気ない優しさが嬉しかった。

食事がひと段落し、キヨさんがわたしに飲ませる水薬を用意しているところで、気になったことを口にしてみた。
「そういえば、蝶屋敷には今、霞柱も滞在していますか?」
体に負担がかからないよう、ゆっくりとキヨさんに問いかける。
「えっ、あぁ…そ、そうですねぇ。今朝からこちらに滞在されてますよ」
キヨさんは困ったような顔をして答えてくれる。それから、このように話してくれた。

実は霞柱はここ数週間、蝶屋敷の人たちの手を焼かせていたらしい。というのも、わたしが昏睡状態になって以来、突然蝶屋敷に現れては勝手にわたしの部屋に侵入する、ということを繰り返していたのだそうだ。もちろん、それはわたしの容態を確認するための行為ではあるが、蝶屋敷の人たちからすると甚だ迷惑であろう。
「しのぶ様が何度注意しても、全然お聞きにならなかったそうで…」
「そう、なんですか…」
「あっ、もしかして……」
「…はい、今朝、霞柱が来ました。この、部屋に」
キヨさんはさらに苦笑いを深くしたが、
「だけど、それだけナマエさんのことが心配だったということですね」
と言って優しく笑った。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

そのように蝶屋敷を騒がせていた霞柱だったが、結局次に彼と顔を合わせたのはそれから1週間も後のことだった。その頃のわたしは、歩行はまだ困難だったが、自分の手で食事をしたり、普段通りの会話ができる程度にまでは回復していた。霞柱は前回のような無断侵入ではなく、礼儀正しく戸の外からわたしに声をかけたあと、部屋に入ってきた。そして寝台横の椅子に腰かけると、そのまま俯き押し黙ってしまった。
「霞柱、具合はどうですか」
わたしが声をかけると、霞柱はハッとしたように顔を上げる。
「すっかりよくなった、昨日から任務に復帰してるよ」
「そうですか、お元気になられて安心しました」
「うん、ありがとう。
……それよりもナマエ、今回のことだけど、」
霞柱は思いつめたような顔でわたしを見つめた。
「本当に…ごめん。柱のくせに、君にこんな大怪我を負わせて…」
「いえ…そんなことおっしゃらないでください。わたしも鬼殺の剣士ですから、危険な目に遭って当然です。それにあれは、わたしの力不足でもありますし…」
わたしが慌てて言葉を返すと、霞柱は長い溜息をついて項垂れた。
「違うんだ、実は僕、あのあとすごく絞られたんだ……宇髄さんに。テメェが惚れた女もろくに守れねえくせに、隊士に手を出すなって。そんな中途半端な気持ちでちょっかい出すから、危険な目に遭わせることになるんだ、って。…正直、その通りだと思ったよ」
信じられないことに、霞柱は”落ち込んでいる”らしい。そんな彼の様子を、わたしはやや興味深い思いで見つめる。
「そのうえ、僕が気安くナマエの部屋に入ったり、触れようとしたりするもんだから、”1週間の謹慎”を食らったんだ。…君の部屋に出入りしてはいけない、っていう謹慎だけどね」
霞柱は苛立たし気に自分の長い髪を払って顔を上げた。悔しそうなその表情は、14歳の少年の幼さが滲み出ていた。
「これだけ周りに迷惑をかけて、怒られて、自分の甘さを痛感したっていうのに、僕は大人になるどころか、もっと子どもっぽいことばかり考えてしまう。僕は柱だ、鬼殺隊を引っ張っていかなければならない。それなのに、ナマエのことになると僕は、感情ばかりが突っ走って…」
霞柱はゆるゆると首を振ると、片手で頭を押さえた。

「君がいつも強い向上心を持って戦っていることは知っている。鬼殺隊内での信頼も厚い。だから、一日でも早い君の復帰を待ち望んでいる人は多いんだ。それは、わかってる、わかってるんだけど……やっぱり僕は、君を危険な目に遭わせたくない。明日の命も約束できぬような仕事を、君にやらせたくない。君を失いたくない。……ずっと、俺のそばにいてほしいから」
わたしは心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた。その半分は火照るような”甘さ”を伴う衝撃だが、もう半分は心に冷たい水が差し込むような、”緊迫”した衝撃だった。
「……それは、わたしに鬼殺隊を辞めてほしい、ということでしょうか」
霞柱はこくりと頷く。
「自分でも呆れるほど馬鹿なことを言っていると思う。でもこれが、紛れもない僕の本心なんだ。…子どもっぽくて笑っちゃうよね」
そう言って霞柱は自嘲するような笑いを浮かべたが、それはあまりにも辛そうな表情だった。
「ごめん、ナマエ。僕は馬鹿だ、本当に馬鹿な人間だ。僕の勝手な感情でまた君を困らせ、傷つけた。本当はこんなことをしたいんじゃない。僕はただ君と…一緒にいたいんだ。今日も、明日も、明後日も。一日でも長く、君と一緒にいたいんだ」
―――まただ。体中の血が沸騰する、ざわざわという音がする。力を入れていないと、手が震えてしまう。霞柱の言葉がわたしの体の中に入り、甘い毒でわたしを溶かしていくようだった。くらくらする。でもこれはきっと、発熱ではない。しかしわたしは、もう立ち向かえないほどの致命傷を負っている。それぐらい、霞柱の純粋な言葉には威力があった。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +

「霞柱、わたしは鬼殺隊を、辞めません。救える命がある限り、わたしは自分の剣で、鬼の頸を切りたいからです」
わたしは自分の胸を押さえながら、一つひとつ言葉を吐き出す。こうしていないと、速すぎる鼓動を打つ心臓が飛び出し、今にも死んでしまいそうになるからだ。
「ですが、それでも、あなたの隣にいることは、できます」
霞柱は潤んだ瞳を大きく開き、わたしを見据える。薄く開いた唇が、微かに震えていた。
「あなたが望むなら、明日も明後日も、隣にいましょう」
わたしは霞柱の手に、自分の手を重ねた。自分から彼の手に触れるのは初めてのことで、わたしの心臓はかつてないほどの速さで鼓動を刻んでいた。しかし言葉だけは、迷うことなく口をついて出る。
「だから、わたしと一日でも長く、一緒に生きましょう」
言ってから猛烈な羞恥心が押し寄せ、わたしは重ねた手をパッと引いてしまう。しかし、素早く反応した霞柱がその手を握り、わたしの手の逃亡は失敗に終わった。

「こんなに誰かを愛しく思うのは初めてだ」
もう霞柱の顔を見ることができなかった。畳みかけるような甘やかな言葉が、わたしの脳をふやかしていく。
「ナマエ、」
名前を呼ばれ、恐る恐る視線を上げると、穏やかな笑みをたたえた霞柱がいた。笑うと眉と目じりが下がって、こんなにあどけない顔になるんだなと新たな一面を発見し、新鮮な気持ちになる。
「ワガママな僕の気持ちを受け止めてくれてありがとう。本当に君が大好きなんだ。だから、」
鼻と鼻がくっつきそうなほど、霞柱がわたしに顔を寄せた。彼の瞳の中に映るわたしは、哀れなほど余裕のない顔だった。
「これから僕と一緒に生きてくれ、ずっと、ずっと」
内緒話をするかのようにそう囁いた霞柱に、骨抜きにされたのはわたしのほうだった。





拍手